日付:2019年9月1日 

 故吉本隆明さんの「金杉忠男と中村座の初印象」

 

故吉本隆明さん  

 

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   金杉忠男と中村座の初印象  吉本隆明
 
 
 たしか年譜にかかれている「高田中村座」だったとおもう。はじめて金杉忠男さんの演出する中村座の『舞踏全の手帖』が上演されるのをみることができた。その頃都市のなかの小劇団はみんなちょっとした空き家だとか、質屋の倉庫あとだとか、お風呂屋のぷちぬきの空間や、アパートや町工場の廃業あとだとかで公演をやっていた。「高田中村座」もご多分にもれず、そんな小さな空間を目いっぱい利用した舞台と観客席とが甲乙の区別のつけ難いほど圧しつまった空間を共有していた。なぜ中村座の観劇に一家総出で出かける気になったのか、もう十年ほど前のことで記憶の正確さに自信がないが、出口裕弘さんや上の娘の熱心なすすめがあったからだった気がする。すばらしくいい芝居だからということのほかに、わたしなどの馴染みの地域や、地名が、登場人物たちの活動の場所だからという意味も含まれていたかも知れないが、出口さんはそれには触れなかったとおもう。
 
『舞踏会の手帖』といえば、すぐ反射的にあの現代映画の古典期の名作といえるフランス映画が思いうかぷ。青春期の華やかな舞踏会の追憶の情にかられた初老の婦人が、手帖をたよりに昔その舞踏会で一緒だった人々を尋ねていって、若やいだ青春だった人々の、その後の有為転変をつぷさに知ることになる。人の生涯とは、誰にとってもかくのごとくたいへんなものだったかという悲哀を、つぷさに体験することが内容だったとおもう。
 
 じつは金杉忠切さんはじめ中村座の面々が演じるドラマは、その改作かバロディかといった軽い気持でみにでかけた。みているうちにわたしのいい加減な予測はつぎつぎにうち破られてゆき、驚き、内心でうなるはど感服していった。この驚きと感服をきちんと語ることが、金杉忠男さんと中村座の面々との初対面の印象を語ることになる。まず第一に金杉さんの戯曲台本はフランス映画『舞踏会の手帖』」の改作でもパロディでもなかった。しいて似ているといえば<追憶>が心棒にはまっていることだけだ。フランス映画のほうは現代古典期映画の特徴のひとつで<追憶>の心棒をまわして澄んで整った心情と心理の雰囲気を物語の断片ごとに紡ぎだしている。金杉さんの『舞踏会の手帖』は、東京は下町、葛飾の京成四ツ木駅と青砥駅、お花茶屋駅、堀切駅とにはさまれた本田宝木塚のあたりの三角地域を舞台空間のイメージにして、少年、少女時代(悪ガキ、オ転婆時代といった方かいい)から老人、老婆時代(クソじじい、クソははあ時代といったいい)を空想の自在な時間帯をとりながら、じつに見事にある時代の、この地域の住人たち特有の風俗の断面を、石垣のように積みあげて、バロック風の無秩序、無定型の優れた構築物をつくりあげている。
 
 なぜ優れたといえるかすこしふみこんでいうと、大小の風俗平面をただでたらめにほうり投げたり、挿みこんだりしてできている石垣のようにみえながら、じつに脈絡の自在さがそのまま連結力をつくっている。一種の破格な風俗の詩を<追憶>の心棒のまわりに造りあげている。金杉忠男さんの戯曲台本はもともと場面の平面図がイメージとして先にあって、言葉がそれをなぞるように書かれているから、読んだだけでは平面図の推移とその連結の仕方だけしか目立たない。だが役者によって演じられることでイメージの物語ができあがることになっている。いわば非常識の記憶イメージのなかに、演技者が入りこんでゆくことでドラマができあがってゆく仕掛になっているとおもう。
 
『舞踏金の手帖』をみながら、金杉忠男さんのイメージの味つけに舌を巻くおもいだった。本田宝木塚のあたりの空間の味つけの如実さに揺さぷられ、ああ、この雰囲気の味は住んだことのないものにはとてもわからないよといいたくなるところまで、深層に達していて、これは<追憶>の天才にしか再現できないものだとおもった。わたしはうまくそれをいい当てることができない。
 
   四ツ木文化劇場
   四ツ木橋
   本田消防署
   本田小学校
   岩井の臨海学校
 
 こういう単語を並べただけでは、何のことはない場所の名まえになってしまう。だが金杉さんの『舞踏会の手帖』の登場人物たぢが、ドラマの進行につれて、台本のなかに書かれたセリフとして口走ると、すこしちがってくる。界隈の子どもたちが日々の生活のなかで演ずる言葉の地形図の名まえに変貌し、具象的なイメージの起伏になって迫ってくるのだ。もっとそのさきをいえば、金杉さんの上演されているドラマの全体のなかで、これらの場所の名まえを再現させると、風俗の独特な猥雑さが知的な響きの深さと重なり合って変化してゆき、とうとう金杉忠男さんという人は<追憶>の魔神のようにおもえてくる。そしてこの感じは住んだことのないものには、ほんとはわからないよという思い込みの世界に、住んだことのない観客をさえあたかも住んだことがあってこのドラマをみていると感じさせる響きをあたえる。
 
  玉岡のババァから駄菓子しか盗めん連中!四組っ!
  なによツ。皆んなでぷるぷるふるへて、いくじなし。二組のゴチャゴチャ!
  己れたちがつかまらなければ涼しい面しやがって、四組!
  首尾よく盗み出して、どこで、あんなものしょぷんできるんですか幼い小学生がコンドームを。二組め、ちえなしッ!
 
 こんな小学生たちの口争いの投げ合いにでてくる「四組!」とか「二組のゴチャゴチャ!」とかいうセリフが再現されているのを聞いて、わたしなどは驚嘆する。子どもの日の記憶のなかに、まざまざと地域空間の風俗や感性が蘇ってくる。「二組」とか「四組」とかは学校や教師が員数の関係でつくった組分けの番号ではない。子どもたちにとっては争奪された感性の色分けであったり、喧嘩の相手の総称であったり、虫のありどころが好き嫌いの対象になるような感情の地形図なのだ。金杉さんのドラマのなかでこのセリフの言い合いを聞いていながら、子どものとき学校にいるあいだこの「二組」とか「四組」とかいうクラス番号に、さまざまな意味をこめていたじぷんの感情の色合いが、わっと蘇ってくるのを感じた。
 
 ところで『舞踏会の手帖』には現在の高度な知灼な風俗のシステム感覚といっしょに天才的に再現されたこの子供感覚の記憶がいたるところにぱらまかれ、掘りおこされて<追憶>の現前化ともいうべき詩性が、あらたまった、もったいぶった感覚や文体としてではなく、猥雑で無定型な風俗の断片を野放図に繰りだしながら、よくよくみると高度な知的なシステム化が潜在しているといった現在の表出として、申し分のないかたちを実現している。わたしは金杉忠男さんの方法の心臓部にあたるものを、すぐにこの『舞踏会の手帖』から感得できたとおもう。これは中村座との幸運な初対面だった。この幸運はもちろん中村座の面々の高度に修練された演技力によっておおきく実現されたものだ。わたしはここでも、まるで狐につままれたような感じを味った。いまどきこんなところにこれだけ優れた演技力をもった俳優がいるんだなあということで、奇蹟をみるおもいだった。中村座の演技力の高い水準は、単純な身体の動きからも、すぐにわかった。またその演技力の修練が、筋肉の端々の動きにまで浸透されてイメージと化しているのもよくわかった。

金杉  アングラは八○年代に入って時代というのか、社会のほうから相対化されてしまった、という感じを強くもっているんです。表現者として死に体になりたくないのでアングラからはなれたんですけどね。うちの「中村座」の血を流して突撃板にぷつかっていた役者に、もうそんなことさせられないですよね、あした会社に行って事務とらなきゃなんないし、お得意さんまわらなきゃなんないわけで、「中村座」の一人称はもうできないなというふうに思いましたね。
 
太田  すごいことやってたね(笑い)。あれはなんだったのかね。
      (太田省吾×金杉忠男:対談「われわれの現在」)

「突撃板」という言葉はこの対談や、あとからみせてもらった戯曲台本の動きの註釈からはじめて知ったのだが、肉弾相撃つとでも形容したいような「突撃板」への体当りや、役者どうしの文字通り体当りする演技は『舞踏会の手帖』で初対面からつぷさにみせてもらった。それは金杉忠男さんの演出のカタルシスであるとともに、演技者たちのカタルシスでもあるのだとおもえた。そして驚くべきことはこの「突撃板」への俳優たちの体当りは、ちゃんと物語のイメージのなかに融解してその一部になり、肉弾がそのままイメージになっていた。奇蹟のようにこんな優れた戯曲が上演され、しかも現在の新劇で望みうる最高の演技者たちに出遇えて、ああいるんだなあという昂奮を抑えきれなかった。早晩、金杉忠男さんの一座は広場へでるかどうかの選択を観客から強いられるにちがいない。わたしが初対面の『舞踏会の手帖』からうけた手ごたえからすれば、そのときひと悶着あるだろうなとその晩おもっていた。
 
(而立書房刊・1983年:金杉忠男著「グッバイ原っぱ」所収
  吉本隆明著「金杉忠男と中村座の初印象」より転載させていただきました。)
 
 
 
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