日付:2017年10月 

  「R・チャンドラーあるいは都市伝説について」(1)  村上春樹×川本三郎

neko

我が家を毎日のぞきにくる三本足の可愛い捨て猫。我が家では<サン>とか<さんぼん>と呼んでいる  

 
 
 詩と批評の雑誌「ユリイカ」の1982年7月号に、「都市小説としてのチャンドラー」のという題名で探偵小説の作家「チャンドラー」の特集が組まれていて、そのメインとして村上春樹氏と川本三郎氏の対談の掲載された。雑誌のもうひとつの特集は「追悼・西脇順三郎」で「荒地」の鮎川信夫、田村隆一さんたちが原稿を載せている。
 若い頃に読んだ村上と川本両氏の対談は、わたしにはとても刺激的で、何度も繰り返し読んで愉しんだことを憶えている。とくに、若い村上春樹さんの物怖じしないしっかりしたものいい、チャンドラーの小説方法を分析する言葉、じしんの小説の方法をとても判りやすい平易な言葉で語っていて、彼の初期の名作「羊をめぐる冒険」を読み解くヒントも彼の言葉のなかに含まれていた。
 この両氏の対談両氏のは、驚くほど長いです。
 わたしの極小の守備範囲でのことだが、この対談が単行本化、文庫化されたということを、見たことも聴いたこともないのが(あるのかも知れませんが)とても残念で、ここに、その約二分の一ほどをスキャンして、可能な限り誤字・脱字を訂正した。この対談、一度、読んでみて下さい。若い頃の村上春樹さんの映像が彷彿としてきて、楽しいです。
 村上春樹氏と川本三郎氏の「都市小説としてのチャンドラー」という対談、チャンドラー・ファンはもとより、村上春樹ファンにもお薦めします!
菅間 勇    
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
 
「レイモンド・チャンドラー あるいは都市伝説について」   村上春樹×川本三郎
 
 
  ★ チャンドラー読み始め
 
 
川本三郎氏の画像川本三郎  村上さんの「レイモンド・チャンドラー論」が、「海」の5月号に載って、これが非常に僕にとって面白かったのは、今まで推理小説という文脈でのみ語られてたチャンドラーを、都市小説という新しい文脈に置きかえて読み換えたという点です。前にも海野弘さんが『都市の神話学』で、チャンドラーについて都市小説として読んだことがあるんですけど、そういう流れで読み換えたということがまず非常に面白かったんですね。その辺から今日は、むしろ推理小説作家としてのチャンドラーよりも、村上さんのおっしゃるヘミングウェイ、フィッツジェラルド、それからトルーマン・カポーティに至るアメリカ都市文学の中のチャンドラーの話を進めていきたいと思うんですけど。
 僕は前に大森一樹さんから間接的に閉いたんですけども、村上さんはカート・ポネガットというよりも何よりもチャンドラーに一番影響を受けたんですって?
 
村上春樹  うーん、そうですね、ポネガットという人は、文体的に強烈なものをもっているし、そこにひかれた時期もたしかにあったんですですけど、僕の気持ちからいえば、チャンドラーという気はするんです。
 
川本三郎  いつ頃から読んでるわけですか。
 
村上春樹  チャンドラーは高校時代です。 
 
川本三郎  英文で?
 
村上春樹  ええ、英語半分と目本語半分だったです。チャンドラーの場合、訳がけっこう面白いんですよね。田中小実昌さんとか、清水さんとか、訳自体が面白いし。原文とは違った面白さってのがあったから。
 
川本三郎  そうですね。双葉十三郎さんが確か訳されてましたね。
 
村上春樹  ええ、あれ面白いですよ、『大いなる眠り』でしたっけ。
 
川本三郎  ええ、こないだ読み返してみて笑っちゃったんですけど、訳が非常に古くて面白いですね、ブラジャーのことを「乳当て」とかエレベーターを「自動昇降機」とか訳してある。「承知之助で、お嬢さん」なんていうのもある(笑)。
 
村上春樹  それから、グレープフルーツが「アメリカザボン」なんですよね(笑)。あれはおかしいですね。
 
川本三郎  今読むとね。
 
村上春樹  あと、バーボン・ウィスキーなんてあの頃はやっぱり一般的じゃなかったんですね。
 
川本三郎  なかったんですね。いちいち註がっいてたり……、
 
村上春樹  トウモロコシ・ウィスキーなんてね。それでもみんな味があって、訳が面白いんですよ。で、まあチャンポンというか、原本と訳本の両方で読んだのが多いですね。
 
川本三郎  マーロウっていうと、普通今目本で、例の「タフでなければ生きられない。やさしくなければ生きていけない、価値がない」という有名な文句ですっかり知れ渡ってしまったけれども、村上さんが読み始めた頃っていうのは、そんなにも、まだチャンドラー・ブームっていうのはなかったんじゃないですか?
 
チャンドラーの画像村上春樹  そうですね。あんまり、みんなピンとこなかったんじゃないかな、という気がするんですよ、マニアを除けぱ。それもマニアとしては推理小説という文脈で、どうしても読んじゃうし。だから、謎解きの都分が弱いとか、そういう批判てのはけっこうありましたよね。
 
川本三郎  確かに、推理小説のストーリーの面白さだけを追っていくと、そんなに面白くはないんですよね。人間関係がゴチャゴチャしちゃってて。
 
村上春樹  僕なんか『長いお別れ』なんて十何回読んで、それでもまだよく分かんないとこがあるんです、人間関係なんかね。
 
川本三郎  だから、その後出て来たロス・マクドナルドなんかと較べるとね、いかにも古めかしいという印象を受けたし、古典として祭り上げられているので、なんとなく近寄りがたいという気はしましたよね。
 
村上春樹  そうですね。僕はスピレーンなんかは同時代として読めるわけです。「E・Q・M・M」なんかですぐ翻訳されて新刊として読んでるわけだから。チャソドラーっていうのは旧刊なわけです。
 
川本三郎  そうですね。村上さんの、この都市小説論ていうのは、まだまだ、もっと展開して欲しいとこがたくさんあるんだけども、とりあえず、チャンドラーを都市小説の系譜に入れたってことは非常に面白いと思うんです。チャんドラーの場合の都市っていうと、ロスアンジェルスですよね。
 
村上春樹  そうですね。
 
川本三郎  このロスアンジェルスの魅力というか、非常に猥雑な都市空間としての活気みたいなものが、彼の小説の中によく出てると思うんですけども。
 
村上春樹  僕は前に、矢作俊彦さんていらつしゃるでしょ、あの方が「月刊プレイボーイ」の中で、チャソドラーの小説を実際にロス仁行って辿るという企画がありまして、それ読んで面白かったんです。ただ面白いんだけど、それはチャンドラーに対する関わり方として、ちょっとズレてるんじゃないかな、という気はしたんです。それがまあ、出発点ではあるわけなんですけれど。
 
川本三郎  彼は確か、ダディ・グースといっていた時代に『大いなる眠り』を「ミステリー・マガジン」で、マソガで描いてましたよね。
 
村上春樹  僕はそれは拝見したことないんですけど……。
 
川本三郎  彼は非常に、チャソドラー好きだということが知られてるんだけど。彼の場合も確かに、推理小説の、ハードボイルド側からの接近であって、都市っていうものからの接近がちょっと足りないような気はしますね。
 
 
  ★ Seek and Find
 
村上春樹  僕の場合はチャンドラーの方法論というのを、まあ変な言葉だけど、いわゆる純文学の土壌に持ち込みたいというのが最初にあるわけです。どうすりゃ持ち込めるかっていうところで、ずっと模索して来たという感じですね。
 
川本三郎  チャンドラーの方法論というと、何かいきなり大きな話になっちゃうけど。
 
村上春樹氏の画像村上春樹 早すぎますか?(笑) 僕は、チャンドラーのひとつのテーマというのは、英語で言うと「Seek and Find」という「探し求めて、深し出す」という……。 find した時には seek すべきものは変質してるというようなことがテーマだと思うんです。それが仮に、ミステリーという形態をとったにすぎないんじゃないかという風に捉えちゃうわけですね。僕の場合も、どうしても「Seek and Find」というように行っちゃうんです。『1973年のピンボール』の場合もそうだったし、今度書いたのはもっとそうなんです。そういう意味で、チャンドラーのやってたことを、ハードボイルドとは別の形で、自分なりに持ち込みたいというのがテーマなんです。
 
川本三郎  大体、アガサ・クリスティに代表されるようなミステリーというのは、ある事件が発生して、名探債が出て来て推理して、事件が解決して……というふうに非常に物語が収束してってエンディングになるわけですね。しかし、犯罪小説となると事件は解決するんだけども、より大きな事件があとに残ったままで、より大きな物語の姿が見えて終っていく。
 
村上春樹  そうですね.要するに find すべきものが先に見えてるか見えてないかの違いだと思うんですけど、ロス・マクドナルドの『動く標的』っていうのがあるけれど、あの言葉は非常に象徴的だと思うんです。初めに、例えぱ行方不明の何とかを探してくれっていう依頼が来ますよね。でもそれを探し始めるけれど、往々にしてそれがまったく違う事件になったりするわけです。結局、その「探してくれ」っていうのが依頼者のウソであったりして、どんどん変っていくわけですね。
 
川本三郎  「Seek and Find」で思い出しましたけど、映画のジャンルでも、その「Seek and Find」というのはひとつのバターンになっているんです。ジョン・フォードの映画で「捜索者」というのがありますね、あれが典型的な「Seek and Find」ですね。あるアメリカの批評家が、「ディア・ハンター」が作られた時に、「すべてのアメリカ映画は『捜索者』に原点が求められる」と、大胆な仮説を出したことがあるんです。なるほど調べていくと、「ディア・ハンター」というのは確かに、サイゴンの魔窟の中に入り込んでしまったクリストファー・ウォーケンをロバート・デ・ニーロが「Seek and Find」していく話ですね。それから、これは日本では地方で公開されただけですげども、ポール・シュレーダーの「ハードコァ」という映画がある。これは、ロスアンジェルスのポルノ地帯に入り込んでしまった娘を、ジョージ・C・スコットの父親が探して行くという話なんですが、これも完全に「Seek and Find」なんですね。それから一番典型的な例は、「地獄の黙示録」がそうですね。あれがやはり、ジャングルの中に消えてしまったマーロン・ブランドを、河を遡りながらマーチン・シーンが探して行くというバターンで、これも「Seek and Find」ですね。それでやっていくと、非常にアメリカ映画の中にそれが大きい……、数が多いということがわかってくる。緒局アメリカという杜会自体が、奥へ入れぱ入る程、なんだか訳がわかんなくなってくるという奥行を持ってる杜会だって気がするんですね。それが文学にもすごく出てるんじゃないか。
 
 
  ★ ゴー・ウエスト■ゴー・イースト
 
村上春樹  僕は、チャンドラーがロスを選んだっていうのは非常に象徴的だと思うんですげど、ロスってのは「Go West 」の終結点ですよね、それは、そこで Seek すぺきものが形式的に消滅したということになるわけです。で、「イージー・ライダー」っていうのが非常に面白いのは、あれは「 Go East 」なわけですね。
 
川本三郎  逆ですね。
 
村上春樹  あれはね非常に新しいテーゼっていうか……、テーゼって程のものじゃないけど……、だと思うわけですね。「二〇〇一年宇宙の旅」の場合、それが宇宙に行っちゃうわけだし。 Seek すべきものが見えないって言うか、あってもそれに対する信頼感が持てないって言うか、そういうのは非常に新しいテーマだと思うし。チャンドラーっていうのはそれをけっこう先取りしてたという気がするわけなんですね。
 
川本三郎  うん、だから「Go West 」で、フロンティアでどんどん西へ行くという希望の象徴であると同時に、そこがもう海で、その先は太平洋しかないというどんづまりの絶望がある、希塾と絶望がちょうど交差してるんですね、あそこで。
 今日、そのロスアンジェルスについて色々書かれているものを調べて来て、どういう風にロスアンジェルスがアメリカ人にイメージされているか、ちょっとフォローしてみたんです。最近ので一番面白い言葉は、自殺したロック歌手フィル・オークスの歌にある「世界はエデンの園に始まり、ロスアンジェルスに終わる」。これがいかにも、ロスの持ってる週末感みたいなものを表わしてるし、それから、ちょっと古い言葉だど、レイモンド・チャンドラーが最初に推理小説を書くようになった「ブラック・マスク」という雑誌があるんですけれど、その「ブラック・マスク」の創刊者と言われるH・L・メンケンの言葉で、ロスという町は「あらゆるヤマ師にとって肥えた土地である。イカサマ師はおそかれ早かれここにやって来る。そして、十ニカ月全部がヤマ師にとっての猟期である」……、非常にロスアンジェルスの持ってる、町のブーム・タウソ性をあらわしている言葉ですね、「あそこに行けぱ一発アテられる」っていう夢と、それからそれが崩れていくという、正に「Seek and Find」の街なわけですね。ロス・マクドナルドの『動く標的』にも出てきますが、あの町は新興宗教が多いところでもある。非常に病んでいるんですね。チャンドラーの、マーロウのいるところっていうのは大体ハリウヅドの近くで、ハリウッドという夢の町……夢と、片っぽでナサニエル・ウエストの『イナゴの日』に見られるような絶望がある町を見て育っているという、そこが非常に、チャンドラーの世界の面白さじゃないかという気がするんですね。『長いお別れ』のなかにもマーロウが自分のアバートの窓に立ちロスを見下ろし、警察の車や消防車のサイレンの音を聞きながら「この一千件の犯罪の夜の街で、人々が死んでゆき、手足をもがれ、飛んでくるガラスで切られ、ハンドルや重いタイヤに押しつぶされていた。人々がなぐられ、強奪され、頸をしめられ、暴行され、殺されていた」とロスの町を殺伐とイメージする箇所がありますね。
 
村上春樹  そうですね。僕はロスって町は行ったことないんで、よくわからないんですけど。川本さんは行かれたんですか?
 
川本三郎  ええ。日本人というのは、ニューヨークが好きになる人と、ロスが好きになる人と、二っタイプが別れるんだそうです。僕の場合はニューヨークが好きになったんですが、これは理由は単純で、僕は車が運転できないんで、車が運転できない人問にとってロスほど訳のわからない土地はない。ただだだっ広いんですね。だだっ広くてこう、自分の中で地図を持てない町なんですね。それと、あそこは四季がない町でしょ。
 
村上春樹  そうらしいですね。
 
川本三郎  で、しょっちゅうカンカン照りで。ウディ・アレンの「アニー・ホール」のなかにニューヨークっ子のアレンがロスで雪のないクリスマス風景を見て仰天するシーンがありましたが、それは老人たちにとっていい気侯であるわけなんだけど、四季がない、アクセントがないってことは、やっぱりなんか人間を狂わせるんじゃないかって気がして仕様がないんですよね。
 
村上春樹  ただね、リュー・アーチャーが面白いこと書いてたんですけど。人はみんなロスに四季がないと言うけれども、それはないんじゃなくて感じることができないんだ、っていうんですよ。面白いことは面白いんだけど、でもほぽないでしょうね。
 
 
  ★ 私立探偵を生む環境
 
川本三郎  ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーがそうだし、マーロウがそうだし、それから最近のハードボイルド・ヒーローのほとんどがロスじゃないですか、舞台は。
 
村上春樹  そうですね。
 
川本三郎  ロジャー・L・サンモンも確かロスですね。
 
村上春樹  だと思います。ただ、ニューヨークの場合は、警察権力っていうのがすごく確立しちゃってるわけです。だからマイク・ハマーなんかはかなり苦労してますね。
 
川本三郎  なるほど(笑)。
 
村上春樹  だから、私立探偵が自分で事件を解決するというよりは、マイク・ハマーの場合は捲き込まれちゃって、その中でタフになっていくような……、ロスの場合は西部の延長だから、警察権カというのは確立されてないわけです。非常に腐敗も進んでるし。そこでまあ、私立探債が存在せざるを得なかったということがあると思うんです。
 
川本三郎  何故ロスアンジェルスを中心に、私立探偵という職業が生まれて、何故ロスで、私立探債を主人公にした小説が生まれて来たかっていうのは、非常に面白いテーマなんですね。
 
村上春樹  まあ都市自体が、そうだと思うんですね。行ったことないから分からないけど。
 
川本三郎  ひとつには、海野弘さんが書かれていますが、ハリウッドというものがあって、ハリウヅドは当時……、一九二〇年代から、いわゆるハリウッド・バビロンて言われ始めたのが二〇年代、三〇年代からですから、非常にスキャンダラスな町になってきて、ブロデューサーがスターたちの私生活を探るために私立探慎を雇ったりするんですね。あるいは当時、ヘイズ機関っていう非常にモラルに厳しい……「こういうスキャンダラスな映画を作っちゃダメだ」というコードを設けたヘイズ機閑っていうのがあるわけですけども、それの部下として、例のピンカートンですか、探偵杜の連中が雇われたりして、人のプライバシーを暴いていく職業が、職業として成立していったという事情があるんですね。ハリウッドが持ってるいかがわしさどいうのが私立探債を生んだと言えますね。
 
村上春樹  あと、サンフランシスコと較べてみると、サンフランシスコっていうのはけっこう人聞的ですね。
 
 
  ★ 活カとLての犯罪
 
川本三郎  あそこは坂があったり、霧が出たり、非常にこう湿った部分もあるし。ロスと犯罪というといつも思い出すのは映画で、村上さんも観てるはずですけど、「チャイナ・タウソ」ですね。
 
村上春樹  ええ。あれはサンフランシスコでしたっけ?
 
川本三郎  いえ、ロスアンジェルスです。ほぼ一九三〇年代の後半の舞台設定ですから、チャンドラーと重なるはずなんですね。
 
村上春樹  うん、あれはかなり意識して作ってありますよね。
 
川本三郎  あの中でロスアンジェルスならではと思う要素が出てるのは、ロスってのは砂漠の中の町ですから、水というものが非常に貴重なものになるんですね。それがあの映画で鮮明に描かれていた。全都外から、配水バイプで送られて来てるわけでしょ、ロスの水っていうのは。だから水が外からこなくなれぱロスという町は成立たないわけで、そういう意味で非常に人工的に作られた町なんですね。その人工性というものが、チャンドラーの世界なんかにも入り込んでるんじゃないかって気がするんです。
 
村上春樹  僕は、「図式性」という風に感じるんですけども。人工性と図式性とは重なると思うんですけど、非常にあそこは作られた町ですよね。
 
川本三郎  ええ。で、さっき言った通りハリウッドがあって、富が片一方で集中するからヤマ師が集まって来たり、サギ師が集まって来たり、それからメキシコ国境が近いからメキシコから農民、ペオンが流れて来たり、太平洋の出口だから、今度はチャイニーズやジャバニーズがやって来たり、そういうので非常にいかがわしいインターナショナルというか、コスモポリタンな面も持ってるし……。ロスアンジェルスで最初にできた建物は留置所だっていう話まであるんですね(笑)。そのくらい犯罪の多い……、犯罪が多いというのば逆に言えぱ、町が生きてる町なんですね。今、日本でも、大体犯罪が多いところというのは生きてる町で大都市か、あるいは農村がどんどん住宅になっていく所ですよね、東京近郊とか。犯罪の多い町はそれだけ都市としての活力を持ってる所だったということが言えると思うんですね。ただ、チャンドラー御本人は、伝記なんか読むとあんまり都市の中に住んでたわけじゃなくて、海の見える海岸べりの、非常にいい所に住んでたんですね。
 
村上春樹  あのねえ、結局都市を書くには、都市に住めないっていう部分があると思うんです。それは一般的に言えることだと思います。都市の中にいると、どうしても呑み込まれてしまうんですね。
 
川本三郎  刺激が大きすぎるのかなあ。
 
 
  ★ 地方出身者と都市
 
村上春樹  ええ、離れた方が都市というのは見えるような気がしますね。高台に住んでましたよね、チャンドラーは。見おろしてるわけですよ。ただ、アメリカでも日本でもそうなんですけど、都市小説っていうのを書いてるのは、ほとんど地方出身者なんです。それはやっぱり、都市を生活空問というよりは、新たに与えられた図式としてとらえられるかどうかの間題だと思うんですけど。
 
川本三郎  うん……。畑中佳樹という若いアメリカ文学の研究者がいましてね、その人がこの間、南部学会という小さなグループで、南部出身の女性作家のフラナリー・オコナーっていますね、『賢い血』を書いた……、あの作家についての講演をやりましてね。それを聞きに行って非常に面白かったのは、フラナリー・オコナーの小説の中に……フラナリー・オコナーっていうのは一九五〇年代に小説を書いてた人ですけども……その人の作品の中に、南部出身の作家であるにもかかわらず、都市的な風景が非常に出てるという指摘です。特に目立つのは、ハイウェイ沿いの看板の描写が非常に多いというんですね。レストランであるとか、ドライブインであるとか、それからガス・ステーションであるとか。で、彼はそこから、アメリカの小説の中で、そういう都市の看板ですとかね、もうひとつ、ポンコツのクルマを野原の中に棄てるでしょ、ああいう風景が小説の中に出て来たのはいつ頃からかっていうことを調べて、結局いきつくところは、フィッツジェラルドの『ギャツビー』の中に求めるんですね。
 
村上春樹  目の看板……。
 
川本三郎  そうそう、目の看板が出てるってことと結びつけてね、そういう都市小説と言われてるものが、都市の風景を、小説の中のイマジネーションの換起剤として用い出したのはフィッツジェラルドの頃からじゃないかっでことをその畑中さんが言ってて、非常に面白かった。
村上春樹  そうだと思いますよ、やはり。
 
川本三郎  それ聞いてからチャンドラー読み返してみると、確かにね、バーの描写が多いんですよね。
 
村上春樹  多いですよね、確かに。
 
川本三郎  結局そのバーも、彼はいつもクルマに乗ってるわけでしょ、ロスに住んでるから。それで、クルマで走ってて、「あ、看板が見えた」……そこに入っていくという、そういう文脈の中でのバーなんですね。バーとかレストラン。
 
村上春樹  結局、何を描写でとりあげるかっていうのは、もの珍らしさだと思うんです。で、地方から都会に来ると、そういうものが溢れています。チャンドラーの場合はイギリスで育って、カリフォルニアに来て何もかも珍らしいわけです。俗語も珍らしいし、文化も珍らしいし……。そういうのを実によく自分で勉強して吸収してます。お読みになるとわかると思うんですけど、チャンドラーの小説は、一番俗語が多いです。他の、例えぱ、ロス・マクドナルドなんかと較べても多いですよね。異常なほど多いんです。それは、口ス・マクドナルドなんかが生えぬきのアメリカンであるのに対して、チャンドラーがイギリスで育った、そういうカルチャー・ショックみたいのが非常にうまくとり入れられてると思いますね。
 
 
  ★ モータリゼイション
 
川本三郎  なるほど。やはり、チャンドラーよりもうちょっと前になるのかな、例の、このあいだ映画になった『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のジェームス・ケインですか。あれなんかの小説にしても、結局最後、読み終って印象に残るのは、ストーリーよりも何よりも、街道筋のうらぶれた、あのガス・ステーションなんですね。ちょうどクルマというものが非常に大衆化してって、クルマによって町が作られていくわけでしょう。そういう、クルマによって成立した都市の中の、クルマに乗って仕事をしている秘立探償っていうものの持ってる、それこそ石油がなくなれば消えちゃうっていう危なっかしさですよね、非常に脆弱な存在っていうものが、ああいう風景の中に象徴されてるように思うんだけど。
 
村上春樹  僕もクルマ運転しないから(笑)……。都市というのは歩くと、これは都市としての象徴性が消えちゃいますよね。枝川公一さんの『ニューヨークの読み方』って本があるでしょ、あれと同じ企画で「太陽」で、新宿を歩いてみたんです。そしたら、詰まんないんですよね。生活のレベルとしては面白いんですよ。例えぱ洗濯物がいっぱい干してあったり、いろんな看板があったり。ただ、幻想の都市という象徴性で見ちゃうと、これは面白くないですよ。東からの視点というのはそういう雑多な部分を排除しちゃうわけです。
 
川本三郎  クルマを運転できる人はロスが面白いって言うし、歩くことが好きな人はニューヨークが好きだって言いますね。
 
村上春樹  僕も歩くのがものすごく好きなんで、延々と歩いたわけです、十何年問、東京の町を……。で、ある目突然、面白くなくなっちゃったんですよ。これはまあ、年のせいもあると思うんですけど。で、今、東京を離れているわけなんですけど……。編集の人はねえ、僕が東京に出て来ないって言うと、「じゃあ、私小説お書きになるんですか」って訊くわけです。でも、それは逆だと思うんです。離れた方が都市っていうのは見えますね。
 
川本三郎  ニューヨークに住んでる限りは、クルマなんてほんとにいらないんですね、歩いて行ける距離だから。その点、逆に大都会の方が、非常に人問的に見えるんですよね。人間との接触がとても多いですから、あの町を歩くということは。ところが、ロスを歩くと、人間とは一日も会わなくてすむ町なんですね、あそこはね。
 
村上春樹  だから結局、「ポバイ」なんかがニューヨークよりロスを取り上げるというのは、そこだと思うんです。
 
川本三郎  うん、わかりますね、それは。非常に無機的な町なんですよね。だから、ドライブインとか、ガス・ステーションとか、それが都市の表玄関になってくんですよね。
 
 
  ★ シングル社会のヒーロー
 
川本三郎  それからもうひとつね、フィリップ・マーロウの面白さ……、都市小説としてのチャンドラーで面白いと思うのは、これ、やっぱり独身者でしょ。
 
村上春樹 そうですね。
 
川本三郎  独身者の文化なんですね。私立探債っていうので結婚してる人ってほとんどいないんじゃないですか?
 
村上春樹  そうですね、離婚したとか、別居中っていうのが多いですね。
 
eureka川本三郎  私立探債ってのはほとんどが、シャーロック・ホームズを始めとして、都市に住んでる独身者なんですね。シングル・ソサエティの文化が生んだヒーローなんじゃないかなって気がするんですよ。その点では、カウボーイ文化と似てる。フロンティアの大荒野を、ひとり馬に乗って走っていくっていう、カウ・ボーイのイメージが、そのまま都市に持ってくると私立探債になるんじゃないか。ちょうどチャンドラーがアメリカ中で読まれ始めたのは、まァ戦後ですよね、『長いお別れ』にしても。戦後のアメリカというのはどういう杜会だったかというと、これはマイ・ホームの時代なんですよね。大恐慌があって、第二次世界大戦があって、男たちが家でゆっくりしてる時間がなかった時代がふたつあった。第二次世界大戦が終ってようやくみんながホヅとして、マイホームを求めるようになったのが、アメリカの一九四〇年代から五〇年代の初めにかけての時代だと思うんですよ。そういう時代の中で、逆にね、マイホームのソファの中で、実は男たちはチャンドラーの作ったマーロウの、シングルの魅カっていうものに惹かれてったのじゃないかって気がすごくするんです。
 
村上春樹  ただ、そのシングルの神話っていうのは、これはホントに幻の神話だと思うんです。シングルの杜会というのがホントに存在したかというと、これはもう象徴としてしか存在してなかったんですよね。だから、結局、早い話がウソ書いちゃってるわけでしょ。そのウソの前提としてのシングルしかあり得なかったわけです。
 
川本三郎 まあ彼、御本人は大変な愛妻家で、奥さんに死なれた時に自殺未遂したというほどの人だけれども。でもね、例えば例のロス・マクドナルドの『動く標的』が、ポール・ニューマンの主演で映画になったでしょ。結局あの時も一番良かったのは、ストーリーよりも何よりも、ポール・ニューマン演じる私立探債リュー・アーチャーが朝ひとりでね、起きてコーヒーをいれようと思ってもコーヒーがなくて、前の晩に捨てたコーヒーをゴミ箱から拾って来て、またお湯を入れるという、言ってみれぱ佗しいんだけど、その佗しさを、逆にダンディズムに変乏ちゃう……。あれがハードポイルドの良さなんじゃないかって気がするんです。
 
村上春樹  そうですね。
 
川本三郎  チャンドラーは、しつこいぐらい詳しく、彼が何を飲んでるか、何を食べてるかっていうことを、書くでしょ。朝もスクランブル・エヅグを作って、コーヒーとバンで食べたとか、ギムレットを飲む描写とか、バイプに刻みタバコを入れるとかね。ああいうのを詳しく書くっていうのは、独身者のダンディズムじゃないかって気がするんですよ。村上さんの小説にもそういうとこがすごくあるでしょう。
 
村上春樹  ええ、そうですね。
 
川本三郎  こだわるでしょう、そういうことに。朝、何を飲むかとか。
 
村上春樹  別に、モノにこだわるんじゃないんですよ。ただ、ウソを書いてるわけで、そのウソをウソとしてかっきり確立するために書かざるを得ないわけなんですよね。ただ、それをライフ・スタイルとして受けとめられちゃうと困るんです。まァ、困るわけもないんだけど、そもそもの狙いとは違うわけなんです。ウソっていうのは細都で固めていかないとウソにならないから、細都にやけに凝っちゃうんです、どうしても。  
 
  ★ 独身男性のナルシシズム
 
川本三郎  都市小説の魅力ってのは何かって考えていくとね、結局、シングルの人間……独身の人間の持ってる生活空問の面白さじゃないかと思うんですね。というのは、都市を自由に歩きまわれる人間というのはどうしたって独身者になりますよ。新宿の夜の町を見てればわかるようにね。大体、妻帯者、マイホームを持ってる人問は、そんな夜遅くまで歩かないし、夜半のオールナイトの映画館で映画も観ないし。たとえぱ、ニューヨークという町が、何故、十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて面白い町になったかというと、結局、ニューヨークっていうのは、独身者の町だったんですね。それは何故かって言うと、ヨーロッバから移住して来ますよね、人が。そうすると最初は家族を連れて来ないわけですね。家族を連れて来ないで、まず自分ひとりがどっかに下宿して生活しながら、お金を稼いでそれからようやく家族を呼ぷ。それが、ヨーロッバからの移住者がそうだし、それから、西部から一旗あげようと思ってニューヨークにやって来る連中も、やっぱり同じバターンなんですね。だからニューヨークという町はホテルと下宿屋がものすごく盛んになった町なんですね。ホテルと下宿屋が盛んになると、次に酒場と食堂と、それからエンターテイメントの場所としての劇場が盛んになってくる。だから、ニューヨークというのは完全に、あれはシングル・ソサェティが生んだ都市だと思うんです。ロスの歴史はくわしく調べていないんですが、ロスアンジェルスにもそういうことがちょっと言えるんじゃないか。私立探債というのはどうもね、男たちがひとりで生きてる空間が実にいいものなんだっていう……、男っていいなっていうね、何かそういう、男に対するナルシシズムを書いてるんじゃないか。
 
村上春樹  うん、そうですね。
 
川本三郎  ええ。大体、マーロウっていうのは恋人がいないんでしょ、あれ。
 
村上春樹  大体においていませんね。
 
川本三郎  特定の恋人っていないですよね。
 
村上春樹  据え膳は食わないんですよね(笑)。えらい人なんだ(笑)。
 
川本三郎  家庭を持ちたいっていう願望もないしねえ。  
 
  ★ チャンドラーの方法
 
村上春樹  チャンドラーの小説ってのは、チャンドラーが選択しながら書いてるんですね。例えぱ、状況がむこうから米るわけです、それに対する自分の反応というのを、ひとつずつ確かめながら書いてるんです。ただ、その反応がチャンドラー自身の反応かというとそうじぐないんですね。
 
川本三郎  ははあ。
 
村上春樹  却って逆の反応の方が多いんです。これは、小説書く基本方針のひとつだと思うんですけど、自分である状況を設定して、それに本当の自分であったらこうするであろうというものの逆を書いちゃう。で、逆、逆といくとどうなるだろうという興味みたいなものが、小説を書くひとつの面白さだと思うんです。チャンドラーは、そういうのは実によくやっていますね。だからチャンドラー自身の伝記読むと、かなり違いますよね。 。
 
川本三郎  うん、彼自身は愛妻家だからなあ。
 
村上春樹  ええ。だから、チャンドラーが独身者のある種の生活、ライフ・スタイルを書いたというのも、いわぱ逆々を行く面白さだという気はするんです。都市っていうのはその逆の方法論を呑み込んでいく容れものなわけです。例えぱ、田舎だとそれはできないですよね、逆々やると、非常にプレッシャーがかかって来ます。そういう意味で、チャンドラーは都市でしか在り得なかったわけです。
 
川本三郎  チャンドラーはダシール・ハメットがすごく好きで、これは、フランク・マクシェインの『チャンドラーの生涯』のなかにも引用されてるけども、ハメットについて、チャンドラーはこんなこと言ってるわけですね。「ハメットというのは、殺人をベネチア硝子の花瓶から取り出して路地に落とした」と。これがハメットだけじゃなくて、チャンドラーについても言えると思うんです。つまり殺人事件というのが、ビクトリア朝の屋敷の中で起こるゲームとしての殺人じゃなくて、ホントに生きてる人間が蠢ずいている都市の路地の中で起こるという……。で、殺人を入口にして、我々は実は殺人事件を解決してるんじゃなくて、殺人を通して都市の裏面を見てるんじゃないかって面自さを感じ始めてくる。大体、出てくる人間が歪んだ人間ぱっかりですよね。ちょうどカポーティの『冷血』なんかと一緒に並べているのと同じで。僕なんかね、探債小説っていうとすぐに、ニュー・ジャーナリズムの連中を思い出すんですね。あの連中はやっぱり、都市の汚れた部分ぱっかりを拾い上げようとしてるでしょ。都市っていうのは、むしろ汚れた部分によって魅力的になっていく、というようにね。それが徹底していたと思うんですね、チャンドラーも。
 
 
  ★ 死を欲求する都市
 
村上春樹  僕はね、チャンドラーの生きる道っていうのは、都市のエンターテイメントっていうか、興業みたいなとこがあると思うんです。
 
川本三郎  興業っていうのは?
 
村上春樹  演しもの……、ですか。
 
川本三郎  ああ。
 
村上春樹  <死>がなけれぱ、都市っていうのは意外と面白くないんじゃないかって気がするんです。例えぱ、「本目の交通事故、死亡何人」とか、無差別殺人とか。都市っていうのは、すごく<殺人>というか<死>を求めているような気がしますね。
 
川本三郎  ちょうど、チャンドラーとパラレルに……、もう少し前になるけれど、チャンドラーがロスを描いたとすれぱ、ニューヨークを正に都市小説として書いたのは、僕は、ヘンリー・ミラーだと思うんですよね。ヘンリー・ミラーっていうのは、ニューヨークのあのゴミゴミした路地、群衆が好きな人で、ヘンリー・ミラーの言葉の中に、「都市の夕暮れの群衆の中にこそ神がいるんだ」という言葉があるんですけど、ちょうどチャンドラーがろスを書いてたのと同じ時期に、ニューヨークにヘンリー・ミラーがいたってことはね、アメリカ全体が二十世紀の二〇年代、三〇年代に都市杜会になって来てるということがあると思うんですね、背景として。都市の生き生きとした美しい面と同時に、既にもう都市がある程度年をとっちゃって、廃墟を見 せ始めたということですね、都市における廃墟の部分に対するシンバシィというのは、ものすごくあるんじゃないですか。
 
   この項、続く
 
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