日付:2020年5月3日 

 「全体的な喩とは、なにか?」を吉本隆明さんに聴く

 

書斎の吉本隆明氏  

 
 
    「全体的な喩とは、なにか?」を吉本隆明さんに聴く ●
 
 
 故吉本隆明さんの著作の全文の引用にちかくなってしまうが、日頃、抱いている素朴な疑問からはじめてみたい。
 
 「完全な叙景の歌謡が、ある異変(心)の象徴でありうる」とは、どういうことか? どうしてなのか?
 自然の山川草木を詩に詠みこまれた短歌が、人びとの心に潜んでいるなにか伝えたいものの象徴になりえる、それは、どういう構造なのだろうか?
 
 現在のわたしたちの生活のなかで、じぶんの気持ちを他者に伝達しがたい思いを誰もが感じていると思う。言葉の直接的な意味の指示性とその伝達機能や方法が、いまわたしたちのなかで限りなく薄弱化しているのではないだろうか。そんな思いをだれでもが抱いていて、すくなくともわたしは、じぶんの言葉の行使にリアクションを感じられなくなっている。
 そんな不自由な思いは、現在、生活空間のなかで感じている人びとのあいだだけではなく、表現活動を行おうとしている人びとにとっても存在し、それをくぐり抜ける方法や打開策とまではいわないでも、そんな思いをどのように考えたらよいのか、よくわからないでいる。この言葉を上手く喋れない、喋っても希薄感ばかりがあとに残るという状態は、わたしたちの生活だけではなく、芝居の現在の状況が抱えている根深い不安だともいえる。
 
 若干難しいのだが、吉本隆明さんの『初期歌謡論』の「Ⅱ 歌謡の祖景」から<全体的な喩>という概念を学んでみたいと思う。
 
 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 

『初期歌謡論』の「Ⅱ 歌謡の祖景」より。  
 
    (4)  
 
 和歌形式が定着したあとで、和歌形式にならなかったらけっしてあらわれなかったはずの<喩>が、内在的にあらわれた。内在的にという意味は、上句と下句の関係からではなく、表現の構造自体からという意味であった。これは、和歌形式がすでに作者たちにとって先験的なものとみなされたために、形式の内部にあらわれた結瘤ににている。形式が先験的なものとおもわれたとき、詠むことの自在さが、特有の喩法うみだした。うみだしたことがはじめにあって、解釈することはあとからやってくる。そういういい方ができるのは、和歌形式がつくるものの内部に定着した証拠のようなものであった。すくなくとも『万葉集』の短歌謡は、ここまでの作品を摂取することができていた。
 
 
 (a)かくしてぞ人の死ぬといふ 藤浪(枕詞喩) ただ一目のみ見し人ゆゑに
(『萬葉集』巻十二・三〇七五)      
 (b)君に逢はず久しくなりぬ 玉の緒(枕詞喩)の 長き命の惜けくもなし
(『萬葉集』巻十二・三〇八二)      
 (c)草枕旅にし居れば刈薦(枕詞喩)の 亂れて妹に 戀ひぬ日は無し
(『萬葉集』巻十二・三一七六)      
 (d)大き海(枕詞喩)の水底深く思ひつつ 裳引きならしし菅原の里
(「萬葉集」巻二十・四四九一)    
 
 〈枕詞〉自体は〈虚喩〉に似ている。けれど短歌謡の内部に〈枕詞〉が喩的なものとしてあらわれたとき、表現論でいえば〈暗喩〉のあとに位置している。「草枕旅にし居れば刈薦の」で、はじめの「草枕」は「旅」にかかっている〈枕詞〉自体だが、そのあとの「刈薦の」は枕詞的な〈喩〉とみなすことができよう。この枕詞的な喩は、和歌形式が自在なものと意識された後にあらわれたことは疑いない。いわば効果の意識がうみだしたものであった。「刈薦の」は〈枕詞〉自体としてみれば「亂れて」にかかる〈虚喩〉だが、同時に下句にたいして〈暗喩〉から〈直喩〉へうつってゆく過程の役割をはたしている。「かくしてぞ人の死ぬといふ藤浪の」では、この「藤浪の」は、下句の全体にたいして〈直喩〉ににた位置で、きわめて意識的につかわれたものであった。〈藤浪をひと目みたように〉の意味にうけとることができる。「君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の」もまったくおなじで「玉の緒の」によって言葉がうけわたされた。枕詞的な〈喩〉のすがたは「大き海の水底深く思ひつつ」の歌でもっともあざやかにあらわれている。「大き海の」は、それ自体でかくべつ〈枕詞〉ではないのに、一首を意味の流れの全体としてみたとき枕詞的喩としてはたらいている。
 
叙事や叙景の象徴性に着目すれば、短歌謡のなかにあらわれた〈枕詞〉と〈虚喩〉とは、象徴が濃密なものと、拡散したものとの関係にあった。収縮と拡大の関係にあるといってよい。〈枕詞〉の起源が、俚言をもとにしているか、共同体の象徴としての〈自然〉の景観にかかわるか、あるいは景物のもつ共同信仰の性格の名残りであるか、事物につげられた偶然の仇名に発祥するかは、さまざまでありうるとしても〈象徴性〉という性格は共通である。そしてこの共通さに着目すれば〈枕詞〉は〈虚喩〉のおし縮められたものとみてよかった。ところで、この〈象徴性〉を枕詞の役割とは逆に短歌謡の全体に拡げさせたとすれぽ、もともと一首の短歌謡の意味の中心とたるべき主観的な表現、あるいは〈喩を冠むる中心〉ともいうべき表現は、言葉の背景におしかくされてゆく。この形を〈全体喩〉と仮りに呼んでみれぱ、この種の短歌謡は、一見すると客観的た叙景、あるいは叙事の歌謡のようにみえて、じつはその背後に生々しい心情が息づいているとしなければならない。
 
 
 (a)伊香保ろの傍の榛原(はりはら)わが衣(きぬ)に著きよらしもよ純栲(ひたヘ)と思へば
(「萬葉集」巻十四・三四三五)     
 (b)陸奥の安太多良眞弓彈き置きて撥(せ)らしめきたば弦著かめかも
(「萬葉集」巻十四・三四三七)     
 (c)夏痲(なつそ)引く海上潟(うなかみがた)の沖つ渚(す)に船はとどめむさ夜ふけにけり
(「萬葉集」巻十四・三三四八)     
 (d)葛飾の眞間の浦廻(うらみ)を榜ぐ船の船人騒ぐ浪立つらしも
(「萬葉集」巻十四・三三四九)     
 (e)信濃たる須賀の荒野にほととぎす鳴く聲きけば時すぎにけり
(「萬葉集」巻十四・三三五二)   
 
 
 表現されたところだけみれば、誰にもたんなる叙景あるいは叙事の歌謡とよめるものであった。そして、たしかにある意味ではそう理解してさしつかえなかった。ところが、この類型は謎がおおく一筋縄ではいかない。初期の「アララギ派」の歌人たちは、万葉復興をとなえたとき、散文における写生文とおなじように、これらの短歌謡に、客観描写の<声調>の卓抜さを読みとった。そして写生を、もっと微細にし彫りを巧みにしていった。たとえば、長塚節が「馬追(うまおい)虫の髭のそよろに来る秋は眼(まなこ)を閉じて思ひしるべし」とうたったとき、馬追虫の長い髭をかすかにふるえさせながら吹く秋の風という描写に、細密画をみるような巧みさを表現した。しかし、この微細な名人芸のような叙物の歌が、何ともいえない精神の空白と、空虚さを感じさせた理由はあった。馬追虫の髭をふるわせて吹く秋風というような、微細な虚構にまでつきつめながら、一首の背後にかくされているはずの叙心の生々しさが、うち捨てられているからである。たぶん初期のアララギ派の歌人たちは、万葉集の短歌謡のうち、本来的には<全体喩>とみなすべき表現を、たんなる叙景や叙事の客観描写として読んだ。多少の危惧は感じるが、この種の作品は客観描写の歌謡とみなすべきではなく、一首の全体を<喩>とすることで、意味の中心を表現の背後に移してしまった作品ではなかったか。
 
 (d) の歌謡から、<葛飾の真間の入江をこいでゆく船の船人たちがせわしげに動きまわり、声をあげて騒いでいるのがきこえる。きっと高波がはげしいからだろう>という大意をうけとれば、叙景あるいは叙事の歌謡であった。しかし、この歌謡はたぶん、そんな光景を客観描写しているのではない。作者は、そういう着眼の仕方そのものによって、荒びたじぶんの心を叙している。けっして象徴としてではなく、直に荒びたじぶんのこころを描いている。ただ、なぜ作者は心をあらげているのか、その具体的な理由を知るすべがなくなっているというだけだ。
 
 (e) の歌謡でも、<信濃の須賀の荒野にほととぎすが鳴いている。その声をきくと時がすぎて夏となった(あれからずいぶんとたってしまった)>ということではないような気がする。ありのままの叙事のようにみえるこの短歌謡の背後には、過ぎてはならぬ生々しい心があり、一首の表現はその潜在した心の<喩>であったのだ。この心はすでに具体的にどういうことかさぐる手がかりがない。そのためこの種の短歌謡は、客観的な叙景や叙事のように解釈された。
 おなじ問題を提供しているのは『古事記』歌謡・二〇、二一のような作品だ。
 
 
  狭井川よ 雲立ち渡り
  畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かんとす
(『古事記』歌謡・二〇)     
  畝傍山 晝(ひる)は雲とゐ
  夕されば 風吹かんとそ 木の葉さやげる
(古事記』歌謡・二一)   
 
 
 『古事記』の地の文では、神武天皇が死んだあと、庶兄(まま あに)・当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が、嫡后(おほ ぎさき)・伊須気余理比賣(いすけよりひめ)の三人の子たちを殺そうとするたくらみがあり、それを子供たちに知らせようとして嫡后が詠んだ歌としてあげられている。うわべだけでは難のない叙景歌謡で、しかも音数律も声調もととのっているので、かなり新しい時代の作とみられる。じじつそのような解釈がとられているものもある。相磯貞三『記紀歌謡全注解』は、「或る時代に或る人がこの歌を詠んだ。そして彼等の大多数の人人は、この歌を聞いて、歌の表面以外に、何か変わった内容を感じ求めたに違いない。誰いうとなく、この歌が、人人の間に拡まって行くにつれて、右の日常生活の経験から、心に畏怖を感じつつ、己が身を慎むようになって行ったのである。最初、ただの叙景の歌だったのが、人人の口誦のうちに、畏怖すべき神の意志を認め出したので、こういう伝説が生まれたと見られるからである。」と述べられている。土橋寛はおなじことを、まったく逆むきから「狭井川の方から雨雲が湧いて来て、畝傍山では木の葉がざわめいている。今に大風が吹くだろう、の意で、大事件の到来を諷している。事件を風刺する歌として創作された物語歌であろう」「前の歌と同時に作られた物語歌であろう」(土橋寛、小西甚一校注『古代歌謡集』岩波版日本古典文学大系3)と解した。
 
 わたしたちは、はじめからこういう考えがでてこないまったく異なった見方をしてきた。
 いま意味をとってみると、
 
 <三輪山から流れ下る狭井川よ そこから雲が立ちのぼって
 畝傍山に気の枝葉がさやいでいる 風が吹きつけようとしているのだ>
 
 <畝傍山には 昼のあいだ 雲が去来し 夕べになると
 風が吹こうとしてか 木の葉がさやいでいる>
 
 
 なんでもない叙景歌謡でしかも<喩>が無いので、全体は起句から終句までなめらかな曲線律でおわっている。したがって、わたしたちの考えからは新しい時期の歌としなけばならない。もっと推測をたくましくすれば、作為をもってつくられた叙景歌だったかもしれなかった。
 
 これがなぜ『記』の本文のように、伊須気余理比賣が子供たちに身にかかわる異変を知らせる<喩>として挿入されているか。物語歌や伝承歌として位置ずけることを拒否すれば、完全な叙景の歌謡が、ある異変の象徴でありうることを熟知していたとみてよかった。もとより自然の異変が人事の異変の象徴であるという未開の心性のあらわれではない。雲がおこり、風が騒ぎ、木の葉が揺れるといった自然の描写が、不安な、まがまがしい事件の象徴としてつかえるという識知にたっていた。そのため、<喩>のない叙景の歌とみえるものは、一首の背後に歌の中心を潜ませた<全体的な喩>の表出とみなされた。そしてここで<全体的な喩>とかんがえているものが、<喩>の消滅、いいかえれば和歌形式の短歌謡のおわり、いいかえれば<やまとうた>としての和歌の成立とはちがうことは明白であった。
 
短歌謡から〈喩〉が消減するのには、漢詩の影響があった。そして女性の恋愛歌からはじまるといってよいほどの風潮もあずかっている。これらは、叙景、叙物がまずあって、その構造にひとしく歌うという短歌謡の性格を決定的に壊してしまったのである。そこでわたしたちは、現在ではただ、その表現上の変遷をたどりうるだげである。そしてそうたどるかぎり『万葉集』の短歌謡のうち、ひとびとが〈初期〉の性格をたもち、制作方式も古いとかんがえているものとは、ちがった順序が、いわば表現史のうえでの〈初期〉性の順序とならざるをえない。 
 『万葉集』の短歌謡の移りかわりは、構造的にたどるかぎり〈虚喩〉的な表現にはじまって、〈喩〉そのものが消滅してゆく過程であった。もちろん、それぞれの合問に中問の形を想定することができる。この過程を多様な個々の作品がやみくもに創りだしているところに、『万葉集』の作品が全体で語っている世界があった。この多様な世界は、意外にも単純な構造的な移りかわりであった。
 
 
(a)虚喩表現
   河上のゆつ磐群に草生さず 常にもがもな常處女にて
(「萬葉集」巻一・二二)     
(b)半虚喩表現
   朝霞香火屋(かけび)が下に鳴く河蝦(かわづ) 聲だに聞かぱわれ戀いひめやも
(「萬葉集」巻十・二二六五)     
(c)暗喩表現
   春楊葛城山(やなぎかつら)に發つ雲の 立ちても坐ても妹をしぞ念ふ
(『萬葉集」巻十一・二四五三)     
(d)半暗喩表現
   難波潟こぎ出る船のはろばろに 別れ來ぬれど忘れかねつも
(『萬葉集』巻十二・三一七一)     
(e)直喩表現
  兒毛知(こもち)山若鶏冠木(かえるで)のもみつまで 寐もと吾は思ふ汝は何どか思ふ
(『萬葉集』巻十四・三四九四)     
(f)半直喩
  荒津の海潮干潮満ち時はあれど いづれの時かわが戀ひざらむ
(『萬葉集』巻十七・三八九一)     
(g)喩消減
夕月夜五更闇(あかときやみ)のおほほしく見し人ゆゑに戀ひ渡るかも
(「萬葉集」巻十二・三千三)   
 
 
 この構造でつかまえた過程が認められれば『万葉集』の各巻のうち、どれがより〈初期〉の性格をもち、どれがよりもたないかは、〈喩〉の概数の順序によって総体的に把握される。なぜならば、〈虚喩〉から〈喩〉の消減にいたる過程が、〈初期〉性の順序だとすれば、それは〈喩〉の概数の多寡に
よって表象されるはずだからである。この順序は、表からつぎのようにおさえることができる。(「表」は省略します)
 
☆吉本隆明氏の『初期歌謡論』の「Ⅱ 歌謡の祖景」より抜粋させていただきました。
☆吉本隆明著『初期歌謡論』 昭和五二年河出書房新社刊)
☆赤線=菅間。

 
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 わたしなどには、この文章は難解だ。
 けれどもなんとなく、(d)「葛飾の眞間の浦廻(うらみ)を榜ぐ船の船人騒ぐ浪立つらしも」や(e)「信濃たる須賀の荒野にほととぎす鳴く聲きけば時すぎにけり」の吉本さんの文章を読んで、芝居を書く上でどこか解放される思いがした。「この歌謡はたぶん、そんな光景を客観描写しているのではない。作者は、そういう着眼の仕方そのものによって、荒びたじぶんの心を叙している。けっして象徴としてではなく、直に荒びたじぶんのこころを描いている」。これは、わたしの一人合点に過ぎないかも知れないが(たぶん、そうだが)、三年前に作った「光合成クラブ-Ⅱ」は、この吉本さんのこの文章に負うところが大きい。『物語』造りから解放された思いがしたのだ。精緻な『物語』造りなんか努めてもじぶんにはできるわけないのだからと思い悩んでいた頃だったから、余計にそう感じたのかも知れない。
 最後に、吉本さんの『マス・イメージ論』に<全体喩>について論じている文章があるので、抜粋して引用させていただきたい。
 
 
 
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「全体的な喩」とは、なにか? (2)  
 
吉本 隆明  では、詩の言葉を産みだすことが、それ自体で全体的な暗喩とすればどんなことなのか? またそこでほ〈暗喩されるもの〉と〈暗喩するもの〉とはどうなっているか? これが現在、詩の審級にとって最後の問いにあたっている。いままでこだわってきたところに答えはふくまれているかどうか。というのは、若い現代詩の喩法の特質を、もっぱらボップ詩や歌謡詩と地続きなところで扱ってきたが、げんみつにいえば、それが若い現代詩のすべてへの緒口だかどうか、これだけではきめられないからだ。ただ誰でも出口と入口さえあれば、全体を暗喩できるような「言葉」を探しもとめているところでは、詩が現在はじめて獲得しはじめた外部への言葉の滲出力を特徴として信ずるほかにない。
 
 
     まなざし青くひくく
     江戸は改代町への
     みどりをすぎる
     はるの見附
     個々のみどりよ
     朝だから
     深くは追わぬ
     ただ
     草は高くでゆれている
     妹は
     濠ばたの
     きよらなしげみにはしりこみ
     白いうちももをかくす
     葉さきのかぜのひとゆれがすむと
     こらえていたちいさなしぶきの
     すっかりかわいさのました音が
     さわぐ葉蔭をしばし
     打つ
 
     かけもどってくると
     わたしのすがたがみえないのだ
     なぜかもう
     暗くなって
     濠の波よせもきえ
     女に向う肌の押しが
     さやかに効いた草のみちだけは
     うすくっいている
 
     夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ
     江戸はさきごろおわったのだ
     あれからのわたしは
     遠く
     ずいぶんと来た
 
いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金(はっきん)のひかりをついてあるいている。ビルの破音。消えやすいその飛沫。口語の時代はさむい。葉蔭のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちいでてみようか見附に。
     ( 荒川洋治「見附のみどりに」 )
 
 
 この詩人はたぶん若い現代詩の暗喩の意味をかえた最初の、最大の詩人である。
 まずはじめに、暗喩は言葉の囲い込みの外側へ滲み出てしまったとわたしにはおもえる。わたしもひとびととおなじように、暗喩が言葉の外へ滲み出してしまったあとの光景に、不服をもたないことはない。ただあくまでも滲みだしたあとの光景であり、この詩人には責任はない。時代の光景が日常性いがいのものを非本質として卻けてしまった責任なのだ。この詩人以後わたしたちは、暗喩を言葉の技術の次元から解放するひとつの様式を獲得したことになる。言葉は詩の囲いを走りでてじかに、街にとびかっている会話や騒音や歌う声のなかにまぎれ込もうとする。そういう確かな素振りをみせるようになった。すると言葉は素朴なリアルな表出にかわってゆくとかんかえるのは現在にたいする錯誤である。そうかんがえるのはボピュリズム風の理念に先行されて、現在を喪失しているのだ。詩の言葉が詩の囲いを走りでて、街のなかにとびかう言葉に交わりはじめようとするとき、言葉は超現実的な様相を呈しはじめる。それが現在ということか、詩にあたえている全体的な暗喩の意味だとおもえる。
 逆行する記憶にのって江戸の濠ばた見附道を歩いている。「妹」が繁みに走り込んで、しゃがんだままさわやかな音を草の葉にたてて放尿して、駆けもどってくる。「わたし」はそこにみえないので「妹」は佇ちまよう。わたしは草が押したおされてつけられた路をとおって、エロスの情念に沿って立ち去っている。記憶からさめるとじぶんは現在、新宿の盛り場で、寂しく寒い現在の言葉と騒音がとびかう街中におかれている。易しい口語で詩を走り出ようとする言葉。そうすればするほど表出の様式が超現実に近づいてゆく。ひと通りの意味では、この詩はそんなふうに読める。
 そこで詩の言葉が記憶の逆行によって現在を超えるその部分で、全体的な暗喩を構成しているとみなすことがで書る。そしてこの詩のばあいでは<葉かげにしゃがんで放尿する妹>、<かけもどってくるとわたしの姿がない>という場面のイメージが、暗喩の全体性の核に当っていることがわかる。<葉かげで放尿する妹>というイメージが、一般的に現在を暗喩するのではない。またこの詩人の個性にひき寄せられたために、このイメージが現在を暗喩することになるのでもない。詩の暗楡という観念が、詩という囲いを走り出で、外側へ滲出してしまう勢いの全体性のなかで、はじめてこの<葉かげで放尿する妹>というイメージが、現在という時代の暗喩になっているのだ。わたしにはかなり鮮やかな達成のようにおもえる。言葉の高度な喩法が、言葉の囲いを走り出てそのままの姿で、街路にとびかう騒音や歌声や風俗に混じろうとする姿勢を、この詩に象徴される作品がはじめてやってみせている。それからどうするのだなどと問うても意味をなさない。
 何となくとうとうやりはじめたなという解放感をおぼえるだけだ。
 こういう全体的な暗喩が、詩が現在を超えようとするときの徴候であることは、言葉が街路にありながら、暗喩が詩の言葉の囲いのなかに閉じこめられた状態を想定してみればよい。そのような同種の詩はあるのだ。すぐれた詩は数すくないとしても、いわば普遍的な徴候としては無数に潜在して、現在を形づくっている。
 
 
     あぶな坂を越えたところに
     あたしは住んでいる
     坂を越えてくる人たちは
     みんなけがをしてくる
     橋をこわした
     おまえのせいと
     口をそろえて
     なじるけど
     遠いふるさとで
     傷ついた言いわけに
     坂を落ちてくるのが
     ここからは見える
 
     (中島みゆき「あぶな坂」)     
 
 
 いうまでもなくこの詩では「遠いふるさと」というのが、全体的な暗喩にあたっている。だがこの全体的という慨念はこの一篇の詩の全体を覆うという意味をあまり出ない。もっともこの評価はメロディやリズムや音声の参加をカッコに入れてのことで、それらか参加して、言葉を詩の外へ、現代という時代の現在のなかへ連れ出しているのだ。言葉だけでは、たぶん言葉の囲いを出られない暗喩である。それが「遠いふるさと」という表現が、やや奇異で甘いと感じられる理由ともいえる。さきの<葉かげで放尿する妹>というイメージも、詩人にとって「遠いふるさと」である江戸時代になぞらえられたイメージである。だがこのイメージは、詩の言葉の囲いを超えて、現在というこの暗楡の全体性に参画している。
 
   ☆吉本隆明「マス・イメージ論」より「喩法論」の一部を抜粋させていただきました。
   ☆1984年6月福武書店刊