日付:2018年6月7日 

『ゆきゆきて、神軍;』その他  ~戦後50年の遠近法

 
ゆきゆきて、神軍 『ゆきゆきて、神軍』、1987年。
☆ 奥崎謙三の姿を描いたドキュメンタリー。
企画:今村昌平、監督:原一男
出演:奥崎謙三
 
 
☆ 吉本隆明
「あとがき」に代えて
 『 ゆきゆきて、神軍 』その他

 
 
 こんど小川徹のすすめで、今村昌平監督の「女街」、原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」、三国連太郎監督の「白い道」の三本を、この順序でみて廻った。小麦粉に「薄カ」粉と「強力」粉というのがあるが、この三本の映画をみながら、すぐに思いだしたのが、この「薄カ」と「強力」ということであった。わたしは天ぷらを揚げてうまくいったことは、いままでに一度もない。天ぷら用の小麦粉は「薄カ」粉をつかうのだが、水でとくとき、あまりかきまわしてはいけないのは、まえから聞いて知っていた。だがといた小麦粉は低温にしておかなくてはいけないことは、わりに近年になってからおぼえたことだ。このふたつに気をつけても、うまくいったためしはない。何かやり方のうちが欠けているものがあって駄目なのだ。でもかんがえてみると、天ぷらがうまく揚げられるようになったら、プロの料理人になってしまう。あまり上達したり、修練したり、しない方がいいのだと思いかえすことにしている。
 
 こんどみた三本の映画は、どれも「強力」映画というべきもので、それぞれの仕方で「薄カ」の社会相にたいし、鬱積する思いを抱いているのだろうな、というのが、まず三本に共通してもった感想だった。小川徹はなぜこんな「強力」映画を択んで、わたしに観せたのだろうと、ちょっとかんがえてみた。小川さんの好みや親近感もあるのだろうが、おまえこのごろ「薄力」の杜会相や映画に媚びてるきらいがあるから、ひとっ「強カ」映画を観て、何か言ってみろということもあるような気がした。現在杜会相が「薄カ」になっているには、それなりの理由がある。袋を閉じて頭打ちにしておいて、それゆけとばかり運動する粒子を放すと、壁に近ずくにつれて速度が鈍くなり、同時に壁に平行に横に分散しはじめ、壁のところでは、とうとう横への拡散だけになってしまう。この壁は現在の社会相の端にある眼に視えない壁を象徴している。壁に向う力を「強力」とすれば、これは鈍化し停滞して、ついには横への拡散だけの「薄カ」になる道理である。労働者と市民の区別はあいまいになり、知識人と大衆の区別も、正常と異常の区別も、愉しさと苦しさの区別も、保守と進歩の区別も、左翼と右翼の区別も、明るさと暗さの区別も、すべてあいまいになっている。このふんわりとしたあいまいさと、ふんわりした軽さと、ふんわりした明るさが、それなりに心持よいという生活感覚の持主は、新「人類」になれるのだろうし、そういうのは我慢がならない、黒か白かのどちらかだという生活感覚の持主は、旧「人類」を固執しているにちがいない。わたしはどちらかといえば、資質的には「強カ」がいいのだが、現在どちらにも加担しない。わたしはただひたすら現在を解剖せよ、認めるのは必然の推移だけで、あとはどちらとも妥協するなというほうだから、外見は「薄カ」の世相の必然を、肯定しているようにみえても仕方がない。
 
 「女衝」、「ゆきゆきて、神軍」、「白い道」のうち、いちぱんの「強力」映画だったのは「ゆきゆきて、神軍」であり、いちぱん「薄カ」だったのは「白い道」であった。
 「ゆきゆて、神軍」は、流石に「強カ」映画の名を辱かしめない迫力のある映画で、久しぶりにこれだけの衝撃を与える映画に出遇って、さまざまなことを考えさせられた。そしてしばらく「強カ」世界に惹き込まれた。もし芸術の本領は衝撃にあるということだったら、この映画を超える映画は、たぶん今年は現われないだろう。ただその衝撃はどちらかというと、六割は胸くその悪い衝撃、あとの四割のうち三割は混濁した衝撃、ほんの残り一割くらいが澄明な響きをもった衝撃であった。
 
 「ゆきゆきて、神軍」は、天皇参賀の折、天皇にパチンコ玉を射かけた奥崎謙三を主役にしたドキュメンタリー映画で、奥崎謙三が、旧日本軍のニューギニア残留部隊で起った兵士銃殺事件の当事者をつぎつぎ訪ねていって、そのとき起った事件の全貌を告白させようとする行動を、カメラを奥崎謙三の近傍にいつも密着させながら、記録的に描写したものだ。その本筋のところどころで奥崎謙三が、天皇の戦争責任を追及せよという主張を掲げて、単独で宣伝カーにのって遊説しては、警官と小競合いを演ずる場面や、警備の警官に、おまえらは人間なら人間らしく、じぶんの判断で行動し、生きてるつらをしてみせろといったような、罵言を浴せかける場面や、地域の警察署を訪れて、これから天皇追及の宣伝をやらしてもらうからと挨拶する場面なども挿入される。奥崎謙三がニユーギニアで米軍に包囲されて飢餓状態に陥り、全滅寸前に追いこまれた日本軍のなかで起った兵士銃殺事件に固執し、当事者を追及して真相を告白させようとするモチーフは、自分も兵士としてニューギニアにいて、飢餓の淵に追いこまれた体験をもち、銃殺事件の当事者は、かつての自分の上級者だったという因縁によると映画は説明している。こういう悲惨な事件が起ったのは、元をただせば、無責任の体系の頂点にいる天皇の在り方が、軍隊の惨劇の無責任さまで貫徹しているからで、これを不問に附すことは許せないという考え方による。そう映画は伝えている。そして奥崎が映画のなかで喋る言葉の端々から推察すると、さまざまな心の抵抗を排除し、克服して、銃殺事件の真相をねじまげず隠すことなく、ありのままに自分の行為を告白しえたときには、二人の兵士を殺した罪は「神」(「天」という言葉もでてくる)の前に赦されるという考え方をもっていることがわかる。当時のニューギニアの全滅寸前の部隊でも、八月十五目の天皇の敗戦詔書は、十八日には判っていたという。兵士銃殺事件はそれから二十日間も後で起っているので、既にただの殺人を行ったのだというのが奥崎謙三の追及の根拠である。
 
 カメラはよく、この偏執的な天皇の戦争責任追及者の踏み込むところについて家の中まで踏み込み、かれが直接銃殺を命令した元隊長と、元隊長に命令されて二人の兵士に銃を向けた五人の元兵士たちをつぎつぎに訪間し、真相の告白を迫り、押問答をやり、ついには取っ組あいの争いになり、奥崎が五人の兵士たちを精神的に追いつめ、腕カで押し倒したり、蹴とぱしたりする場面を避けずに、撮影している。奥崎謙三の方は、はじめから捨て身で迫り、迫ることをじぶんの生涯の目的としている者の迫力と偏執と理念(らしきもの)と怨念がある。一方銃殺を命じた元隊長も、じかに銃を向けて銃殺刑を執行した五人の元兵士も、いまはごく普通の生活人の風貌をした初老のおっつあんになっている。この元軍人兵士たちの戦後四十年の変貌と、執念深く戦争責任に固執する奥崎の生々しい怨念とは、鋭い亀裂を生み出している。ことに五人の元兵士の一人の貧相なおっつあんは、手術をしたばかりの病み上りの状態で、奥崎謙三から真相の告白を詰めよられて、たじたじとなり、押しまくられて倒されてしまう。こういった対比は鮮やかで、カメラは、五人の平凡なおっさんが、昔、戦地でやったじぶんの行為からどこかで咎められていることを、揺り戻され、暴露された思いに立ち迷った表情で、追及を受けとめかねている。その表情をよく捉えている。奥騎謙三の方は平凡な初老の庶民のおっさんの平穏な家庭に無理やり押しかけ、偏執的なすごい見幕で問答を仕掛け、四十年まえの兵士だったときの銃殺行為の告白を迫る。その理不尽さ、狂信、偏執、自己矛盾に気付かないど迫力もよく(だが肯定的に)捉えている。やめて下さい、うちの人は手術したばかりの病みあがりだから、と叫ぶおかみさんも、父親をいじめる男を許さないと奥崎の前に立ち塞がる息子の姿も、カメラは捉えているし、奥崎が病み上りの元兵士を蹴とばすのをとめようとして、じぶんが脛を蹴られた奥崎の妻君の、足を出してみせるところも映している。
 カメラは奥崎謙三の挙動に沿い、その意向に就きすぎている。だがそれだからこそ、これだけの踏み込んだ映像ドキュメントを作ることができたのだともいえる。わたしがいままで観たドキュメンタリー映画や、テレビの記録映像で、これだけ踏み込んたカメラアングルをみたのははじめてで、その衝迫力と場面把握の周到さにとても感銘をうけた。
 
 元兵士たちに真相の告白を追迫る奥崎は、映画の途中までは、銃殺された二人の兵士の弟妹を連れて銃殺の当事者たちを訪れる。この遺族たちは、どんな真相を明されても恨んだり驚いたり、異常な振舞いをしたりしないから、兄弟たちの銃殺死の様子を、ありていに言って欲しいと奥崎に歩調を合せて追る。そしてこの映画の圧巻は、わたしはたしかに銃殺せよと命じられて銃を撃ったが、わざと銃口を外らしたからやましいところはない。だがその当時のことについて何も語りたくないとひとりの元兵士がいうのに、銃殺された兵士の妹が、いまは拝み屋になっていて、わたしが拝んだところでは、食べるものがなくなって位階の下の方の兵隊から殺して、その肉を食べるために銃殺されたのだと死んだ兄が出てきて告げたと言い、元兵士の方が、じぶんたちは白人の肉は白豚と呼ぴ、黒人の肉は黒豚と称して、みな誰もが食べたが、まさか同胞の日本兵士を銃殺して肉を食べるようなことは決してしていないと反論して言い争う場面であった。
 この場面では奥崎謙三はもちろん、銃殺された兵士たちの遺族の男女も、真相の告白を迫られて拒否しながら、それとない言い廻しで真相に近ずく銃殺を命ぜられた元兵士も、演技のない演技の迫カでそのまま役者になっており、観ているものは誰でも、人間はぎりぎりの間題をつきっけられたときには、場面がそのまま緊迫した演技空間と似てくるものだと感嘆させられる。
 
 結局、銃殺を命じた元隊長の初老のおっさんと、銃殺を直接にやった五人の元兵士たちのおっさんを、つぎつぎに訪れて真相の告白を迫るうちに、はじめは話したくないとか、話す必要もないとを言を左右にして、四十年前の古傷に触れるのを嫌がっていた人たちは、しだいに魚網をせぱめられてゆく魚たちのように、真相といえるものに螺旋状に吸い込まれて、肉薄してゆくことになっている。これもまた縦軸を切り裂くように、ドキュメンタリィ・ドラマになっていて、見事であった。はじめはおかしな理不尽な、偏執的な男がやってきて、四十年前の戦場での古傷を暴こうとしているのをみて、無理やり過去の悪夢をかき立てられるようで、不快と不当さの感情をあらわに、語ることを拒んでいた元兵士たちが、次第に体験を蘇えらせ、その場面に再着任させられているかのような、臨場感にあふれてくる。この元兵士たちの変貌がよくつかまえられている。
 
 結局、最後にいくつかのことが食いちがったまま奥崎は、むき出されるようにおもえてくる。そこまで近ずくことができたのは、ひとえに主役の奥崎謙三の執拗な追求カと、めげずにそれを追ったカメラの賜物であるにちがいない。それは間違いなく観る者を抑しまくってくる力がある。何故二人の兵士は敗戦がわかってから二十日もたって、米軍の重包囲下に飢鰍状態で全滅を待ちながら、銃殺されたのか。ひとりの元兵士は、上官から敵前逃亡のかどにより銑殺せよと言われたともらす。べつの一人の元兵士は、あの二人は原住民を殺して肉を喰ったから、銃殺せよと聞いたと語る。どうやって実際に処刑したのか。ひとりの元兵士は、五発ある弾丸を一発ずつ渡され、そのなかの一発は空包になっていた。そして誰に空包が渡ったか判らないようになっていて、罪の意識を感じさせないようにしてあるので、じぶんは左側の兵士を狙って撃ったが、じぶんの弾丸が空包であったかどうかわからないと語る。べつのひとりの元兵士は、じぶんはわざと銃口を外ずして撃ったから殺していない。だから、良心に恥じるところはないと言い張る。もうひとつ喰い違う事実がある。元兵士たちは、死にきれずに尻もちをついて倒れた二人の兵士に、介錯のつもりで拳銃二発で止めをさしたのは、元隊長だと告白する。奥崎たちは元隊長を訪れて真相を追及すると、元隊長は上からの指令で命令を下した責任はじぶんにあることは認めるが、実際の銃殺現場にはじぶんは居なかったと主張する。奥崎謙三の偏執的な捨身の迫カのある真相の追及と、それに則し傍を離れないカメラの眼が、事件をここまで追いつめ、明るみに出してゆくまでの迫カと衝撃カのある映像は、無類のもので、映画が終って明るくなったとき、どんな顔をしていいかわからないから、たぶんわたしも一瞬無類の顔をしていたに相違ない。
 
 さてこれから、この「ゆきゆきて、神軍」の欠陥を語るべきだ。わたしはこの映画の映像の作り方は、技術的にとても高度な、そして珍らしいほど情感の豊富な、飾り気のない好感のもてる映像の作り方だと思って感服した。そしてほんとうは主役たる奥崎謙三をもっと突き放して冷酷に、すくなくともニューギニア戦線で敗残期の日本軍に起った兵士銃殺事件の真相を追及するのとおなじ程度には、奥崎謙三の人格と理念の真相を抉りだすべきだった。そう感じた。ようするに追及する主役の偏執に甘すぎるのだ。これはあるいは無いものねだりの類いで、これだけ踏み込んだ衝撃カのある映像を作っただけで、瞑すべきだという考え方もあるかもしれない。しかしわたしがいつもここが壁だ、この壁を突破して先へつきすすめなかったら、理念の事態は絶望的なのだと思っている、わが左翼と進歩派の、正義を装った頽廃の壁の前で、この監督もまた妥協しているとおもえて仕方がなかった。
 奥崎謙三の偏執的な挙動についてゆけなくなったのかどうか、途中で銃殺された兵士の遺族は、奥崎と一緒に元兵士たちを訪間することをやめてしまい、奥崎はじぶんの妻女を銃殺された兵士の妹に、またアナキスト出島英三郎をもう一人の兵士の遺族の弟に「任命」し、銃殺当事者の元兵士たちの後半の訪間に伴ってゆく。このあたりのいきさつは、はっきりと映画は説得していない。なんで関係のないアナキストが登場してきて、遺族になりすますのかよく判らないし、参加の根拠があるのならはっきり云ったらいいのに何も云わない。妻女の方は、享主の執念に愛想つかしもならないので代役を引き受けたのかも知れないと納得できないでもないが、このあたりのあいまいさ、踏み込みの無さは、この映画の弱点のひとつになっている。
 
 映画は、字幕で奥崎謙三が後に単独で、銃殺を命じ、拳銃で止めをさした元隊長を射ち殺すために、このいまは平凡な初老のおっつあんになっている元隊長のところに押しかけ、父親をかばうために立ち塞がった息子に銃を発射して重傷を負わせ、服役中であると記録している。戦場で米軍に包囲されて全滅か投降かという事態で起った銃殺事件で、止めをさすために拳銃を撃った元隊長が不当ならば、平和な初老の市民になり切った四十年も後の元隊艮を、殺害しようとする奥崎の行為は、もっと不当なはずだ。主役奥崎謙三は内省力で自己相対化できるような人物ではないことがわかる。「疾く死なばや」と思い込んでいて、しゃにむに情況のないところに情況を作り、じぶんの偏執と怨念と復讐心を行使するので、受けかねる迫力と始末の悪さが混合して、この人物の行くところ、抑しつけがましい空間が出現する。この主役の畏れをしらないわざとらしい挙動のドキュメントであるこの映画は、ど迫カと衝撃カにおいて無類のものに違いないが、そのど迫カも衝撃力も決して上等なものではない。また嫌な奴だと、嫌悪を催す種類の迫力である。わたしも天皇の戦争責任ということを陰に陽に思いつづけてきたが、とてもこの主役の挙動は、頂戴できる代物ではない。それがわたしの感想だった。

 またあるとき、唯円房はわたしの(親鷲の)いうことを信ずるかと、仰せがあったので、その通りですと申し上げると、それならわたしの言ったことに背かないかと、重ねて仰せがありましたので、つつしんで了承致しますと、それでは人を千人殺してみよ、そうすればかならず往生できるだろうと仰せられましたので、仰せではありますけれど、わが身についた器量では一人の人でさえ殺せるとは思われませんと申し上げますと、それではどうして親鷺のいうことに背かないなどというのだと仰せになり、これで判るだろう、何事も心にまかせた通りならば、往生のために千人人を殺せと いわれたら、その通り殺すだろう。だけれども一人でさえ過去からの因縁がないならば殺せないのである。これはじぷんの心が善だから殺さないのではない。また殺すまいと思っても百人、千人を殺すことはありえるだろうと仰せられました。これは、じぶんの心が善なのを善とおもい悪であるのを悪とするというだけで、本願の計らいのない自然な不思議に、いつも人間は助けられているのだということを知らないことを、仰せられたかったのである。
(『歎異抄』第十三条)  

 わたしはこの親驚の認識が好きだし、偉大だと思っている。親驚のこの言葉は、たくさんの浄土の行者が浄土へ急ぐあまり「疾く死なばや」と称して、即身餓死に突入してゆく世相と理念の迫力のなかで、確乎として述べられた真宗の理念であった。わたしたちは奥崎謙三の挙動のもつど迫カと衝撃カを、静かに相対化し、否定できなかったら、天皇制を無化することなど、到底及びもつかないだろう。わたしたちには、現在、すでにすべての倫理運動が、名目を変え、主張を変えて登場してきても、その破砕すべき壁がどんなジャスティスの看板を掲げ、どんな虚像として現われるか、歴然と見えているとおもう。これを突き抜けられないすべての理念と諸個人は、またいっかきた道を行くほかあり えない、とわたしには思える。
 わたしにはもうひとつ云ってみたいことがあった。奥崎謙三と元兵士のあいだの問答で、白人の肉は白豚、黒人の肉は黒豚と呼んで、米軍に包囲され飢餓状態に陥った日本軍の兵士たちは、誰もが喰べたことが、自ら語り出された。奥崎がすかさず、どうやって喰べたのだ、死体の尻やももの肉を削いだのかと問うと、元兵士のひとりはそうだと答えていた。わたしは元兵士も奥崎も、ここのところを、わりとあっさり片づけているのが、いかにも日本的(アジア的)だと感じた。たぶん西欧的な理念の習俗だったら、この人肉嗜食のことが罪の意識として内在的追及の本道になり、敗残期の軍隊に包囲下で起った銃殺事件の方は、副主題にしかならなかったに相違ないとおもった。
 
 
     2
 
白い道  ところで三国連太郎監督の親鸞を主人公にした「白い道」は、親鸞を、人間平等の使命観に燃えた意志的な英雄にしてしまっている。ひとつには、寺院や寺格や僧侶の位階を捨て、人間はみな平等で「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄第なり」(「歎異抄」第五条)を実践する使命観に燃えた親鸞の像を描いている。もうひとつは逆に修験や土俗神信仰の迷信や呪術に右往左往する人々のなかで、「地獄は一定すみかぞかし」(「歎異抄」)の自覚で、浄土を布教し、野に耕す親鸞の姿である。この英雄的で実行的な親鸞像が、戦乱のなかで権カや寺院僧侶からいたぶられながら、ひとびとと一緒に彷徨し、小屋がけに住み、妻子と飢えや病に苦しみ、わが子を死なせ、妻恵信尼と別れたりするところが描かれる。つまり若き目の徳川家康であっても、伊達政宗であっても一向さしつかえない、通俗的な活劇や幼稚な寺院僧侶の陰謀などを背景にして、何とかその背景に親鸞の生涯を関連ずけようとして、ひとかどの歴史時代劇娯楽映画にしてしまっている。関東のすくない地域から、もしかすると東北の関東に接した地域の小さな範囲で、同時代にまったく知られずに念仏専修を説いて、あまりドラマや映画にはなりにくい親鸞と、それでありながら、ひそかに仏教浄土門の教義儀理念を集大成する当時の世界的思想家であった親鸞と、このふたつしか実像として重ねようがたい。わたしはこの単調な消極的な布教しかしなかった親鸞の外観と、いっさい修行したり自力の善行や慈悲などやるな、それは小さな不徹底なものとならざるを得ないからと説きながら、ひそかに浄土の理念を体系化していた親鸞の内面の像を、重ねあわせて、特異な親鷺の人間像を浮き彫りにしてあるのかと期待して観たが、いたく失望した。活劇をやらない主人公を主役にした歴史活劇映画を、娯楽の愉しさなど何もない、ときどきもったいぶったおよそ親鸞には似つかわしくない低俗な倫理的な説教を混えて観せられたようなものだ。ようするに原作者であり、監督である三国連太郎に、ドラマ・物語・善悪・倫理・杜会・信仰などを親鸞のように反転するだけの見識などなく、ほんとにありきたりの通俗的な感性の秩序で、ありきたりの歴史時代劇を作ってしまったのだ。ときどき親鸞のせりふで「地獄は一定すみか」などと云わせてもさまにはなっていない。

 慈悲に聖道門と浄土門のちがいがある。聖道の慈悲というのは、ものをあわれみ、悲しみ、育くむものだ。だけれども、おもうように救済を遂げることは、きわめてありえないことだ。浄土の慈悲というのは、念仏していちずに仏になって、(その後で)大慈大悲の心をもって、思いのままに衆生を利益してあげることをいうはずのものだ。この現世で、いかにかわいそうだ、不欄だとおもっても、自分の思うように救済することは難かしいから、こういう慈悲はつづまりがっかない。それだから念仏を申すことだけが徹底した大慈悲心だというべきだ。 (「歎異抄」)

 この意味がほんとうに理解できなかったら親驚の像は描けないとおもう。そして理解するには「念仏していちづに仏になって」の意味が解けなくてはならない。それなくして描けば、口さきで平等と地獄一定を言ってみるだけの通俗的な、自カ修行の英雄になってしまう。この映画がちょうどそれをやっている。カメラの技術が確かで、ところどころ抒情的な美しい映像がみられるのが、この映画の救いだった。三国連太郎がこの映画で描いた親鸞の像で、わずかに親鸞らしい非意志的な、非修業的な非僧非俗の自然さがでている場面は、親鸞が掘立小屋の住いで、恵信尼と側臥背向位で性行為をし子供が目を覚まして起きてくるところだった。
 
 
     3
 
女衒  今村昌平の「女街」は、スピード感のある映像で、たくましく、直情で、ぬけ目のない女街伊平次の生涯の行状を、これもまたたくましく明るく朗らかで、またそのことが悲惨でもある唐ゆきさんの娼婦の群像と一緒に描いて、誠刺と笑いと、悲しみとが複雑にからみあった愉しい映画にしている。主人公伊平次が、若者のとき日露戦役のころ大陸に出かせぎにゆくところからはじまり、太平洋戦争の勃発で、マレー半島に上陸した日本軍に、老いた伊平次が出会うまでの、女街往来を描いている。伊平次が唐ゆきさんの女たちを日本から集めて娼掃宿を経営し、そこに歓楽の街をつくることを、日本帝国の張拡と発展を担った意義ある仕事で、天皇の尖兵としてお国のための忠義の一つだと疑っていないために、伊平次の行動がそのまま日本帝国主義の大陸や東南アジアヘの膨脹と侵賂の風刺と悲喜劇になっている。その意味では伊平次のなかにある直情と好人物的な単純さや悲哀と、途方もない天皇崇拝や軍国礼賛と、好感を感じさせる人柄と、こういったものが、ゴッタ煮のように詰めこまれて伊平次の行状を、手慣れた優れた映像技法で描いているこの映画は、かなり複雑な陰影と効果を描き出している。字幕に記された通りこれをカンヌ映画祭へもっていったとき、欧米の観賞者が理解できるかどうかは、とても判らないと思えた。でもそれは理解できない方が駄目なのだと言うべきで、わたしは、「櫓山節考」のような外面(そとづら)をよく外人に理解できるようにするために、ひどい嘘を内懐にしまいこんでいる映画よりも、ずっと好感を覚えた。わたしなどが好感を覚えても三文の値打ちもないだろうが、わたしは今村昌平がこの映画で何かを会得して、飛躍したと感じた。それはひと口に〈遊び〉の意味深さ、〈遊ぴ〉の反転、逆転の方法のようなものだというべきだろうか。それが鋭い風刺として初めの部分を除いては、映画のほとんど全部を占めていて、わたしははじめて日本軍国主義が深部から愛惜もされながら刺殺されていると思った。
 明治天皇の死を知らされて、腹を切って殉死すると意気ぱんで、刀を腹に少し刺しただけでイテテテ、キレタ、血ガデタと騒ぎたてる伊平次の滑けいさと、そのとき唐ゆきさんの女たちを日本の本土から連れて来た女衒の手代の乗った舟が港に着くという知らせをうけて、もう切腹も明治天皇の死も忘れて、商売にとびだしてゆく伊平次の映像は、乃木将軍からはじまって三島由紀夫までの日本の文明開化の歴吏のなかの、どの切腹をも戯画にして、哄笑のなかに吹きとばしてしまう風刺になっていると思った。
 
    (「映画芸術」昭和六十二年355号。潮出版社、吉本隆明著「夏を越した映画」所収)
 
★ 奥崎謙三(1920~2005)兵庫生れ。41年中支九江工兵隊に入隊。後、独立工兵第36連帯に転属、ニューギニアの戦場へ。69年皇居新宮殿の新年参賀式で天皇にバチンコ玉を発射、懲役1年6ケ月の判決。陳述書を『ヤマザキ天皇を撃て!』として刊行。
 
★ 原一男(1945一~)山口市生れ。65年東京総合写真専門学校を中退。72年「さよならCP」(16ミリ)を発表、高い評価を得た。74年の「極私工ロス・恋歌1974」は海外の映画祭でも上映され、原の名前は国際的に知られるようにたった。トノンレバン国際独立映画察グランプリ受賞。
 
★ 今村昌平(1926~2006)映画監督。松竹大船撮影所を経て日活に転じた。昭和33年「盗まれた欲情」で監督デピュー。日本人の土着的な生と性を凝視した作品が特長。日本映画学校院長。
 
★ 小川徹(1923~1991)評論家。東京生れ。東北大学経済学部卒業。「映画芸術」編集長。46年同人雑誌「世代」に参加,同人にいいだもも、吉行淳之介らがいた。映画は観客の解釈によって初めて意味を生じるので、映画自体は不完全芸術であるとする《裏目読み批評》を展開している。著書に『亡国の理想』『現代日本映画作家論』『堕落論の発展』などがある。
 
 
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