日付:2020年4月11日 

  「短歌の新しい波(3)」  吉本隆明氏の『写生の物語』を読む

「谷中の墓地」

谷中の墓地にある草生す墓地群。侘びしい風情があってよく散歩に行く。  

 
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  短 歌 の 新 し い 波  <3>
 
 
 
 『万葉集』のなかで自分勝手にいい歌だとおもってメモしてある歌をいくつかあげてみる。これは古い波としてだ。
 
 
  誰(た)そ彼(かれ)とわれをな問ひそ 九月の露に濡れつつ 君待つわれを
(無名者)   ぬばたまの黒髪濡れて 沫雪の降るにや来(き)ます ここだ恋ふれば
(無名者)   畳薦牟良自(たたみけめむらじ)が磯の離磯の 母を離れて行くが悲しさ
(助丁生部(おしべ)道麻呂)   常陸さし行かむ雁もが 吾が恋を記(しる)して付けて妹に知らせむ
(信太郡の物部道足)  
 
 はじめの歌は、秋の黄昏どき、草の葉におく露に濡れながら恋人を待っている実感を詠んでいる。二番目は注や前詞のいきさつをかんがえずに読めば、恋しいこころがつのるあまり、黒髪にあわ雪が降りかかって溶けていくような日にやって来たという歌だ。これは前詞のいきさつをかんがえると、黒髪に白毛がまじるようになった久しい年月を経て、あなたは応召から帰ってじぶんのところに来てくれたという比喩の歌であるかも知れない。何れにしても恋愛の歌にはちがいない。三番目の歌だけが防人として応召してゆくのに、残してゆく漁村の母ひとりに心をひかれる歌だが、四番目もまた常陸の国にのこしてきた恋人をしのぶ歌と読める。ほんとをいうと二番目の歌と三番目の歌は悲劇調であるほかない歌だが、一番目と四番目の歌は、言葉尻をとってみると、こころおどりと愉しさを備給しているはずのようにおもえる。それにもかかわらず全部が一律に悲劇調の歌のようにうけとれる。それはなぜ、どこからくるのかとかんがえると、何か茂吉が声調という言葉で言っているリズムと関わりがあるようにおもわれてくる。
 
茂吉のいう声調は分析的にいえば二つの要素から成立っている。ひとつは短歌的な定型の音数律であり、もうひとつはリズムの分節の仕方だと言えよう。短歌は音数律そのものに悲劇調にする傾向性がふくまれていると言ってしまえば、短歌的声調が悲劇調であることは一種の宿命論になってしまう。まさかという声があがりそうだが、わたしにはそう言ってしまいたい要素があるようにおもえる。これは短歌的な定型のうちから上句にあたる五七五を定型とする俳諧歌が胎生してきたときの心理的な状態をかんがえてみれば、理解できそうにおもえる。歌詠みたちは和歌(短歌)から重たい下句七・七を脱ぎ捨てて軽味をもちたいと感じて、それを俳諧と名づけた。それはユーモアや駄じゃれを生命とするものであった。これもまた中世末から室町期にかけて心敬や宗祗などによって、悲劇調に変化して本流になり、江戸期にはいって芭蕉や蕪村によってますます悲劇調に磨きがかかり、とうとう和歌(短歌)的な定型が色あせるほど本格的な悲劇調を確立していった。こんな解釈が成り立つとしたら、短歌的な声調そのものが悲劇調の宿命をもつものだという理解の仕方がけっして不都合と言えないとおもえる。
 
 もうひとつ短歌的な声調の要素になっているのは、上句の終りの五音数がもっている懸垂性(感)ということだ。この五音が意味とリズムと両方から閉じてしまうと、俳諧歌を生みだす契機になるか、重さのすべてを下句にかけてしまい、分節化は深刻になるほかない。この上句の終りの五音数がサスペンシオンの状態にあり、リズムと意味の両方から下句にむかって開かれていることが、短歌的声調の全体性を単色の悲劇調にする契機をつくっていると言える。別の言い方をすれば短歌的声調の悲劇調は、上句五七五と下句七七の連結からくる融和のことを指しているのだ。これは悲劇調を宿命だとする論議を解放してくれるようにおもえる。
 わたしがこの問題にこだわるのは、短歌詠の切実さとか切迫性といったものに、そばだつ意識をよびさまされたからだ。
 
 
  そひ臥してはぐくむごとくゐる妻のさめざめ涕けば吾は生きたしよ
  術後の身浮くごとく朝の庭にたつ生きてあぢさゐの花にあひにし
(上田三四二『湧井』  
  酔へば寂しがりやになる夫なりき偽名してかけ来し電話切れど危ふし
  共に死なむと言ふ夫を宥め帰しやる冷たきわれと醒めて思ふや
  死ぬ時はひとりで死ぬと言ひ切りてこみあぐる涙堪へむとしたり
(大西民子『まぼろしの椅子』)  
 
 上田三四二の歌は、死病をじぶんが潜っているときの作品、大西民子の歌は、離婚のいきさつを潜っているときの作品とおもわれる。主題の意味としていえば痛切な悲劇的なものを意図して択んでみた。すくなくとも両歌人の作品でわたしたちにいちばん感銘をあたえるものは、この痛切な体験を主題とするものだといえる気がする。ではこの感銘は癌患者の手記や離婚した妻の手記とおなじように体験そのものからやってくるので、作品の出来ばえの感銘とはちがうものだろうか。たしかに体験そのものの痛切さがあたえる切実さからくる感銘もまじっているかもしれないが、短歌表現の本筋からいえばそうではない。これははじめに引用した『万葉』の秀歌と比べてみればすぐにわかる。『万葉』の引用歌は、「われ」とか「吾が」とかいう人称が入っていても、そうでなくても、私感情の行動的な表出になっていることが、行動以外のものを削り落してしまっている単純で強い対象選択力からきている。上田、大西両歌人の作品は痛切な体験を表現しているが、体験している〈わたし〉にたいして表現している「わたし」は客観的にその体験の全体を眺めている場所に立っていることがわかる。体験的な主題は切実だが、その表現の仕方はひとりでに、間接的な風景をみている位相に立っている。これはいわば表現の歴史的な必然ともいうべきもので、『万葉』の歌を模倣してなぞろうとしても、茂吉の大才でも自然の景観を詠むときだけ、少し可能になっているだけだった。わたしは上田、大西両歌人の引用した切実な作品の感銘は、切実なじぶん自身を主人公にした主題を、まるで風景のようにその外に立って表現しえている矛盾からきているとおもう。別の言い方をすれば「哀傷歌」とか「離別歌」とかいう部立に象徴されるものが、短歌的(和歌的)な主題として不可能な時代の表現意識のなかで、哀傷や離別をうたいあげているところに切実さの本質があるようにおもえる。
 
 ところでここで現在の短歌的表現でもうひとつ新しく生じている問題に触れてみたい。それはいままで述べてきたことと対照的なことだといっていい。
 
 
  雨雲の乱れ涼しき低ぞらや横たふ枝の花を群れしむ
  雨のすぢ空より長くそそげるに桜あかるく咲きて乱れず
  けぶるごと白くとほれる花むらは見上げつつゆくにしべのさやけさ
(玉城徹『馬の首』)  
  青年の苦しく咳きて去りゆきしのちとざすなり夜半の扉を
  論理ただしくもの言ふ一人たちまちに荒き罵声のなかに揉まれゆく
  若者の罵声に耐へて帰りこし我にやさしき長男のしぐさ
(岡野弘彦『冬の家族』)  
 
 べつに両歌人の代表作や秀作をあげたわけではない。ほかにいい作品はたくさんある。玉城徹の引用歌は、いままで触れてきた文脈から言って、私感情が切実でない極限の例としてみたかった。わたしには短歌的な表現の特徴をとことんまで解体するという作業を、短歌的な定型のなかでやっている試みのようにみえる。こういう景物なら散文の方がうまくやれそうな気がする。これらの作品はなにをやろうとしているのだろうか。ほんとのところはこの歌人に訊ねるよりほかないのだが、短歌的な定型をたもったままで、反短歌の領域に踏みこみたいといういうのが、歌人の願いだったという気がする。別の言い方をすれば、何よりも短歌的感銘や短歌的な切実と、ひとびとが考えているものを壊してしまいたかった。そんなことに意味があるかどうかは別にして、そういうモチーフは存在しても不思議ではない。ただそれが作品として短歌の新約聖書時代をつくるためには、いい作品でなくてはならない。そこまではいっていない。しかしある意味で果敢なモチーフということはできる。
 
岡野弘彦の引用歌は玉城徹とまったく対照的な試み方で、短歌的な切実さの質を変えようとしているとみることができる。具象物を指示する言葉としては「扉」と「長男のしぐさ」しかない。しかもこの二つとも天然の自然物ではない。天然の自然物に寄らず(寄物でなく)しかもほとんど具象物のイメージがなくて短歌的な表現は可能だろうか。この試みをやっているのは近藤芳美と岡野弘彦のそんなに多くない作品だけのような印象がわたしにはある。
 
岡野弘彦の引用歌はある意味では切実な悲劇調の主題にかかわっている。しかし現代にしか起りえない主題だという意味で、伝統と切れてしまっている。もしこういう作品の領域が短歌的にありうるのなら、玉城徹の試みとは対照的な意味で、短歌的な表現を、おおきく拡張させることになる。この引用歌は短歌的感銘にわずかに接触しているが、うまくいっているとはおもえない。この課題はどう解かれるべきだろうか。短歌的な切実さの感銘を新しい拡張された領域にもって行くことが、短歌の現代的な要請として不可避ならば、この試みはなされるに価する。またなされなければ、短歌は現代に新鮮であることはできない。
 
 
  死海附近に空地は無きや 白昼のくらき周旋屋に目つむりて
  月光の市電軋みて吊革に両掌纏かれしわれの礫刑
(塚本邦雄『日本人霊歌』)   生きながら朽ち果つときの墓としてトカラ島弧を思ふことあり
  歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば
(岡井隆『鵞卵亭」)  
 
 塚本邦雄の任意の引用歌は玉城徹のやっているような短歌的な拡張の試みが、作品として成功をおさめるための条件を暗示している。第一番目の歌は不動産の周旋屋のまえで、空家、空間、空地の貼り札が硝子戸いっぱいに貼ってあるのを見ながら、あまりのせせこましさに死海のあたりに空地がないかなあなどと空想している主人公の姿が浮んでいる。何気ない日常のひとこまなのになぜこの作品が成功しているかといえば、空想して不動産屋さんのまえにいるという悲劇的でも切実でもない現実の描写でありながら、空想の質をとび抜けて飛躍させているからだといえる。これは二番目の歌もおなじで、月明りの夜の電車のなかで、両手を吊革の輪のなかに入れてぶら下るよりにしている客の一人である「われ」のありふれた姿をキリストの磔刑の図の両手を挙げて十字架に結びつけられる姿に比喩することで、イメージを飛躍させているからだと言えよう。
 
 おなじように岡井隆の引用歌は岡野弘彦の歌の延長線上にあって成功した作品になっている。岡野弘彦の作品のように具象性のすくない、そして天然の自然物によらない独り言の表白のようにみえながら、トカラ島弧の異国風習じみたイメージとか、五位の声に象徴される西行法師の歌とかが、作者の独り言の背景を飛躍させているからだとおもえる。この文章の文脈からいえば塚本、岡丼両歌人の引用歌に象徴されるものによって、短歌的な表現は完全に現代的な環境に対応する方途を獲得できるようになった。この新しい波の行方は、もう少しだけ未知の世界にイメージを踏みこませていると言えそうな気がする。
 
 
  化学記号書き連ねゆき幻の爆発遂げしのみ今日の午後
  愛そして泡立つ荒磯(ありそ)性愛の水底蹴って浮き上るとき
  寄せては返すく<時間の渚>ああ父の戦中戦後花一匁
(佐佐木幸綱『群黎』)  
  老父ひとり泳ぎをはりし秋の海にわれの家系の脂泛(う)きしや
  母を売る相談すすみゐるらしも土中の芋らふとる真夜中
  新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
(寺山修司『田園に死す』)  
 
 微かに現実の具象物あるいは具象物の現実性がないわけではないが、これらの作品はすべて空想、想像ばかりでできているバーチャル・リアリティの世界だといっていい。このあと短歌的な表現はまたどこかへゆくのだが、伝統的な短歌がもっている悲劇調をまったく払拭するためには、現実空間や生活を暗示するような空隙をどこにも造ってはいけない。そうすれば主題がどんなに切実で悲劇調にみえても、すべては架空の現実のなかにじぶんも入りこんでいるために起る出来ごとにしかみえなくなる。ここまできて短歌的な定型は天然の自然物に寄ることも、生活の悲哀に切実さをもとめることもいらなくなっている。現実はここでは比喩にしかすぎないし、現実の出来ごとはすべてメタファーにしかすぎないと言える。歌人たちはただ自分の関心の濃淡をイメージの海に流して、その模様がつくる千差諸異を表現的な個性とみなすことになる。
 
 
★ 吉本隆明著『写生の物語』2000年講談社刊。「短歌の新しい波 3」より抜粋させていただきました。

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