日付:2020年4月7日 

  「短歌の新しい波(1)」  吉本隆明氏の『写生の物語』を読む

「谷中の墓地」

JR西日暮里駅上の諏訪台通りにある浄光寺境内にあるお地蔵さん。  

 
 
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  短 歌 の 新 し い 波  <1>
 
 
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 短歌の新しい波と名づけたものの、そこへいくためにいくつかハードルをこえなくてはならない気がする。これはすべてわたしじしんがじぶんの短歌理解にいくつか懐疑をもちだしているからだ。
 
 
  鳴く蝉を手握(たにぎ)りもちてその頭をりをり見つつ童走せ来る
  夜の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ
  海に入りて遊ぶ女童(めわらは)寄る波の顔にかかれば声立てて笑ふ
  偃松(はひまつ)の下這ひいでし山の栗鼠首ねぢ向けて我を見あげぬ
★窪田空穂 くぼた うつぼ。歌人・国文学者。『鏡葉』1877年~6月~1967年4月  
 
 これは空穂短歌の特徴を背負って、人が景物のなかにいたり、景物の外にいたりする写生の歌とうけとれる。その特徴をいってみれば、音韻の刻み具合がなだらかで、おなじ間隔で小さく、上波形と下波形がおなじリズムで上下している。そのため温和な、静かな印象をあたえる。もう少しいえばとてもいい作品だが、最後には窪田空穂の謎にぶつかる。引用したどの作品をとってもおなじだが、蝉を手ににぎってときどきその頭のあたりに眼をやりながら、子どもが走ってくるとか、海べでよせてくる波とたわむれて遊んでいる女の子どもたちが、ときどきそのしぶきを顔にうけてしまって、笑いあっているとかいう光景を淡々としたなだらかな抑揚で詠んでいる。なぜ、どんなモチーフから、どうして詠んでいるのか。はっきりした景物の写実的な把握に詩的なモチーフを賭けているのでもないし、唱われた景物が特異なものでもないから、ことさら興味ぶかい光景が切り抜かれているともおもえない。こんな言い方をすると実作者の方から、これらの作品がどんなに巧みで優れたものか、またこれだけの叙景に到達するのはどれだけ大変か量りしれないという異議が出そうな気がする。だがそうだとしてもこれらの作品の作歌のモチーフは謎だとおもえてならない。
 
こんなふうに日常生活の合間にぶつかる光景を、淡々と抑揚の誇張をつけずに唱うことが、短歌の形態感覚にとって本来となりうるのだろうか。あるいはまたパズルのように、ある光景のなかに入りこんだり、外にでたりして、ひとつのまとまりを言葉で作りあげる作業が短歌だとみなされているのだろうか。考えは四方八方に走るがどれも決定的でない。そこが謎だとおもえる。もう少し内に入りこんでみる。空穂の作品は光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入りこんでいて、それも光景の内包として勘定に入れられている。引用の二番目の作品でいえば、光景とそれを眼のまえで見ている眼の関わりだけでいえば、ただ冬木の枝や幹が氷に包まれて張りついているところだけなのだが、それが夜のうちに降った雨があけ方凍りついてそうなったのだという主観的な判断がくっついている。しかもこの主観的な判断が判断としてではなく、眼の前の光景の由来として光景の一部のように表現されている。たぶんこの特徴までいえば空穂短歌のすべての特色にとどくような気がする。謎は謎としてあるのだが、謎の感じを引っこめてもいいようにおもえてくる。
 
 
  朝目覚め雨かと問へばうなづきし暖かき雨暮るれどやまず
  相模なる曽我のあたりの小粒梅実ははかなかれこもる味よき
★窪田空穂『清明の節』  
 
 光景や事柄のうしろにもうひとり影の人物(作者自身)がいて、作歌している作者とどれだけ和解しているか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持よさが空穂の短歌の特徴ではないのかとおもえてくる。
 
 
  彼岸(かのきし)に何をもとむるよひ闇の最上川のうへのひとつ蛍は
  蛍火をひとつ見いでて目守りしがいざ帰りなむ老の臥処(ふしど)に
  戒律を守りし尼の命終(みやうじゆう)にあらはれたりしまぼろしあはれ
★斎藤茂吉『白き山』  
 空穂短歌と比較すればすぐに分るが、第一に抑揚のリズム構成が不規則で、大きな波形があるかとおもうと小さな波形がつづき、またちがった大きさの波形がくるといった具合で、音韻と抑揚の視線から、茂吉のいわゆる生命を写すという写生は、刻みの深浅が不規則で内部生命だけに依存して造成されている状態をさしている。どうしてそうなるかといえば、茂吉にとって光景や事物を写しとるということは、じぶんに固有な生命力の形を立ち上らせる過程を意味していると、読者の側からはいえてしまう。作者のほうはそういうはずがなく、じぶんの景物や事物の切りとり方はとても切削力がつよく、選択が独特だから、それがじぶんの生命カを写すことになっていると主張するにちがいない。空穂のばあいとおなじ言い方をすれば、作歌のモチーフはとてもはっきりしていて、短歌の抑揚、音韻、音数律、対象の把握の仕方のすべてをじぶんの生命力の写生に動員しつくすことだといえばいいようにおもえてくる。
 
 
  東北の町よりわれは帰り来てああ東京の秋の夜の月
  税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりありああ馬のかほ
★斎藤茂吉『つきかげ』  
 
 この作品はふたつとも、じぶんの生命力を起そうとして中途でとまってしまった姿にみえる。なぜそうなったかといえば、老齢のこともあって起してリズム化するだけの生命カが衰えてなくなってしまっているからだ、といっていいとおもえる。この種の中途半端な感じは空穂短歌にはおこり得ない。はじめからじぶんの生命力をたたき起そうとせずに、じぶんと、じぶんの影であるじぶんとの和解の仕方を作歌の風姿としているからだ。ここまできて短歌作品を抑揚と音韻との固有の遣い方として読むことの方が、歌人の個性的な感受性や表現方法の違いとして評価するよりも妥当ではないのかという思いがしてくる。評釈の仕方をかんがえ直すより仕方がないようにおもえる。
 
 
 
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 いまことさらに生命の写し絵のなかに切迫感がひとりでに(境遇上)表出されてしまっている作品をとりだしてみる。
 
 
 山の上に吾に十坪の新墾(あらき)あり蕪まきて食はむ飢ゑ死ぬる前に
 朝々に霜にうたるる水芥子(みずがらし)となりの兎と土屋とが食ふ
 春の日に白髪光る流氓一人(りうぼうひとり)柳の花を前にしやがんでゐる
 ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し
★土屋文明『山下水』  
 診断を今はうたがはず春まひる癩(かたゐ)に堕ちて身の影をぞ踏む
 幾たびを術(すべ)なき便りはものすらむ今日を別れの妻が手とるも
 眼も鼻も潰(つひ)え失せたる身の果にしみつきて鳴くはなにの虫ぞも
 鳴き交すこゑ聴きをれば雀らの一つ一つが別のこと言ふ
★明石海人『白描』  
 生きのこるわれをいとしみわが髪を撫でて最期(いまは)の恋に耐へにき
 真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ
 これやこの一期のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
★吉野秀雄『寒蝉集』  
 
 飢えと貧、かつての業病、妻の死、それぞれ崖っぷちにある生命の切迫感を唱っている。ところでこの生命の切迫感は詠まれているそれぞれの主題の中味からくるのだろうか。ひと通りの意味でいえば、土屋文明の引用歌は敗戦後の飢餓状態のなかで唱われていた折の哀切さが主題だとわかる。吉野秀雄の歌は死に近いときの妻の性と愛が唱われていることが、言葉の意味内容からわかるようになっている。それでわかるように一首ずつの切迫感は歌人たちの表現の仕方と表現された意味内容とからやってきているといっていい。そしてそのあとから、ほんとにそれだけだろうかという疑問がやってくる。それを意識してとりだしてみると、二つほどある。
 
 ひとつは飢えや貧の切迫感のばあいも、不治の病気の宣告のばあいも、肉親の死に近い切迫感を唱ったばあいにも、内在音韻の共通した色合いがあるようにおもわれることだ。黙読になっても文字を読みながら頭のなかで無声の音に代えてうけとっている。その無声の音の色合いが生命の切迫の傾き具合をあらわしていて、わたしたちはそれを言葉の意味の表現といっしょに、まぎれてうけとっているのではないかとおもえる。もうひとつのことが思い浮んでくる。この種の生命の切迫感を短歌が表現しているとき音数律は無意識のうちに内部音韻と抑揚に転位している。そのため、少くとも読む意識は音数律を無化してしまっているとおもえることだ。わたしたちはこのあたりで短歌詩型の秘密に当面しているはずだ。たとえばわたしたちがもし、内在的な音韻と抑揚が生命の切迫の色合いをもつという基準から作品に接しようとして、表現された言葉の意味のつづきを第二義的なものとみなしたらどういうことになるか。春夏秋冬の自然詠だけは漠然としたままで変らないかもしれないが、「別離」や「哀傷」の古典的な区分けは、切迫と非切迫の度合によっておおきくちがってしまう気がする。
 
 
 うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か
 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す
 死(しに)すればやすき生命(いにち)と友は言ふわれもしかおもふ兵は安しも
★宮柊二『山西省』  
 
 をさなごよ汝(いまし)が父は才(ざい)うすくいまし負(おぶ)へば竹群(たかむら)に来も
 病める子よきみが名附くるごろさんのしきり蹄く夜ぞゴロスケホウッホウ
 新しきとしのひかりの檻に射し象や路駝はなにおもふらむ
★同『日本挽歌』  
 
 まえの三首は『山西省』のなかの文字どおり生命の受難の限界のところで唱われた切迫感の言葉から成り立っている。あとの三首は『日本挽歌』のなかの主題からいえば日常性のひとこまの場面の歌だが、無声の内在音韻はどちらもおなじ生命の切迫を伝えてくる。それはなぜだろうか。ふつうの言い方で資質がもっている固有のリズム感が切実だったというのが、さしあたって妥当のようにおもえる。たとえば、幼い子どもを背負ってお守りをしながら竹林のところへやってきた散歩のひとこまと、〈おまえの父おやは才能が乏しい〉という述懐は、ふつうならば重々しくて切実すぎて結びつまないだろう。だがこの歌人が結びつけると、いわば資質的な自然として成り立ち、生命の切迫感を伝えるものとなる。これは三首目のお正月に遊びに動物園に出かけていったこころを、軽くすませることができず、言葉のない象や駱駝がたくさんの物思いかくしているように感受する重々しさでもおなじだ。もっと極端に言葉が意味するものと内在的な音韻や抑揚とが矛盾してしまう例を、すぐに挙げられる。
 
 
  不可思議のしづけさつくる音にして小さき時計の秒すすむ音
  娶らんとする青年が欲しと言ひ贈らんと言ひ釜買ひに出づ
  惑ひつつ梅雨ふかき道にいでてきつわが妻襤褄(らんる)子らも襤褄
     ★宮柊二『日本挽歌』  
 夜、小さい時計が小さい時を刻んでいる。結婚する若者に何か欲しいものないかといったら、釜が欲しいと言ったから、釜を買いにでた。梅雨でぬかるみがふかい道になっている、出ようかよそうかまどいながら道にでた。妻も子どももお粗末なもの着てるなとおもった。これだけのことは資質に固有な内在的な生命リズムが浅く軽かったらポエジーを構成しないだろう。そうかんがえるとこの歌人の特徴は言葉が叙述する意味内容と内在的な音韻や抑揚の切迫性との極端な矛盾から成り立っているといえるような気がする。わたしたちは短歌的なさまざまな主題が固有の音数律を、すこしはみだしたり意識的にちぢめられたりして作品が成り立っているとかんがえていても、何もさしつかえがない場合もある。だがこの考え方は音数律が内在的な音韻と抑揚に転化して短歌的な生命の切迫を伝えるように思えた場面へくると成り立たない。第一に短歌においても主題はさまざまありうるという概念が成りたたなくなる。この論のはじめに返った言い方をすれば、短歌的な主題は叙景や叙事のなかに、景物や事物を叙するわたしが内包されているか、その外にあるか、またその極限のところで生命の切迫であるか、または叙するわたしとわたしの影との対話であるかというところに還元されてしまう。そして短歌の主題の多様さとみえるものは、これらの共通性のなかのさまざまな影の反映にすぎないとかんがえられてくる。
 
★ 吉本隆明著『写生の物語』2000年講談社刊。「短歌の新しい波 1」より抜粋させていただきました。

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      ★ この稿、続く。       ★ aboutの頁へ戻る。