日付:2022年3月 

   太田省吾さんの「劇評」の文章(2) 

 

転形劇場の故太田省吾さん     

 

 

 
    内視の経路 早稲田小劇場公演『鏡と甘藍』
 
 
 現在の演劇的常識の中で、この舞台をつくり、演ずるのは相当につらい仕事であったと思う。そのつらさは、単純化していえば、〈やる工夫〉の交易原則をもつ演劇市場の中へ〈やらない工夫〉を持ち込むという種類のことをやらざるをえなかったということを意味している。
 そのことを最も明確に見る気がしたのは、身体意識の変化である。しかも、注目しなければならないのは、それが見えにくい方角へ変化しているということであった。たとえば、豊川潤は、以前はもっときっちりとした、もっと硬直の強い身体を構えていた。それは、いわば身体意識を可視化しようとしているような構えであった。しかし、ここではちがう。いわばだらしなくなっているのだ。もちろん、それは文字通りだらしなくなっているわけではなくて、それは、可視化しておわるほど、身体は単純化できないという領域を意識し、そこへ足を踏み入れていることを意味しているのであり、鈴木忠志の指摘もそこへ向ったにちがいない。
 この、身体意識の変化、しかも見えにくい方角へという性向をもった変化は、構成をふくめこの劇全体の基調を形成しているといってよい。それは、内視の深化と考えることができるのであり、そこは〈やる工夫〉が常に自己の内視によって異議を申し立てられることとなる場である。この劇が一種口ごもりに似た口調をもっているとすれば、それは内視との格閾の跡である。内視との、深みへの同道。それは、鈴木忠志と早稲田小劇場にとって継続的な営みである。しかし、この舞台でわたしは、あらためてこの継続の強靱さを見せられた気がする。殊に演劇の世界においてそれは並の営みではない。
 劇の感想には二つの段階があると考えてよい気がする。はじめの感想は、見ながらのうちに、あるいは見おえた時にすぐにあらわれるもので、おおよそ直接的な反応といってよいものが多く、印象の素材は点在しているが、そのかぎりでまあ語りやすい。しかし、つぎの感想は、ある時間を経てやってくるもので、暗がりの中にぽつんと点った灯のように集約的な像を結び、ある人間の志の風景といったもののようにその劇の裸形を示す。
 ちょっと考えると、感想というものは語りにくいものである。語りにくいのは、そこには〈つぎの感想〉の領域が存在しうるからである。『鏡と甘藍』が語りにくさをもつのは、〈つぎの感想〉を強いるからであり、そこにこの劇のもっ意味の中枢があるからであるように思われる。
 〈はじめの感想〉にうつるのは、毛ズネのアリスの降下、大量のキャベツ片の雨、あるいは「セイウチと大工」の歌のデュェットといったものであり、それらをつなげて見えてくるのは、劇の構成的、演出的演出であり、俳優の俳優論的側面であるが、演技的演出、そして俳優の演技論的側面はそこからは見えにくいはずである。
 感想の一つの形式に演劇批評というものがある。現在の演劇批評の最大の欠陥は、おそらく〈つぎの感想〉の領域を見落とす点にある。いいかえれば、まったく内質を異にする舞台を、ほとんど同じ言葉で褒め、あるいは貶すことができるところにある。その機構を維持しているのは〈何をいかに表現しているか〉に表現を見るという観念であるといってよい。そこからの眺めとしては、たしかに〈あれをああ〉演っている舞台と〈これをこう〉演っている舞台は、こうおもしろく、こういう欠点があったのだという景色のひろがりとなる。
 この常識は誤りではない。しかし、その正しさは片目の正しさであり、つまりそれは半ばの盲目の正しさであるということができる。なぜなら、表現の内域には〈なにをいかに拒否するか〉という問いがしこりうるからである。そして、殊に先端的な表現とは、この表現の内域のしこりを中枢とした経路をもつ行為である。
 演劇的情況が動揺することがある。それはいわば〈つぎの感想〉の領域、表現における〈拒否〉の内域が活力をもっている情況であり、安定しているとすれば、そこに活力が失われていることを意味しているのであり、劇が片目で充分な景物となったことを示している。その片目は、両眼以上の威力を秘めた眼力であるよりは、わかり合った者同士のウインクの図に似ている。つまり、現在演劇的情況は全体的に安定しているといってよいのであり、〈つぎの感想〉を追られることがきわめてまれであることに気づかざるをえないはずである。演劇的情況は、現在片目が自然状態である。その中で〈もう片方の目〉をあけることは億劫なことであり、それ以上に、片目の世界の価値を〈拒否〉する自制を自らに強いなければならないつらさをを負うことである。
 『鏡と甘藍』の試み、〈やる工夫〉ではなしに〈やらない工夫〉の方角への努力とは、片目の自然から見たなら不自然な、片輪な試みと見えるかもしれない。しかし、劇的であることを、両眼への意志であるとするなら、この劇は劇の先端を示しているということができる。それはロマンチシズムでは至れぬ位置であり、そしてなによりも、自己を少数者として幻想しなければ辿ることのできぬ経路をもっている劇であったと特徴づけることができるように思われる。
 こう考えてきて、わたしの感想が感想として若干跛行だなあという感じがしないでもない、もっと具体的なことに触れなければならないのかもしれないと。しかし、もう一度考えてみると、『鏡と甘藍』へのわたしの合点は、このようにしかやはり語れない、情況と内視の黒い劇であったように思われるのである。
● 『現代詩手帖』(1977年六月号)  
 
        
 
 
    関係の文体 --- 別役実の文体の基礎について
 
 
   1
 
 
 別役実の文体の基礎は、つぎの一点に、ほぼつくされているといってよいと私は思っている。

 あらゆる世界に対して誠実であるためには沈黙するのみである、という鉄則を前提にして、如何に職業的芸術家は文体を持続させ得るか? という点から私の計算ははじまる。
 (『盲が象を見る』)

 倫理的な発言として、これに類することをちょっといってみたりすることはそうむずかしいことではない。しかし、こういった意識を文体として持続し、張りつめていくことはそうやさしいことではない。というのは、この主張を進めていくことは、「なにを、いかに書くか」という脈絡ではなく「なにを、いかに書かないか」という脈絡をとることとなるからである。
 別役は、職業的芸術家とは「誠実であるための鉄則」を破ったものであると規定する。いいかえれば、職業的芸術家とは、「誠実」との関係において、あるいはそこからの距離として芸術家であり、そして、関係においてしか芸術家ではない、と。
 したがって、といってよいのだろう、彼は自らの作業をつぎのように測定することになる。

 状況が「戯曲」を「戯曲」として確定し、「劇作家」を「劇作家」として疑わない現在、この戯曲集を刊行するに当って私の出来る事は、これらの作品が「戯曲」であり、私が「劇作家」であることに、一定の疑念を留保することであり、今後の創作活動に於ても続けてそうすることであり、そこにこそかすかな可能性があるのだと、信ずることである。
 (第一戯曲集「あとがき」)

 この発言を「状況」的に意訳し、「私は所謂『劇作家』になろうとは思わぬ」と、心情の吐露としてはならないのであり、むしろ直訳されなければならない。「私は『劇作家』になれないはずである」と。つまり、「私が『劇作家』であることに、一定の疑念を留保し……しつづける」とは、志の問題ではなく、方法の問題として理解されなければならない。
 ここで、心情的解釈を先へ進めると、その本心がつぎのように見えてくる。「今の意見は志として、心づもりとして、動機としてはわかるよ、あるいは創作の結果としてはね。しかし、創作自体の問題はどうなるのだ。関係意識じゃ作品は書けないからね。だってそうだろう、じゃ、実際はなにをどう書こうというのだね」。そう、「なにを、いかに」の文脈で語れ、というのがこの見解の本心であったのである。しかし、「関係としてしか作家でない」という規定の持つ重要性は、「なにを、いかに」でしか語れない文法に対して、「なぜ」という問いの存在を示したことである。

 なぜ書くはめになったのか、あるいは、なぜ書かなければならないのか。この問いを、筆を置いた時にではなく、筆を執りながら問い、答えつづけるとするなら、「なにを、いかに」は、したがって「なぜ=なにを」「なぜ=いかに」という構造をとるべきものになる。
 別役が、もし難解さを控えている作家であると考えられるとすれば、それはこの一点に端を発している。つまり、「なぜ」に起因し、展開する世界は、「なにを、いかに」の文脈によって翻訳しきれず、その文脈から見るなら、微妙な余剰や欠損がそこにあらわれるために、難解なのである。
 
 
   2
 
 
 作品として定着しづらいと思われる「なぜ」を定着させる方法が別役の文体意識の中央にあるのであり、それを「関係の文体」と呼ぶことができる。
 では、「関係の文体」における定着の作業はどのように進むのであろうか。
 ここでは「なにを」は、「なぜ=なにを」という構造をとらなければならない。ミレーを例に、別役はこのように書いている。

 ミレーの描くところの農夫は……決して私を感動させない。農夫というものは、常にあらかじめ、風景によって了解された存在だからである。(「『獏』創作雑感」)

 これを散文的にいいかえるなら、「あらかじめ、風景によって了解された存在として描かれた農夫は、決して私を感動させない。なぜならミレーは画家であり、画家とは、あらかじめ了解された存在との関係において画家であるべきだから」となる。さらにいいかえるなら、「ミレーの農夫は、作品として(つまり『なにを、いかに』として)不充分であるのでもなく、不成功でもないのかもしれない。しかし、仮りにそれが『作品』として良いものであるとしても『関係』として誤りである。なぜなら、ここでは『なに(農夫)』は『なぜ=なに』であるべき作用をしていないからである」。
 だが、ピカソの旅芸人はちがうと別役は言う。

 しかし、旅芸人は違う。我々の知る旅芸人は往々にして風景からはじき出され、幻想の中を漂泊するものである。つまり、旅芸人というものは人々なのである。つまり、風景の中で無心である事など、決して許されない。(同前)

 ここでは、「なに(旅芸人)」は「なぜ=なにを」として作用している。そして、別役の作品の登場人物は、したがって常に、いわば「旅芸人」であることになる。
 彼らは居候、病人、欠勤者、旅人、スパイ等々という「旅芸人」であり、「誠実」から数歩を距て、その距離によって「なぜ」を歩調としてしか歩めぬ者たちである。
 「なぜ=なにを」と「なぜ=いかに」とが交叉する場をモチーフと呼べば、別役の最も特徴的であり、最も成功しているのは、「彼らの決心と嘘」というモチーフである。
 たとえば、欠勤者は、明日からは出勤し、よけいなことを考えず、つつましく生活しようと「決心」する。つまり、彼は「誠実」者になろうとしているのだ。だが、「誠実」者とは、ほぼあらかじめ「誠実」者なのであり、なろうとするときには不可能となるような在り方である。つまり、彼は「決心」を固めようとすればするほど「誠実」から距離をもつ存在であることを証明することとなる。しかし、彼はなんとかその距離をうめようとする。彼は、「決心」を確かなものとしなければならない。つまり、やればできるものとして細部を検討し、実行されたアカツキを、手に触れうるほどに身近に引き寄せようとする。これが「嘘」の役割である。
 たとえば、別役の処女作『AとBと一人の女』の冒頭は、すでにこのモチーフではじまっている。

 B (頭をあげて、あどけなく)小さな小問物屋、おもちゃのように可愛らしいお店……。うん、そうだ。僕は考えたことがあるんだが小さな小問物屋を開こうと思うんだ。女物の、色々と可愛らしくて一寸気のきいた品物を揃えて、こじんまりとまとまったこぎれいな店に並べておくのさ。

 Bは、Aの居候であることから脱出しようとする。彼は「小さな小問物屋」を開いて、まともにやろうと小さく決心する。ここで、決心は小さいことが重要である。決心が大きくては心理的なリアリティーが保持できないのであり、リアリティーの限度を見定めようとするように、一言二言に用心深い。彼は「一寸気のきいた品物を揃え」る必要があるのであり、店は「こじんまりとまとまったこぎれいな店」でなければならない。
 だが、この用心深さは「決心」の不可能性がつかせる「嘘」であり、「風景」の中で決して安らぐことのできぬ「魂」の作法である。
 つまり、彼は「誠実」者とは異なったしゃべり方をしなければならないのであり、無心にしゃべることはできない。彼の舌は、常に意識的であり、意図的にこわばっている。これを別役における「なぜ=いかに」の定着方法であるといってよい。
 それはちょうど「誠実」からの距離としてしか作家でない者と、相似である。そして、相似であることによって「なぜ=なにを」「なぜ=いかに」という、構造として作品に定着されているといってよいのである。
 したがって、別役風とよばれ、別役を特徴づける、あのていねいな言葉づかいや、なめるように細やかな語彙を総じて、別役の文体といってもよいのであるが、それは彼の性向といった自然性において文体といってよいのではない。それは、きわめて意識的な、人工的な、方法的な関係意識の工作によって、ていねいであり、細やかである言葉づかいがされるのであり、その関係意識の所在においてそれが別役の文体といいうるのである。
 
 
   3
 
 
 若干早口にではあるが、これでわたしの別役理解の基礎については、ほぼ言いおえたことになる。だが、つまり、別役は「関係の文体」を中心にすえた、きわめて方法的な作家であると考えているわけであるが、その厳密さ故に隆起する一つの問題がある。
 それは、別役は彼のほぼ必然の動きとして、いわば「絶対の文体」へ傾斜しつつあるということである。そして、「絶対の文体」への傾斜の深まりは、わたしの現在の把握の仕方によれば、俳優の「なぜ」、演技の「なぜ」との問の脈絡のちがいの深まりを意味することとなる。文学の演劇化ではないが、いわば、演劇の文学化が起りうるのである。
 別役が、これからこの問いにどう答えを提出するかは、きわめて興味深い問題であるといわなければならない。
● 『現代思想』(1977年十二月号)  
 
        
 
 
    尻 吹 き の 悲 し み
 
 
   1
 
 『盲導犬』に、つぎのような挿話がある。

破里夫  いい風を吹きこんでやろうと思ったのに。俺がおまえのお尻に風を吹きこむだろ。そしたら、おまえのお腹は俺の風でパンパンになる。そしたら、今度はおまえが俺のお尻に吹き込むんだ。そして、俺のお腹がパンパンになったら、また、俺がお前のお尻に、こうしていつまでもとこしえにくり返す。でもいつか、おまえか俺のどちらかが死んでさ。死んだのも気づかずに一生けんめい、息を吹きこんでいたら、一向に起きあがらないのに、自分には一つも息を吹きこんではくれないのに、ただひたすらに息を吹きつづけていたら……悲しいねえ。
フーテン  想像でなくなよ。
破里夫  いつかはそうやってとり残されてゆくんだ。(角川文庫版)

 この挿話には、神話的な趣きがあって、この息を吹きこむために頬を大きく脹らませた神の話を乗せた星座が夜空の端にあってもいい、というような気にさせるのである。
 この神をなに神と呼んだらよいのだろう。破里夫は「いつかはそうやってとり残されてゆくんだ」と言うのであるから、孤独神と言ったらよいのだろうか。
 いや、彼が〈悲しいねえ〉と考えられるのは、孤独になる以前からである。相手の死に気づかずに、屍体のお尻に息を吹きこんでいること、それは〈悲しい〉話である。だが、相手が生きている時はどうなのか。相手が生きていて、その息を受けとめてくれていたとしても、〈お尻から息を吹きこむこと〉を〈一生けんめい〉にやることが、すでに〈悲しい〉のである。
 〈お尻から息を吹きこむこと〉とはなんのことなのだろう。尻から〈いい風〉を吹きこむとは、馬鹿げたことであり、よくもまあ考えつくものだといったようなことである。
 では、なぜこんな馬鹿げたことを考えつくのか。興ぶっているからである。自分も相手もく〈お腹をパンパン〉になるほどに満たされることを望む気持ちから考え出されたと言ってよい。
 しかし、それにしては、〈お尻から息を吹きこむ〉とは頼りない。〈お腹〉を満たすにしてはあまりに実体感のない思いつきである。
 いや、彼にはむしろ、実体でないことが必要であったのだ。なぜなら、彼は相手の〈息〉によって満たされるのではなく、逆に自分が息を吐くことによって満たされるのである。つまり、彼は〈お腹がパンパン〉になる手段を考えついたのではなく、〈一生けんめい〉にやることを考えだしたのであり、〈ひたすら、やりつづける〉ことを発見したのであった。
 〈お尻から息を吹きこむこと〉とは、〈一生けんめい〉〈ひたすら、やりつづける〉必要、興ぶりが生み出した、行為の発見である。
 彼は、馬鹿げた、よくもまあ考えつくものだといった行為を発見することによって、〈一生けんめい〉〈ひたすら〉を創り出したのであり、とすればこれは発明と言った方がよいかもしれない。情熱自体を発明しようとしたのであると。
 彼は、相手が死んだことによって、目的らしいものも、見返りも失い、そのことによっていよいよ〈情熱〉そのものによって生きられるのであり、彼を神と呼ぶなら、情熱神とでち言ったらよいのかもしれない。
 〈お尻を吹く〉という行為を考案し、それが馬鹿げたことであるかどうかという判断を無化する切実さ、そして、そのことによってやっと手に入る〈情熱〉というもの、そしてそれを手放すまいと〈一生けんめい、ひたすら、やりつづける〉という持続に費やす筋力が〈悲しい〉のである。
 
 
   2
 
 
 劇とは、情熱の発明を条件として成り立っ行為であると考えることができる。そして、現在、情熱のありかをどこかにころがっているものを見つけるようにして求めることはできない。
 とすれば、それはいわば、馬鹿げた、よくも思いつくものだといった行為を捻出し、それに〈ひたすら〉となることである。無理を前提とする苦肉の策である。
 欺瞞なしに、赤裸にした人間の行為は、現在そのような回路を通過せねばならないのであり、唐十郎が、劇にもたらした最大の力はここに存在する。そして、それは必然的に、横行する欺瞞や着衣の劇を撃つことになったのである。
 いいかえれば、唐十郎は、書くという行為が、行為でありうることを示したのだと言いうる。書くことが行為であるとはどういうことか。彼は、誤解されるようにはイメージを飛躍させることのない作家である。彼は、肉体であるわれわれの人力の限度ぎりぎりで跳躍する。それは、筋力を費やすことを条件としたイメージなのであり、行為となったイメージである。つまりここでは、書くことが責任を負うことのできる〈行為〉である。
 
 
 3
 
 
 寂しい。唐十郎の作品を読み了えた時、あるいは状況劇場の舞台を見了えた時の印象は、私の場合こう言うのが最も近い。
 寂しいなどという、役に立ちそうもないもありとした感覚から脱して、も少し論理的な把握で歯止めをかけようと考えてみるのだが、読み了えたり見了えたりした時間、っまり印象が優先する時間の中ではどうしようもないのである。
 今、あの寂しさはなになのか、と考えてみると、それは唐が筋力を費やしているからだと思いつく。そこに展開されるのが〈行為〉であるからである。
 寂しさを伴わぬ〈行為〉はない。
 米をとぐことにしても寂しいことがある。まして、屍体のお尻に息を吹きこむことが寂しくないはずがない。
 とすれば、唐十郎の作品に対面した時のあの私の情緒っぽい感覚にも、ある程度論理の伴っていることを認めてやってよいのかもしれない。
● 『唐十郎全作品集』第三巻月報(1977年十二月号)  
 
        
 
 
    演技における〈負〉の条件 中村座を観る

 
 
 往々にして、創造行為とは積極的な方角を向いた行為ではない。つまり、ある主題を主張したり表現する行為ではなく、ある主張や表現を自らに禁ずる行為である。
 これを、創造行為における〈負〉の条件といえば、この条件を手放した表現は、抽象的な意味に頼って頽廃するか、風俗的な価値に頼って頽廃することになる。
 言語的、あるいは観念的な行為は浮上の趨性を、つまり自己(身体)を無意識化する傾向をもつ。いわば、私は食って寝ている者ではないという貌をしたがる。そういう嘘をつきたがるのだ。さて、こういった嘘に意識的になっていけば、あれも嘘これも嘘ということになる。それほど嘘は広汎で緻密である。もしここで嘘のない表現を試みようとするなら、表現とは、表現するというより、そのあれもこれも自らに禁じる行為である。
 こういった〈負〉の条件をもってく〈正〉を生むことを表現といえば、だから、いわばそれは、常に苦肉の策であることになる。

 中村座という集団の意味の中枢は、この〈負〉の条件の意識にある。
 この劇団の台本は、すべて金杉忠男によるものであるが、彼の台本は自己倭小化、卑俗化のモチーフをもっていて、そこからつぎつぎに発せられる科白は、一見〈負〉の条件に拘泥のないものと見られやすいのかもしれない。だが、彼の科白には、演技する身体の規模を超えるものが周到に排除されていて、一言も身体をはなれようとしていない。それは、演技における嘘の拒否、そして抽象的な意味に頼ることを拒絶する態度が、つまり〈負〉の条件への対応が生み出した苦肉の一策であると考えるべきである。
 今回の『川端原っぱ』をふくめ、金杉の〈原っぱ物語〉はおそらく五本をこえる連作となるのであろうが、連作というにはそれぞれがあまりに似ていて、反復する作品群といった印象が強い。

 それは、自分の生涯に負けとおしてきた男や女たちが、〈原っぱ〉に集ってきて、負けの原因を形成した少年少女時代を、憎しみつつも捨てずに、そして吐き出しつつ掌へのせるようにして、それを生きようとする一夜の物語である。
 金杉は、おそらくここでなら〈負〉の条件を突破できる、つまり〈正〉へと表現を転換しうると考えているのである。そして、突破を、転換を可能にする策(構成)とは、選択する一策といった余裕あるものではなく、作者の開きうるやっとの一策なのである。金杉にとって〈生涯を負けとおしてきた人々〉と〈原っぱ〉はそれであり、そうであったからこそ、それが連作の必然性を形成したのだと思われるのである。
 演技のなりたちも、並行した内容をもっている。三田村周三、金杉忠男と守安涼、あい植男と中村直太郎、そして大崎由利子、中村座の中心俳優をこう思い浮べてみると、その演技の理念はくあれもこれも〈嘘〉という演技的な〈負〉の条件をかいくぐるところに置いているのであり、その隘路でしか演じられぬ信頼性の高い演技を生んでいる。
 今、私は理念といった。そうなのだ、私は、中村座とは、よかったとか悪かったとかいう批評ではなく、正しいか誤りかを論ずることのできる極めて数少ない劇団であると思う。そのことは理念の存在を証しているのであり、〈負〉の条件を意識的に保持することを理念といってよいのだ。
 この理念には、しかし先がある。私の理解する彼らの理念に従って考えると、隘路の条件を突破する表現の背丈の計測に誤りがあるように思えるのである。
 この理念のもつ背丈は、嘘なし、マィナスゼロではない。プラスであるはずである。嘘なし、マイナスゼロとは、現在の劇演技の水準では高位に属する。しかし、そこは安易なプラスを拒否した者たちの到達点ではない。そこは、新たな武装を工作する場であるのだと考えてよいのではないだろうか。
 中村座の劇的な営み、演技は、それが最も鋭くあらわれるべく仕組まれ、工作されて演じられているとはいえないように思う。強調を加えていえば、どこか無造作に流れるのであり、それを私はいさぎよい行為であるとはどうしても思えないのである。それは、彼らの理念の背丈から考えると、一種保守的な身構えである気がする。
 連作をつづけることは、私のこういった批判を反駁する構造をもった営みでありうるはずである。現在、彼らの優れた演技は、劇の要素の総力で工作され、演じられる必要があるのであり、その必要は彼らの力量と内質において切迫しているのだと私は考えている。
 この小文は、今回の舞台の批評というよりは、中村座のもつ意味と問題といったものとなったが、それは私にとっても、そして若干それを広げた場にとっても、彼らの劇行為の示す継続的な問題の抽出がより重要だと考えた結果である。
● 『日本読書新聞』1978年八月十四日号  
 
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 わたしは、約40~50年ほど前の、鈴木忠志さん、太田省吾さん、金杉忠男さん、そのお三方の作る芝居が、他に比類のないほど開放的で、すぐにファンになった。なんとなく舞台上での演出・俳優の自由さが格段に深いなぁという印象を受けた。その芝居の中身を簡単にいってしまえば、その時代の普通の人びとが背中に負ぶっている大きなリュックサックの紐を解き、逆さまにし、中身を全部を地べたに広げて見せてもらっているような、行為としての不思議な夢のような芝居を作り上げていた。
 鈴木さんでいえば、『劇的なるものをめぐって』のシリーズであり、太田さんは『小町風伝』や『水の駅』等の沈黙劇へ至るものあり、金杉さんは『原っぱ』シリーズなどだ。十才ほど年下のわたしにとっては、それらの芝居に見境もなく吸い込まれてしまった。
 そのお三方に唐十郎さんや別役実さんも含め、その当時の時代の<現在=70年代・80年代>を超えようとした人びと(台本作家・演出・俳優も普通の人びとだ)の切実さと同時に、彼らの醸し出す奇妙な焦げるような匂いとおかしみが(エロスの感性)が舞台をしっかりと支えていて、ああ、彼らの作る芝居の主題は、眼には見えることはないし、言葉でも語ってはくれないのだけれど、彼らによって秘匿された芝居の主題は《空白》或いは《空虚》だとわたしはすぐにわかった。それは、わたしたちが現実の世界に生きているとき、地べたを歩く蟻たちの姿を時間を忘れ延々と眺める時のような《空白》或いは《空虚》だった、といまでもそう思っている。
 現在、時代の、わたしたちの生きている時代の現在の《空白》或いは《空虚》を見せてくれる芝居は、どこにあるのだろうかか。そんな芝居を見たいし、作りたいと思っているが、なかなかわたしの力では、そういう《空白》或いは《空虚》をお見せする芝居はまだまだ作れないでいる。 ● (菅間記)  
 
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