日付:2020年4月7日 

  「短歌の新しい波(2)」  吉本隆明氏の『写生の物語』を読む

「谷中の墓地」

JR西日暮里駅上の諏訪台通りにある浄光寺境内にあるお地蔵さん。  

  短 歌 の 新 し い 波  <2>
 
 
 
 短歌の表現が自由の感じを与えないのはどうしてか、また自由の感じを与えるのはどうしてか。これが新しくわたしを疑問に駆りたてるもうひとつの主題だ。そういうよりもわたしがいままでいい加減にしてきたもうひとつの主題だといったほうが正直にちかい。じぶんでは原因を歌人の個性や作歌の方法の師伝や流派の傾向に帰着させて済ましてきた。これは短歌表現の自由さや不自由さについてのじぶんの好みということに対応するばかりで、身も蓋もない。定家は実朝に乞われて歌の心得を説いた「近代秀歌」のなかで、本歌を取るばあいには<なだらか>に取るべきことを説いている。<なだらか>とはどういうことか、ほんとうにかんがえると難しい気がする。それが証拠にというのもおかしいが、わたしが実作を検証してみたかぎり実朝は『金椀和歌集』のなかで、<なだらか>でない語句、けば立っている語句だけを『万葉』の歌のなかから択んで本歌をとっているようにおもえる。以前は実朝がその点だけは、あえて師伝に従わなかったのだとおもっていた。だがいまでは<なだらか>という意味を本気でかんがえ直した方がいいような気がしてきた。
 
 
  この町の空にもつらなりて雁飛ぶと望楼に働く青年は告ぐ
(柴生田稔『麦の庭』)   呼びかはし鳴くもずのこゑなほ聞え湯のごとき雨降りゐる夕べ
  指傷つける投手のために今日の夜を雨降ることもわれは願ひぬ
  貧しかるわれのおごりと手をかざす白陶の鉢の中の赤き火
(同『入野』)   新しき床よろこびて幼子の走りやまざる音の聞こゆる
(同『星夜』)
 
 
 これらの作品は<なだらか>でないと感じさせる。その理由は詠まれている事柄にくらべて、表現の仕方が大げさだと読者に感じさせるところにあるとおもう。
 望楼(火の見やぐらのことか)で働いている青年が、空ばかりみているとこの町の上にも雁が姿を連ねて渡ってゆくのが見られるときがありますよと、お喋りのなかでふと言った。どこからみても愉しく軽い挿話なのだが、一首の言いまわしは重々しくぎこちないものに聞える。温かい雨が降りだしたのに、もずの鳴きかわす声がまだしているなという一瞬の想いを詠んでいるの一首は緊張しすぎた響きをつたえる。あのひいきの投手は指の血まめをつぶしてしまったそうだが、雨がふって試合が中止になり、あの投手が休んで痛めた指を休められたらいいなとおもった。それにしても一首にもられた作者の願いは、運命にたいする願いのように重々しく感じられる。最後の一首もそうだとおもう。床板を張り替えたので幼い子が嬉しく珍らしがって走りまわっているのが聞える。愉しく軽いひとこまなのに一首の声調は重々しすぎる。
 
 定家のいう<なだらか>という概念をつかうとすれば、作者のなかに短歌的定型の表現を、すべて<意味>でおおいつくそうとする衝動があり、それが一首からなだらかさを奪っているのだという言い方ができそうな気がしてくる。それは柴生田稔にとっては避け難い(やむを得ない)短歌にたいする誤解のようにおもえる。それはこの作者の成功作を見てみればわかるようにおもえる。
 
 
  やすやすと時の力になびくさまなべてありし日に変ることなし
(柴生田稔『麦の庭』)   十幾年そのままにして過ぎて来つ外れる雨戸のことのみならず
  色ならば寒色なりと二十五年つれそふ妻がわれを言ひたり
  わが心さびしく和み月かげに照りたる麦の畑に添ひゆく
  牙落ちて老ゆれば餓ゑて死ぬといふ獅子の境界は簡明にして
(同『入野』)   窓の入日まどかに紅きころとなり二十年の日月まぼろしのごと
(同『入野』)  
 
 ようするにこの歌人が「寒色」であるじぶんの資質を運命のように見つめている姿が歌われるとき、<なだらか>が成就しているようにみえる。また外れたまんま、あまり気づかれもせず、また気づかれたとしてもどうにかしたいという思いを喚起しないような存在にたいする愛着が、この歌人の生命なのだというべきだろうか。望楼に上って空と街とを見張るのを職業とする青年が、作者は好きなのだとおもう。その青年があるとき、こんな都会の街中でも雁が列をなして渡ってゆくことがあるんですよと語ったときの感動がこの歌人の生命なのだ。だがこの感動は、短歌形式にも散文形式にもなりそうもないものだった。残念なことに現在までのところ、この種の感動は文学の表現になりえないが、実生活に生命を与え、その生命が積み重なって人々の生涯の運命の色合いを決定しているにちがいない。
 わたしはもう少し、短歌の<なだらか>でないものに固執してみたいとおもう。
 
 
 幸はきれぎれにしてをはるともけふあこがれてゆく潮があり
(生方たつゑ『白い風の中で』)  樟脳くさき風がにほへば少年の骨粉をおもふ忽然として (同『海にたつ虹』)  病みやすき夫を置ききし旅にして城もみづうみもわれを奪わず(同『紋章の詩』)  生卵のみくだしつつしくしくにこころ悲しも霜の夜のあけ
 ゼラニウムあか紅と花の咲く苑に夏期大学の午(ひる)の電鈴(ベル)鳴る
(木俣修『みちのく』)  大ねずみ小ねずみの態(さま)ふるさとの榧(かや)の木の実を子と食みきほふ
 (同『去年今年』)  雪山の裾の濃闇のひとところ伊那春近(はるちか)の黄(き)の灯(あかり)澄む
(同『愛染無限』)  母のくににかへり来しかなや炎々と冬濤(なみ)圧(お)して太陽沈む
(坪野哲久『百花』)  憂ふれば春の夜ぐもの流らふるたどたどとしてわれきらめかず(同『桜』)
 胸うちになみだ点じて生くべしと春野の霧(きら)ふさいはひをみぬ
(同『留花門』)  
 
 これらはみな<なだらか>でない作品だとおもって挙げた。どうしてなだらかでないのだろうか。わたしの空想をくりひろげてみるとこうなる。あるとき、時代は生活の歌と生活そのもののはっきりした距たりを、短歌的定型によって架橋せよと指令した。そしてこれらの歌人たちはどうしてもなだらかでない作品を産みだすほかなかった。どうしてかといえば生活の歌と生活そのものの距たりは、短歌が起源このかたはじめて遭遇した事態であり、それは短歌的な定型で架橋できる筋合いのものではなかったからだ。それはこれらの歌人たちの秀作を挙げてみればすぐにわかる。
 
 
  人思ふうた一つだになく過ぎて清しむといふ生(いき)のかなしみ
(生方たつゑ『浅紅』)   風白く充たすうしほに照りながら鴎らがするこのあさの弥撤
(ミサ)(同『鎮花祭』)   地平の果もわが佇つ丘もさばかるるもののごと鎮み冬の落日
(木俣修『冬暦』)   寂かなるふたりのときかわが背に灸すうる妻がかすかなる息(いき)
(同『呼べば谺』)   冬なればあぐらのなかに子を入れて灰書きすなり灰の仮名書き
(坪野哲久『桜』)
  風青くふきたつときにかすかなる虫のいのちも跳びいそぐなり
(同『一樹』)  
 
 じぶんの妻から背中に灸をすえてもらっているひとこまも、また生活そのもののひとこまであり、それはここでは生活の歌と距たっていない。それは短歌的な定型が、主題を生活そのもののひとこまから取っているというだけで、生活の匂いをすべて消してしまっているからだ。つまり生活の歌ではなくほんとは情念の揺らぎの歌だからだ。あぐらのなかに小さな子どもを包みこんで、冬の火鉢の灰に火箸で字を書いたり消したりしている作者の姿もまた、生活のひとこまの濃密な憩いの瞬間にちがいない。でも歌いたいと本気でおもっているのは生活ではなくて、得もいわれぬ親子の情念とじぶんの志すものとの一致の瞬間なのだ。このなだらかな秀歌の瞬間は、私感情に凝縮しているからなだらかで、生活の歌を大文字で歌いあげようと意志するとなだらかでない不自由な歌ができあがってしまう。
 
 つまりこれらの歌人たちが本音の資質を隠して社会生活派の表芸につこうとすると不自由になってしまう。そう解釈してもたぶん成り立つにちがいない。だがどうもそう解したくない思いがしきりにやってくる。これらの歌人たちの私感情の豊かさと、生活感情の貧しさの乖離が、<なだらか>さと<なだらかでない>声調の乖離となってあらわれているのではなく、生活感情の歌を、じっさいの生活感情と結びつける方法を短歌がもっていないために、こんな乖離が産みだされていると解釈したい気がする。いいかえれば時代の生活相が、短歌的な表現を私感情に凝縮させるか、または生活歌を生活相と乖離させるか、どちらかを択ばざるを得なくさせ、その中間を許容しない地点を不可避的に通過していた。それを逃れることは短歌的表現にはできなかった。
 
 たとえば明治の啄木の歌を生活歌とする見方は成り立つだろう。だがわたしには啄木の生活歌が成功しているのは、例外なく心理の揺れを一瞬だけ定着できたものに限られるとおもえる。いいかえれば生活の瞬間にやってきて消える心理の歌だと言った方が、生活歌というよりも確かだとおもえる。生方、木俣、坪野の作品に生活歌を生活歌として作ろうとする時代的な必然が、短歌表現の歴史のうえで存在した。だが生活歌がほんとうは私的な生活感情のひとこまとして凝縮されたときだけ<なだらか>な秀作を産みだす結果になった。短歌的表現の定型にはまだ何かが熟していないと感じさせることになった。これを一般論の形でいうと、短歌的な表現では見かけ上どんな生活の場面が歌われていても、その場面は主題という概念から遠ざかってゆくよりほかに、<なだらか>な作品は産みだされないのではないか。これはもっとラジカル言い方もできる。短歌的な表現がうまく成り立つためには、主題という概念は無化されなくてはならない。これはさらにラジカルな言いまわしになるようにもおもえる。主題という概念を言葉の<意味>による物語化ということだとすれば、短歌的な表現は、<意味>、ことに生活の<意味>から無限に遠ざかることによって、はじめて成り立つようにおもえるということになる。すくなくとも短歌的な表現は、昭和のある時期に鋭くこの課題に衝突したのではないか。
 
 
  早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ
(葛原妙子『橙黄』)   かりかりと噛ましむる堅き木の実なきや冬の少女は皓歯(しらは)をもてり
(同『飛行』)   少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて
(同『原牛』)   この子供に絵を描くを禁ぜよ大き紙にただふかしぎの星を描くゆゑ
(同『朱霊』)   自転車に乗りたる少年坂下る胸に水ある金森光太
(同『鷹の井戸』)  
 
 これらの短歌作品の主題は、少年や少女かどうか。ここでわたしたちはふたたび啄木が生活歌で当面したこととおなじことを、ひとまわり次元の上がったところで当面している。たしかに作品は少年や少女を歌っているからそれが主題だと言いたいところだが、だがほんとをいうと少年少女が主題だと、すこしばかり言えるのは最後の作品だけだ。フィクションであれ事実であれ「金森光太」という固有名がでてきて現実化がはかられようとしているからだ。だがこれも主題として成りたつかどうか疑わしい。もしかすると前の四つの作品とおなじように「胸に水ある」という表現に執着する作者の心理的関心を支点にして、主題という概念から無限に遠ざかろうとするところに制作のモチーフがあるのかも知れないからだ。レモンに深くナイフを立てる少女は主題になりうるか。わたしには作者の心理的な鋭い苛立ちの象徴としての意味しかなくて、下句でその苛立ちの癒しを求めているのがこの短歌的表現の生命のようにおもえる。言いかえれば主題という概念からの無限の逃亡がこの短歌作品の核心であるように受けとれる。
 
 生方たつゑや木俣修や坪野哲久にとって<なだらか>さを失った乖離の理由になっているものから、意図的に無限に遠ざかることで<なだらか>さを獲得している。少女が皓歯をもっているという構図は絵画的であっても短歌の主題にはならない。作者は堅い木果を噛んでいる空想の方へこの絵画的な構図を連れていくことで、少女という主題から遠ざかろうとしている。それがこの短歌作品なのだ。少年と少年が並んで眠っている。それはフィクションであれ、事実の描写であれ、絵画的主題になっても短歌的主題になる構図ではない。作者は少年と少年の同性愛的な関心の方へこの構図を惹きよせることで絵画的な構図を短歌的な構図の方へ転換している。それは視覚的な構図の否定であるとともに、主題という概念の否定になっている。それがこの歌人にとって短歌作品の意味なのだといっていい。そのつぎの短歌でもこの歌人が短歌的表現を成り立たせている方法は変らない。画用紙のうえに不思議な大きさと色と図柄で星の絵を描く少年の病的な姿は絵画的な構図だ。それを薄気味悪いという心理で感じている作者の禁止の心理が、この構図を短歌的なものに惹きよせている。この歌人がやっているのは主題の拒否を絵画的な構図の無化によって実現していることだ。
 
 わたしはこの短歌的な表現の危機の時期に、<なだらか>さを失わずに短歌的な感性を別な次元に移したところに、この歌人の存在意義があったようにおもえてくる。それは生活歌の次元からは短歌とはいえないような危ないところに、短歌的な表現を跳躍させた。この意味はもしかすると生方たつゑや木俣修や坪野哲久のような、生活歌と実生活の姿との乖離に悩まされて、しこたま<なだらか>でない作品を産んでみせた歌人たちが、案外理解していたのではないかという気がしてくる。
 
★ 吉本隆明著『写生の物語』2000年講談社刊。「短歌の新しい波 2」より抜粋させていただきました。

   ■    ■    
 
 
 
      ★ この稿、続く。       ★ aboutの頁へ戻る。