日付:2018年2月8日 

 ★ 立ち喰いそばは、自転車に乗って! 

 

~ 「佐奈田堂」さんのHPに触発されて ~

 

 

蕎麦

自宅のあり合わせ蕎麦・乾麺で作った<冷やしたぬき>  

 

   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
     ~ 冷えた「海苔弁」と「立ち食いそば」への偏愛 ~
 
 
 わたしの友だちは、冷めて固まった煮魚の煮こごりが大好きで、前夜の夕食に出された魚(鮫を甘辛く煮た汁がいちばん美味しく好きらしい)の汁(煮こごり)を捨てずに冷蔵庫にとっておき、翌朝の朝食の熱々のご飯の上に載せ、煮こごりが熱いご飯の熱で溶けだして白いご飯にゆっくり滲みてゆくのを見て食べるのが大好きなんだそうだ。友人がそんな話を呑み屋で話してくれたとき、へえ、このひともオレと同じように、妙なものが好きなんだなと感心したことがある。でもこの煮こごりの話は日本人の食習慣から類推してみて、なんとなく了解できる範囲内だ。
 わたしの叔母の旦那は、冷めた餃子が好きで、餃子が出されたときは、そのいくつかは必ず残してとっておき、冷めたところを「美味しい」と食べるという。これは、ちょっと判らない。またその伯父は日本酒が好きで、日本酒の肴に饅頭の大福、アンコ系が大好きで食べるのも好きだ。伯父は確かに太っている。身体に悪いと思うが……、
 餃子といえば、うちの奥方と若い頃中華屋さんに入って餃子を頼むと、餃子を食べ終わって残ったラー油を美味しそうに呑み干す。残ったラー油が少ないと、わざわざ呑むために酢、醤油、ラー油足して作る。それ、身体に悪いんじゃないと何度かいってみたが、止めることはしない。最近は歳が歳だから、ラー油呑むことはなくなったが、刺身を食べ終わったあとに残ったワサビ醤油も呑む。佃煮も大好物で、酒の肴に指でつまんで食べる。イナゴの佃煮なんか買ってきたら怒鳴りつけてやろうと思っていたが、幸いイナゴはまだ買ってこない。家人は、我が家を<醤油の家>と呼んでいる。コロッケでもなんでも醤油をかける。
 
 わたしはというと、冷めた「海苔弁」が大好きで、ちょっと偏愛にちかい。
 まず弁当箱に暖かいご飯を少し多めにつめ、弁当箱の隅に梅干し、紅ショウガ、残っていれば昆布や椎茸の佃煮、お新香(大根のぬか漬けがあれは、goodだ。あの臭い匂いがたまらなく好きだ)を入れ、薄削りのかつを節にたっぷり醤油をなじませ、まんべんなく醤油の鰹節でご飯を覆い、小さく千切った海苔をその上に全面的に被せ、重しをするように蓋をぐいっと閉め、弁当の中身のご飯を圧迫しパンパンにする。半日ほど放置し、ご飯が冷めた頃を見計らって食べる。せっかく作ったのだからご飯もおかずも暖かいうちに食べればいいじゃないの、変人なんだからと家人にいつもいわれるが、この冷えて見放されたような『冷えた海苔弁』がわたしは好きだ。ご飯に載せるものが海苔はなく、薬味に切った長ねぎと鶏卵の薄塩そぼろ、豚肉と玉ネギのショウガ焼きの残りでもいい。弁当箱のなかで、圧迫されてご飯とおかずの境界がなくなったようにまぜこぜになり、しかも冷めて、ご米の飯に醤油味の滲みた感じがこのうえなく美味しい。
 『冷えた海苔弁』を、なぜ美味しいと感じるのか、それらしい理由をじぶんなりに悩み、思い巡らしてみた。
 (1)醤油の特有の色と味、湿ってほとんど溶けそうになっている海苔、それらがご飯とに溶け込み、一体になったときの感じがうれいし。(……素材と調味料、味付けのこと)
 (2)柔らかめに焚いたご飯が固まって、そのかたまりを口の中に入れたときの口腔内の皮膚感覚。口のなかに入れたご飯の塊を歯で噛み、かつを節の醤油味が滲みたご飯が口の中で圧迫され、糊状になったときの口腔内の膨らみと粘りがうれしい。(……食材の特有の形状、口腔内の皮膚感覚)
 違う。言葉が逆だ。美味しいと感じているので、その結果を後追いしている言葉に過ぎない。
 きっともっと食に関して日本人として源初的な食習慣の感覚(お米を食べるようになって以来)に支配され『冷えた海苔弁』が好きになっているに違いない。わたしの偏愛は、日本人とお米に関わる歴史時間にまで遡ることができると思うが、まだどうしてもまだそこへ言葉が届かない。
 
 <立ち喰いそば>は、わたしには哀しく、淋しい食べ物で、そして懐かしい食べものだ。
 50数年前、わたしは、京成「高砂」駅にある商業高校に通っていた。高校への通学路とは反対側の駅階段の下の薄暗い狭い処に「立ち喰いそば」屋があって、文字通りカウンターで、イスがなく立って食べる店で、学校と部活を終わるとほぼ毎日のように軽い夕食代わりにひとりで立ち喰いそば屋さんへ寄った。学校帰りの夕方から2時間ほど小遣い銭稼ぎに清掃のアルバイトをしていたからだ。昭和42年頃の<立ち喰いそば>の値段は憶えてないが、菓子パンが確か20円~30円くらいの値段だったから、たぶん<かけそば>が60円、<かき揚げ天ぷらそば>で120円くらいだったのではなっかたろうか。
 その頃は、いまのように技術が発達しているわけではないから冷凍麺とか細切りの自家製麺はなく、「立ち喰いそば屋」さんはちょっと太い茹で麺で、それを素早く茹で麺を軽く温め、麺に適温と柔らかさを与え、それにめんつゆをかけるだけだから、麺は太く、口のなかでボソボソした。そばというより小麦粉の粘着質ばかりが口のなかに拡がった。軽い夕食代わりに80円前後で食べられるのだから文句はいえないが、美味しかったのか不味かったのか、たぶんそれほど美味しくはなっかたろうと思う。
 ただ狭い店でボソボソとしたそばを立ちながら食べている後ろ姿を誰かに見詰められている感じがして、(校則では禁じられていたが)悪いことをしているわけではないのだが、どことなく後ろめたく、どこかうら哀しく、淋しく、それでいて、身銭を切って獲得しただれにも気を遣う必要のないじぶんひとりの時間に少なからず自足していた。駅の階段下の薄暗い場所、うら哀しい気持ち、わずかではあるがヘンテコな自足感、これがわたしにとっての<立ち喰いそば>事始めの思い出だ。
 
 <町場のおそば屋>さんの思い出もある。子供の頃の<町場のおそば屋>さんの思い出を喋れば、わたしの家が客商売(呑み屋)をやっていて、たぶん予約客がたくさん入っているときだったんだろうと思うが、祖父が「今夜は忙しくなるから蕎麦でもとろうか」といって家族全員と女給さん(ホステスさんを当時はそう呼んでいた)を含めて、客が入る前の時間に蕎麦をとってくれた。もりそば、かけそば、たぬきそば、きつねそば、安価そばだったが、笑顔でみんな蕎麦を食べた。町場の蕎麦は<ハレ>の食べ物という感じがしてうれしかった。わたしなど、かけそばの残りの汁にご飯を入れて、鰹節の効いた汁で即席の湯漬けにしてみんな飲み干した。
 
 他人にはうかがい知れない<食>についての深い思い入れの物語をわたしたちの心は一人ひとりもっていて、それを<食>に付与し、食事と同時にじぶんの作ったイメージも食べている。正直いって50年前に食べた「立ち喰いそば」の味の記憶などまったくない。子供の頃原っぱで焚き火して遊んだときの煙が眼が滲みて眼をこすったみたいな思い出だけが勝手に一人歩きして、架空線上に<立ち喰いそば>の幻の味のイメージを作っているにすぎない。
 こんな話は、喋っているわたしには、それなりに食について切実な色彩をもっているのだが、そんなものを読まされているほうはバカバカしくてやってられないにちがいない。
 
 では、本題へ!
 
 
 
     ●<荒川区の路地蕎麦 立ち食いそば超個人的ランキング>へ跳びます!
 
 
 わたしの住む荒川区の町屋、東尾久から、毎年のように日本そば屋さんの姿が一軒、また一軒と姿を消してゆく。新興のラーメン屋さんは一軒、また一軒とできてくるのだが、もちろんラーメンの大好きだが、日本そば屋さんの姿が消えてゆくのは、やはりちょっと淋しい。
 
 そんなわけで、自宅の周辺に徒歩や自転車で行けるそば屋さんや立ち喰いそば屋さんがどれくらいあるのかとネット探してみた。去年の年末に「佐奈田堂」さんの「荒川区の路地蕎麦 立ち食いそば超個人的ランキング」というHPを偶然見つけて、そのHPから、なんと荒川区には14、5軒近くの立ち喰いそば屋さんがあることを教えられた。
 記載されている立ち喰いそば屋さんの情報が満載でうれしくなった。どこそこに立ち喰いそば屋さんがあって、天ぷらそばがいくらだとか、こと細かく書いてある。だが、もうひとつうれしくなったのは、「佐奈田堂」さんのHP「荒川区の立ち喰い蕎麦列伝」の記事の文章が面白く、刺激的で、他者を惹きつける力をもっていて、アッ、オレも荒川区の立ち喰いそば屋さん全店舗制覇の行脚でもしてみたいと思うようになった。
 「佐奈田堂」さんHPは、こんな感じからはじまる。
 
 
   自分は所謂「立ち食いそば」ってヤツが好きでして、、
   あの独特な「都会の片隅」感、過去と未来双方の時間を超越した「場末スメル」に、
   いかにも近未来のTOKYOサイバーパンク的な情緒・趣を感じられ、
   個人的に心躍るものがあるのですw
   まるで映画ブレードランナーの冒頭シーンのよう…(*´∀`*)
   (※映画「ブレードランナー」の冒頭シーン「うどん屋」の写真挿入があり、ハリソン・フォードの
   セリフ「4つくれ」が入っている ※注:菅間)
   「二つで十分ですよ!」
   「任せてくださいよ!」
   立ち食いそば屋ってーのは、カウンターしかない狭っ苦しくて小汚いお店に無愛想な店員、
   もちろん水はセルフサービス、お金はドンブリを受け取ると同時に手渡し、
   うっかり一万円でも出そうもんなら
   「あー!?釣りなんかねーよ!(# ゚Д゚)」
   ・・・とか逆ギレされそうな雰囲気ww
   もちろん蕎麦の味はそれなりで、
   揚げ物のっけて油で掻き込むようなのがデフォなのですwww
   その「一般的なそば屋」とはちょっと違う「立ち食いそば
   (カウンターそば/路地蕎麦/路そば/路麺)」を、
   仕事の合間や移動途中に、手軽さからか結構ちょこちょこ食べにいってまして、、
   そんなワケで今回、仕事でよく行く
   東京下町の荒川区の
   オラが(゚д゚)ウマーリストというか
   荒川区立ち食い蕎麦屋ランキング
   (多分荒川区の立ち食いそば屋は全店制覇だと思う)
   ・・・みたいなのを作ってみました
 
 
 この文章のどこがいいと思ったのかというと、まずいちばんに「佐奈田堂」さんは少しも啓蒙的ではないところが、とれもいい。蕎麦についてのあれこれ蓄積した知識のひけらかし、自慢話が少しも書いていないところも爽やかだ。これはできるようで、なかなかできない。朗らかで、刺激的で、押さえどころはちゃんと押さえている。こういう文章はNETに最近よくあるネット文体だよという人はたくさんいるだろう。確かにそうかもしれないが、わたしは彼のHPの全体性の記述はそんなレベルにはなく、かなり高度な水準にあると思う。読んでも次の瞬間に、なにが書かれていたかなんて、忘れてくれちゃってもいいんだよ。そういっている彼の笑顔さえ見えてくる気がする。
 また彼のHPの記述の仕方は、実は非常に原則的で倫理的でさえありながら、文章から窮屈さを感じないし、実に愉快な開けた場所へちゃんと読む者を誘ってくれる。話したいことの内容、語法のリズム、大胆な省略性、食べた立ち喰い蕎麦の不味い蕎麦を不味いを一般論を背景にして述べることをせず、じぶんの嗜好の間口できっちり語り、じぶんが感じたことをちゃんと書いている。世の中にはこんな愉しい書き手さんがいるんだなあ、とうれしくなった。
 
 
   立ち食いそばは、天ぷら/掻き揚げ天を載せたものが、
   (あくまで)自分の中では基本( ー`дー´)キリッ
   で、個人的には上記オーダーで、350円前後が基準点で、
   その上で旨いか不味いか、安いか高いかですね
   生そばだろうが茹で置きだろうが、旨くて安いのが神、
   「蕎麦屋」ではなく「立ち食いそば屋」ですからね、ここ重要ですww
   立ち食いそば屋で天ぷらそば一杯が400円台になると、
   どうしても質、つまり味やボリュームを求めてきちゃいますよねー( ゚д゚ )
   も少し簡潔に言うと、
   評価基準は、ぶっちゃけ他人の意見はどーでもよく、ようは自分が美味く満足して食べれるか、
   そして費用、投下コストと成果のバランス、費用対効果だな
   ようはコスパ(゚ω゚)
   その基準が「掻き揚げ天ぷらそば1杯/340~360円」というところでしょうかw
   そして隠し味の「お店の雰囲気」でしょうか
   この辺りも、食にとっては重要なファクターとなります
 
 
 そう、「天ぷらそば=¥350で決まりだよ」、わたしもこの値段こそが、立ち食い蕎麦の「国是」だと肯きながら、いいなあ、こうもあっさりさらりと本音を吐きだしている「佐奈田堂」さんのHPは。
 チープで愉しい夢の食の冒険の旅を、気がつくとわたしもは実際にはじめていた。
 ついでに「佐奈田堂」さんのHPの二番煎じの「荒川区近辺、立ち喰い蕎麦列伝 ~ 立ち食い蕎麦は、自転車に乗って!」を書いてみたいくなった。
 
 
★ とりあえず、第一回 立ち喰いそば屋さん、5軒ほどを廻ってみた。
 
 (1) 自宅から徒歩10分の 【ももや】 へはじめて行った。 美味しかった! 01/12
 (2) 町屋の駅近ビルの 【八起(やおき)そば】 は、パチンコの途中でよく喰っていた。 02/08
 (3)日暮里駅前の 【六文そば 2号店】 へはじめて行った。 かき揚げ天が堅かった! 04/18
 (4) 同じく日暮里駅前の 【一由そば】 へ行った。 名物のゲソ天は堅かった! 04/26
 (5) 同じく日暮里駅前の 【六文そば 1号店】 へ行った。 つゆが薄かった! 05/07
 
 
★ 第二回 自転車で15分くらいの立ち喰いそば屋さんへ5軒ほど遠征した。
 
 (6) ママチャリで遅い昼飯を【尾久そば】へ食べに行った! 05/12
 (7) 京成線 新三河島駅近くの【かみむら】へ行った。 05/15
 (8) 迷子のなったが、日暮里の繊維街近くの【浜田屋】へやっとたどり着いた! 05/16
 (9) 山手線 田端駅北口下、【かしやま】へママチャリを飛ばした! 05/28
 (10) 念願の三ノ輪【長寿庵】へ食べに行った!! 05/22
 
 
★ 第三回 荒川区とその周辺の製麺所を自転車で探してみた。
 
 (11) 【三松 ☆ 三河島店】(荒川区西日暮里1-6-8) 5/30
 (12) 【有限会社善當製麺所】(荒川区町屋3-22-2) 5/29
 (13) 日暮里【おがわ屋】(荒川区東日暮里5-50-11 林ビル1F) かけうどん\380 9/17
 (14) 【仲屋製麺所】(荒川区西日暮里2-13−1) たぬき細うどん\350
 (15) 【讃岐うどん しすせそ】(荒川区西日暮里5-35-4) たぬきそば\380
 
 
★ 第四回 寒風の冬空のなか、いつか寄ってみたい立ち喰いそば屋さんたち 
 
 (16) 【王子そば】(北区王子1-3) 
 (17) 【究極塩だし 三ノ輪橋 生そば 睦月】(荒川区南千住5-3-16) 
 (18) 秋葉原【小諸そば】 
 (19) 日本橋【そばよし】 
 (20) 三越前【よもだそば】 
 (21) 新宿、西口思い出横町【かめや】 
 
 
 異例ともいえる今年の夏の暑さに降参して、ママチャリでの立ちそば巡りを中断しました。
 10月に入り秋風が吹くようになりましたら、少しずつ再開したいと思っています。
 立ちそばについていろいろ試みに書きましたが、注文して30秒もかからずに出てくる立ちそば、
 当然美味ければそれにこしたことはないけれど、その店特有の味の顔(そば・天ぷら・めんつゆ)が愉しめれば、立ち食いそばはそれでOK!  そう、思うようになりました!
 西日暮里に仕事場のあるわたしは、わたしが『不味い』といい放った【一由そば】、【六文そば 2号店】で、週に二~三度、ゲソ天、かき揚げ天、紅生姜天を食べてます。ちょっとメタボが気になります……、

 10月になったら、お逢いしましょう! だれひとり読んでくれていないと思うけど……、

 
 
 
 【立ち食い蕎麦は、自転車に乗って!】のはじめに、誰でもが一度くらいは口にしたことがあるんじゃないかと思う「フライドチキンとハムバーガー」について、故吉本隆明さんの文章を引用させていただく。
 
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         フライドチキンとハムバーガー      吉本 隆明
 
 
 
マック  はじめのうちは主にハムバーガーを販るマクドナルドの店とフライドチキンを主体にしたケンタッキーの店との区別がつかなかった。両方とも簡易なアメリカ風ともいうべき店構えで盛り場でも目立つのだが、どの店でもさまざまなハムバーガーも販ればフライドチキンも販るとおもっていた。
 抜きがたい偏見があって、こんなところで立ち喰いやお粗末なテーブルでハムバーガーにかぶりついて、急いで朝食の代わりにして出勤するのは、何ともなさけないことだ。朝食はご飯に味噌汁をゆっくり食べてというのが常道だとおもっていたのだ。
 この偏見に輪をかけるようにアメリカの簡易食習慣をくさしているヘンリ-・ミラーのエッセイを読んで、かれは赤犬の肉で缶詰をつくるために、駅や街の立ち喰い済まして働きに出かけるアメリカ風を呪っていた。
 しかしわたしの偏見は偏見のまましだいに崩壊していった。たぶんこの崩壊には二つのまっとうな根拠がある。ひとつは消費産業がのし上がってくるにつれて、ますます産業の循環時間が急速になり、なぜそんなにいそぐのかわからないままに、誰もが急がされている感じでせわしなくなる。
 もうひとつあげれば、主婦が朝早く起きて暖かいご飯に味噌汁で亭主の出勤を送り出すという風習を維持するには、あまりに疲れすぎている。寝ているから勝手に食べていってということになりかねない。子どもの登校についてもおなじことになる。
 わたしはいくら止めようとしても、この傾向は止まらないとおもうようになった。果たせるかなと言ってもいいのか、都会の駅ビルには立ち喰いのソバ・うどん・カレーライスなどを商う簡易日本式の店もできてきた。また、主婦が炊事し、お惣菜をつくりというのとほとんど変わらない手の込んだ食事を外で食べるのに、まったく不自由がしなくなった。
 それでも昔はご飯に味噌汁、シャケの切り身くらいは最低限食べられ、何よりもたっぷりした食事時間があったという思いが消しがたく、子ども達が買ってくるハムバーガーやフライドチキンをおずおずとわけてもらって食べるようになった。最近では簡易日本製の立ち喰いうどんをかき込んでから会合にいくということもやるようになった。そこまでいけばヘンリ-・ミラー流の偏見は崩壊してしまって、じぶんも世間並みになったといっていい。
 食費がないほど貧乏ではないのに、時間に追われて、食事はかえってお粗末になってしまった文明の矛盾にじぶんもすっぽりはまってしまった。そうなるまでにフライドチキンを販る店とハムバーガーを販る店とは違うのだということも判るようになった。そして時間が早いうちの朝食には、ハムバーガーが便利で、栄養のバランスも結構考えられていることも、食べ分けられるようになった。  こうなってくると味の問題になる。
 ケンタッキーのフライドチキンもマクドナルドのハムバーガーも食べてはじめに感ずることは、これは安い素材からできているということだとおもう。すくなくともわたしにはそれが第一の感想で、うまいとかまずいとかいうのは二の次だった。これは不思議なことだ。
 フライドチキンを例にとれば、このチリ肉の部分は、羽根のつけ根のところとか、足のちょん切れたところだとおもえた。もしかするとトリ料理のばあい切って捨ててしまう部分を集めて、衣をつけ油で揚げただけのものという気がする。味付けと揚げ方に工夫はあるかもしれないが、素材としては無料に等しいのではないか。
 ハムバーガーのほうもおなじで、あのつかわれているパンはもっとも安上がりにできているものだ。挿まれたハンバーグの薄切れも、ヘンリー・ミラー流の悪口を言えば、赤い犬の肉かどうかもわからない。あとはレタスとケッチャップを添えてあるだけだ。何となく売り値の三分の一くらいの原価で、できそうな気がしてくる。
 アメリカ人は凄いことを考え、作り上げたものだ。どうしようもなく粗悪で捨てるほかないような素材をあつめて、手軽に食べられる分にはちゃんとした見掛けと、相応に味の食品を造りだして流行させている。さすがに降参するにちがいないが、ときどき臨時に空腹を充たすということなら、けっしてまずくはない。
   光芒社・平成13年11月刊:吉本隆明著『食べもの探訪記』より「フライドチキンとハムバーガー」

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