日付:2019年7月24日

   哀悼・千賀ゆう子さん  ゆう子さんの後姿

 

 

左寄せの画像  俳優で、舞台演出家としても活躍していた千賀ゆう子さんが、2018年9月9日に癌で亡くなった。わたしも彼女が癌と闘っていることを彼女じしんから知らされていたが、死の知らせはやはり唐突のようにやってきたし、人びとに沈黙の夜を残してゆく。彼女の死は深くとても哀しい。けれどもわたしには、むしろよくいままで長い時間ひとりで頑張って闘ってきたなという思いが強く、彼女が単独で生の最後の峠まで白い頭巾と墨染めの衣を身につけじぶんの足でとぼとぼと歩いて行ったイメージが残り、最期の彼女の後姿に湿り気のない仄かな明るささえ感じてしまう。
 最後にわたしがゆう子さんの「ひとり語り」を見せてもらったのは2013年6月のアゴラ劇場での「桜の森の満開の下で(脚本:岸田理生)」だった。その会にはゆう子さんとの愉しい最後の思い出が残っている。公演中、舞台のゆう子さんが台詞を大きく飛ばしてしまったのだ。終演後の車座の酒宴のなかで、ゆう子さんの方から笑顔で、
 「今日は台詞を大きく飛ばしちゃって、菅間君、気がついた?」
 「はい、なんとなく……」
 お酒も出されて酒の肴で台詞を飛ばしてしまった話がまた話題になったので、今度はわたしの方から、「ひとり語りの世界ということでいえば、台詞を飛ばしても、それはそれでご愛敬でいいんじゃないんでしょうか。芝居の作り手が考えている以上に観客は醒めていて貪欲です。観客は上手な芝居ばかりを舞台上の俳優に期待していません。俳優が舞台上でズッコケ、それを本人が自力で修復するところまでを含めた演技(存在)の全体感を楽しもうとして客席に座っています。むしろそれを見たいとも思っています。台詞なんか忘れても「もとい」といって飛ばしたところから笑顔でやりなおしてしまう俳優の器量に触れることができれば、観客は大喜びです。」
 「またわけのわからない生意気なことばかりいって……」
 ゆう子さんは、その夜は台詞を飛ばしたことをお客さんに申し訳ないと繰り返していた。
 わたしは怠惰なただの間抜けに過ぎないが、ゆう子さんの「ひとり語り」が、もしそんな風に破格な話芸の自在さと大衆への深い浸透力を身に付けたとしたら良質なエンターティメントになるのになあという希望を述べてみたかったのだ。もちろんそんなことは即席には不可能なことだ。けれども観客は、語り手の話す物語の内容のみを聴きに来ているわけではない。語り手の話芸の幅、深さ、リズム、生涯をかけて獲得してきた語り手のメタフィジカルな思想の場所に触れたいと思って観客席に坐っていることも確かなことだ。
 その夜は最終電車近くまでゆう子さんとの四方山話に花が咲いた。ゆう子さんは、20代前半のわたしが研究生として所属していた鈴木忠志さん主宰の「早稲田小劇場」での大先輩で、芝居についてとても沢山なことを教えてくれた。特に芝居の素人であるわたしと十歳近く年上の舞台経験豊富な怖ろしげな諸先輩との仲介の労を細々ととって下さった。彼女は、劇団の怖い先輩の一人であり、同時に優しいお姉さんのようにみえた。
 なぜ、なんのために貧しい資金力と癌に見舞われた身体で、だれもじぶんの思ったほど評価してくれるかどうかもわからないところで、なおひとは休息もせず、芝居を続けるのだろうか。そんなことはだれにもわからないし、彼女じしんにもわからなかったろう。
 最後に見た舞台上の彼女の姿に、かつての劇団の怖い先輩の一人であり、優しいお姉さんだったゆう子さんの姿が重なり合って見みえた。
 でも、最後の生意気をいいます。ゆう子さんが「台詞を飛ばしてしまったの」と語りかけてくれた時の、あなたのあの明るい笑顔です、「ひとり語り」が、語られる物語の全内容を超えることのできる契機の瞬間のひとつは。あの笑顔は、現在普通に生活している人びとの生活へ直行する感性だと思います。あなたに「またわけのわからない生意気なことばかりいって……」と言われちゃうに決まってますね。
 いろいろお世話になりました。お疲れ様でした。さようなら、千賀ゆう子さん!
 
     合 掌
                          菅間馬鈴薯堂  菅間 勇