日付:2018年6月10日 

 ★ 良いことも悪いこともみんな映画が教えてくれた (1) ~悪役・脇役篇

 

浮雲

『浮雲(1955年)』。監督:成瀬巳喜男、原作:林芙美子、脚本:水木洋子。出演:高峰秀子、森雅之。  

 

 自宅から歩いて300~400メートルぐらいの近所に子供たちが<旧玉>と<新玉>と呼んでいた映画館があった。
 <旧玉>は東映映画専門、<新玉>は日活映画専門の映画館、<玉>は玉の井という地名の略。墨田区玉の井、赤線地帯へ結ぶいろは通り沿いにの東武伊勢崎線玉の井駅(現在は駅名変更で「東向島」)に近い方が<旧玉>で、遠い方を<新玉>と呼んでいた。また劇場は自宅100メートルとは離れていないところにのドサ廻りの芝居小屋「玉の井劇場」もあった。わたしはそんな所で生まれ育った。足をもう少し伸ばせば映画館は合わせて十軒近くあった。亡くなった現代の抒情詩人の故辻征夫さんの詩に出てくる「向島金美館 かつてありき」は子供の足で歩いて20分ほどのところにあった。
 辻征夫の詩「向島金美館 かつてありき」は、わたしが子供だった頃の映画館の様子が活写されているので少し長いが引用させていただく。
 
 
       向島金美館 かつてありき
 
        ■
 
       日曜日の満員の金美館
       ドアからはみだして
       背伸びしているおとたのせなか
       が見えたはず
       (あとからきたひとにはね)
       行列してたおかげでちゃんと
       椅子にならんで掛げていて
       このまま小便もがまんして
       おしまいまで見なくちゃならない
       だって いちど出たら ニドトフタタビ
       はいってこれないくらい満員だからね
       それはとある宿場の旅籠屋の まよなかの
       あんどんの灯を見るよりあきらかなことだからね
       ほら子供にもよくわかる色っぽさの
       花柳小菊
       と
       思っているとき
       思わぬ方角から
       男の声がきこえました
       無愛想なこの映画館の従業員または経営者です
       《向島須崎町のつじゆきおさん
       《おうちのひとがきてますから
       《至急入口まできてください ---
       なにかたいへんなことが
       あったのかもしれたいと
       胸騒ぎして
       六年生の長男は外に出ました
       すると家に寄宿していた遠縁の
       おばあちゃんが立っていました
       《おなかすいたらおたべ ---
       パソと
       牛乳もって
 
        ■
 
       久我美子のはな声
       あのはな声は
       あのホクロから出すのかしら
 
       日あたりのいい縁側のテーブル
       テーブルの下のスリッパはいた
       久我美子の足
       が
       ごにょごにょ
       と
       動いて
 
       むきあっているスリヅパはいた
       男の片足
       を
       ごにょッ
       と
       おさえた
 
       (あれがラブシーソだったなんて!)
 
       日あたりのいい縁側の
       ガラス戸の外は愛の砂丘(※)
       だったのかな
       久我美子のせりふもほかのツーン(場面)も
       なにひとっおぼえていないげれど
       忘れないのはハモニカのメロディーと
       歌のことぱ
       〽ソラハ
       ドーシテ
       アオイノカ
       ヒグレノマチヲ
       カラコロト
       カゼガトオッテ
       ユクカラカ
            (※)---愛の砂丘というのがこの映画のタィトルだった。
            歌に二番もあったようだがおぼえていない。)

 
 
 映画館の入場料は、あの当時(昭和三十三年前後)三本立てで子供料金が30円~40円であり、毎週のように映画館へ行った。テレビ映像以前の刺激的な未知は映画しかなかったからだ。休みの日や番組が変わる夕方の映画館などいまの渋谷のスクランブル交差点のような混みようだった。
 昭和三十年代の初頭の下町の子供にとっては映画は文学・小説に出会うずっと以前の読み物あった。漱石や太宰の小説を読むようになったのは高校生になってからだったから、小学生から中学生の1、2年生まで映画は世界の向こうからやってくる娯楽と未知の中心であった。
 
 とにかく映画はよく観た。なかでも東映映画いちばんわかりやすく面白くいちばんよく観たと思う。
 わたしは東映映画の時代劇に出てくる<悪役>を演じている俳優さんの顔や性格みたいなもの、声や存在の質感みたいな者を、同じ町内に住んでいる小父さんや小母さんたちのだれかに模して映画を観ていた。そしてこの癖は後年も続いて、日活ロマンポルノを見るようなってからもくっついてきて、ロマンポルノに出演している女優さんたちを、直接話したことも交流もない同じ町内に住んでいるお姉さんのだれかの顔や姿やもの言いや存在の仕方に無意識に重ねて合わせようと考えながら観ていたように思う。
 いいかたを変えれば、子供にとっての世界は<家族>と地元の遊び場<原っぱ>とか、<町内>と<学校>だけが世界だった。馴れ親しんだそうした世界からしか遠い銀幕の映像の世界を、じぶんの住むこちら側の現実の世界の実像へ翻訳できなかったからだ。
 
 その近所のお米屋さんは髪の毛のほとんどない禿頭で年齢は60才くらい、身体は大きく丸かった。その米屋さんが月に一度わたしの家へ米の配達をしてくれた。わたしの家は玉のいろは通りで呑み屋をやっていて、家族も多かったしお手伝いの女給さん(ホステスさん)もいたので、祖父が毎月米を運んでくれるように依頼したのだと思う。その禿頭のお米屋の小父さんが米を運び終えると上がり框に坐る(調理場は土間だった)、祖父はコップに日本酒をなみなみと注ぎ自家製の塩辛や白菜のお新香に楊枝を入れてお酒と一緒にお米屋さんの前に差し出す。お米屋さんは手拭いで顔を拭き、そのお酒をごく自然に美味しいそうにゆっくり呑みはじめる。楊枝で塩辛やお新香をつまみ、またお酒を呑む。お米屋の小父さんも祖父もひと言も喋らなかった思う。呑み終えると小父さんは銀貨一枚だったから百円だと思うが、なにもいわずにお盆の上に置き、祖父もなにもいわずに銀貨を前掛けにしまう。小学校の高学年の頃の、ただそれだけの話なのだが、わたしはその米屋の小父さんが俳優の阿部九州男さんを優しくしたよう顔に見え、悪役ばかり演じる阿部九州男さんも、ときたま善人演じることもあるから、ひとりで阿部九州男さんみたいだと思って納得していた。
 
 月に一度、自家の呑み屋の二階で寺島五丁目のごく一部の人たちが集まってごく小さな「無尽(参加した全会員が毎回幾ばくかの金を拠出して資金を積み立てていき、各会員は条件に沿って全期間の内の一回積立金を取る庶民金融一システムI」を開いていたので、そこで町内の小父さんやおじいさんたちが集まってきた。
 原っぱにぽつんと一軒だけ戦災で焼け残ったかのように建っていた豆腐屋の小父さんは、<天津敏>さんに似ていた。豆腐屋の小父さんは毎夕わたしの家の稼業の呑み屋で使う豆腐を届けに来た。豆腐屋の何人かの娘さんのうち何番目か忘れてしまったが、一人がわたしと更正小学校同学年同組だった。<吉田義夫>さんは、家の軒先に女のひとの長い髪をぶら下げ飾ってあった髢(かもじ=髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪の作製を商売にしている)屋のお爺さんで、そのお孫の娘さんとも小学校同学年同組だった。<潮健児>さんは、家の裏で回収して油かすを回収して大きな鍋で煮詰め脂と園芸用品用の油かす材料を作っているお兄さんは<潮健児>さんに似ていて、よく近所のガキ達を代わりばんこにオート三輪の荷台に乗せて「危ないから手を離すじゃないぞ」と町内を走ってくれた優しいお兄さんだった。
 東映映画に登場する悪役・脇役の俳優さんすべてではないが、映像によく登場し顔や名前を覚え俳優さんを、わたしだけではなく、わたしたち子供たちは同じ町内に住むだれかさんに模して、遊んで愉しんでいた。
 このたわいもない子供たちの遊びをまったく逆に考えれば、町内にはそんな個性あるれる年寄りがたくさんいたし、その年寄りと子供たちのあいだにには現在あるような高い垣根は無かったように思う。
 TVはよく観る方で、TVで悪役をやっている俳優さんをたくさん観るが、現在では悪役俳優さんもどこかサラリーマン化していて、俳優さんたちの生命力の発現としての個性の表現を剥奪されているように感じる。だれが、なにが俳優さんたちから個性の表現を剥奪してしまったのだろうか。
 
 もうひとつ銀幕に登場する悪役・脇役の俳優さんたちには思い出がある。だれでもが主役を夢見て映画界に入ったはずだ。悪役・脇役の渡世を余儀なくされた俳優さんたちは、どんなことを考え、どのように身を処していったのか。
 だが、この問題はじぶんが長じて思ったことで、いずれ後述してみたいと思っている。
 
 
 更新中!
 
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天津敏  天津 敏 
 ※宮城県桃生郡河南町出身、1921年2月16日~
1979年7月24日。
 現在わたしは67才だが、同年代でTVの草創期からTVを見ているひとはたいてい子供の頃「隠密剣士」を見ていたのではないだろうか。隠密剣士役の大瀬康一の敵役を担ったのが<風魔小太郎>役の天津敏で、大人気を博した。子供心に憎たらしく、死んでも死なない恐ろしいヤツで、大柄の身体が怖かったが魅了された。
 とても男性としての色気のあった俳優さんで、実はそこに魅了されたのだと思う。東映では極めて貫禄がある悪役俳優の一人だ。
 
     更新中!
 
 
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吉田義夫  吉田 義夫 
 ※1911年1月3日-1986年12月22日、京都府京都市出身。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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潮健児  潮 健児 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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山形勲  山形 勲 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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進藤英太郎  進藤 英太郎 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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薄田研二  薄田 研二 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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阿部九州男  阿部 九州男 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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汐路章  汐路 章 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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加賀邦男  加賀 邦男 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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安部徹  安部 徹 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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山本麟一  山本 麟一 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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澤村宗之助  澤村 宗之助 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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原健策  原 健策 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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徳大寺伸  徳大寺 伸 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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戸上城太郎  戸上 城太郎 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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月形龍之介  月形 龍之介 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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堺俊二  堺 俊二 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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