日付:2020年5月1日 

 演出ノオト  ~吉本隆明氏の「心的現象論・本論」より「身体論」~ (3) 

 

山梨県御坂町上黒駒出土 高25.4 縄文時代(中期)前3000~前2000年 国立博物館蔵    

 

 
     身 体 論 <23>
 
 
 
     頭 部 像 ・ 手 足 像 の 起 源

 なぜ原初の身体像で、頭部は小さいか、奇怪な動物の首に類似してつくられるのか、あるいは眼や鼻や口が凹孔または凸起で無表情でつけられているのか、また、得体の知れないれない刻線が眼のまわり、口のまわり、頬などを限って、あたかも顔を空白にしておいてはならない、とでもいうように、走っているのだろうか。これはたしかに原初の身体像の表出につきまとっているかなり普遍的な〈事実〉であり、絵解きの誘惑にかりたてられる問題でもある。また、関心を惹かない部分は無視するか極端に省略されるという原則からかんがえても、なぜ、それほどじぶんの身体像のうち、頭部に関心が薄いのかは解きあかしたい主題である。これについて、S・ギーディオンはつぎのように述べている。
 
 もちろんローセル出土の大胆なヴィーナス浮彫、あるいはラ・マグドレーヌ(タルシ)の横臥した女性の薄浮彫のような、まれな作例をも当然考慮に入れるべきであろう。しかし、たとえ人間の身体が動物彫刻と同じほど造形性ゆたかに作られている場合でも、顔面には眼鼻さえつけられていない。頭部は、はっきりとしない輸郭線で、荒い岩の表面の一部分を簡単に囲む閉むだけであらわされる。頭部はつねに身体をを支配する重要性をもつと考えられるが、動物的な相貌を呈する。この傾向はオーリニャック期からさかんに行われ、人びとが巻きこむ倦むことなく多くの変種を案出した人間と動物の混合において、複雑に発展した。
          (S・ギーディオン『永遠の現在』江上、木村訳)
 
 すべての自然存在から疎外されていると感じられたとき、原初の人間は、その頭部、とりわけ顔をどう視たのか。現在、わたしたちが顔を、円顔とか面長とか、三角形とか、〈類別〉するような、類別はなかった。また、日本人的とかヨーロッパ人的とかアフリカ人的とかいう〈類別〉もなかった。原初の人間は、すべての自然存在からも孤立していたように、他の共同性からも孤立して居住していたとかんがえられるからである。いちばん〈類別〉しやすいのは、周辺に存在する動物、関心の結節点となる動物になぞらえて、〈あの顔は猿のようだ〉とか〈あの顔はみみずくのようだ〉とか〈あの顔は兎のようだ〉とかいう原則であったかもしれない。この問題はトーテミズムにむすびっいているし、また鳥獣頭人体像の生成の方にも流れていく。またわが国の縄文土偶における、奇怪な面貌への移行の問題にも結びつけられる。
 
 鳥獣の頭部をもつ人体像、ギーディオンのいうように、聖なる動物にたいする卑なる人間という劣等感からきたとはかんがえられない。むしろ自己以外のすべての自然存在から、〈区別〉されそうになった時期に、〈対象化識知〉の成熟さが必然的に生みだした〈化身〉とみたほうがかんがえやすいようにおもわれる。このばあいに頭部にえらばれる鳥獣は、それを描いた原初の人間の共同性にとって、象徴となりうるもの、いいかえれば、その鳥獣を狩り、殺し、喰べるということが、その共同性にとって、生存のために必要であるというだけでなく、宗教的な犠供の意味をも含むことになるという関係にあるものとかんがえられる。
 
 わが縄文土偶もまた、原初の身体像をはなれるやすぐに、ふたつの問題に直面した。ひとつは鳥類とも獣類ともみえるような奇怪な頭部をもった土偶や岩偶が、出現したことである。もうひとっは、顔面の刻線が、ほとんど顔の表面を覆いつくすほど描かれ、あるいは入墨や彩文を表象しているのではないか、という問題を提起したことである。縄文土偶の身体像が、奇怪なみみずくや小獣類のような顔につくられたばあい、たぶん、動物に類似した面貌つくろうとするモチーフ、あるいは人間の顔を関心の深い動物を見本に描いて見せようというモチーフが働いてであろうことは、確実であるとおもわれる。いいかえれば、他の自然存在のすべてから〈類別〉されたくなかったのである。
 
 そして顔面を刻んでいる描線の切り込みは、入れ墨というよりは、動物像に似せるために必然的に加えられたものとかんがえたほうが、かんがえやすい。もうひとつ、これらの顔面の刻線や小孔の文様は、原初の表出法のなかで一般的につかわれている。〈生命の脈絡〉を表象するものとみなすことができる。江坂輝弥(『土偶』)は、縄文土偶がほとんど女性像であると推定しているが、この推定をもとにして、なぜ土偶が造られ、あるいは埋められたかをかんがえるばあい、もっともわたしたちにかんがえやすいのは、胎児を、堕胎(間引き)したとき、胎児とともに、あるいはその代わりにこれらの土偶を〈母代〉)として埋めたのではないかということである。また、幼児が死亡したとき、その骨とともに、あるいは骨の代りに埋めたのではないかということである。このばあいには〈母代〉であるときも、死児自体の身体像であるばあいもあったにちがいない。
 
 原初の身体像で、手あるいは足(とくに手)の表出は、特異さを示している。S・ギーディオンは、アルタミーラ洞窟の土粘層に描かれた、三本指を圧しつけて擦った太線を手の形の先駆であると述べている。また、ガルガス洞窟(フランス)の指が切断された手形について記している。カプ・アハ洞窟(ニュー・ギニア)の手形、エル・カスティーリョ(サンタンデル)の手形になどついても、例をあつめている。わが国の縄文中期の土偶で三本指を胸においたもの(山梨県上黒駒遺跡出土)が見出されている。わが国の土偶では、手の表現は、それほど明瞭な手形のようなかたちではなされていない。また、手指の表現もあまり明瞭である例はみない。肩から横につき出された両方の腕部先に一本、二本、数本の刻線を加えて、手指と手そのもののあるいは腕部の象徴とするか、胸腹部から連続しる曲がった刻線によって、〈生命の脈絡〉を象徴しているものが大部分である。さきの腕を胸のところまでのばして三本指の手を胸においた土偶の表現は、むしろ稀なくらいでる。
 
 ここでも、すでにすべての自然存在から〈区別〉あるいは〈類別〉されてしまった原初の人間にとって、関心の深い身体の部分は、極度に強調されるか、あるいは極度に省略されるという原則にゆきあたるようにみえる。ではS・ギーディオンが記載している明瞭な手形だけの強調と、わが国の縄文土偶が表現している身体像における手の極度の省略との差異はなにを意味するのであろうか。時期のずれ、文化系統の相異などを考慮に含めたとしても、このちがいに何かがあるのかもしれない。
 
 手と足(とくに手)は、原初の人間が、その他のすべての自然存在から〈類別〉されてしまったとき、いいかえれば〈自体識知〉から〈対象識知〉を獲取しつつあったとき、もっとも大きく、動物との差異を象徴した。手は形態的にも、機能的にも微妙さと高度な働きを獲得し、足は手と離れて別個の役割をもつようになっていた。足の働きのうち動物ともっとも大きく異なってきたのは、〈静止〉の状態を脳髄の働きによって、意味づけうるようになったことである。この手と足の意味は、原初の人間が全自然存在から〈類別〉されて、いわば自然の〈他界〉へ入りこんだ原初の人間にとって、もっとも大きな意味をもったにちがいない。この手と足の大きな意味は、原初の人間の身体像にとって別格の処理のされ方を生みだすはずである。
 
 他の動物を含むすべての自然存在から〈類別〉されて、人間になりつつある人間にとって、まずはじめに〈類別〉にたいする拒絶がやってきたかもしれない。この拒絶や不安やいら立ちのようなものは、他の身近に捕えたり飼育したり、狩り、そして喰べたりする動物への共生感の願望の表出となったとみられなくはない。また、これは同時に、人間的な身体の特長にたいする拒絶、否認となった。頭部や手にたいする過剰な無視や省略のようなものは、このあらわれともいえよう。もちろんこの種の反応の仕方は個別的でありうるし、個別共同的でもありうるはずである。また環境や風土によっても異なることができる。ゴール人と縄文人のあいだに、ちがいが生ずることもできるはずである。しかし一般的に、他のすべての自然存在、とりわけ他の動物からの、質的な〈わかれ〉については、類型をかんがえることができそうにおもわれてくる。
 
 拒絶や共生願望にもかかわらず、原初の人間は、他の動物たちの世界から孤立した種として〈類別〉される。この〈類別〉の意識は、〈自体識知〉からおもむろにすがたをあらわす〈対象化意識〉によって自覚される。このとき、他の動物からの〈わかれ〉を拒んで、すがりつきたい心的な動きも、〈類別〉の標識となりそうな身体の部位を抹消したい欲求にも、それなりの意味づけの位置を与えることができよう。  もはやどうしても、他の動物と同一の類のうちにとどまることが不可能なようにみえはじめたとき、原初の人間には、呪的な宗教が、いいかえれば自然宗教があらわれる。またいいかえれば、〈自己聖化〉があらわれる。かれらの表出したすべての自然存在が〈聖化〉されるとおなじように、原初の人間の自画像もまた聖化される。かれらは、対象的観念のなかでのみ、すべての自然存在と交感することも〈化身〉することもできるようになる。
 
 原初の人間の、この〈自然聖化〉は、たぶん、自画像た他の自然存在の表出された像を、実在そのものとみなすという傾向のうちにあらわれる。刻まれた身体像は、実在の身体と変わらぬ意味をもっている。また、刻まれ、造型された動物の像は、動物そのものと同一視される。動物が射られ殺されるところを刻めば、実際に動物が射られ殺されることになるのだ。土偶の女性像のなかに、死んだ胎児や幼児の骨や遺品を入れたり、死児と一緒に土偶の女性像を埋めたりすれば、死児は母の胎内、また母と一緒に他界に行くということになるのだ。
 
 この状態をいいあらわすには、かなり微妙ないい方をしなければならない。
 つまり原初の人間は、他のすべての自然存在にたいして〈じぶんたち(人類)として類別されることを認めるから、君たち(自然存在)のほうでも、おれたちが仲間(つまり自然存在)の一種であることを認めて欲しい〉ということになる。この拮抗数は、どうかんがえても原初の人間にとって、多勢に無勢であるため、S・ギーディオンの述べているように、他の自然存在を〈恐怖〉したり、〈劣等感〉をいだいたりすることになるかもしれない。けれどこの考え方を固定化できないのは、原初の人間が〈自己聖化〉によって他のすべての自然存在に張りあうことも可能だからである。つまり、自然宗教が可能だからである。
 
 考古学者や人類学者は、〈原人〉ともいえる段階の人類がすでに一定の仕方で死者を葬ること知っていた痕跡があることを述べている。人間は他のすべての自然存在から〈類別〉されたとき、〈死〉の意味を一定の仕方で知っていたはずである。かれらは、〈死〉とは、じぶんたち生者が、死者によって、あるいは逆に生者によって、死者が〈類別〉されることだとかんがえた。そうだとすれば、死者は一定の仕方で〈現世の他界〉に存在しなければならない。これは体験的にいえば、じぶんたちが、動物を含む他のすべての自然存在から〈自然の他界〉へと〈類別〉されることから、とうぜんたどりついた考え方であったおもわれる。このようにして現世から〈類別〉死者は、つぎつぎと〈類別〉の段階を深めてゆく。三十年もたてば、死者はまったく他界だけの存在になる。こうなった存在は、なんとかして現世へと再生しなければならなかったかもしれない。妊娠によって腹部と性器や乳房が強調された身体像の女性の胎内に帰るとか、髪の毛にとまって再生するとか、いうように。
 
 いったん人間へと〈類別〉された原初の人間は、ながい時代を暗欝のうちに過ごした。この暗欝は人類が人間であることを、まったく受容するまでの時間であった。この時間のある途上で、原初の人間は身体像を表出したのである。
 
 
 文化科学高等研究所発行(2008年) 吉本隆明著「心的現象論 本論」より抜粋させていただきました。
緑色の彩色は、菅間が着けました。

 
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      ★ この稿、続く。       ★ aboutの頁へ戻る。