
金杉忠男。
劇にとっての幼年
1
劇の〈遊戯〉性という思念に、ずいぶん長いこと囚われ、関係を結んできた。だが、関係を結んだほどに、その理路を鮮やかなイメージとして手もとに残したかといえば、どうも、おぼつかない気がする。
劇の、とりわけ演技レベルにおける〈遊戯〉性にいま、〈幼年〉というイメージを重ねてみたいのだが、ただの小理屈を吐いておひらきになるのか、また理論的なイメージといったものに少し近づくことができるのか、いずれにしろ、やってみなければわからない。
もう長いことずっと演技についての批評のことばにわたしたちは出あえなくなっている。劇を根底からになう俳優の存在をかんがえると、これはやはり不思議な気がする。この不思議のいちばん奥まった場所には劇の〈現在〉という困難が横たわっているにちがいない。人間が人間を見つめるという単純な構造は劇の初源から何千年も生きつづけ、〈現在〉のもんだいとしてそれはいぜんとして生きている。この構造の内部には劇にまつわるいかがわしさ、退屈さがこめられている。そして、人問自身が長い時問をついやしてつくってきた宝石とエロスが同時につめこまれている。
2
劇は「見せる」ものであり、観客との関係のなかで、より生々しい力「微風よりも嵐、ささやきよりも叫び」が〈芝居らしさ〉であるとする意見に対し、太田省吾は異和を申し立てて、異質な劇の二つを指し示した。劇は「見えやすいものに重きを置」くのではなく、「よく見なくては見えない」ものを「見る目」によって「見られること」だ、という文脈にそくしてひとつを芸能性を前提とする「芸能としての劇」、そしてもうひとつを「通じにくいものだけが、表現するに値する」という表現論を前提に「表現としての劇」と名づけた(「受動の力-劇表現の可能性」)。
値する」という表現論を前提に「表現としての劇」と名づけた「受動の力-劇表現の可能性」。
太田省吾はここで、じたい劇を対象として、自身の表現の理念と方法を語っているのだが、文脈は否応なく演技上の〈芸能〉性と〈表現〉性というふくみをもっている。そのふくみがこの短い素描の前提である。
もしかりに、演技レベルの一方の極に〈表現〉性という概念を想定するとすれば、もう一方の極の概念は〈芸能〉性ではなく〈遊戯〉性ではないかと、わたしにはおもわれる。そして、演技の本質力もまた〈遊戯〉ではないかとかんがえている。
玩具やアニメの主人公になりきって戯れる幼児を見るとき、わたしたちがその世界に見出すのは、無為と発達との、倫理とエロスとの〈等価〉性である。
演技における〈表現〉性と〈遊戯〉性の概念とイメージのちがいをとり出してみる。
舞台上で、与えられたシチュエーションと言葉に対して、俳優が遊び戯れていると感じられる演技と、場面や言葉と対象的な関係にはいった俳優の表出行為(演技)が何かに拘束をうけ、奉仕しているようにみえる演技とを、見るものがうまく区別をつけられれば、〈遊戯〉性と〈表現〉性とのそれぞれ異質なイメージを手にいれることができる。〈遊戯〉性という位相のかれは、あたかも玩具に戯れる幼児のように言葉や相手役と関係を結ぶ。かれは演じているというより舞台で生きているように見える。「見せる」ことも「見られる」こともかれの関心の中心にない。遊びはかれの生の〈延命〉であり、〈構成〉であり、生への〈離脱〉であるように見える。
このとき、劇作品の主題や意味から俳優の行為は〈分離〉されている。〈分離〉という概念はとてもたいせつな気がする。劇を見て、たとえその作品がつまらなかったとしても、わたしたちは、ある俳優の演技に感銘することがある。そういう体験はしばしばおこる。このとき、わたしたちは演技を劇の総体から〈分離〉し、その独自の構造を見ているのだ。逆のこともおこりうる。たれひとりとして俳優には感心しなかったが、この劇作品はすぐれているというように。(この逆の例はじっさいにはなかなかないが)。この場合は、劇総体から演技の構造とは別なもう一つの構造、〈書かれた劇〉(台本)や演出家の理念とイメージを〈分離〉して見ているのである。みんな誤解するが、〈書かれた劇〉の構造と〈演ずるための〉構造とは俳優にとって離反することの方が多い。シリアスな、現在的な主題をもっ劇をみても、けっしてそれだけで、感銘するわけではない。むしろ、つまらない代物をみせられる場合が多い。その理由はかんたんで、〈演じられる劇〉(舞台)として独自の構造がかんがえられていないからだ。ちがういい方をすれば、俳優表現をどうするのかという問題がかんがえられていないためだ。〈演ずるための〉構造とは俳優がフィクショナルな世界へ入り込み、そこに生きるための仕掛けといったほどの意味である。〈書かれた劇〉は俳優の表出を支配する枷となるが、それはまた、表出行為の内部で本来的な姿を消失してゆく。いいかえれば、〈演ずる〉という構造の内部で、〈書かれた劇〉は変容するのである。
劇総体における演技の構造と表出課題とをはっきり意識に収めているものをさして〈遊戯〉性とよんでさしつかえない。そして、〈書かれた劇〉の主題や意味を観客にむかって翻訳するものを〈表現〉性とかんがえていい。かれは自身がになう構造と表出が劇そのものを成立させていることを知らぬものだ。俳優の拘束感や奉仕の不自由なイメージは〈書かれた劇〉の主題や意味からやってくる場合も、演出上の解釈やイメージからやってくる場合もあるが、それは登場人物の内面の表出という演技の定型となってあらわれる。したがって、〈表現〉は他者に何ごとかを伝達する。あるときはひとりで伝え、あるときは作品で伝える。これにくらべ、〈遊戯〉は他者に何ごとも伝達しない。あるときはひとりで遊び、戯れ、あるときは作品で遊ぶ。〈表現〉が〈書かれた劇〉の視線や演出の視線で世界を見ることだとするなら、〈遊戯〉はそれらの視線で世界を見ることを疑う目である。
〈遊戯〉とはじっさい「通じにくい」ものにちがいない。それは「よく見なくては見えない」も〈遊戯〉性の演技の特徴はちょうど幼年期の人問の遊びにみられるように〈身体〉的な表出となって舞台に立ちあらわれるが、〈表現〉性の特徴は〈観念〉的な表出に向う。これは〈遊び〉が本来、日常の世界からの〈延命〉、〈離脱〉を身体をもって行うというところからきているにちがいない。〈身体〉はほんとは、自分じしんにも自由にならない〈他者〉性として生きられている。劇の言葉の観念性は小説や詩や批評の観念にくらべれば、おおよそとるにたりないものだ。〈観念〉的な表出に向う〈表現〉の立場はそんなこともわからず、作者や演出家に奉仕しようとする。
『初期心的現象の世界』のなかで村瀬学は〈遊戯〉についてすぐれた見解を示している。子どもが大人の指示に従うのは〈規範〉にそっている時であり、それは〈倫理〉の世界である。一方、この〈倫理〉にそわない時が戯れの世界である。子どもの生はすべて遊びと思われがちであるが、実はこの倫理=遊戯の二重構造の相互移行の世界を生きている。そして、大人の世界にあっても遊戯は人間の規範化の枠組みを取りはらい、〈個〉が「類」へひらかれようとする「存在の仕直しの様式」である。この「規範化の枠組み」は演技において、硬化した定型となってあらわれる。
〈遊戯〉と〈表現〉の、二つの演技にあらわれたイメージのちがいはいったいどこから由来するのだろうか。
〈自已〉とは自分とじぶんとの関係にほかならないが、それは自己と他者との関係となって〈分離〉される。したがって自己と他者との関係は本来、自分とじぶんとの関係のあらわれであるといってよい。このかんがえは硬化する実体としての自己を〈自己〉とよばないことを意味している。
舞台は、現実の世界から昇華された虚構(観念)の場である。そこに上がるものは現実の自己(内面)をあらかじめ喪失しているといっていい。なぜなら、俳優は舞台では生身の人間でありながら現実の人間ではないからだ。俳優の〈自己〉とはだから、〈虚構〉化された自己、自己の〈虚構〉化であるほかない。それをわたしたちは舞台上の〈自己〉とよんだり、〈表現上〉の自己とよんだりしている。そして、〈遊戯〉性の演技において、舞台上の〈自己〉はその姿をかいま見せるといってよい。それなら、〈表現〉性の演技にみられる自己のイメージはどうかといえば、実体化された自己がそのまま舞台へ足をふみ入れるのだ。かれは自分に振りあてられた人物の内面を信じるように自己の内面を信じている。そういう俳優をみるとき、ほんとは何を見せられているのかといえば、もちろんその俳優の自己意識を見せられているのである。
〈現在〉たれも、自分とじぶんとの関係を手ざわりあるものとしてふれることができない。自己の喪失性を余儀なくされている。〈自己〉は虚構の構造をへなければ自分にやってこない。このことは文学の世界、ことに詩の世界において顕在している。現代詩がうまれたころのように自己の内面を、どう暗喩を使おうとそのまま表出できるとはたれもおもっていない。かえって、内面の表出は詩を成立させない。〈遊戯〉という構造でろかしなければ言葉が出てこないのだ。「詩は書くことがいっぱいあるから/書くんじゃない/書くこと/感じること/なんにもないから書くんさ」(吉本隆明『記号の森の伝説歌』)
時代や社会との関係性のなかでの〈表現〉のゆきくれ。そして、もちろん劇も同じだ。
若い劇表現を見て歩いて感じたことは、〈遊戯〉性の演技を基礎において、一見、貧しく見えるのだが、微細な場所でとても高度な質の作品をつくっていることだ。「青い鳥」「遊機械・全自動シアター」「かもねぎショット」などである。これらの集団は〈遊戯〉をつみ重ね、組織化して言葉や作品の意味の形成やイメージをつくりあげている。
能の演者を見ていても、主人公の内面を信じていたり、作品の主題をそのまま信じているかといえば、どうもそう思われない。すぐれた能役者ほど、演ずる行為の質は〈戯れ〉のようにみえる。
太田省吾の劇を演ずる中村伸郎の演技は、あたかも能役者のように、〈表現〉ではなく〈遊戯〉性を強く感じさせる風姿であった(円『午後の光』)。それは〈老年〉期の俳優の〈幼年〉の戯れのイメージのようにおもわれた。ほんとは手つづきを経なければ確定できないのだが、大野一雄の舞台の風姿もまた〈遊戯〉のイメージのひとつである。
視線をかえてみる。
岡鹿之介の「雪の発電所」は〈表現〉であり、同じように冬の風物をモチーフにしながら、絵はがきにもなったアンナ・メアリー・R・モーゼスの「冬のフージック・フォールズ」は、この老女画家の、幼女のような〈遊戯〉の表出である。
3
もう十五年ちかく〈原っぱ〉を書いてきた。
それは、たしかに〈原っぱ〉を主題に物語を書いてきたのだが、わたしのおもいのなかでは〈演ずるための〉構造をしつらえてきたのだった。フィクションヘの入口を、俳優の〈遊戯〉の構造を書いてきたといっても同じである。
〈原っぱ〉は幼年や少年の世界だ。だが、〈幼年〉は〈書かれた劇〉の構造の内部にではなく、演技の構造の方にその意味もイメージもなくてはならないはずであった。
心が残る。多くを述べることができない。
村瀬学は心的現象にとっての〈幼児〉について、つぎのように記述している。「幼児性とは決して、過ぎた発達段階のものではなく、今もなお私たちの大人の心的現象そのものの中に生きづいているひとつの生ける構造としてある。過去の構造ではなくまさに現在の構造としてある」(『初期心的現象の世界』)
劇総体の関係性において俳優は「生きる構造」であるといってよい。そして、そのイメージを〈幼年〉に重ねてみた。
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わたしは三十の頃、金杉さんと中村座のみなさんの作り上げる世界が大好きで、稽古場にもよくお邪魔をさせていただいた。金杉さんもわたしたち劇団卍の稽古を毎日のように見に来て下さった。金杉さんはわたしの稽古の途中で「菅間さん、ちょっといいですか」と稽古を止めて、俳優さんのよく演技のダメを出してくれた。「すいません、余計なことを言って」と、いつも被っている野球帽をとってニコニコしながら、また静かに稽古を見ていた。
わたしは、京成「荒川駅」で、金杉さんは京成「立石駅」で、たった二駅の距離で、よく相互に泊まりに行ったり、遊びに行ったりしていた。金杉さんは、礼儀正しく、にこやかな人とだった。
(菅間)
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