日付:2020年5月1日 

 演出ノオト  ~吉本隆明氏の「心的現象論・本論」より「身体論」~ (2) 

 

三内丸山(青森県青森市)中期中葉(BC3000年頃)25.4cm      

 

 
 
 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
 
     身 体 論 <22>
 
 
 
     身 体 像 の 起 源 (2)

 原初の人間が〈身体〉をどう把握していたかを、原初の土偶、岩塊、洞窟の壁面の浮き彫などから知ろうとするばあい、身体像の原初性は、作られた年代の古さ新しさと、かならずしもパラレルな関係だとはいえないことに注意すべきである。たとえば、縄文早期と晩期のあいだには七〇〇〇年くらいの年差を想定できるが、晩期の土偶になお身体像の原初性が含まれる可能性がを考えても不都合ではない。これは、文化系統の異質さがかんがえられるためではないこと、また、地域差ががかんがえられるためでもなく、文化の層は基層に近いほど、年代差による変化をすくなく見積もることができるからである。ちまり、多少の変化をこうむりながら〈古式ゆたかな〉文化が保存され、行われる可能性は、現在でもなおかんがえられるのとおなじである。通念では、おなじ年代に洗練された技法と粗けずりな技法とが同時に行なわれているばあい、種族的なちがいや文化系統の異質さに一元的に還元させてしまいやすい。しかし、かならずしもそうとはいえないのである。たとえば縄文土偶の身体像の奇怪な生々しさと、古墳時代のハニワの身体像ののっぺらぼうの単純さとは、文化系統のちがいに帰せられやすい。そういう側面をまったく無視すれば、実像から遠ざかることになるかもしれないが、文化は文化的な上層が、その時の世界共通性の影響を受けやすいのにたいして、文化的な基層では、伝統や土俗から、生命を持続的に継承する力がより強く存在するため、まるで異質の文化が、重層して流布されるということもありうるし、また、在来の方法をあっさりと放棄して、世界共通性の影響に乗りかえるということも起こりうるのである。このことは、はじめに前提として含まれていなければならないことのひとつである。
 
もうひとつ、ここで考定すべき問題がある。
 身体像の原初的な表出について、原初の人間は、〈人類〉という概念でくくりだせるような共通性を示しているのか、ということである。たとえば、セリエ岩陰の刻像と、わが国の縄文期の刻像とのあいだに、文化的系統の同一性とおなじ流れの分布を想定することは、まずできない。しかし、ここには、ある共通性を想定させるに充分なほどの類似性をみつけられることも確かである。この表出の類似性は〈人類〉という概念でくくれるような類的な共通性に帰せられるだろうか?

 
 この間題に近づく手続として、わたしたちは、いくつかの暖味さを排除して、間題の核心だけをのこしてみるという作業が、不可欠の前提のようにおもわれる。あまりに早急に〈人類〉という概念でくくり出すと、結局なにもしなかったこととおなじになるからだ。
 まず、ひとつの暖味さは、原初の人間の、原初の身体像が、単純な形態要素から成り立っていることから由来する。そのために類似の点をもちやすいことになる。たぶん擬触覚的な対象化によって、形態要素はいつも単純な形態の組合せと、いつも局部的であるような触覚的な起伏(凹凸)によって表現されることになるのはたしからしい。そのため部分と全体との転倒が起こり、強調部は度外れに拡大され、省略部は度外れに縮小されることも起こりうるし、身体の各部分の関係は、実際に視ている身体像とは、ほとんどかかわりないほどの変容をこうむる。また、素材は棒状物、円、三角と長方状物、凹と凸文様状の彫線だけである。
 
 こういうことが起こりうる根源はなんだろうか。原初の人間は身体像の対象化表出のばあいに、〈自体識知〉の優勢さを、〈対象化識知〉と二重化できないままに混融させていたという知覚作用のある段階に帰せられるようにおもわれる。もちろん、身体像でなく、動物や武器や道具やその他の自然存在も、原初の刻像にあらわれるが、このばあいでも〈自体識知〉の優勢さから、原初の人間は、じぶんを動物に、武器に、道具に、その他の自然存在に〈化身〉させながら、表出する要素が、現在からはかんがえられないほど優勢であったと想定することができる。わたしたちは、ここで、さしあたって、原初の造型の単純さ、力強さ、奇怪な変形などを、美術史的に、人類学的にうまく解釈しようとしているわけではない。原初の人間が自己の身体像を対照的に表出しようとするとき、その知覚作用のうち、なにが優勢な〈変容〉をこうむるか、その根源的理由はなにかを想定しようとしている。原初の人間も現在のわたしとすこしも変わりなく対象(人間、動物、武器、道具、自然存在)たちを知覚していたのは疑えない。それでも、いったん、その対象を表出するばあいにあらわれる特質(視覚の擬触覚的な転移)は、なにに由来するか。こういうことに納得のできる推定を下したいわけである。
 
 ここにもうひとつの暖味さがある。原初の人間の身体像は、個的な表象のうちに表出されているのか、あるいは共同的な表象のうちに表出されているのかということである。もちろん、呪術的なものであれ、装飾的なものであれ、遊戯的なものであれ、原初の身体像も個々の人間の手によって表出されたものであることは、疑うことができない。だが、表出した人間の個性が、表出されている要素は少ない。では、文化的な類型が優勢に表出されるだろうか。つまり、セリエ岩陰の人間像と、縄文期の人間像とは、丈化的な類型個性的相違を優勢に表出しているのだろうか。たぶんここまで一般化しても、なお曖昧さの要素はのこるようなおもわれる。いいかえれば、原初の身体像について、これは中央アジアの文化をひくもの、これはアフリカ大陸の文化をひくものというような類型化は危険だということである。
 
 身体像の表出のうち〈自体識知〉の占める度合いは、個的なものと類的な表象との未分化な部分を優勢のさせる。そしてこの〈自体識知〉の優勢さは、生理的な身体像の同一性を、優勢にみちびく。生理的な意味での身体像(人間という類)という概念以上のものではない。これはただちに〈人類〉という概念の共通性であるとはいえない。また、そのままでは共同性の根拠ともなりにくい。そしてあらゆる表出は、対象化の表出であるという意味だけで、原初の人間の知覚作用のうちに個的に表出されたものと共同的な表象との相互関係があらわれる。人間以外の動物はけっしてじぶんの身体像を表出しない。もちろん動物もまた自己や他の同種または異種の動物を〈視〉ることは疑いない。けれど自己や他の同種または異種の動物像を表出しない。それは〈自体識知〉と、反射的な運動との相互移行さえあれば充分だからである。原初の人間も、もちろん〈自体識知〉と、反射さえあれば充分なはずであった。しかし最初の異和は、他のすべての自然存在にたいする自己の異和であり、この異和が原始史学者や人類学者のいうように〈自体識知〉として表出されても〈制約〉として表出されても〈自由〉として表出されても他のすべての自然存在にたいする〈孤立〉、〈切断〉、〈類別化〉であったことはたしかである。このとき、他のすべての自然存在、また、べつの意味では自然存在としての自己の身体像にたいして、最初の〈対象化識知〉があらわれた、といいうる。
 S・ギーディオンはこう、解している。
 
始原人はけっして自分自身を自信にみちた存在、独立した存在、優れた者として描かない。  先史時代の全期を通じて人間は動物の前ではつねに病的劣等感によって圧迫された存在であったように思われる。かれは、生まれつきかれらに与えられた自分の姿をはずかしく思っていたようである。かれは自分の顔をかくし、その身体を無視する。非常にまれに人間の顔の諸要素が示される場合でも、それらは一インチよりも小さい護符大の頭部にあらわされるのがつねで、けっして大規模な浮彫にはあらわされない。
    (S・ギーデイオン『永遠の現在』江上波夫、木村重信訳)
 
   たぶんこの見解は、〈聖なる動物〉あるいはトーテム動物を、共同性の表象とするく始原人〉という概念から逆算されている。動物を〈聖なるもの〉とするために、原初の人間はじぶんを動物より劣ったもの、あるいは動物に恐怖するものとかんがえていたはずだ、と推想している。しかしながら、ある原初の共同体の成員が、ある動物を〈聖なるもの〉、あるいは共同体のトーテムとして崇拝するためには、動物にたいして、とくに劣等感をいだく必要はないようにみえる。ただ、最初の〈対象化識知〉が知覚作用にやってきたときに、その動物が何らかの意味で、原初の人間の共同性にとって〈結節〉となる関係にあること、そしてこの知覚作用が、自身の身体像にたいして、動物から〈区別〉、〈孤立〉、〈類別〉による対象化をなしうること、このふたつがあれば、たぶんトーテム動物を択びとることができるはずである。  しかし、それにもかかわらず、原初の人間の自画像が、じぶんの顔を、おまけ程度につけているだけであるとか、頭部だけを動物の顔にすげかえているとか、人間とも鳥とも獣類ともつかぬ奇怪な顔に仕立てているということは事実なのだ。
 
 文化科学高等研究所発行(2008年) 吉本隆明著「心的現象論 本論」より抜粋させていただきました。
緑色の彩色は、菅間が着けました。

 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
 
      ★ この稿、続く。       ★ aboutの頁へ戻る。