日付:2019年9月2日 

 故金杉忠男さんの「グッバイ原っぱ」~

 

故金杉忠男さんです。  

 

 

   ■    ■    
 
 
   「 グ ッ バ イ 原 っ ぱ 」
金杉忠男 著     
 
 
 <原っぱ>
 声にならない言葉をつぷやくと、なんだかとても恥ずかしい気がする。(ほんとは自分にも気づかれぬようにさっと心の奥の方にかくしたものがある。わりない切なさを。)
 この気恥ずかしさはどこからやってくるのだろう。
 真っ暗な防空ごうからつれ出され、父の腕に抱かれて見た東京犬空襲の紅蓮の炎の記憶。そんな自分の来歴からか。それとも、無限遠点からの視線でこの世界をみるとき、イメージとしてしか思い浮かばない虫の表現が恥ずかしいからか。また、思想の言葉として<原っぱ>はすでに語られてしまったからか。
 
 いずれにしても、いま<原っぱ>を語ることは、まだとても若かったころ、過去をふり返ることなど知らなかったころのガール・フレンドを夢にみるようでやっばり恥ずかしい。(恥ずかしさの裏側にそっとおりてみる。目もくらむ夏の輝く陽光。少年期の記億の<原っぱ>はいつも光のイメージとしてやってくる。)
 少年のころ、ぼくたちが占領していたあの<原っぱ>が姿を消したのはいつごろだったのだろう。(そう、ぼくらがあの夏の光を失ったのはもうずっと昔のことだ。)
 
 東京の下町でいまでも、露地や空地で遊ぷゴ供の姿を時折りみかけたりする。でも、その空間はぼくたちがとびまわって遊び呆けた露地奥や<原っぱ>にくらべて、なにか勝手気ままな解放感やエロスにかけているような気がする。そこはいまでは特別な、自由な時間が流れるような場所ではなくなっているように思える。子供たちの遊びもどこかせっぱつまっていて、無為の自由なイメージがない。
 露地をはさんで、ぼくの家の真向かいに小さな空地があり、子供たちが集まって遊ぷ姿を二階から時々眺めたりする。ある日、空地に打ち捨てられたソファを金属バットで一時間ほど殴りつづける少年がいた。(妻が語ってくれた夏草の中の光景をぼくはしばらく忘れることができなかった。ついこの間、まるでケーキのような白い家が建ち、その空地も消えた。)
 
 露地裏でべーゴマをまわし、メンコとビー玉を賭け、かくれんぼや駆逐水雷をやり、<原っぱ>ですき勝手に遊びまわり、バッタやトンボをとった。夏休みは川で一目中泳いで暮らした。笑う顔と泣く顔があった。そして、ぼくらは風に吹かれた。(空地で金属バットを振りあげる少年にむかった、ぼくらの時代の<原っぱ>はなどと、どうして語れよう。)
 
 長いこと<原っぱ>の物語を書いてきた。
 ぼくたちのつくる劇はいつからか、<原っぱ>物とよばれるようになっていた。
 お前が<原っぱ>を書きつづけるモチーフはなんであるのか。その手の質間をよく受けた。しかし、ぼくのなかでははっきりしていて、文学的な主題として<原っぱ>を書いたことは一度もなかった。演劇人としてのぼくは俳優の表現行為<演技>に特別な関心をもっていて、その俳優表現のための台本を書いていたからである。
 
 一九六〇年代、ヨーロッパの近代劇を規範とする演劇にとってかわって、新しい劇表現を模索するムーブメントがおこりはじめていた。この現代劇は当時アングラ演劇とよばれていた。新劇の俳優学校を出てまもないころのぼくは新しく生成しようとする演劇的なムーブメントに強く影響をうけ、特にその俳優表現には衝撃をうけとっていた。ぼくはまるで、歌舞伎の座付作者のようにただ役者をカッコよく見せたくて、少年時代を忘れかね、<原っぱ>に集まる異形の人物たちの物語を書きつづけた。ぼくの書く劇の言葉は、戯曲という文学的に自己完結しようとする世界へ向かうよりも、俳優表現との共同作業の方へ向かった。俳優が舞台でフイクショナルな行為をする、その演劇的な仕掛けを台本にしていたといっていい。
 
 そんなふうにぼくの演劇的なテーマは俳優<表現>だったのだけれど、作品構成の中心にいとも濃密な<原っぱ>のイメージが出現するため誤解が生じたのかもしれない。
 メモをみると、生涯を負けとおした人物たちを意識的に<原っぱ>に立たせたのは、つまり<原っぱ>物を本格的に書き出したのは、一九七二年のことだ。そのト書きにぼくは「わたしたちの原っぱは、わたしたちがとうになくした時間の中にしか存在しない」と書いている。
 
 <原っぱ>は<原っぱ>芝居を書きはじめたとき、とうに都市の片隅からその姿を消していたのである。ぼくはきっと、舞台の俳優の肉体そのもののなかに、不在の<原っぱ>を視たり聴いたり、もう一度あの風にふかれたりしたかったのかもしれない。
 七〇年代のなかばから八○年代にかけて、<原っぱ>芝居は表現の頂点をむかえていた。舞台で俳優は血を流し、骨を折った。(天野さんの文章はうれしかったな。「役者たちは日常性の檻から解放された猛獣のように美しく豹変する」天野道映。)そんな肉体と劇理念がウケた時代があった。
 
 そんなことがあって、項点をむかえると同時に<原っぱ>は少しずつ不可能になっていった。
 ぼくは劇構成に工夫をこらしはじめた。<原っぱ>はやがて、少年期の記憶との再会を願う主の人物たちの幻視なかに出現するようになる。時には精神病院に移しかえたりもした。異形の人物たちがばっこしたまばゆい夢のような<原っぱ>は作品の中心から退場し、ふつうのサラリーマンである中年男の記憶の旅、過去に向かう追憶が探し求める官能の<原っぱ>に変容していった。だが、どんないきさつがあったにしろ<原っぱ>はまだぼくの表現の内部に存在していた。
 
 けれど、八九年の芝居でぼくは<原っぱ>にさよならをいった。妻と別れ、北の地に赴任していく主人公の一人は、過去に向かう自分の官能を断ち切り、<原っぱ>に別れをっげてこう語る。「もう二度と、この町へかえってくることはないかもしれないよ……。自分の花の盛りをね、もっとずうっと先の方に望んでもいいと思ってさ、ぼくたちは……」(『シラノ・ド・ベルジュラック』)
 
 <原っぱ>は不可能になった。
 不可能になった理由を、演劇的にはすぐにいうことができる。俳優<表現>の身体のもんだいである。劇のエロスは俳優の身体<性>だけにあるのではなく、劇の言葉そのものにもあるのだが、劇の言葉はそれが舞台化されるときかならず俳優の身体をくぐらなければならない。書かれた言葉は語される声にかわり、テキスト上の、あるいは演出上の人間に対するイメージや概念は身体化され舞台上に立ち表われる。
 そういう意味でいえば、劇のエロスは俳優の身体にあるといっていい。しかし、この劇のエロスをになう身体は、現実の世界では自然な、生理的な生身の肉体であるから、時間とともに変化し、いえぱ自然に衰えてゆく。アバラを折ったり血を流す演技。そんな売り物はストリッパーの肉体と同じように長くはつづかない。俳優も歳をとり、劇が終われば、明日は勤めに出なければならない。
 
 また、それとともに劇表現の世界も、ほかの表現分野と胴じように、その虚構の度合いを浅<低>く見積らなければ成立しにくい時代をむかえていた。強く、大きな物語。そんなものは笑いのたねになるだけだ。(アングラ演劇はすさまじく変貌する杜会の方から相対化され、解体されつつあった。ぼくは六〇年代や七〇年代の演劇的な思い出を生きたくなかった。)時代の感性は余儀なく微細な表現を求めていた。
 それにしても、表現の内部で<原っぱ>が不可能になったぼくの内在的な、ほんとの理由はなんなのか。それをひと言でいうのはとてもむずかしい。
 
 <原っぱ>を書きはじめたときすでに、都市の片隅から<原っぱ>は消滅していたのだから現在の都市の変貌を理由にあげることはできない。(できないのだけれど、都市の変貌がどのように人間に影響をあたえるものか、そんなレベルがあることをぼくはかんがえてもみなかったのだ。)戦争中から緒婚して世帯をもつまで、ぼくが住んでいた家がとり壊されることになった。(八○年代の終わりの年だ。)その前夜、ぼくは巨大な魚の死骸のような家の中に入り、月明かりの縁側にしゃがみ込んで庭をながめた。少年期のすべての記憶を保証するために生きていた家だった。家の死は人の死よりも悲しかった。ぼくは自分の肉体の一部をもぎとられるように感じていた。これで根無し草の都市生活者になるんだな。これからは俺の書く芝居もずいぷん変わるだろう。ぼくは死んだ父親と兄にそれぞれさよならをいい、<原っぱ>にさよならをいった。
 
 吉本隆明は『ハイ・イメージ論』のなかで現在の高度な都市の全体像を考察し、映像都市という概念を提出している。<原っぱ>や下町の<民家>を古代からの連続体であるとして、そ礼は旧い都市像の基底をなすものであり、<広場>や<高層アパート群>は世界視線が関与してくる高度な新しい映像都市の基底であるとのべている(「映像都市論」)
 
 <高層アパート>に住み、会杜に出かけ、仕事をし、遊び、悲しみ、苦しむ。そして自分をいやす。この映像都市の中の<広場>を歩くぼくと同じ世代の都市生活者の声を劇の言葉にできないか。そう、ぼくはぼくの表現で<現在>に触れたいと思ったのだ。
 そういえば、借りものの言葉だが、ぼくの生活のスタイルや感性から古代から連統するようなアジア的なものがすべてといっていいほど失われている。(お盆になっても、死んだ父や兄に何もあげない。仏壇のかわりに写真が二枚あるだけだ。)こんなふうにいっても<原っぱ>が不可能になったほんとの理由のすべてを言い尽くせているわけではないが、まちがってはいない気がする。(ただたんに、ぼくは<原っぱ>をたくさん書きすぎたのかもしれない。)
 
 それにしても、とこのごろしきりに思う。
 なぜ、二十年近く<原っぱ>だったのか。<原っぱ>が終わったあとで、過去へ流れ込んでいった自分の無意識が気になって仕方がない。ぼくはかつて、なかば意識的に下町の体駿世界を捨てたことがある。新劇を学ぷためだ。捨てた女を憐れむようにぼくは<原っぱ>や露地裏を憐れんだ。そして、女に監視されているような不安。思い当たるふしだ。(しかし、どこにでも転がっているさ、こんな話は。)
 いちばん気持ちがよく、安心でき、なつかしくそこに帰りたいと願う場所。けれどけっして帰ることのできない場所。そんな場所の根源はどこなのか。母の胎内。羊水のなか。
 そうかもしれない。ぼくの無意識はいつもそこへ帰りたかったのだ。母胎のような<原っぱ>。
 ぼくたちの芝居に、このところしきりに<死者>が訪れる。こんどは、ぼくの表現の無意識は<死>に帰りたがっているのだろうか。
 
 ぼくたちもきっと、追い立てられ、せっぱっまっているにちがいない。金属バツトを振りあげる少年のように。捨てた女が夢の中でいう「もう、私のことは忘れて。……追憶はひとを不幸にするわ。」
 
   (1994年・春秋社刊・金杉忠男著「グッバイ原っぱ」より抜粋させていただきました。)   
 
 
   ■    ■    
 
 
     ★ aboutの頁へ戻る。