日付:2020年12月20日 

 『エイズの伝播』 吉本隆明著「見えだした社会の限界」より

 
 
左寄せの画像    エイズの伝播
 
 
 いまいまエイズは大騒ぎされている。その騒音から病的な想像力を繰り出して騒いでいる人たちの声と、神経症的な思いこみや妄想でおびえを伝播させている人たちの声を、みんなとりのぞいてしまうと、あとにはつぎのことが確からしい情報としてのこるだけだ。
 
 (1)エイズは外界から体内に侵入してくる有害な因子から身体を防衛する免疫機構と呼ばれているものを破壊するエイズウイルスによってひきおこされる病気である。
 
 (2)いまのところ確かな治療方法や治療薬がないから、発病すると死にいたるとかんがえてよい。
 
 (3)エイズが伝染するのは、エイズ患者の血液の注入(輸血など)と精液の注入(性交)以外には、まずありえない。
 
 それでは、わたしたちは何を騒いだり、怖れたりしているのだろう? はっきり怖れなくてはいけないのは、エイズ患者と性交することだけだ。その場合だけは、感染のおそれがあり、感染のあと、不幸にして発病すれば、いまのところまず死に至るからだ。では人々はなぜ病的な想像力で騒いだり、神経症的な思いこみや妄想を働かせて、おびえたりするのだろう? エイズ患者と性交しなくても、エイズ患者の血液や精液が、皮膚の切り傷のあとなどから体内に侵入することは、「無きにしもあらず」だからだ。この偶然が重なってできる「無きにしもあらず」が、人々の想像力や神経症を誘い出し、無気味な極彩色の空想の情景をでっちあげるような勝手な想像を許していることになる。
 そこで世の啓蒙家たちは「普通の生活をしていれば」エイズにかからないなどといっている。だが「普通の生活」とはどんなことか、あいまいな言葉だ。どうしてエイズ患者と性交しなければ、とはっきりいいきらないのだろう。理由はただひとつ、啓蒙家たちも、じぶんたちがこの現在の息苦しい社会的錯綜が、精神の重荷になっていて、病的な想像力や神経症的な妄想に陥りやすくなっているから、他人も病的な想像力や神経症の妄想に陥っているのを、よく知っているからだとおもえる。啓蒙家たちもまた、性交しなくてもエイズ患者の血液や精液が皮膚の切り傷から侵入しやしないかと、不安でおびえているのだ。つまり啓蒙家たちも、大騒ぎをしている人たちと一緒に、すでにエイズの認識において強迫神経症にかかっているのだとおもえる。
 
 わたしの心は瞑(いか)りをおさえて日常生活のすみずみまで平常の神経と行為で充たそうと心がけているので、すこし過激ないい方をさせてもらう。いま、文明を呪詛する強迫神経症にかかったエコロジストたちが、貧弱で病的な想像力と神経症的な妄想理念とを駆り立てて、原発は破壊しろ、科学の発達は地球を枯死させるというたわけ果てた主張によって、エコロジー病患者を隔離し、この杜会をエコロチスムと非エコロチスムとに二分しようとしている。かれらは偽の反体制派だ。おなじように、エイズイストたちが、じぶんたちの貧弱で病的な想像力と神経症的な妄想体系で、法律などをこしらえエイズ患者を隔離し、社会をエイズイスムと非エイズイスムとに二分したりしないかと危倶を感じてくる。隣人がエイズ患者であろうと、隣りが原発であろうとわたしたちの心は、平静に科学理性にしたがって処理し、けっしてそれらを隔離したり差別したり妄想で極彩色の悪玉に仕立てたりすることはないのだ。エイズについて、わたしのような医学の専門家でないが「考えることをしている者」にとって、ただひとつ関心を抱き、つきとめてみたいことがある。第一世界であるアメリカやヨーロッパでは主に男性同性愛者の性交によってエイズが伝播しているのにたいし、第三世界のアフリカでは主に異性愛の性交によってエイズが伝播している。それならば現在の日本のような脱アジア的な社会構造をもちながらアジア的な性愛の意識をひきずった地域では、エイズの伝播はどんな性格をもち、どんな運命をたどるだろうか? この問題は人間性の奥底に触れながら、その実態をしることによって、世界史のなかの、わたしたちの地域の位置と方向性を、ぼかし絵のように浮き彫りにするのではないだろうか。
★ 吉本隆明著「見えだした社会の限界」1992年 発行:株式会社コスモの本より  
 
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