日付:2020年4月11日 

  「短歌の新しい波(4)」  吉本隆明氏の『写生の物語』を読む

「梅の花」

2011年、陽の射さない猫の額ほどの裏庭に咲いた梅の花。初夏には梅の実が獲れる。  

 
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  短 歌 の 新 し い 波  <4>
 
 
 
 短歌の戸惑いの時期の様子をみるために、いちばん新しい世代の作品をとらえてみたい。新しい世代というのは歌人の年齢をさしていることとはちがう。わたしたち番外の視野には、いちばん遅く姿をあらわした世代ということだ。この世代の短歌の特徴はさまざまな形で言えようが、ここでは作品の新しさが作品の戸惑いとおなじだという視線をあててみたい。そして一応この戸惑いがどこからくるか意識して俎にのせてみたい。戸惑いは二つしかない。ひとつは音数の定型からくるリズム、もうひとつは意味であり、じっさいにはその何れかひとつの強勢からくるか、二つの分け難い融和からくるかどちらかだということだ。
 
 
  父の死後十年 夜のわが卓を歩みてよぎる黄金虫あり
  小庭、濃き闇にうもれてひまはりの大小の花一家族なす
  雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
(小池光『バルサの翼』)    
 
 この歌の特色はどこにあるかといえば「父の死後十年」「小庭」「雪に傘」という初句が、作者のなかでは全体になっていることだとおもえる。別な言い方をすれば、初句を表現したとき、作者のなかでは一首はおわっている。宮沢賢治の詩や童話だったら、一首のなかの初句以外の句は( カッコ )に入れて表現されるにちがいない。これは作者の新しさだ。たぶんこの手法はこの歌人に特有な新しさだとおもうが、短歌の戸惑いがあらわれているのではないかというのが、ここでの解釈になる。たとえば『新古今集』の特色をおなじ言い方でとってみるとする。
 
 
634 水上や たえだえ氷る岩まより 清滝川にのこるしらなみ
(摂政太政大臣) 891 忘るなよ やどる袂はかはるとも かたみにしぼる 夜はの月かげ
(定家朝臣) 1074 しるべせよ 跡なき浪にこぐ舟の ゆくへもしらぬ やへの潮かぜ
(式子内親王)  
 
 たくさんあるが、これくらいでいいとおもう。これもまたいちばん肝要と作者がおもっている景物や主情を初句に点としてうってしまってから、なぜとか何をとかが以下にやってくる。それでは初句以外を( カッコ )に入れてしまうことができるかかんがえてみると、そうはいかないとおもえる。
 
むしろ句切りが自在になっていることのあらわれと解した方がいい。事実、わたしの理解では『新古今集』の特色は短歌的な声調が解体して、今様風の俗謡の調子に近づいているところにあると言える。音数律は短歌様式なのに、内的なリズムは今様とかわらないところで作られている。今様では声調は表と裏の交替しかないから変化は<意味>によって作るより仕方がない。この短歌的な声調の崩壊の兆候はどこからくるかといえば、中世の衆庶の生活社会の活発さの増したところからきている。いいかえれば貴族的な社会がはじめて衆庶の俗世の方に口をひらいて接触が自在になったところからきている。『新古今集』の和歌的な世界は、浪漫派的にいうと高度な短歌の世界のようにみえるかもしれないが、じつは逆で、短歌的な世界がはじめて俗謡がゆき交う衆庶たちの生活の方へ影響をもとめたために起った短歌的な声調の解体にあたっている。そしてこの解体の限度は短い俗謡の今様風のリズム感覚に帰着した。
 
 わたしの類推では、小池光のおなじ様式をおなじ言い方でいえば、短歌的な声調が散文化している徴候とうけとれる。もっとはっきり単純化して言ってしまうと、作者は音数律は短歌的な定型をまもりながら、音数以外では散文意識しかもてなくなっているのではないかとおもえるのだ。この問題をもう少し踏み込んでみる。
 
 
  全身が獣皮のごとし十六夜の月冴えている冬の浴槽
  青あらしすぎてのちなり蝶ひとつとまりて暗き鉄棒ありき
(伊藤一彦『瞑鳥記』)  
  誰か来る予感して陽は石垣に食いちらしたる桃の皮の上
  みみなりのおさまるまでをたちつくす軍服の如きジャンパーをきて
(大島史洋『藍を走るべし』)  
 
 ここには前とちがった戸惑いの質がうかがえる。もうすこし距離を近づけていうと、音数律は保たれていてもそのほかの短歌的な声調の要素がこわれて散文化しているために、本来散文で描写されるべきもののひと駒のように、過程的で完了感がないように感じられる。意味のうえからは完了しているにもかかわらずだ。
 
 十六夜の月の光で浴槽につかっているじぶんの皮膚が、獣皮みたいにみえるという一首目は、イメージのうえからも、一瞬とらえた描写としても、とても鮮やかになっている。だがなにかが不足していると感じられる。声調が短歌的であるよりも、散文のひと齣的だからだとおもえる。二首目の青嵐の吹きすぎのたあとに蝶がひとつ暗い鉄棒にとまっていたというのもおなじだ。「蝶ひとつとまりて暗き鉄棒ありき」という描写は、あるひとつ環境描写の一部分としての意味はもっているが、この描写にはポエジーは存在しない。蝶がひとつとまっていて暗い鉄棒があった、という文の前か後に、よほど強い選択性のある描写がくれば別だが、この句を下句として上句をもってこようとして、この歌人にあったのは短歌的ポエジーの不可能の意識ではないのだろうか。
 
 もう一度三首目をとってきてもおなじだ。たしかに音数律としてのリズムは守られているのだが、ポエジーの意識は解体されているとおもえる。誰かが来るような予感がしていることと、太陽が石垣のところで待っている者(じぶん?)が食いちらして捨てた桃の皮の上で照っているということの、意味的な連結は、散文的ではあっても短歌的ポエジーではない。第四首目もおなじだ。軍服のようなジャンパーを着ているか、そうでなくアーチストの着るようなジャンパーを着ているかは、このばあいどうでもいいという任意性しかない。たまたまこの場面のとき軍服みたいなジャンパーを着ていたというだけだとしかいえない。この任意性はポエジーではなく、散文的な描写の視線であることを象徴しているとおもえる。これらの新しい世代の歌人たちがしめしている短歌的なポエジーが解体された描写の共通性が、偶然だとはおもえないのだ。
 
 ここでも中世期も末にちかいころ『新古今集』以後の短歌謡がつきあたった衆庶の社会の文物に融和の手を開いていくのとおなじことを想定したくなる。短歌的声調は中世以後たえず自身をこじあけて俗謡の世界と融和させようとする表出の自然力にさらされてきたといってもいいすぎでない。そしてこの自然力は音数律でいえば五音と七音を表音と裏音として交互に繰返す形の俗謡の声調を原型として、いくらかのヴァリエーションをもつものを、単純な形としている。これにたいして五・七・五・七七という短歌的な音数は表・裏・表から裏・裏で閉じようとして停止の感覚を与え、またはじめから表・裏・表から裏・裏の終止を繰返すもので、この短歌的な音数はいつも表・裏・表・裏の繰返しの形で開ききってしまうまでの外力をうけることになる。現在の短歌の新しい世代が蒙っている問題はこういう言い方をそのまま使えば、表・裏・表・裏の声調への開かれ方からすすんで、表・裏という反復もまた崩壊してしまって、アト・ランダムな散文調への解体を蒙らざるを得なくなっているのではないだろうか。そこで新しい歌人たちは形式の枠組としての短歌的な定型の音数律だけは守っているが、声調の大部分の要素はすでに散文化あるいはリズムの解体の方へ向うことを余儀なくされているようにおもわれる。
 
 
母上はもの言はざれど今宵なる机上にころぶ桜桃ひとつ
(小池光『バルサの翼』) にくしみとならぬ愛なし万緑の底しずかなる蟻の行列
(伊藤一彦『瞑鳥記』) 海底の戦艦大和 ふるへつつ合歓は花咲く空のまにまに
(小池光『バルサの翼」)  
 
 これもまた新しい短歌の表現の不明な部分の形にはちがいない。わたしが読むと、この不明さは上句と下句とがどうしてもつながらないところからきているとおもえる。だが作者の方は二つの考え方ができるはずだ。ひとつは上句と下句は連結感があってつながっているから短歌的な表現として成り立っていると考えられている。もうひとつは短歌的な常識からはつながっていない上句と下句だが、この常識は、短歌的な特性が解体してゆく過程でこの上句と下句はつながっているとみなせるところまで、短歌は表現を拡大してゆかなくてはならないとする考え方だ。いいかえれば任意的であること、偶然であることのつながり方もまた短歌的な連結のひとつとして認識し、短歌的な定型の表現域を拡大してみせることだ。わたしには新しい短歌の世代は一様にこの問題に当面しているような気がする。
 
 
 常識的にいえば、じぶんの母親が物を言わずに沈黙していることと、その夜のときに机上に桜桃の実がひとつころんでいることとは連結しない。沈黙している母親の姿と机の上にころがっている桜桃の実が、まったく偶然あったということを、作者は短歌定型に収拾している。これは作者のなかに偶然短歌的な表現の視線が、二つの関わりのない物に集中されたときには、その二つの物は連結されるという理念がなければ不可能におもえる。 
 二首目もおなじで、ついに憎悪に変らないような愛はないとおもっているとき、いちめん緑の樹々や草むらに蟻が列をつくって移動しているのを視ていた。その偶然性のほかには、上句と下句を連結させる根拠はないとおもえる。ではこの<偶然の事物はかならず短歌的表現のなかで連結する>という原則はどこからきたのだろうか。わたしには個々の作者を共通に訪れている短歌的な声調の散文化への表現史的な必然からきているとかんがえるのがいいような気がする。
 
 海底に戦艦大和は沖縄沖の海戦で撃沈されて沈んでいる。それは認知であっても、想像的なイメージであってもいい。そのことと下句になっている合歓の花が空のしたで風にふるえるように咲いていることとは、何の関わりもないのだが、新しい世代の歌人たちは一様に偶然、短歌的視線域に存在している対象は関わりがないものでも連結されるとかんがえている。別の言い方をすれば、意図的にかあるいは不可避的にか散文化への刺戟を加えられて短歌的な表現を<偶然の連結>ともいうべき方向に拡張する模索を強いられているとおもえる。現在のところでそれほど巧くいっているとはおもえないが、この徒労をともなう試みに赴かなければ、新しい波を打ちかえせないかぎり、宿命として避けるわけにいかないのではないか。
 
 それが証拠にというのもおかしいが、これらの歌人たちも短歌的声調を呼びこみやすい現代短歌の伝統の場所でいいのなら、それぞれいい作品を豊かな表情でみせている。そしてこのことはこれらの歌人たちの地味な冒険を逆に照らしだしているようにもおもえる。
 
 
  酔うて睡れる水夫とひと夜波ふかき悔いふかき絹の 水路ゆかなむ
  血よりかすかにうすきカンナの咲く朝君はナイフのように去りしや
  樹々の夏わが詩の夏を粗々と打ち雫する雨はありたる
  森に去りたるはげしきはやき白雨(ゆうだち)と百舌のひと声残れり 肩に
(三枝昂之『水の覇権』)  
  えぐられしまなこのうらになお見ゆる悔しさは白悲しさは青
(大島史洋『藍を走るべし』)   地下鉄は今し若葉の森をゆくただに眠れよたちなおるべく
(同『時の雫』)  
  かくれんぽ恋慕のはじめ花群に難民のごとひそみてあれば
(永田和宏『メビウスの地平』)     おそらくはきみが内耳の迷路にてとまどいおらんわが愛語はや (同右)
 
  血族と水の辺にゐるさみしさを花火果てたるのち許しゐき
  とほき日のわが出来事や 紙の上にふとあたたかく鼻血咲(ひら)きぬ
(小池光『バルサの翼』)    
  窓を染め雷鳴るゆうべ清潔に恋重ねいし友の訃聞きつ
  街を出てきたるばかりのわれの耳に音楽として夕映えはある
(伊藤一彦『瞑鳥記』)    
 
 きつい試みをしたあと、たまらずに豊かになれる場所へ出かけていって、これらの秀作を作っているような気がしてくる。ほんとはそうじゃないのかも知れないが。短歌的な声調が調和よく解放できる作品の場所はもちろんそれぞれの歌人に固有な場所にちがいない。疲れたら休むかのようにいい作品のなかに安定性が沁みでている。わたしは子どものときじぶんだけのコンクリートの研ぎ場を探しだしていて、よくそこで<べいごま>の尻を研いだり、角をつけるのに夢中になったりしたことを思い出した。歌人たちはただいい作品、そうでない作品という区別しかしていないかも知れないが、わたしは冒険に出かけていっては、疲れたら固有の隠れ場所に帰ってくるというイメージで新しい波をかんがえてみた。
 
 
★ 吉本隆明著『写生の物語』2000年講談社刊。「短歌の新しい波 4」より抜粋・引用させていただきました。

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