日付:2018年6月7日 

 今井正の「純愛物語」   ~不良少年と少女の物語

 
純愛物語 『純愛物語』、1957年。
監督:木下惠介、脚本:水木洋子
出演:江原真二郎、中原ひとみ
岡田英次、楠田薫
 
 
 ☆ 吉本隆明
『 純 愛 物 語 』
 
 
 今井正は、「また逢う目まで」の姉妹篇のような映画をつくってくれという会杜の註文で……などとニヤけたことを云っているし、題名がまた題名なので、観ない前から相当へきえきしていたら、立ち上りは、なかなか見事であった。
 冒頭、まず上野の山へ二年ぶりにやってくる主人公ダックボートの貫坊にすり寄ってきて、懐中から鮮やかに有り金をスリとってしまう五つか六つの女の子がでてくるのである。
 わたしは、人間は喰えなくなったら、スリでも、強盗でも、サギでもやって生きるべき権利をもっていると、かねてからかたく信じたいと思っているが、この映画の主人公貫坊と恋人の不良少女ミツ子は、まさしく、そういうモラルの実践者なので、わたしが狂喜したのは云うまでもない。
 
 二人は、商売のもとでを稼ぐため、べつに悪びれるところもなく、デバートの客の懐中を荒しに出かけ、あわやというところで捕ってしまう。おまけに、少年院に送られようとしても、さらに後悔する様子もなく列車から飛下りて逃げてしまう少年と、感化学園におくられても悔俊の色なく、良心派の女子教官を殴りつけて、脱走しようとする少女は、じつにいい。この辺りの描写を、一貫して持ちこたえていたら、この「純愛物語」は、可成り優れた映画になっていただろう。なぜならば、社会からほうり出され、つぶさに生活的労苦をなめた不良少年、少女が、杜会秩序のなかに安住して良心派ぶっているモラリストよりも、はるかに人間心理に通暁し、男女の愛の機微に通じ、優れた判断力をもっていることが、見事に活写され、観客のこころにモラルの転倒を強いるだけのカをもっているからだ。
 
純愛物語  今井正が描きたかったモチーフを、善意に解釈すれば、もしも、杜会からほうり出された男と女が、生活の手段を奪われても、なお結びつこうとするとき、杜会秩序の内側に安住しているかぎり人間は、善良な奴も同情する奴も、ことごとく敵対物にしかすぎなくなってしまう、という点にあったと考えられる。そうだとすれば、不良少女ミツ子に同情をよせる良心的な女子教官は、秩序の内から秩序の外にいる人間にへつぴり腰で同情している人物の典型であり、不良少年貫太郎を理解する観察官は、秩序の走狗でありながら、ほうり出された人間の心理に通じているふりをする人物の典型であり、彼等が主人公達に善意を持って接しながら、しかも、二人の仲を引裂く役割しか果しえない限界を、楠田薫と岡田英次は、よく演じていると云えよう。
 この二人と対照的に、少女の病院費をねじり出すために、至極当然のようにカッパライの片棒をかついだり、朋輩の金を無断で拝借したり、ドヤ街の少女を訪ねていって、きぴきびとてれながら愛してみせる主人公や、少年に遇いたく、自力で稼ぎたく、何べんも良心的な女子教官をあざむいて逃亡する不良少女ミツ子の模範的な美質が、鮮やかに描かれるのである。
 この二種類の典型を対比的に描いている限りでは、この映画は不良少年、少女に真の美徳があることを匂わせて成功なのだが、今井正は、それを貫きとおすことができていないのである。おもうに、その原因は、今井が「また逢う目まで」の姉妹篇を作ってくれという商業映画政策に迎合したためでもなく、あわよくば文部大臣賞を、などという根性を出したからでもなく、今井自身が良心的なモラリストにすぎないからなのだ。しかし、安定したモラリストならば、たとえば、木下恵介のようにそれなりに日本庶民の泣き処をおさえた間違いなく文部大臣賞という映画を制作するはずなのだが、じつに今井の作品の混乱は、良心的なモラリストのくせに、進歩派ぶってみせるために生れてくるのである。
 
 みたまえ。「純愛物語」は、いつしかフェイド・アウトして、またかとおもわれる「原爆物語」に変形してしまうのだ。またかとは何だ、などと怒るのは、見苦しいからよすがいい。わたしたちの「原爆映画」は、黒沢明にしろ、新藤兼人にしろ、原爆を不可避的な運命としてしか描きえなかった。冷厳に科学的に計画的に原爆と対決することをテーマにはとらなかったのだ。
 映画の不良少女、イツ子は、刻々潜在的な原爆症に侵されながら、別段甘えようともせず、何とか稼ごうとしたり、何とか少年と一緒に生活しようとしたりして、懸命に努力しているのに、今井正は、それにひきかえ、原爆症に甘ったれて、この少女を殺してしまい、作品のライトモチーフを感傷によってねじまげて失敗のうちに映画を終らせてしまうのである。
 
      (「映画評論」昭和32年11月号。潮出版社、吉本隆明著「夏を越した映画」所収)
 
★今井正(1912~)映画監督。J・Oスタジオ助監督を経て、昭和41年「沼津兵学校」で監督昇進。「青い山脈」(昭和24年)で時代の昂揚感と密着した情感をうたった監督として注目をあぴる。
▲写真:江原慎二郎と中原ひとみ
 
 
     ◆◆◆◆◆  ◆◆◆◆◆  ◆◆◆◆◆  ◆◆◆◆◆  ◆◆◆◆◆
 
     更新中!