日付:2018年6月2日 

 ★~ ママチャリで10分くらいの立ち喰いそば屋へ遠征した。 ~ (3)

 

蕎麦

ハムと竹輪と紅生姜があったので<冷やしたぬきそば>  

 

  ★ 六軒目 ママチャリで遅い昼飯を【 尾久そば 】へ食べに行った
 
 
左寄せの画像  ☆ 食べた日:2018年5月12日
 ☆ 食べたそば:天ぷらそば(¥300)
 ☆ 所在地:北区昭和町2-7-1
 ☆ 目印メモ:JR東日本の「尾久」駅
   下車、目の前の明治通りを渡った
   処にある
 ☆ 営業時間:毎日早朝~22時まで
 ☆ メニュー:かけそば\280
   天ぷらそば\300
 
 
 
 
 この【尾久そば】は、「佐奈田堂」さんのHPには記載はないので……、
 自宅からママチャリで10分くらいのところにJR東日本の東北本線「尾久」駅があり、駅前に立ち喰いそば【尾久そば】があることをネットで知り、はじめて行ってみた。
 はじめから驚かされたのは、かけそば¥280で、かき揚げ天そば¥300、それはなぜなんだ? いまもわからないままだが、¥20の差なら断然ならかき揚げ天そばを頼みます!
 
 天ぷらは「佐奈田堂」さんの言葉を借りれば「作り置きの天ぷらがデフォルトで冷えてるんで」、揚げたてではもちろんないが、焦茶色の出番を待ちすぎて干涸らびた天ぷらではない。少し湿り気を帯びていたが、薄い肌色で、中身はというと、なんせ値段差が¥20なのだから仕方がないけど、具は人参ばかりが目立ち、つなぎが多く、汁をたっぷり吸った小麦粉のつなぎは綿飴のように柔らかく、チープな味だが嫌ではない。蕎麦は当然、茹で麺で腰はなかったが、それも嫌ではなかった。なぜなら汁がかなり濃く、その濃さは立ち喰いそば屋界でも特筆すべきもので、わたしのような下町の貧乏人(わたしの家は、<醤油の家>と呼ばれている。<減塩>などは人間としても、商品としても堕落だで、貧弱さを招くだけだ)は醤油がなければ食事は美味しく食べられないと心の芯から思っているので、「尾久そば」の濃いそば汁の味は大変に嬉しかった。
 
 【尾久そば】は、店の外観、内観から推測すると、チェーン店ではなくたぶん個人営業の店だ。店内は、広々としていて、カウンターはすべてがイス席で10人くらいは腰掛けられ、カウンター、調理台はとても清潔な感じがした。店員さんは、真っ黒に日焼けした東南アジア系(?)の小柄な太った小母さんで、愛嬌があり、カタコトの日本語で「そばデスカ、うどんデスカ?」、店を出るとき「アリガトゴザイマシタ!」も感じもよかった。
 
 東北本線「尾久」駅の一日の乗降客数は約10,000人に満たない。「日暮里」駅は(JR+京成+都営の舎人ライナーを合わせて)約の180,000人を超える。「尾久」駅は、忘れられたまま時間の止まった都会の片田舎といった感じだ。けれども競争が激しい「日暮里」周辺の立ち喰いそば屋みたいにギスギスしてない。同じ立ち食いそば屋でも【尾久そば】は店の外観、内観から見てもまったく異質で、焦茶色の屋号の表看板の古さは堂々としていて風格さえ感じられた。
 
 立ち食いそば屋の店員がカウンターに置いてくれるその「そば」が、美味しいことが客にとってほんとに第一義の問題なのか?
 ……またバカみたいなことをいいはじめてしまって……、こんなことばっかりいってるから、オレは誰にも相手にされなくなってしまったんだ。WETなオレで、ごめんなさい!……
 当然、食べる側にとってはそれが第一義の問題だ。だが【尾久そば】の店の景観と雰囲気は、オレのそんなバカな問いをその存在自体で跳ね返して無効にしてしまう力がある。こんな時代に、まるで過去への時間の遡行を絵に描いたような立ち喰いそば屋が亡霊のように現存していること自体がなぜか<ほっとした>と感じにさせられる。
 
        帰 郷     (中原中也)
 
     柱も庭も乾いている
     今日は好(よ)い天気だ
        椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
        心細そうに揺れている
 
     山では枯木も息を吐(つ)く
     ああ今日は好い天気だ
        路傍(みちばた)の草影が
        あどけない愁(かなし)みをする
 
     これが私の故里(ふるさと)だ
     さやかに風も吹いている
        心置(こころおき)なく泣かれよと
        年増婦(としま)の低い声もする
 
     ああ おまえはなにをして来たのだと……
     吹き来る風が私に云(い)う
 
 また海を渡って遠い国から来た店員の東南アジアの小母さんが笑顔で働いている姿をみると、日本もまだまんざらではないのかもしれないなァといった感じにもさせられた。
 庶民レベルの床屋談義の与太話だが、外国人就労者の在留期限とかそんな姑息なことばかりいって国を閉じてないで、もっと国を近隣の諸国に解放してゆくしか、たそがれ日本に残された道はないじゃないの。開いてゆくというということが、いつの日にか日本と近隣の国の底力にきっとなると思うんだけど、どう思いますか?
 
 こんな感傷、心情は、<味>の内実へ含ませてはいけないのではないか? もちろん、いけない。
 でもオレは、過去の亡霊のように残存している【尾久そば】に迷わず一票投じるね。
 
 不思議な値段のかき揚げ天そば300円に深い満足感を、店のたたずまいと雰囲気に感銘を受けた今回のママチャリ10分間の小旅行【尾久そば】行は、大変に奇妙な懐かしい旅だった。何度も通いたい店だ!
 
 
 
 ★ 七軒目 京成線 新三河島駅近くの【 かみむら 】へ行った
 
 
左寄せの画像 ☆ 食べた日:2018年5月15日、6月19日
☆ 食べたそば:天ぷらそば(¥350)
☆ 所在地:荒川区西日暮里1-37-13
☆ 目印メモ:京成線の新三河島駅の改札を出て、
  すぐの右の「藍染川西通り」へ、すると見える
☆ 営業時間:[月~金] 6:00~18:30、
  [土・祝] 6:00~15:00
☆ カウンターに、全席イス席
☆ メニュー:かけそば\240・天ぷらそば\350
  ラーメンがありました \390 です  
 
 
 例によって「佐奈田堂」さんのご紹介・ご意見……、
 
  冷凍麺のせいなのか、麺は案外ゴワついてます、
  蕎麦に黒いツブツブが入ってますが、
  これは蕎麦殻入りなのかな?
  食べた感じでもっとも近いのは、
   スーパーで売られている乾そば、
   それもイオンのトップバリューの乾そばにちょうど近い感じかな
   (乾そばは、自宅でよく食べるので案外詳しいです)
   天ぷらは駅そばらしい作りおきで、小麦粉が多いもの、
   しかし随分黄色いよなぁ、卵の黄身が多いのかな?
   まさか着色料とか使ってないよな、さすがに・・・
   汁は醤油ベースで、軽くカツオの風味が香ります(´∀`)
   セットの豚丼は旨いっすよ(゚∀゚)
 
 
 店主が差し出したどんぶりの中のそばをしばらく眺め、そば汁の色合い、そばの細さ加減、弾力の予想、かき揚げ天の柔らかさ加減……、これは美味いのではないか。そんな感じがして、慌てず天ぷらをそば汁の海にゆっくり沈め、少し間をおき、かき揚げの一端を崩し、ゆっくり汁に脂を馴染ませ、崩したかき揚げ天の切れ端をそばの上へ乗せ、口へ、食べた。予想超えて汁と油脂が甘く美味かった。
 たかが「立ち喰いそば」でも、人びとは、各々じぶんなりの食事の順序の愉しみ方をもっている。
 【かみむら】のそば、汁、天ぷら、すべてOK、ライトで、優しい味だった。「佐奈田堂」さんのいう通り、そばは茹で麺ではなく冷凍麺であったように思う。細さと硬さ(柔らかさ)の所感が茹で麺とは断然違います。現在、冷凍麺の技術の水準がどれほどなのかまったく見当がつかないが、我が家では、そばは乾麺(二人前¥100)でをパパスで買い、うどんは冷凍麺(5袋¥230)でライフで買う。うどんは、茹でうどんと冷凍うどんでは天と地ほど食感が違う。そばもそれくらい進歩しているのだろうか。
 そば汁は薄目でほのかに出汁の香りがして、天ぷらは作り置きだが、例の焦茶色ではなく「佐奈田堂」さんのいう通り、そういえば黄色で、すぐに汁に溶けるように柔らかかった。
 
 【かみむら】は、繁華な街の日暮里、西日暮里からやはり取り残されたような「藍染川西通り」の京成線「新三河島」駅(一日の乗降客:約9,000弱:平成28年度:京成線全69駅中47位。)の入り口近くに静かに店を開いている。お昼の時間は混み合っていると思うが、わたしが寄ったのは夕方五時近くで、常連客が二人ほどいたが、店内はひっそりとしていた。店員というよりご亭主だと思われるが、わたしより少し若い半ば白髪の五十を超えたばかりで、店内の静かな落ち着きはこのひとの人柄の落ち着きが映ったような感じに思えた。
 
 大学はお茶の水で夜間だったので、昼間はアルバイトに明け暮れていた。
 いちばん長いアルバイトは「配膳会」といって、ホテルやデパートの食堂で派遣のウェイターとして働く仕事で、時給がよく三十半ばまでウェイターのアルバイトしていた。二番目は日比谷の「更科」という老舗のそば屋で2年半ほど働いた。三番目はお茶の水のパチンコ屋で、パチンコ屋といっても「麻雀パチンコ」といって、いまはもう無くなってしまっているが、スマート・ボールとパチンコを足して2で割ったようなパチンコだった。
 
 それぞれに愉しい思い出や失敗談もあるが、日比谷の「更科」で働いたときのことで、黒澤明監督の「七人の侍」に剣の修業の旅を続けている居合いの凄腕の剣客「久蔵」役を演じていた宮口精二さんが、よく食事に来たことを憶えている。
 日比谷の「更科」のあったところは「芸術座」に近く、想像だが「芸術座」への出演のあるときに日比谷の「更科」に、出番前に食事に来ていたのではないだろうか。お酒を一合、蒲鉾の板わさみたいな簡単なつまみ、最後は食事で暖かい丼物は注文せず、ざる蕎麦で、いつも一人で、映画みたいに無口で、宮口さんが喋っている場面の記憶はない。当たり前のことだが、映画のようにいつも緊張していつもピリピリしたような顔をしているわけでもなく、優しい表情のおじいさんで、一人酒を静かに呑んでいた。日比谷の「更科」は、近代的なビルの二階にあり、ビルはもちろん鉄筋コンクリートだが、店の暖簾をくぐると、店には、和風の長細い座敷があって、衝立で二畳ちょっとほどの広さにいくつか区切り、その区切られた小さな座敷の勘定場に近い方へ宮口さんはいつも坐った。
 
 なんでこんなことを書いたのかというと、ただ宮口精二さんのことを思い出しただけだから書いたのだが、そば屋というと宮口精二さんの一人酒の姿と日比谷の「更科」の白いそば、朝のまかない飯の座頭もり(どんぶりに、そば、汁、刻みネギ、わさび、天かすを一緒に入れて、そのまま食べる。江戸時代、そば屋さんが工夫した、眼の不自由な座頭さんにも、もりそばを食べてもらえる方法。「更科」の女将さんにそのように教わりました。また「座頭もり」なんて言葉を余所で使っちゃいけないよとも教えられた。)がどうしても思い浮かんできてしまう。
 
 いまのわたしは68才になろうとしているが、日比谷の「更科」で遭った頃の宮口さんと同い歳くらいの歳だと思う。
 年寄りにそば好きが多いのは、そばは食べるのが面倒臭くないからだ。歳をとると食べるのが面倒臭くなる。硬いものは歯がもういけないのでダメだし、餅は好きだがやはりあまり食べなくなった。朝飯などつい抜いてしまうか、バナナ一本で済ましてしまう。昼食は毎日簡単な麺類で済ましている。夕食は、毎夜奥方が作ってくれるが、奥方も同じ歳で、夕食のおかずを考えたり作ったりするのが最近は大儀そうになってきているのでわたしの方から「弁当で買ってこようか」などといって、コンビニやスパーの弁当などで初期高齢者は夕食を済ますことも週に1~2度はある。
 昼食の麺類作りはわたしの分担で、もう四年もその分担をこなしている。なぜ四年も続いているのかわからないが、麺類は作るのが簡単だし、食後の鍋・食器あらいが麺類だと数が少なくて済み、楽だからだと思う。
 また、身体が動かすのが少しずつ億劫になり、心と身体の行動範囲も若い頃に較べたら格段に狭くなっている。それに用事がそれほど無い筈なのに、毎日なにかに追われているように忙しく感じる。だからいつも簡単な食事を、と考えてしまうのかもしれない。
 
 日本蕎麦、うどん、ラーメン、夏はそれに冷や麦やそうめん、冷やし中華が加わり、冷たくして適度なローテーションでかわりばんこに食べている。刻みネギの他、大葉、ミョウガ、生姜、キューリ、大根、若芽、干し椎茸、とろろ昆布、挽き割り納豆等を添えれば季節感もちょっぴり味わえる。
 そばはそれほど噛まなくともいいし、それでいて適度な喉越しも楽しめる。噛まずに済むそば(粉の練りもの)、鰹や鯖の出汁、醤油と少しの甘味、この三つの取り合わせは日本の古くからの食習慣、団子汁、すいとん、雑炊等に通じるものがあり、食べ飽きてもそれなりに毎日食べられるから四年間も続いてきたのかもしれない。<切り蕎麦>は、そんな古くからの日本の食習慣から出て、立派に自立し、一家の門戸構えた食べものということになる。
 初期老人夫婦の食卓も、若い人びとの食卓も、風は吹きつけていないか。
 
 【2回目】6月19日。同じくかき揚げ天そば、¥350。
 わたしの【かみむら】の店主への人間観察はまったく見当外れもいいとこだった。
 店を訪れたのは、昼の12時半くらいでひょっとして混雑していたら悪いなと思いながら玄関の戸を開けた。もの静かなかの店主は、80才くらいの客のじいさんへ馬券の買い方をうれしそうに教えていた。
 じいさんの方も、競馬新聞を手にしながら、いわれた通りに買ったけど当たらないじゃないかと楽しそうに店主に文句をいっている。店主も負けずに競走馬をもっと勉強しないといけないといっている。○×レースは、何と何を狙ってるわけ?
 【かみむら】も、京成線の「新三河島」ならではの立ち食いそば屋さんの景色を色濃くもっている。いい店だ。
 
 
 
 ★ 八軒目 迷子のなったが、日暮里の繊維街近くの【 浜田屋 】へやっとたどり着いた
 
 
左寄せの画像 ☆ 食べた日:2018年5月16日
☆ 食べたそば:天ぷらそば(¥300)
☆ 所在地:荒川区東日暮里4-19-1
☆ 目印メモ:店は、東日暮里の住宅街に埋もれるように
  ひっそりと建っている。かなり見つけづらい場所。
  GoogleでGPS住所検索は必要!
☆ 営業時間:[月〜土]〜16:00、土日祭休み
☆ メニュー:・かき揚げ天そば\300 かけ\220
  外看板もなく、店内にもメニュー、価格表が無い!
  お店だと解る目印がどこにもない。
 
 
 例によって「佐奈田堂」さんのご紹介・ご意見……、
 
  お店はカウンターのみ、
  元気な割烹着姿のおばちゃんが、一人で切り盛り
  お値段はかなり安く、でもボリュームもあります、
   天ぷらそば 300円(いつ行っても見事な掻き揚げが鎮座する天ぷらそば ウツクスィ・・)
   この野菜たっぷりの掻き揚げの、その大きさ、立体感はハンパないですが、
   これでたった300円なんですよね( ^,_ゝ^)
   ちなみにカウンターには天カスが置かれており、
   かけそば(220円)を頼めば、もれなくタヌキそばに勝手に強化改良できます
   そしてここの大盛りは100円+で2玉となり、かなり腹持ちよくなります
   汁は醤油ベースですが、口当りの良い薄味風味、
   そしてそばは細く黒めでちょっとボソッとした食感、
   個人的にはどっちかというと、ちょっと苦手な部類ですが、
   好きな人はきっと多い、いわゆる「家庭の味」といった優しい味なんです
   何より掻き揚げのボリューム感と値段がかなり(・∀・)イイ!!
   つーかコスパだけで言ったら、多分荒川区で、一番なんではないかと・・
   カウンターに常備されている天カスは取り放題、
   かけそばを頼めば、好きなだけタヌキに改造できますw
   自分の中ではこれぞ下町 立喰蕎麦の良心って感じですw
 
 
 今週は、楽しいママチャリ旅行になった。
 【尾久そば】、【かみむら】、続いて【浜田屋】、みんな好みの味で、そば、汁、かき揚げ天、店の雰囲気も満点だ。
 だが「浜田屋」へたどり着くのはとても困難だ。日暮里駅より鶯谷駅の方から探したら近いだろうと思ったが、少しは馴染みのある日暮里駅から勘で探したが案の定迷子になった。Googleでなんとかたどり着けたが、繁華な商店街を予想はしていなかったが、住宅街のなかに身をすっぽり隠すように建っている店だったので、見落としていたのかもしれない。【浜田屋】さんを探すときは、GoogleのGPS機能付の住所検索は必携。
 
 やっとたどり着いたと思ったら、店主がいない。初老の紳士が一人、カウンターで大根おろしそばを食べていた。壁にはメニューの価格表もない。なにも貼っていないのだ、店の入り口にも。あ、オレ、間違えて民家に入って来ちゃったのかな、そんな不安な気持ちを起こさせる店だ。だがやがて、「佐奈田堂」さんのご紹介とおり、民家の小母さんがエプロンがけで店に出てきて……、
 
 「おそば? うどん?」
 「そば」
 「なに?」
 「天ぷら」
 「そのケースの、どれ?」
 「あ、この端の、かき揚げ」
 
 【浜田屋】さんは、【尾久そば】さんに劣らず、入ってきた客を一瞬にして慰安させてしまう独自な雰囲気をもった小母さんの店だった。チェーン店ではこの感じはまったくありえない。
 
 かき揚げ天そばは、優しい味で、ほんとに美味しかった。今回の感想は、これでお終い。
 
 ところで、廻ったお店はまだ八軒と数は少ないが、このへんで八軒から感じた印象を正直にいっておかないと、レポートにも、なにもならない気がする。
 即興に、立ち食いそば屋さんの現在の方向性というか志向性を三つに分類してみた。
 
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【 ① 上向型 】  記憶のなかでいえば、たとえば、チェーン店の【小諸そば】系列がそのいい例で、【小諸そば】のそば、汁、かき揚げ天はかなりのハイレベルで美味しい。一般のそば屋さんにも劣らない品質レベルまで、そばを上向させようとする展開的な志向的を持つ店。集客のポイントを一点に絞り、現在を航海している。今回、食べたそば屋さんでいえば、【ももや】、【八起そば】だ。
 
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【 ② 旧来型 】  「美味いものはgoodで、不味いものは本当にbadか、僭越は許されない!」
 不味いがそれが立ち食いそばの元祖であり、不味さも美味さのうちだ。この味と価格が客を呼ぶんだとする強情派。だが、作り方がは、<火力>、<粉もの>、<醤油>、<甘味>、<出汁>の組み合わせの原型「すいとん」や「雑炊」へと遡る、日本の<食>に関して深い根拠をもつ考え方の、そんな志向的の店。【六文そば2号店】、【一由そば】だ。実際、オレは仕事場が近いせいかいちばん通っている店。
 
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【 ③ ローカル型 】  全体的にそばも天ぷらも、汁も大雑把な作り方だが、その大雑把さは、店主(じぶん)のそばに関する嗜好と販売する蕎麦の価格との均衡を強く内包し、かつ家庭料理の基本の美味しい<味>を大切にしている店。発行部数五百に満たない地方の売れない同人誌的店だ。【尾久そば】、【かみむら】、【浜田屋】だ。わたしは、この店の雰囲気と味の一ファンだ。
 
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 最後に「お店の外側の写真、撮ってもいいですか?」
 「どうぞ」
 「ご馳走様です。美味しかったです。」
 「…………」
 
 
 ★ 九軒目 三ノ輪【 長寿庵 】へ食べに行った!
 
 
左寄せの画像 ☆ 食べた日:2018年5月22日
☆ 食べたそば:天ぷらそば(¥340)
☆ 所在地:荒川区南千住1-15-6
☆ メモ:都電三ノ輪橋駅より日光街道の方へ徒歩2分
☆ 営業時間:7:00〜19:00、日曜休
☆ メニュー:かけそば\270・天ぷらそば\340
 
 
 力の入った「佐奈田堂」さんのご紹介・ご意見を、
 
 
   最近ではあまり味わうことが出来なくなった、
   鯖節の効いた旨味とコクのある汁、
   立ち食いそばなのに、通常より蕎麦粉を多
   めにしているという、香り広がる太めの蕎麦、
   小エビが入った薄めのお好み焼き状の、如何にも立ち食いそばの王道的な掻き揚げも、
   きつねそばの油揚げも、非常に手作り感のするもので、旨味がじっくりと染み込んでいますね
   それが徐々にそば汁に染み出てきて、食べているうちに、味の深みが増していきます
   昨今の一般的な立ち食いそば屋、
   つまり天ぷらやフライなどのトッピングアイテムばかりが異様に多く、
   いかにも業務用で単調な味のお店とは、明らかに一線を引いてます!
   そんなこんなで、ここ「立喰生そば長寿庵」は、自分的には、毎日通っても飽きない味でして、
   食べるたび あぁー、これが昔っからの
   旨い立喰い蕎麦ってヤツなんだよなぁ (´ー`) フッ  ・・と、感心してますw
   随分前の日記でも書きましたが、個人的には、なんというか、
   荒川「立喰蕎麦キング」といった感じで、
   味だけで言ったら、このお店が一番好きなんですわーww
   補足ですが、ここ長寿庵でも、他所のお店と同様に、そばの代わりにウドンも選択できます、
 
 
 今週は、「立ち喰いそば」日和で、幸せな日々が続いている。「佐奈田堂」さんのご意見通り、
「長寿庵さんは「荒川「立喰蕎麦キング」といった感じで、味だけで言ったら、このお店が一番好きなんですわーww」だった。
 そば汁は、出汁がちゃんと効いていて、濃く、適度に甘く、美味しかった。もちろんどんぶりの底が見えるまで、全部飲んだ。かき揚げ天ぷらは柔らかく、そばも「佐奈田堂」さんに、そういわれれば蕎麦粉を多い感じがした。出汁をたっぷり摂った濃い醤油色の汁が、下町の生まれのわたしには、なんといってもとくにうれしく、ご馳走だった。
 三ノ輪も繁華な街だが、やはり西日暮里、日暮里の繁華さとはとは肌合いが違う。どこかゆったりとしている、というか……。
 
 
 ★ 十軒目 山手線 田端駅北口下、【 かしやま 】へママチャリを飛ばした
 
 
左寄せの画像 ☆ 食べた日:2018年5月28日
☆ 食べたそば:天ぷらそば(¥320)
☆ 所在地:北区東田端1-17-20
☆ 目印メモ:山手線田端駅北口から
  新田端大橋を荒川区方面へ、
  右階段を降りたところにある
☆ 営業時間:平日6:00~20:00
  土曜6:00~15:00・日祭日休み
☆ メニュー:かけそば\240
  天ぷらそば\320  もりそば\290
☆  【かしやま】さんのホームページへ
 
 
 現在のように新田端大橋に架けられる前は、荒川区方面からJR山手線「田端」駅へ向かうにはラクダの瘤のような小山があり、その小山を登り、旧田端大橋を渡らなければ田端駅には辿りつけなかった。その丘のてっぺんに、わたしたちのあいだで『鬼太郎の酒場』と呼んでいた、古びた、いまにも崩れ落ちそうな、ガラス戸で中が丸見えの呑み屋が一軒あった。水木しげるが描き出す『墓場の鬼太郎』等の妖怪が夏の夜も冬の夜も好んで出入りし「無銭飲食で、なにが悪い!」と嘯(うそぶ)いてるような、そういう客だけが出入りするような風情の酒場だった。酒場自体が周囲の街から、鼻つまみ者扱いされている禁忌の呑み屋みたいだった。あるいは二重回し(トンビ)を着た太宰治がフラリとガラス戸を開けて出てきても可笑しないような戦後そのもののみたいな呑み屋だった。
 その『鬼太郎の酒場』とわたしたちが呼んでいたのが上の写真の右奥にある「だるま食堂」だと思う。ウソのように生まれ変わっている。ちょっと悪口をいいすぎてすいません、というより親近感をもっていたのです、あの丘の上の壊れかけた呑み屋の風情に。いいすぎてたらごめんなさい!
 そして写真の左側が立ち喰いそば【 かしやま 】だ。
 何度も見ていたが入るのは初めて。

お店、調理場はとても清潔で、客席は広さ一坪ちょっとで10人は入れないだろうな。イス席はなく文字通り立ち喰い。
 自動販売機に320円を入れ、天ぷらそばのチケット買った。……今週はついている!




 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
         ☆ 吉本隆明著「食べもの探訪記」より「即席カレーくらべ」 ☆
 
 
左寄せの画像  いまはなかなか華やかな分野になっているが、以前は食品化学というと化学の分野でもいちばんみそっかすの感じだった。食品にどうして化学が必要なのかというのは、農業になぜ化学が必要なのかとという問いとおなじになる。食品の味、香り、成分混合、着色料や調味料などの添加物や成分割合など、目分量で職人さんが何世代もかかって工夫して、それぞれの味や栄養を作りだしてきたのだが、これも確かな成分割合や最適な香りや味加減を作りだすには化学的な処理法がだんだん場所を占めてくる。
 染料や顔料や塗料、それから人間の身体にたいする塗料である化粧品の化学についてもなおおなじことがいえる。これらは目分量でことがすむとおもわれていた時代から現在の華やかな高度な分野に変遷してきた経緯があるので、化学の分野のうちでも、どんぶり勘定で混ぜあわせればいいじゃないかという旧い職人わざを払拭できない非科学的なところがあるというので、侮られる傾向があった。だが現在では高度な技術がいる分野で、需要も多く、軽化学でいちばん発達して高度な分野になっている。
 だがそうはいうものの、かつて太古には人間は自然に成長した木の実や魚や生きものを食べいた時代があったように、どうしても味や香りや色の善し悪しを、目分量で作りだす原始的なやり方をひきずっている。ここが食品のいちばん難しいところだ。
 栄養化学や味覚や香りの化学からいえば小量で栄養素を多量に盛りこんだ丸薬みたいなものを作り、味や香りの最適な要因を織りこんで簡単に口に入るようにした航空食宇宙食が食品の未来のようにおもえる。
 しかし食べるという欲望や行為には、原始以来の習性や精神の飢えを充たす必要が失われることが払拭できるはずがないから、そこでは適度の量の多さ、栄養よりも食品の固さや腹ごたえのよさの要求も失われるはずがない。食べものには原始的な味や自然のままに近い外観があったほうがいいという要請もなくなることはないだろう。このかんがえからは栄養、味、香りなどを織りこんだ丸薬のようなものは、山登りとか探検とかスポーツなど備蓄薬みたいな役割のほかは役に立たないことになってしまう。
 こんなことが気になるのは、食品の味が複雑になり、美味の追求の方向が複雑な味を作り出す傾向になってゆくとき、じぶんんおなかでも単純で、天然の味を保存した物の方がいいのではないかという思いがブレーキかけているのを感じて、ほんとはどちらの傾向がいいのか一義的に結論できない気がしてくる。
 こんどじぶんのなかにあるこの食べる鰺の欲望の二律背反の傾向を試してみたくなった。それには素材はカレーかカツ丼の具しかないとおもった。子どものときからの憧れで、じぶんでも味がほんとは味覚だけの感覚なのか、あるいはじっさいの味覚に過去のさまざまな思い入れや味の記憶の痕跡がくわわっているのか決められない。それがこの種の味についての二律背反をもたらすのではないだろうか。こんなことに定まりがつけたくて、少しわざとらしい気もしたが、試してもたことがある。
 巣鴨駅の近くのスーパーに買い物に行ったついでにアルミパックに入った即席カレーをできるだけ買いあつめてきた。沸騰したお湯に入れて五分くらい加熱すると、すぐにご飯にかけるとカレーライスが食べられる便利なものだ。どこの何というカレーが美味しいか試すほどの気負いはなかったが、ここでいう原始的な味と複雑な味とにどう分かれるか試してみたかったのだ。大きな鍋にお湯をいっぱい入れて沸かし、そのなかに買ってきた即席カレーのパックを全部つっこんで三分ほど煮て、その一パックずつお皿にあけて、かたっぱしから呑みこんでみた。味がわからなくなると、コップの水をのんでまたはじめるようにした。
 その結果は頭のなかで想像したようには二律背反にはならなかった。程度の差はあるものの、みな複雑な味の方向へ向いている。
 子どものころ母親が父親に気兼ねをしながら作ってくれた、薄力の小麦粉にカレーを混ぜ、大きく切ったジャガ芋、タマネギ、人参と脂身のおおい豚肉を入れた適当な濃さのカレー汁の方向はかえりみられていないことがわかる。

 ざっとこんな味の感想をもった。製品の製造年月日が古いもの、成分の混合があまりよくないものは、味が素材のままに浮いてしまっている。
 おおざっぱな言い方をすると、どれもこれも味は工夫してあるために複雑なものになっている。そして似たり寄ったりの味で、これは絶品だというものはなかった。複雑な味つけは微妙な味覚の変化を見過ごすからだろうが、それにつれて香辛の輪かく輪廓はあいまいになるため、一様に甘ったるい、ぼやけた辛さになっている。
 具はすべて小さく、なかには角切りにしてあるものもあった。これではほとんど子どものころから味も見掛けもぶち壊しなような気がした。
 表のなかでは、●印をつけた即席カレーが比較的わたしなどの思い込みの味を保存しているとおもった。全体に淡い味わいで正統派風の「味わい(和風)」、「ククレカレー」、「加リー工房」の三つがおすすめ品ということになる。
 なにが正統なカレー味なのかと問われたらちょっと答えようがない。子どものころからの味の記憶や思い込みがのこっていると感じられるものを正統味ということにした。べつに正統味でも何でもないだろうが、カレー味はこの味を一旦離れたら限りなく多様で複雑になってゆくよりほかない。その原型が遺ってるものを正統味と呼ぶことにした。

 わたしの総体的な感想をいえば、いま売りに出ているような即席カレーや固形カレーだったら、とくに食べたいという気はしないような気になる。味覚にも故郷があるとすれば、いまの複雑であるが甘ったるく輪廓が失われたようなカレー味は、食べるひとに即席の便利さを与えるかも知れないが、同意に味覚の心理を凝縮せずに拡散してしまうから、思い入れや思い込みを促す契機をすっとばしてしまう。幻味というのはないかもしれないが、味覚にイメージはつきまとう。
 複雑な味というのは、そのひとが現在までに味わってきた食品の味が、イメージとしてたくさん重なっている味のことだとおもう。そしてその食品の固有の味が複雑さの陰でわからなくなってしまったとき、その味は拡散してしまうように感じるにちがいない。これは文明の進化とかんんがえても、食体験の多様さとかんがえていいのだろうが、いつでも原型的であるものにたいしては矛盾をはらんでもいる気がする。
 ヘンリー・ミラーだったと想うが、アメリカの文明批判のなかで、アメリカ人は赤犬の肉で缶詰をつくるたねに、食事は駅の立ち喰いで済まして忙がしく働いている。かれらはじぶんの食事を貧しくするために働いているので、こんな文明は本末転倒だと罵倒の大ナタを振っている文章があった。
 日本国も味を不味くするために食品の加工を複雑にしているといわれるようになっていく気がする。
 味の革命とは何か?

            ※写真や下線は、菅間勇が勝手に加えました。