日付:2019年6月10日 

  「じぶんのことでせいいっぱい」の感想文をメールでいただきました

 

「じぶんのことでせいいっぱい」の劇中に出てくる新三河島駅近くの西日暮里六丁目公園の夏。  

 

 
   お客様より「じぶんのことでせいいっぱい」の楽しい感想文をいただきました。
   ありがとうございます。(*^_^*)
   愉しく読ませていただきます。

 
 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
 遅くなりましたが、アンケートの総まとめです。
 
 紙のアンケートと一致しない箇所もあるかもしれませんが、私の記憶違いです。ご容赦を。
 また、紙のアンケートの日付とは順番が合っていません。
 
 
  ◆…… 1  
 劇が始まり、稲川さんが舞台に出てきただけでほっとする。一年半は長かった。また馬鈴薯堂の劇を観ることができて、それだけで感激する。そして、高橋さんも舞台に上がり、二人並んでほとんどセリフのないお芝居。目線と表情だけでのお芝居にまたほっとする。キャリアを積んだお二人にしかできない渋い渋い演技。
 
 
  ◆…… 2  
 セリフも小声で、普通の劇団がやるような、しっかり発声練習したような大音声ではしゃべらない。これも馬鈴薯堂だけ。
 助詞を省略した独特のセリフまわしも馬鈴薯堂だけのもの。本当に一年半は長かった。できれば年2回は公演して欲しい。
 
 
  ◆…… 3  
 二人並んで歩きながらの会話も馬鈴薯堂流。最初に観たのは「漱石の妻3」だっただろうか?
 加藤さんと???
 相手役が思い出せない。(その後、女相撲の役をやったという噂を風の便りに聞いたっけ?)
 2回目は伊藤じょじさんと??? そんなお話を加古さんにしたら、「私です」と言われた。失礼しました。そしてまた、加古さんと西山さん。このシーンも懐かしさがこみあげてくる。
 
 
  ◆…… 4  
 いきなり、DaPumpの「USA」!!! びっくり仰天! 皆さんのダンスが素晴らしかった! 皆さん相当練習したのが良く分かった。全員で踊ると上手い下手がはっきりわかってしまうが、それも愛嬌。皆さん楽しそうなのがいい。4回ダンスを観たが、今思い返してみると、2日目が一番良かった。稲川さんのSolo
 Danceに思わず声をかけてしまった。それに対して、3日目はかなりテンションが落ちていた。皆さん相当お疲れのご様子。4日目は行けなかったが、最終日、どうなることかと心配していたが、それなりに戻っていてほっとした。西山さんの衣装が良かった。一番楽しそうだったのは高橋さんだった。加古さんは流石!!!
 
 
  ◆…… 5  
 西山さんと加古さんの再開シーン。あまりの感動に涙が出てきた。加古さんが西山さんの股間をまさぐるシーンで涙! そして、Kissしようと襲いかかかるシーンでまた涙! どちらも笑えるシーンなのに何故か涙!加古さんのあまりの性欲の強さに涙???? 加古さんにもっと本気でKissして欲しいとお願いしたのだが、私の希望は成就しなかった。あたりまえか?
 
 
  ◆…… 6  
 私が馬鈴薯堂の劇を見始めたのは桃ちゃんがきっかけだったけど、それ以来ずっと、馬鈴薯堂の劇には若くて可愛らしい女優さんがヒロイン役で出演していた。かつての桃ちゃんであり、前回の目黒ひかるさん。今回、事前に出演者のお名前を見ていたらヒロイン役がいない! 馬鈴薯堂の作風が変わったのかな?と思っていたら、蓋を開けてびっくり仰天! なんと茂木さんがヒロイン!!! それも結構はまってる! イケメン若手男優を相手に美味しい役を演じてる。茂木さん、失礼しました。これからはヒロインでやっていけます。
 
 
  ◆…… 7  
 劇は相変わらず難解で、何回見てもよくわからない。それぞれの場面を楽しめればいいと思っているし、大いに楽しんでいる。稲川さんがもう一度会いたい人が西山さんで、西山さんが背中に背負っていた「みい公」ちゃんが稲川さんだということは、2日目の最後でやっと分かった。私の友人は一回だけ観に来て、「全然わからなかった」と言っていた。一回じゃ分からないよ。馬鈴薯堂のお芝居は何回も観なきゃ。それに「分かろう」とするのも多違っている。場面場面を楽しめればいい。あとは想像を膨らますこと。
 
 
  ◆…… 8  
 今回はこれまでになかった下ネタ満載のお芝居だった。「ペニス」「ヴァギナ」といった単語がそのまま出てきたり、激しいラブシーンがあったりと、見ててはらはらしたが、この路線もいい! もっと激しくエロくして!
 
 
  ◆…… 9  
 ほぼ毎日観て、毎回の公演にはほとんど変化がなかった。よくお稽古をされていたと感心した。毎回のことではあるけれど。
 ???? そんな中で些細な違いがあったように思う。
 ・西山さんが帰って来て、加古さんと再会した時に「待ちぶせか?!」という場面。1日目は再会して早い段階で「待ちぶせか?」が出ていたのに、2日目は何回かセリフのやりとりがあってから「待ちぶせか?」が出た。3日目は1日目に戻って、最終日はいきなり「待ちぶせか?」で会話が始まった。ミスなのか演出なのか良くわからなかったが、最終日のシーンが一番良かった。
 ・茂木さんとイケメン若手男優の吉川さんの最後の方、茂木さんが駆け寄ろうとすると、「近寄るな!」と止めるシーン。1日目と2日目はタイミングがぴったり合っていたが、3日目と最終日は、「近寄るな!」がほんの僅か遅れる。茂木さんがストップしてから一瞬遅れて「近寄るな!」が出る。ほんのちょっとのタイミングの差だけれど、結構気になった。難しいところだけれど。
 
 
  ◆…… 10  
 些細なことなのだが、気になった点
 ・瀧澤さんと河内さんが自転車で旅する場面。右旋回、左旋回するとき、河内さんは自転車に乗ってカーブを曲がっているように見えるが、瀧澤さんは、パンチを繰り出しているように見える。自転車でカーブしているように見えない。
 
 
  ◆…… 11  
 役者さんごとの感想? (年齢順???)
 ・稲川さんの存在感は凄い! 舞台に立っているだけでほっとする。ダンスも上手い!!!! ソロで踊っているときに思わず声を掛けてしまった。(2日目のみ)
 終演後のアフタートークはもっと面白い。
 ・高橋さん。前回の無縁坂、今回の炭坑節。渋い! 涙が出る。この味は誰もだせない。
 ・西山さん。毎回の主演男優。稲川さんに次ぐ馬鈴薯堂の看板? 今回は加古さんと熱いラブシーン! 良かった! もっと熱くして欲しかった。ここだけの話だけど、タテヨコ企画の時よりも馬鈴薯堂の方がいいかも・・・・
 ・村田さん。メタルマンはこの劇のハイライトだった。美味しいとこを全部持っていった。演技もフリも衣装も最高!
 ・加古さん。どんな役でもできる器用多才な女優さん。他の舞台では結構Coolな役もやってて、それも良かったけど。性欲全開の愛する女の役もドはまり! もしかして素・・・
 ・瀧澤さんのお芝居を観るのはタテヨコ企画の「戦争買います」以来2回目。全員が小声でセリフをしゃべっている中(時々河内さんが叫けんだりしたけど)、瀧澤さんの太くて低くて大きな声が実にいいアクセントになっていた。この声だけで痺れた!
 ・河内さん。馬鈴薯堂に欠かせない男優さんになってきた。芸達者の皆さんに決してひけをとらないと思う。
 ・茂木さん。ヒロイン!素晴らしい! 大出世おめでとうございます。
 ・吉川さん。今頃気づいたのですが、もしかして、今回はヒロインはいなくて、若くてイケメンが男優さんがヒーローだったのでは? これまでの馬鈴薯堂にはなかった若手イケメン男優の出現に拍手。
 以上、勝手なことばかり書いて申し訳ありません。お気に障ったらどうかご容赦を。素人の戯言です。
 次回公演を楽しみにしております。
 
 
高橋 忠彦 様 より、いただきました。
 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
 ぼくなんかまったく気がつかない処をよく見ていてくださいますね。驚きです。 ……菅間 勇
 
 主語の『おれ、あたし』、『助詞』、『接続詞』等の省略は、意識的にやっています。
 それらを省いた方が、俳優さんが「喋っている」ことの実感(演技の表出意識)が少し出てくるような気がするからです、私的な経験値にすぎないんですが……、
 
 
 ところが、いま読んでいる本のなかで、<助詞を省略>について納得のゆく文章を偶然に二つほど発見しましたので、参考までに、すこし難しいですがそのまま記しておきます。
 
 
      

 上代の和語の本性にもうすこし近づく方法は、ひとつだけありそうにおもわれる。言葉はけっして古層のままとはいいえないが、和語のいいまわしを純粋に保存しているわが南島の歌謡をみてみることである。このばあい『おもろさうし』よりも、八重山のような南方の辺境の歌謡のほうが適切であろうとおもわれる。干魃になるとこれら南辺の島の村落では、あげて〈雨乞い〉の祈願をやった。それぞれの村落の水主(ミジイヌシイ)と司女たちが、まず御嶽で雨乞いをした。それでも雨がないと村人たちが全部で、御嶽の庭前に浜の白砂を播いて降雨を願った。それでも雨がふらないと村の七歳以上の男女が全部で降雨を祈った。それでも降雨がないと役人たちが全部あげて祈り、ききとどけられないと最後に竜宮祭を挙行した。水主や司女たちは、御嶽の前で〈雨乞い歌〉を唄った。(喜舎場永玽『八重山古謡』上)
 
 
      原歌
 
南七(パイナーラ)ヌ島カラ   パイナーラの島から
水本(ジジイヌトウ)ヌ島カラ   水本の島から
石雨(イシヤトウ)戸ユ      石の戸を
ハネアケ           はね開け
金雨(カニアトウ)戸ユ      鉄の戸を
キリアケ           切りあけ
黒ミヤガリ          黒き雲
給ボウラレ          給われ
白ミヤカリ          白き雲
給ボウラレ          給われ
海ナラシ           海鳴らし
給ボウラレ          給われ
山ナラシ           山鳴らし
給ボウラレ          給われ
バガ島ヌ           我が島の
上ナカ            すべて
親島ヌ            親島の
チイヂイナガ         頭のうえ
◎(原歌のみ喜舎場永玽(きしゃば えいじゅん)「八重山古謡」上より引用)
 
 
 
 大石垣御嶽の雨乞い歌のひとつである。この農耕祈願の行事にうたわれた歌は、すこしも上代語とはおもわれないが、わが古代歌謡よりも古いとおもわれる語法のあとがある。それは「黒き雲 給われ 白き雲 給われ 海鳴らし 給われ 山鳴らし 給われ」というような箇所によくあらわれている。喜舎場永玽によれば、ここは〈黒い雨雲(よ)(雨を恵み)給え 白き叢雲(よ)(水を)給わる(ように) 海鳴りのする(程の)(大雨を)恵まる(ように)山鳴りする(程の)(豪雨を)給わる(ように)という意味になる。ここでの助詞のつかい方、切りつめ方は詩的省略の限度をこえている。これは構文の本性に根ざしているように推定される。たぶん和語の基層のところでは、名詞と名詞の重ねとおなじように主語と述意の言葉があれば、助詞が存在しなくとも文脈にのっとっての適切な意味をたどれるものであった。そのためには主語の接尾形にある異いがあった。そういう時間を想像することができるかもしれない。灌漑水、東南アジアから南中国のどこかにある想像上のパイナーラの島に水元があり、天にかかった石の戸をあけ鉄の戸をあけると雨が天から降ってくると、八重山の村落人たちは信仰していた。八重山の「古謡」に、和語の未明であった時間の基層が面影をのこしているとすれば、この基層は、おなじように未明の共同体の村落人が参加した農耕神事のおもかげをのこしていよう。この〈雨乞い〉のばあいも、かつて上古では神事にくわわった村落人たちは、集団の憑依状態ににた体験をもったにちがいない。この「雨乞歌(チイジイ)」も、水主や司女に先導されて村落人の誦えたものであったろう。 ☆吉本隆明氏著『初期歌謡論』。「Ⅰ 歌の発生 p35」より引用させていただきました。  
 
 
 
 まず、わたしは、文学作品の言葉を、〈表現〉という次元に位置づけなければならないことを徹底的に思い知らされた。言葉が、紡ぎ出されてゆくためには、こちら側に、認識の動きがなければならぬ。読み手が、たどるのは、あちら側にく表現〉された言葉だが、作品を紡ぎ出したこちら側にとって、言葉は、〈表現〉された認識の動きの結果である。そうだとすれば、読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎ出されたとき、紡ぎ出した作者は、いわば、言葉によって、逆にじぶんの位置をはっきりと限定される。こう云うと、いかにも簡単なようだが、どんな言語学の著書も、対象と認識と表現との関係を、これだけ明快に、指摘してはくれなかったのである。三浦つとむのこの基本的な指摘は、すぐに有効なことがわかった。
 
 わたしは、ある種の古典詩歌の作品が、単純な叙景や、叙清にもかかわらず、感銘をあたえるのはなぜか、ということにひっかかっていた。つまり、意味をたどってみれば、ほとんど〈ここに美しい花が咲いています〉というような、単純なことしか云われていないのに、どうして感銘を与えるのか、ということが疑問でならなかった。これにたいする近世以後の理解は、声調論ばかりである。また、近世以前の理解の仕方は、〈優に〉とかく艶に〉とかいう感想批評の批評語しかもっていない。洗錬された定型の、構成的な枠組が、詩歌の作品の価値を、枠組自体として、助けているだろうことは、わたしにもわかっていた。けれど、それだけでば、とうてい納得できなかったのである。表現された言葉は、むこう側にあるが、認識の動きは、その都度、こちら側にあるという三浦つとむの示竣は、わたしには啓示であった。これで、じっさいに作品にあたってみようと思った。近世以後も、近世以前も、詩歌の作品の感銘のすべてが、声調や意味からやってくるだけでないこたけとは、直観的には、よくわかっているのに、その解釈は、語義の解釈と、声調(リズムと歌柄・たけ)とに限られて、それなりに精綴にはなっている。だが、すこしも感銘の総体には到達しないで、注釈がつみかさねられているだけである。これは、俊成の「古来風体抄」や、宣長の「美濃の家苞(いえづと【家×苞】わが家に持ち帰るみやげもの)で、典型的に象徴させることができる。わたしは、詩歌の作品の言葉を、極端にいえば、一字、一字たどり、それごとに、背後にある作者の認識の動きを、推量してみることにした。そして意外にも、わずか三十一文字といった表現が、めまぐるしいほどの認識のく転換〉からできあがってことに気づいた。うかつといえばうかついだが、かって誰もそれを詩歌の本質として、指摘したものはいなかったのである。作者が、意識せずにつかっているめまぐるしい認識の〈転換〉が、詩歌の美を保証している。わたしは、これを緒口に、〈場面〉、〈撰択〉、〈転換〉、〈喩〉の順序を確定し、この四つが、現在までのところ、言葉で表現された作品の美を、成り立たせているだろうという、理論の根幹を、形成することができた。対象―認識―表現という三浦言語学の基本的な骨組みは、ある文学作品を、想像するものの側からたどり、あたうかぎり創造の理論に近づきうる可能性を示唆していた。わたしはその道をたどった。『言語にとって美とはなにか』にたいして、後年、京都大学人文研の芸術論関係のグループから、読み手、享受者、鑑賞者の杜会的環境について、考察を欠いているという批判があった。この批判は、視えかくれに、現在もつづいているが、まったくの見当外れで、創造の側から考察された文学理論として読まるべきものである。わたしが三浦―言語学から、おおきな示唆をうけたのは、つぎのような個所であった。
 
 
 ちよっと考えると、写生されたり撮影されたりする相手についての表現と思われがちな絵画や写真は、実はそれと同時に作者の位置についての表現という性格をもそなえており、さらに作者の独自の見かたや感情たどの表現さえも行われているという、複雑な構造をもち、しかもそれらが同一の画面に統一されているのです。(三浦つとむ『日本語はどういう言語か』)
 
 
 絵画や写真は、できあがったあちら側をみるだけではなく、描いたり、撮影したりしたこちら側をみなければならぬ、ということを示竣している。この示竣は、拡大されうる。そして拡大することによって、創造したものの内面の暗がりを、いわば、表現された作品との統一において、きめ細かく再現することの可能性をも暗示している。この著書は、ふつう、わたしたちが、面倒さや、手段がみつからないことにさまたげられて、印象批評で流してきた批評の領域に、はじめて理論の手がかりを与えてくれた。
 
 当時の記憶では、文学作品を言葉の〈表現〉としてたどってゆくのに、もうひとつわからないことがあった。日本語の、いわゆる〈てにをは〉と云われているものの、認識構造が、よく把握できたかったのである。「人が死ぬ。」という表現と、「人は死ぬ。」という表現があったばあい、文学的直観では「が」が強い音勢をもち、この音勢が、主語である「人」を限定するように感じられ、これにくらべると「は」は、主語である「人」を、漢然とした形で受けているという印象をえることができる。しかし、あくまでもそれは、言語における印象批評の段階を出ない。まして、文脈のなかに置かれた場合ではなく、「は」や、「が」の本質的な性格づけとなると、皆目、見当がつかなかった。しかも、この種の品詞の性格づけがわからなければ、日本語の文学作品を、言葉にそくして解析してゆくことはできない。一般に、言語学者の著書は、言語のメタフィジィクについて恣意的な駄弁を弄するが、具体的な言語(民族語)の態様について語らない。逆に、国語学者は、国語の用法と性格について、徴細に語るが、その考察には言語の一般的認識論が欠けている。三浦つとむの著書は、啓蒙を装いたがら、この本質的た課題に応えうる唯一のものだったのである。三浦つとむは、時枝誠記の仕事を受けて、この〈てにをは〉的な言葉を、主体的表現と呼び、「話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを客体として扱うことなく直接に表現した語」と規定している。この種の規定は、はっとするほど、蒙をひらいたことを、いまでも鮮やかに思いだすことができる。これだけの基本的な知識があれば、あとは自身の問題であった。具体的に作品の解析にむかい、出てきた問題を整理して、ひとつの通則をとりだすとともに、作品の一部分の解析が、そのまま作品全体の解析とおなじようになっている、という方法の形ができたら、文学の理論の問題は、とば口にたったことになる。それ以上は、具体的に、個々の作品にあたって解析をすすめるほかなかった。わたしは、『日本語はどういう言語か』を、じぶんの関心にひきよせて読み、関心にしたがって、文学作品の解析につかい、文学の理論的な問題に結着をつけようと試みた。この著書を、正当に理解したかどうかは、すこぶる疑わしい。哲学者として知られていたこの著者が、基礎的な体験のどこかに、優れた言語学者としての貌を秘めていることを知ったのは、新しい体験であった。わたしは、言語学者としての三浦つとむの全貌を説くには、適任ではない。ご多分にもれず、わたしは、橋本進吉の文法書で教育され、しかも、文法は、品詞の区別と、活用形とを、ただ暗記するものだ、という固定観念を、早い時期に植えつけられた。その砂を噛むような味気なさに、早い時期から学習を放棄してしまった。とうてい、三浦つとむの文法学者としての業績に、まともな評価を下しうるはずがない。だが、なぜ、文法の学習が無意味におもわれたか、じぶんなりの根拠をのべることはできる。わたしたちは、幼児期以後に、すでに国語を話し、読み、それに相応した理解力をもってきた。つまり、自国語については、だれもが、文法を知る以前に、言葉をつかい、理解している。そういう人間が、文法に関心をもつとしたら、特殊な専門的た内省から、じぶんが、喋言り、書き、理解している言語には、どういう法則があるのかという興味に憑かれたときである。だれも、すでに喋り、書き、理解できている言葉を、あらためて、法則としてつかみ直す必要を感ずるはずがない。まして、ある範囲で、自在にあやつっている言語の文法を、あらためて暗記する必要など、どこにあろうか。専門的な内省と関心なしに、なお、すでにあやつっている国語の文法を、学習する必要を感ずるとすれば、ただ一つの場合に限られる。じぶんが、幼児期から学習し、書き、馨言ってきた言語体験に、秩序と論理を与えることで、自国語の認識を深めたいという場合である。いままでこなしてきた言葉が、根底から新しい光線で照らしだされるという体験が伴えば、自国語の文法の学習を、だれも放棄するはずがない。わたしは、ただ、嫌悪するために、それを学習させられた体験しかもたなかった。三浦つとむは、いつも国語学者たちが、正当な言語認識論をもたたかったからだ、と批判している。文法の背景には、認識の動きの法則性があるはずだから、両者の統一のもとに、活用と品詞の区別とが述べられたければならないのに、文法学者たちは、ただ、整理の結果だけを押しつけた。そこには、嫌悪と拒否反応しか、ありうるはずがなかった。文法学者たちは、すでにつかいこなしている自国語だから、整理した結果だけを押しつけても、手易く理解できるし、関心をもつはずだとおもうかも知れない。これはまったく逆である。すでにつかいこなしている言葉だからこそ、文法は、嫌悪され、拒否されるのだ。もし、『日本語はどういう言語か』の形で、自国語の文法が提出されていたら、すくたくともわたしは、もっと早くから、言葉の世界に深入りすることができていたにちがいない。いまも、わたしと異った世代のものが、つまらぬ文法書に災いされている。その上、理論的な混乱が、文法書ごとに、異った形で押っしつけられている。だが、わたしにはどうすることもできない。三浦つとむの世界に属している。ここで、片手落ちを避けるために、当てずっぽうで、文法学者としての三浦つとむの業績に、一つ二つ触れておきたい。ひとつは、「形式名詞」の問題である。
 
 
カブキってどんなもの?
その前にある赤いのがほしい。
私はすこしも知らたいの。
 
 
 正直にいって、このばあいの「もの」あるいは「の」が、どういう品詞に属するのか、わたしには皆目わからなかった。ただ、ある時期、古典に当っていて、不可解な「の」の用法にぶつかることは、経験的に知っていた。たとえば、枕詞がその一つである。「春日(はるひ)の春日(かすが)」という表現で、上の「春日の」は、ふつう枕詞と呼ばれている。このばあいの「の」は、さまざまた理解が可能である。はじめに、春日という地名を、強調するために「春日の」が虚詞として、つけ加えられたとみることもできるし、声調を整えるために修飾されたものと、とることもできる。このばあい「の」を助詞の一種と解することができよう。だが、含みを考えてみると、この「の」は、西欧語の関係代名詞とおなじ役割をもつのではないか、という疑間がうまれてくる。この疑問は、一群の枕詞についてみると、深まるばかりである。そして、憶測をたくましくすると、この種の「の」は、いつか、ずっと昔には、名詞の一部分だったのではないかという疑念に達する。そういう疑念にさらわれていたとき、三浦っとむが、「もの」、「の」のひとっの群れが、「対象について具体的に知らないために、ひとっの実体として抽象的にとりあけ」た、形式名詞だと断定しているのに出遇って、眼が覚める思いがした。わたしの疑念と、三浦つとむの形式名詞論とは、さしあたって関連づけることができない。強いて云えば、「その前にある赤いのがほしい」という用例が、すこし関連したところにあるといってよい。ただ、この種の「の」や「もの」の用法で、これが形式名詞であることを、明快に決定した文法書に、わたしは接することがなかった。ただ、「の」は、いつも助詞であるか? という疑念だけを大切にしてきた。もうひとつは「静詞」という概念である。
 
 
つき立てで餅がぐにゃぐにゃだ。
私の家は古くてもうがたがたです。
 
 
 たぶん、わたしは、この「ぐにゃぐにゃ」、「がたがた」を、副詞あるいは形容名詞(?)というようにかんがえる。三浦つとむは「静詞」という概念を提出し、副詞ではないと断定している。三浦つとむによれぽ、「静詞」というのは、形容詞と形容詞的な内容をもちながら、静止した属性で対象をとらえたもの、をさしている。これらの明快な断定は、三浦つとむが、言葉の表現の背後に、いっも縦深的た認識構造を視て、品詞の類別の本質的な根拠としているところからきている。いままで、このユニークな言語学者の著書は、あまりに隠されつづけてきたのだ。
☆三浦つよむ著「『日本語とはどういう言語か』について」。講談社学術文庫の解説吉本隆明著。

    ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★
 
 
 上の文章は、わたしの言葉でないからわたしなりの説明になっていないのですが、おおよそこのように考えて、わたしは助詞を省略していたわけではなく、じぶんでもよくわからないけれど、助詞は省略がかなりの程度において可能なのではないかという内的な要求がまず先あったことは事実です。……【それは、舞台上の俳優の現存在(言葉を発する主体は台本に在るのではなく、<演じられる舞台>では、現に舞台に俳優(役柄)が立って喋っている)が前提ですが、じつはそんなことをいわなくとも、わたしたちの日常会話では、少なくともわたしは助詞や接続詞を省いて喋ってますヨ。】……上に引用させてもらった文章は、じぶんの内的な要求に対するじぶんへの納得のさせ方のひとつの文章である、とお考え下さい。
 
 
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