日付:2019年9月3日 

 太田省吾×金杉忠男:対談「中村座の意味」 ~超えられない深さ・Ⅳ~

故太田省吾さん  

    表現の晩年 ●
 
 
金杉 太田さん、五十一ですか?
 
太田 二です。
 
金杉 太田さんは去年一89年一、藤沢の方の芸術監督になられて、仕事をスタートさせた。ぼくたちも今年五十で「金杉アソシエーツ」という集団をつくって再スタートした。五十歳で旗揚げというのも変といえば変だよね。ここんとこしきりに、表現の晩年ということを考えているんです。そのあたりで太田さんの言葉を聞きたいなと思ってるんです。
 太田さんが映画「死の棘」に出ていたのを見てわりとショックだったんですよ。どういうことかというと、ぽくらに馴染みの文学者というのは四十前後でみんな死んじまいますよね、それから若い頃、自分が五十になるなんていうのは思いもよらないことで、それが実際五十になってくると、ああって思うじゃないですか、日本人の自然思想みたいなもののなかに、わび・さびとでもいうのか、晩年になったらそっちのほうへすごい力で吸引されていくというのあるじゃないですか。吉本隆明さんがどこかで古典的な人生曲線って言ってるんですが、そんな日本人の生理というか感覚からはずれたいと思う。少なくとも真剣に遊びたいなというのがあるんです。もちろん演劇的なこともふくめて。これからもっとフットワークよくしなくちゃと。そのときに太田さんが映画に出たということがね、太田さんて映画にひょいと出るようなタイプじゃないじゃないですか、だから太田さんのほうが遊んでるなあという感じでしたね。
 
太田 映画に出たのは監督の小栗康平さんと友だちで前にシナリオ手伝ったりしたことがあったという関係で誘われて決まったことで、特別の意味もないと思うけど、劇団も解散しちやったし、いろんなこと考えましたよね、その考えたいろいろなことが関係しているのかな、やっばり。エッセイ書くにしてもいままでと違ったエッセイ書いてみたいなとか、小説書いてみようかなとかね。そういうことの一つに入るのかな。あなたにそう言われてみると、気分の置き場所がちょっと変わったということかな。
 晩年なんて言葉、ぽくは思いもしなかったけど、だから驚いているんですよ。ぼくらは前の世代に比べると年齢は八掛けになってると思ってるからね。五十で前の四十という感じ。七掛けだとするともっと低いわけで、そういうふうに自分を考えてるから、人間とい うのは自分のことわからないから、もう三十になったとか、もう四十かとか何回も驚いたけど、五十でもやっぱり驚いたな。おれはなにをやってるのかと考えるときに、やってないという思いが強いから、八掛けとか七掛けで自分を考えるようにしてる。
 
金杉 そうか。おれのほうが老いの意識が強いのかもしれないですね。
 
太田 年輩の方にも学ぶ人はいますよね。カントールなんか五十過ぎてから、さかんにやり出して、いま七十を越してまさに第一線でやりつづけているし。金杉君が晩年なんてことを言い出しているのは、「中村座」を解散したとかそういうことからくる疲れなのかしら。疲れるからね、そういうことは。
 
金杉 うん。どうなんだろう。昨年の秋口、女房と稽古から疲れて帰って来て、家の近所で虫が鳴いているんですね、するとなんかいとおしくなってきて、あ、おれも来たぜ、というのがある。つまり自然年齢の寄る年波みたいなのが。このあいだ太田さんがお子さんのラグビーの試合を大阪まで見に行ったとか(笑い)。それも恥ずかしそうに太田さんが言うという……。
 晩年になったときの表現というんじゃなくて、言葉の遊びみたいだけど、表現の晩年と言ったんですよ、ぼくは。アングラの一期生がみんな五十を越えたんですよね、唐十郎にしても鈴木忠志にしても。別役実さんはもう少し上だろうけども、それぞれみんな演劇的構造をつくってきた連中です。鈴木忠志はそれこそ鈴木メソッドとよばれる日本人の身体演劇的な発見。太田さんはヨーロッパの演劇に本質的な意味でショックを与えた沈黙劇という構造をつくった。でも財産で食っていくわけにもいかないから、これからどうするんだって問題もあると思うんです。ぼくも「中村座」のスタイルとよばれるものをつくってきたけど、アングラをやめたから新しい表現のスタイルをつくらなきゃならない。つまり二つめの演劇的な構造ってことですが。これからどういうスタイルをつくるのかということ、誰も間うてるわけではないけども、やっぱり問われてるってところありますよね。いわば、最後の演劇的な課題ってことですけど。
 
太田 晩年というのは、死んだあとからとか、よそから言われる言葉だから、自分から晩年というふうに意識するのが、ちょっとわからない。
 
金杉 太田さんの発想でいえば、そんなこと考えることないじゃないかということですか。
 
太田 自分にとっては老いとか死とかを意識するというのははじめての体験だろうけど、人間にとってはふつうの体験だから。
 
 
    生きてあることを肯定するようになる ●
 
金杉 ちょっと話の角度を変えてみますよ。最近、「新劇」でのインタビューを読んで太田さんの劇理念が変わってきたというか、劇の空間の問題と同時にこういうことを言っていましたよね。精神科の医者に相談しにきた女性がいるとして、「転形劇場」が赤坂のアトリエでやっていたときにはその奥さんの悩みを顕微鏡で見るみたいな作業だったとすれば、もう少しその悩みに有効的な答えを出してやるためには宇宙的な視野というかハイ・イメージがいるんじゃないかという。そんな劇をつくるには広いスペースがいるんだという話。でもそれはスペースだけの問題じゃなくて、太田さんがどういう劇をつくるかということでいうと、やっぱり変化してきたというか、転向してきた。精神科に相談もちかけている女性が、旦那を通じて男を知ったり子供を生んで育てて、それで人生からなにを得たのか、なにもない、それだけだという、そういう感じ方をしている奥さんにほんとに答えを出してやるためには……もちろん答えなんかないですけど、宇宙的規模というのか、生命が唯一存在している地球という場所に生まれて宇宙的な時間で言えばほんとに一瞬にしかすぎない生、その生きてきた価値みたいなことというのは、出ない答えのなかでやっぱり、つまり、肯定してやりたいんだと、生きててよかったということを肯定してやりたいんだって話出てましたね。人生って生きたほうがいいんだよみたいな肯定の仕方は、太田さんの中で鋭い変わり方ですよね。
 
太田 ええ、変わってると思いますね。
 
金杉 このあいだの藤沢の「夏の船」ですか、あれなんか見ててもやっぱり、宇宙的な規模というか、まあ演劇のばあい、映画のSFXのようにはいきませんが、あの球体の劇場でかなり太田さんのイメージみたいなものがつくれたような気がするんですね。あの劇のなかに、肯定感というか、それがあって、絵にたとえるとマチスかボナールということになるのかな。ああ、この絵の中の人生の肯定感はいいなって感じで。太田さんの好みはたぶんピカソとかルオーとかムンクだと思うけど、太田さんがマチスかボナールに変わってきたというか、絵画そのものになってきたというか。絵は絵それ自体だよというところにきたというか。人生の肯定も否定もなくて、ただ生きてそこにあること自体を肯定しようじゃないかみたいなところに、変わってきたんじゃないか。太田さんも若い頃は生きるってことはいいよなんてそんな言い方はけっしてしてなかっただろうと思うんですよ。晩年という言い方をぽくがしてみたのはそんなイメージというか、概念をいいたかったんです。
 
太田 十二、三年前だったか、「中村座」について書いたことがあって、それを今度読み返してみたんだけど、すると「中村座」も変わったけど、書いたぽくのほうも言葉遣いからなにから、かなり変わってるね。あるよいものをよいと言うときにも否定の言葉を使ってよいと言っている。否定型の言葉を並べてる。その分量がものすごく多い。演劇ではふつうだったら「中村座」のようにはやらないってことをず-っと並べておいて、そのやらないことはどういうことなのか、その意味を一生懸命書いているわけね。それがあるものを高く評価するときのやり方だった。いまもある舞台を見てよいなと思うことのなかにはそういうことって、あるな。だれでもやる表現てのがあって、それをやりだすと、新鮮なものというかおどろかしてくれるものはないわけだから。そういう拒否する膨大な背後があってぴかって光る宝石をやっと一つみつるみたいな、それに出会うために見ているようなもので、よいものはそういうところをもっているものだ。それはそうなんだけれども、それによって表わされるポジティブなところより、否定をどれだけ持ちあわせているかというそっちのほうばっかりいってる感じが強いね。自分が生きてることのエネルギーというのはどれだけ多くのものを否定しているかということで計っていたと思う、そうしないと見えないものも当然あったんだけれども、いまもあるわけだけども、やっぱりそれを肯定の言葉、ポジティブな言葉に変えたらどうなるかということが、いつからかわからないけども、課題になってきた。
 たとえばアンチ・テアトルとか、アンチ・ロマンとか、アンチがついたときに自分もそれに入っていける、それじゃアンチ・テアトルなりアンチ・ロマンなりがなにを生んだかというと、実際につくっていくものは、ある自分の肯定を出すわけだよね。つまりエロスといってもいいんだろうけど、舞台のほうはエロスで語っている。肯定で語るわけですよね。否定の言葉をいったってしかたがない。だけども、エツセイやなんかでおれは舞台をつくってたんだ、そこでしゃべっている言葉のほうがおれなんだよということね。
 舞台はやっぱり肯定でしょう。これはもっともっと早く気がつかなくちゃいけないことなんだろうけども。生きる力というのは肯定型の言葉でつくられている。あるいはそれを求めることだ。つまり、否定型の言葉のエネルギーと少し違った方向を向いている。舞台をつくるときの方向と似てるという感じがする。作品から見ると変わってないかもしれないけれど、君から言われたようにぽくの視点はずいぶん変わったんじゃないかと思いますね。
 
金杉 肯定ということでいうと、歌舞伎の心中物なんか、ほんとに死なせてやりたいって思うでしょう。表現物って、不思議ですね。「夏の船」で、女房子供がいて浮気してる男が出てくるでしょう、あれなんかもすごく肯定的に見てしまう。現実にそういう話は身の回りにいろいろあるけども、あ、そう、浮気してよかったねとは誰も言ってくれないし言わないですよね。これはまた不思議に言わないんだよね。演劇のエロスがそれを肯定しちゃう。
 
 
    一人称の劇 ●
 
太田 近代劇というのは悪役がいたわけだよね。それは、三人称の目で芝居を成り立たせていることの証しなんだ。ところが、あなたの芝居は全部一人称にしようとしているんだよね。見方がね。「中村座」の芝居では、筋を展開するために必要だからという役は出てこないよね。これからあとそれが通せるか通せないかというのが演劇を決めていくと思うんですよね。三人称をどんどんやりたくなる。便利だし話がわかりやすくなるし、そこをしょうがないと考えれば、あなたは楽になる。いまは全部一人称でやろうとしてるから、それは厳しいよね。一人称の演劇というのはすごく大事だと思う。
 五〇年代の後半から起こった、新しい演劇の動きというのを見ると、ほんとにそれを感じた人、つまり近代劇を破ろうとした人は、一人称を獲得しようとしてやったような気がする。三人称が生きているあいだは、つまりあるプロットを進行するために誰かが出てきたりプロットに枠づけられた人物がでてきたりとか、そういう構造をもってるかぎりは、近代劇とそんなに違わないんじゃないか。現代人は、一つの役を演じることでは生きていない。多くの役や性格を一人が演じて生きている。そういう現実の生き方をしている現代人にとって、三人称の目でこの人はこういう役だという枠づけはリアリテイが感じられなくなっているし、もちろん三人称は便利でそっちのほうがある魅力的な展開ができるわけで、たとえば近代劇とはいえないけれどもシェイクスピアがはやったりね、なんというのかな、シエイクスピア的ないいセリフというのを見てみると、どうしてもほんとに一人称的には言えないんだよね。言えないよ。やっぱリそういう成り立ちをとっている。演劇王国というのは、つぶれてないなと、そういう感じがするけどね。
 
 
    アングラ以後 ●
 
金杉 岡本章さんが前に、新劇を叩くという批判が徹底してなかったんだと言ったことあるけど、なしくずしになっちゃって……。あれは、新劇は不死鳥のようによみがえってくる。なにか新劇がよみがえってくるような構造をこの国の近代がもっているような気がしてくる。鈴木忠志は新しい表現というか、二つめの構造をつくろうとしないで政治的な動きしか見えないし、唐なんかもなんか小説家になっちゃったというイメージが強い。まあ、人の悪口言ってもしょうがないけど……ほんとのこといえば。演劇的な最後の課題にとり組んでいるのは太田さんとぽくくらいです。ここしばらく太田さんにも見てもらってないけど、ぽくなりにアングラ以後の新しい表現をさがしているんです。うちも少し三人称になってますよ、それがまた意外と新鮮に感じていたり……。
 
太田 そう、よさもある。結局自分で検証していくしかしょうがないんで。
 
金杉 アングラは八○年代に入って時代というのか、社会のほうから相対化されてしまった、という感じを強くもっているんです。表現者として死に体になりたくないのでアングラからはなれたんですけどね。うちの「中村座」の血を流して突撃板にぶつかっていた役者に、もうそんなことさせられないですよね、あした会社に行って事務とらなきゃなんないし、お得意さんまわらなきゃなんないわけで、「中村座」の一人称はもうできないなというふうに思いましたね。
 
太田 すごいことやってたね。(笑い)あれはなんだったのかね。
 
金杉 太田さんの赤坂のあのせまいアトリエでパーツと走っていったら止まれじゃないですか、壁にぶつかッて壁はぼろぽろになるし、それでしようがないからべニヤを置いて、突撃板が有名になった。
太田 二人で赤坂署行ったよね、書類送検された。
 
金杉 思い出話はやめましょう、あのへんの(指さして)若い人に嫌われるから。
 
 
    集団はほんとに必妥か ●
 
金杉 ぼくもまた「金杉アソシエーツ」を発足させたんだけど、二十五年くらいいっしよにやりつづけてきた役者がいますね、その役者にいつまでも同じことをさせられない。じゃ、具体的にどうするんだ。新しい劇の構造も発見しなきゃならない。新しい言葉もうみ出さなきゃならない。新しい演技も考えつづけなきゃならない。なかなかおりられるもんじゃないぜというのがあって、それは二十五年の実績というんじゃないですよ、それをかかえ込みながら、新しい演技の場、表現の場に出たいですよね。
 太田さん、これから太田さんのつくる劇を誰が体現してくれるのかというと、全員新劇の俳優さんを連れてきてはやっぱり不可能だと思う。いままでやってきた俳優さんがいっしょになっていくんじゃないかと。そのときの演技的なことというのは、どうですかね。 いままでやってきたことをチャラにしちゃおうというイメージなのか、なにか足していくというのか……。
 
太田 チャラにするのはできないでしょう。しかし、変える必要はある。では、どうすればよいのか、いまだによくわからないで、それ以上の行動をとっていない。集団というのはほんとに必要なのか必要でないのかということにも結論を出せないでいる。
 
金杉 六〇年代から七〇年代にかけての演劇の集団のイメージというのは、鉄の結束が無意識にあって、やっばり閉じてるし、そのトツプに立つやつは理論武装しなくちゃいけないわけですよね。演劇集団とはいってもそこには権力の問題とかいろいろあるわけで、「中村座」としてはそういうワクをチャラにしようということがありまして、今度つくりなおして、仲よしグループをお前らやるのかって外から言われたけど、それでいいじやないかと思ってる。昔はなるほど鉄の結束が優れた表現作品をつくってきたということはありましたよ、「早稲小」にしても。でもそれが無残に組織のほうから解体していったという印象がある。唐のところもそうだし。太田さんとこもおれんとこも耐えてきたんだけど、結局はダメだったというのがあって、ダメだという認定の仕方は、ぽくと太田さんとじやもちろん違うだろうけど、太田さんは賢明で一人でサークルつくった。いいですよね、一人というのは。
   (一九九一年一月、新宿タイニイ・アリス)
 
    (1994年・春秋社刊・金杉忠男著「グッバイ原っぱ」より転載させていただきました。)  
 
 
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