菅間馬鈴薯堂 旗揚げ第1回公演
犀 another moom
劇場◇江古田、ストアー・ハウス
期日◇1994年9月7日~11日
照明◇石田 道彦
音響◇飯塚 ひとみ
舞台美術監修□西山 竜一・金森 勝
挿絵◇悪 猫
◆登場人物
○中年の女 稲川 実代子
○その亭主 龍 昇
○マコ(乞食) 小林 真
○バリ島(乞食) 小針 和美
○タマゴ(乞食) 浦野 時郎
○プッツン(乞食) 竹広 零二
○ミドリ 山崎 恵美子
○ダッチンキン 西尾 英次
○警備員 都賀 浩司
○警備隊長 古屋 治男
○犀の飼育員 日高 範彦
○名古屋(乞食) 古屋 治男
○浩(乞食) 都賀 浩司
◆場面構成◆出演俳優
(1) プロローグ/屋上 龍昇+稲川実代子
(2) 最初の訪問者 小林真+小針和美
(3) 奇妙な訪問者 浦野時郎
(4) 三番目の訪問者 古屋治男
(5) 自殺男登場 西尾英次
(6) 最悪の訪問者 小林真
(7) 飼育員登場 浦野時郎
(8) 降霊者登場 日高範彦
(9) 最後の訪問者 小針和美
(10) エピローグ/屋上 山崎恵美子+稲川実代子
◆場所 都会のどこかのビルの屋上……。
◆時間 夜から明け方までの時間……。
(1) プロローグ/屋上
□風の音、都市の騒音……。
ゆっくり照明がつくと、一対の男女が、男は立ち、女は椅子に坐っている。
男はスーツ姿、女は気軽な格好にザックを持っている。
二人、黙って夜空を見つめている。まるで記念写真みたいな映像だ。
風の音、都市の騒音とともに、ゆっくり照明が消えていく。
(2) 最初の訪問者
□ゆっくりと照明が、女1を映し出してゆく。
女1、ザックから必要なものを出し、整理をしている。
やがて、紙袋をたくさん持った男1と女2が、舞台背後より登場。
男1、女1のそばにきて微笑えむ。
男 1 (微笑)笑い顔、可愛いっていわれるの。なァ。
女 2 うん。
女 1 ……
女 2 (微笑)だから、はじめてのひとの前では笑えって。なァ。
男 1 うん。
女 1 ……
男 1 (微笑)可愛い?。
女 2 可愛い。……(微笑)可愛い?
男 1 すごい素敵。
女 2 素敵?
男 1 しばらくきかない言葉でしょう。生きてて良かった?
女 2 もっかい、いって。(微笑)
男 1 素敵!
女 2 生きてて良かったなァ、俺!
女 1 ここは、
二 人 ……?
女 1 立ち入り禁止。
男 1 「立ち入り禁止」。
□二人、笑う。
女 1 (二人に、何かお菓子をあげる)
□二人、素早くそれらを取り、
男 1 (お菓子の銘柄をいう)
女 2 (同じくお菓子の銘柄をいう)
□二人、お菓子を紙袋の中へ。
女 2 (帰らず、微笑ながら)ひとり?
男 1 (同じく微笑ながら)ひとり?
女 1 ……
男 1 あたしたち、ふたり。
□二人、笑う。
女 1 ……
女 2 何で? いい女なのに?
女 1 ……
男 1 いい女はひとりなんだァ。
□二人、笑う。
女 1 よかったら?
女 2 よかったら、何?
女 1 ひとりにして欲しいんだけど。
男 1 ひとりじゃない。ねえ。ひとりなんだから。
女 2 (微笑)ジャンケンやんない?
女 1 ……
女 2 ジャンケン。やんない。
女 1 ……
女 2 やろう。ジャンケン。……ジャンケン!
女 1 ……
□二人、笑う。
この二人、最初から最後まで笑ってばかりいる。何かが過剰なのだ。
女 1 (黙って二人に近付く)
□女1、女2、ジャンケンをする。
女1、負ける。
再度、女1、女2、ジャンケンをする。
女1、負ける。
男 1 三本勝負。
□今度は、男1とジャンケンする。
女1、二回勝負をして、そのすべてに負ける。
女 2 たかがジャンケンでも落ち込むことあんでよね。
男 1 人生、重ね合わせたりすんなよな。
□二人、笑う。
女 1 ……
女 2 俺、あんたに好感もっちゃった。
男 1 あたしも。
女 2 敗者復活戦、やってもいいよ。
男 1 人生にも敗者復活戦があったらなァ。
女 1 (なんか早口言葉をいう)
女 2 いま、
男 1 何やった。
女 2 ねえ、もっかいやって!
男 1 お願い!
女 1 (おなじ早口言葉をいう)
二 人 ウワーッ! (マネする)すんごい!
女 1 (違う早口言葉をいう)
二 人 ウワーッ。! (マネする)すんごい!
女 1 ……
女 2 (マネする)できねえや、俺。(笑い)
男 1 (マネする)できない!(笑い)
女 2 アッ、チキショウ!
女 1 ……
女 2 交通事故でさ。足やられちゃって。イテテテッ!
男 1 交通事故。
女 2 坐っていい?
女 1
女 2 坐るね。(嬉しそうに坐る)
男 1 俺たち、乞食見つけるとすんごいスピードで追っかけて来て当て逃げして楽しむ奴がいるの。
女 1 何、それ?
女 2 判んない。でも、そういう奴、いるの。
男 1 こないだなんか、日比谷の皇居の前の大通りで三人、当て逃げされっちゃって、可哀相にそのうちの次郎さん、死んじゃった。
女 1 何なの、それ?
女 2 ねえ。
女 1 何?
女 2 もしかして、俺たちのこと、好感もちはじめてんじゃないの?
女 1 (笑い)
女 2 悪さしないから、あたしたち、このまま、
二 人 (合掌)いて、い?
女 1 いちゃ困る、……っていったらどうすんの?
二 人 (安堵)ウワーッ。ありがとう!
女 1 いちゃ困る。
男 1 そんなこと本気で考えてないよね。
女 2 匂いで判るのもの。クンクン!(匂いを嗅ぐ)
女 1 しょうがないなァ。
女 2 (紙袋から何かを出し)笑わないでね。
女 1 ……?
男 1 あたしたちの友情の印は、物を交換し合うことなの。
女 2 (笑いながら)笑うなよ。
女 1 (微笑)
女 2 受け取って貰えないことは、淋しい。
男 1 受け取って貰えないと、友情を一方的に破棄されたことになるの。
女 2 お願い、受け取って?
男 1 受け取ってやんなよ。乞食が頼んでんだから。
女 1 ……
女 2 受け取って!
女 1 ありがとう。(マッチ箱を受け取る)
女 2 そんな、すごいもんじゃないから。恥ずかしい。
男 1 ビールの栓か、イモムシのミイラ。
女 2 そんなじゃない。馬鹿! ……(開封しても)大丈夫。
女 1 (マッチ箱を振ると音がする)
女 2 (微笑)
女 1 (マッチ箱を開ける)何?
女 2 種、朝顔の。
女 1 朝顔?
男 1 アッ、まだ残ってたの?
女 2 うん。こないだみんなで道後温泉行ったときに咲いてた朝顔の種、貰ってきたの。
女 1 道後温泉?
男 1 乞食だって友達と年に一回ぐらい温泉旅行ぐらいする。
女 2 種をこんなに貰ってきて、みんなで気に入った道端にバラ巻くの。家ないから庭ない。だから気に入った道端にバラ巻く。そいで、来年になったらその道端で朝顔の花を観賞する。
男 1 朝顔の花を見れたら、それで互いに一年長生きしたことを確認しあうの。
女 1 見れたの、今年は?
女 2 見れた。(微笑)
男 1 だから、こうして。
女 1 じゃ来年も、自動車(クルマ)に気をつけて、朝顔見れますように。
女 2 オイ。涙が出ちゃう、台詞だぜ!
□三人、笑い合う。
男 1 大林真、通称、マコ。
女 2 女になりたがってる男。
マ コ よろしく。こんひと、
女 2 名張恵子。通称、バリ島。
マ コ このひと、昔、宝塚歌劇団の入学試験、受けたことあんの。
バリ島 互い、ながい付き合いにしたいな。
女 1 ええ。
バリ島 お姉さんは?
女 1 あなたたち、どうでもいいけど、どうやって入ってきたの?
マ コ このビルの地下は地下鉄の出入口になってること。地下鉄の出入口になっているビルは、必ず何処か一カ所、緊急時のために避難口をもうけなくちゃいけらないの。避難口は鍵はかかっていないの。そこからスウーッと。
女 1 管理人がいるでしょう、このビルにも?
マ コ 夜の十時、朝の五時。二回しか見回らないの。もう十時過ぎでしょ。
バリ島 お姉さん。まだ名前、聞いてなかったよ?
女 1 名前?
マ コ そう。
女 1 ジャンケンの弱い女。
バリ島 オイ。根に持っちゃダメだって。(笑い)
マ コ 洒落の判るひと、好き。
女 1 ジョディー・ホスター。(&シガニー・ウィーバー)
二 人 ジョディー・ホスター(&シガニー・ウィーバー)!(大笑い)
バリ島 いい、いい!
マ コ すっごい気に入ちゃった。(女1のそばに近付く)……ジャーン! 三丁目のコンビニのゴミ箱から拾って来っちゃった。中身は、何でしょう?
バリ島 パン。
マ コ ブー!
バリ島 お饅頭。
マ コ ブー!
バリ島 アッ、お握りだ。
マ コ ブー! (女1に、何だと思う)
女 1 いつも、そうして遊んでいるの?
マ コ (頭をかく)
バリ島 中華風サラダ!
マ コ ブー! 残念でした。キュウリのキムチでした。
バリ島 キュウリのキムチ。豪華だなァ!
マ コ 食べる?
バリ島 いいのかァ?
マ コ 食べる?
女 1 ありがとう。あとでいただくわ。
バリ島 じゃ、俺も後で。
マ コ (女1の前へ)ハイ。お茶!
女 1 それも、ゴミ箱から?
マ コ これは、買ってきたの。二つしかないから三つに分けましょ。
女 1 お茶はやっぱり暖かい方がいいんじゃない。コップある?
マ コ もしかして、
バリ島 お茶、ご馳走してくれるの?
女 1 お茶でよかったら。
□マコ、ダンボールで簡単なテーブルを作る。
女1、ザックよりポットを出し、茶をそれぞれのカップに入れる。
マ コ (匂いを嗅ぎ)ハーブ・ティーだ!
バリ島 (匂いを嗅ぎ)豪華だなァ!
マ コ いい匂い!
バリ島 いい匂い! ハーブ・ティーって、香りがいいね。
マ コ おかしい! うれしい!
女 1 どっち?
マ コ どっちも。だって、今夜、あたしたちは別だけど、この三人は、はじめて知り合って、知らない者どうしが、ここで、こうしてお茶を飲むなんて。おかしい! ……うれしい!
バリ島 うん。おかしい! ……うれしい!
女 1 そうね。おかしい! ……うれしい!
マ コ お月様は、いまのあたしたちのこと見て、何て思ってるかしら。
□三人、お月様を眺める。
マ コ 怖くない、あたしたち?
女 1 怖い。
バリ島 正直な、いいひとだなァ。
□マコ、ハーモニカを吹く。
(3) 奇妙な訪問者
タマゴ、舞台奥からフラリと三人の坐っているところへ来て、坐る。
タマゴ 「木は黙っているから好きだ」
女 1 ……?
マ コ (女1に)悪さはしないから大丈夫。
タマゴ 「木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
ほんとうにそうか/ほんとうにそうなのか
見る人が見たら/木は囁いているのだ
ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが 木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて 枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない」
□三人、拍手。
照れるタマゴ。
女 1 ……
マ コ アッ。こないだ名古屋、見掛けたって。
バリ島 名古屋?
マ コ そう。
バリ島 何処で?
マ コ 上野の山で。
バリ島 アッ。いい、い?(二人だけの会話でいいか?)
女 1 どうぞ。
バリ島 上野か。そういえば、青森の出身だったね、あいつ。
女 1 あのォ?
マ コ はい?
女 1 あなたたちにも住み分の分布というか、寝泊まりのエリアというか、そういうのがあるの?
マ コ あります。
バリ島 やっぱ、東北地方から来たひとは上野かなァ。
マ コ 上野が一番ふるさとに近い駅なの。あのひとたちの顔はいつも北を向いてるわ。
タマゴ 関西以南は、東京八重州。
マ コ 銀坐は避けて、大森、羽田方面。
バリ島 長い間、サラリーマンやってたひとは、新宿。
タマゴ アジア人は日暮里。フィリピーナとかマニラとか。
女 1 それぞれ、住み分けがあるんだ。
マ コ あたし、大久保。
女 1 何んで銀坐は避けるの?
マ コ 銀坐、及び皇居周辺は一時うるさかったの。
バリ島 雅子様の結婚。
マ コ あたしたち、国税調査の対象にはならないけど、取締りの対象にはなっちゃうの。
タマゴ (実に嬉しそうに笑う)
女 1 あなたたちは、いつもここに集まるの?
バリ島 いつもという訳じゃないけど。
マ コ ここは、終点なの?
女 1 人生の?
タマゴ そう。
女 1 何の終点なの?
マ コ 音のね、終点なの。
女 1 音の終点?
バリ島 夜のビルの屋上は、音の集まる場所なの。ビルとビルが大きな壁となって、音が反響し合って上の方に向かって昇ってくるの。そして、もう何処にもぶつかるとこがなくなった音が、このビルの屋上から夜の空に向かって消えてゆくの。
マ コ ここは、音がこの地上で最後に到達する場所なの。
女 1 音の到達点。
マ コ ここで、音は天国へ向かって消えてゆくの。ホラッ、見えるでしょ。あのハイウエイの音だって聴こえるし、聴こうと思えば、あのハイウエイよりずっと先の音まで聴こえるよ。
バリ島 お姉さん。
女 1 ……
バリ島 ご馳走さま。
女 1 ……
バリ島 ありがとう。もう、胸いっぱい。
マ コ ご馳走さま。
□二人、コップをしまう。
(4) 三番目の訪問者
□たくさんの紙袋を持ち、首にバスタオルを巻きパンツ一枚でプッツン、登場。
同じく、たくさんの紙袋を持ったミドリ、登場。
マ コ 何、その格好?
プッツン 噴水。
ミ ド リ 噴水の吹きだし口にしゃがんでサ。バァーッ、バァーッって、アソコ当ててきっちゃった。イイッ気持ちだった。
プッツン 久し振りにタッちゃった。
□乞食達、大笑い。
プッツン、ミドリ、持っていた紙袋から古着のセーターを一枚づつ出す。
プッツン 好きなの、とっていいよ。
バ/マ ウワァーッ!
バリ島 ええッ、いいの?
プッツン うん。
バリ島 (セターをじぶんの身体に当て、喜び)豪華だなァ!
ミ ド リ 公団住宅のゴミ箱から拾って来た。
プッツン 新入り?
女 1 よろしく。(女1、名を吉田美子という)
ミ ド リ 眼、大きいね?
吉 田 髪の毛まで栄養まわらなかったの?
□全員、笑い。
ミ ド リ 気に入った、このひと。
プッツン 古着って着古したから捨てるんだけど、たいていのひとは汚れたままでは捨てないの。綺麗に洗濯をして、ちゃんと折り畳んで捨てる。
マ コ 乞食は、だから洗濯する必要ないの。
バリ島 汚れたら、新しいのに着替えればいいの。
プッツン こいつ(ミドリのこと)は、家、あんの。乞食じゃないの。
ミ ド リ (プッツンの腕を取り)あたしの二人目のお父さんなの。
吉 田 お父さん?
プッツン そう。
ミ ド リ ほんとうのお父さんはいるんだけど、このひとの方がほんとうのお父さんなの。
プッツン アタマ、足りないわけじゃないの。
吉 田 さっき、話題に出てた名古屋というひとも今夜ここへ来るの?
バリ島 名古屋に金貸してんの?
□乞食達、笑い。
ミ ド リ 貸してたら、返ってこないね。
吉 田 いえ。まだいろんなひとがここに集まるのかと思って。
マ コ 今夜、俺たちの音を聴く集まりなの。
吉 田 「音を聴く集まり」?
マ コ うん。
バリ島 このひと(プッツンのこと)、音を聴く名人なの。
吉 田 音を聴く名人?
プッツン (照れ笑い)俺たち乞食はみんな音を聴く名人。
吉 田 どうして?
プッツン (微笑)どうしてって……、
バリ島 みんな家もってないし、寝るとこがない。だから他人のうちのシャッターの前とか、橋のたもととか、公園とかでダンボール敷いて寝るでしょ。
プッツン いつ金属バットでぶん殴られるか判んない。だから夜は横にはなるけどあんまし寝てないの。
マ コ 昼、寝るの。
プッツン 夜、誰もが寝静まってシーンとして、俺たちもこう横になって、けど俺たちの耳だけは動いてるの。
ミ ド リ いつでも逃げられるようにしてなければ死んじゃうの、こいつら。
プッツン 横になって耳を働かせていると、そのうち不思議なことが起こるの。ずっと耳を澄ましてまわりの音を聴いているとね、電池の無くなりかけたラジオみたいな雑音が小さく聴こえてきて、しばらくその音を我慢して聴いていると、その雑音が少しづつ、澄んでくる。すると、まわりに誰もいないはずなのに、何かひとごえのようなものが聴えてくる。はじめは、そのひとごえは小さいんだけどね、やがて何が話されているか判るようになってくる。
バリ島 聴えてくる声は、たいてい家族が卓袱台を囲んで、みんなで御飯を食べていたり、電灯の下で家族が揃って楽しそうに笑い合ってる、そんな感じの会話なの。
マ コ (微笑)あたしたちの聴く会話は、家族の食事の風景ばっかり。……海辺の家だ。
□全員、マコを見る。
マ コ 風がサー、サーって家の中を通り抜けて、小さな女の子が寝そべりながら、柱に足を預けて、……お母さんと話をしてるんだ。……アアッ。(微笑)今日、学校であった出来事をお母さんに報告してるんだ。
吉 田 聴えるの?
マ コ うん。
バリ島 みんなおなじものを聴くわけじゃないの。みんなそれぞれ違った家族の会話を聴いているの。
吉 田 幻の家族だ?
マ コ 「幻の家族」?
ミ ド リ (微笑)
□全員、耳を澄まして、何かを聴きはじめる。
プッツン おかしい。
□乞食達、プッツンのまわりに集まる。
プッツン、再度、耳に、集中する。
マ コ どう?
プッツン やっぱり何も聴えない。ただシーンとしてまるで大空から雪でも降っているような、静かな音を感じるだけなんだ。
プッツン そして、ときどき、大型の哺乳動物の鳴き声が聴えるんだ。
マ コ 大型の哺乳動物の鳴き声?
プッツン (微笑)うん。今夜、みんな判るよ。
バ/ミ うん。
□マコ、ハーモニカで「ダニー・ボーイ」を奏でる。
全員、その音色に耳を傾け、……やがて、拍手。
ミ ド リ お姉さん。
吉 田 何?
ミ ド リ あなたのことを、話して。何で、こんな処にいるの? ……聴きたい。
乞食達 うん。
吉 田 綺麗な月。
□全員、お月様を見上げる。
乞食達 うん。
吉 田 この月とまったくおなじくらいの大きさの月がもうひとつ、この夜空に浮かんで輝いているいる、ずうっと長いあいだそう思ってきた。
乞食達 ……
吉 田 実は、月は夜空にふたつあって、わたしにはもちろんひとつしか見えないんだけど、ある特別なひとたちのあいだでは、これとおなじくらい光り輝いているもうひとつの月がちゃんと見えている。ふたつの月が、同時にわたしたちの住む街を照らしている。……そのふたつめの月を、「内緒にされた月」と呼んでるの。
乞食達 ……
吉 田 眼に見えているものだけが、この世界に存在するのではなく、眼に見えていないものも、ちゃんとこの世界に存在しているのではないか。
マ コ 「内緒にされた月」。
乞食達 ……
吉 田 眼に見えるものばかりに追われてきた。もう、人生の帰り路。これからどう生きるのかを、考えなくてはいけないの。
ミ ド リ あたし、このひとたちの誘拐されたの。
□乞食達、微笑。
吉 田 ……?
ミ ド リ 「もしもし、お父さん、お母さん。あたし、誘拐されっちゃったの。現金で十万円用意して。じゃないと、あたし、ゴウカンされて、まるで紙屑みたいに東京湾に捨てられちゃうわ。お願い。助けて!」
吉 田 ……?
ミ ド リ じぶんでじぶんを誘拐したの。あたしが誘拐されたら、家族に昔のように団結する心が戻ってくるかもしれない。あたしのうちの冷たい庭にも花が咲くかもしれない。
吉 田 ……?
ミ ド リ 冷たい庭には、花は咲かなかった。……真夜中、ひとりで歩いていたら、このひとたちと。
□乞食達、微笑。
(5) 自殺男登場
□ネクタイをきちんとしめたサラリーマン風の男4が静かに登場。
舞台前面まで出て、靴を脱ぎ揃え、合掌し、やがて屋上のネットから地上へ、
五 人 アアーッ! 何するんだ!(サラリーマン風の男を抱きとめる)
自殺男 死なせて下さい!
五 人 何するんだ、馬鹿!
吉 田 こんなところから飛び降りたら死んじゃうじゃない、馬鹿!
自殺男 死なせて!
プッツン 止めろ、馬鹿!
吉 田 理由次第によっては、いつでも死なせてあげるから、落ち着きなさい! 落ち着きなさい! 自殺男死なせて下さい!
バリ島 落ち着いて訳を話せ、訳を!
自殺男 死なせて!
マ コ ヤローッ! いうこときかないとブン殴って殺しちゃうぞ!
自殺男 アーッ! ブン殴って殺さないで!
吉 田 聞いてあげるから、訳を話しなさい。
自殺男 (大泣き。やがて)ヒラメ! ヒラメの大馬鹿!
プッツン ヒラメ?
自殺男 ヒラメを山の中で造ったばっかりに!
吉 田 ヒラメを山の中で?
自殺男 養殖!
バリ島 養殖?
自殺男 はい。ヒラメを山の中で育てられれば、ヒラメ供給のシステムとマーケットに一大変革が成し遂げられるのです。
吉 田 山の中でヒラメを育てる? それ、あなた、発見したの?
自殺男 はい。
プッツン じゃ、アタマいいんじゃん。
吉 田 あたしたちでよかったら、聞いてあげるから話しなさい。
バリ島 話せば気分がズーッと楽になるって。
自殺男 ありがとうございます。
マ コ 話してみな。
自殺男 ぼくは、まったく新しい方法でヒラメを山の中で育てるシステムを発見したんです。
吉 田 へえ。ヒラメを山の中で?
自殺男 聞いていただけますか。
ミ ド リ 金、払え。
プッツン (たしなめる)ミドリ!
自殺男 ありがとうございます。単純にいって、魚を水槽で養殖する場合、魚の汚物をどうクルアーできるかが、最大のポイントなんです。具体的にいいますと、ヒラメの尿、オシッコです。オシッコの主成分であるアンモニアが酸化してできる亜硝酸の分解が、いままでの技術ではクリアーできませんでした。
プッツン 魚もオシッコするんだァ。
自殺男 亜硝酸は、脱窒菌という細菌によって窒素ガスに分解できますが、脱窒菌は、ヒラメ養殖用の水槽のように酸素が多いところは嫌いで、極端に能力が低下してしまうのです。
吉 田 何でその脱窒菌というのは酸素に弱いの?
自殺男 (周囲を見て)お応えしてもお判わかりにならないと思います。
乞食達 ……
ミ ド リ じゃ、きかないぞ。
マ コ (たしなめる)みどり。
自殺男 そこでぼくは、全国の干潟を歩き回った末、約五十種ほどの脱窒菌を集めて、そのなかから酸素があっても能力が低下しない極めて珍しい例外種を探し出すことに成功したんです。
五 人 へえ。
マ コ おなじ人間でも、えらいこと考えている人がいるんだァ。
自殺男 ぼくが開発したヒラメ養殖のシステムのミソは、実に単純で、フンやオシッコ、エサの食べ残こしで汚れた海水を、酸素に強い脱窒菌によって水質浄化を行う、これだけのことなのです。しかし、これだけのことでも、誰ひとりとして実際にクリアーできたひとはいなかったのです。ぼくの、酸素に強い脱窒菌の発見によってはじめてクリアーできたことなのです。
五 人 へえ。
吉 田 それは、どれくらいだいじなことなんです。
自殺男 (泣く)いい質問だなァ。
吉 田 どうぞ。
自殺男 はい。従来の養殖法では、たえず新しい海水を補給しなければならないため、ヒラメ一キロ当たり約三百トンもの海水が必要でしたが、ぼくの開発したシステムでは、海水を循環することができますので、ヒラメ一キロ当たり約三十キロしか海水を使用しません。海水は従来の一万分の一で済みます。
バリ島 飛躍的にコストが下がるわけだ。
五 人 成程。
吉 田 そんな素晴らしい発見をなさった方が何故自殺なんか?
自殺男 ぼくが、酸素に強い脱窒菌を求め、全国の干潟を歩いていた三年間、ぼくの女房は、子供を残しぼくの知らない男と駆け落ちしてしまいました。ぼくの人生は、いったい何だったのでしょうか?
吉 田 お子さんは?
自殺男 ぼくの母に引き取ってもらっています。「マキ子、ぼくは君を恨んではいない!」
吉 田 おいくつ?
自殺男 三才と十ヶ月です。アッ、三十三です。
四 人 ヤクだ。
自殺男 ぼくとの三年間の結婚生活が退屈だったのでしょうか? 女は判らない。
マ コ 奥さんは、あなたとの三年間の結婚生活に退屈していたのは事実だが、実は奥さんは、もっと根本的な不満をあなたに抱いていた。あなたは性的に不能に近かった?
自殺男 そんなことは、……ないと思います。
吉 田 お子さん、ふたりよ。
プッツン どちらかといえば、
ミ ド リ 強い方。
自殺男 恥かしながら。
バリ島 じゃ、奥さんは底抜けインランだった。
自殺男 (ズボンのベルトをとり、武器に)成長しろ。
吉 田 お仕事は?
自殺男 クビになりました。
三 人 クビ?
吉 田 どうして?
自殺男 女房に逃げられた男がいったいどういう顔をして会社へ行けばいいんです。いや、むしろ、ぼくの同僚の方がぼくより辛かったと思います。「おはよう」「おはようございます」「奥さん、お子さん、相変わらず元気?」「ハイ。子供は元気ですが、女房には逃げられました」「エエッ? そう。じゃ、景気なおしに一杯やらない?」「お心ずかいありがとうございます」「カンパイ!……じゃ、なかったね。では、長島君の再起を祝して!」(じぶんのこと)長島。「アアッ、美味しい」「ハイ」(自殺男、ガブ飲み)「長島君、そんなに飲んじゃ身体に毒だよ。長島君」「何? いま、何つったァ? 女房に逃げられた男が丸干しつまみに酒を飲んでいる? 何つまみに飲んだっていいじゃねえか。何? 女房に逃げられた男が酒を飲むのは生意気だ」「そんなこといっちゃいないじゃないか、長島君」「表へ出ろ!(再度、ベルト)」「長島君、部長だぜ」「アアッ、部長!」「部長!」
吉 田 注射、やってんの?
自殺男 家庭崩壊の前に、すでに人格が崩壊してたりして。
□自殺男、大笑い。
自殺男 ……と、笑えればいいのですが。
吉 田 本当に自殺を?
自殺男 アッ、究極の質問。……人恋しくて。
吉 田 そのベルトは?
自殺男 クセなんです。そこでひとつお願いが、
□突然、効果音楽「眠りの精は、お菓子ピエロ」入る。
照明、大転換。
舞台上の全員、ものにとり馮かれたように踊り始める。
(6) 最悪の訪問者
□警備服を身に着けた一人の警備員が現れる。
やがて、警備隊長が現れる。
音楽、小さくなり………、
吉 田 誰なの?
警備員 「LOVE」と呼ばれている。
隊 長 君も、そう、呼びたければ、そう、呼んでいい。
吉 田 何なの?
乞食達 ……
吉 田 どういうこと?
隊 長 (警備員へ)喋りたくて、ウズウズ、か?
警備員 (嬉しさを隠せない)
隊 長 三年ぶりに、音声を発することを都賀君、許可する。
警備員 (もう嬉しくてたまらない)シ、シ、シ………!
隊 長 落ち着け、都賀君!
警備員 シ、思想としての東京は、システムの贈り物なの。そ、それは、サラダ記念日を夢の精神分析すると、チュ、チュ、抽象化されたタ、タ、タ、タツヨシジョウイチロウ、好き………、
隊 長 ストップ。……オイ、進歩だな。
警備員 はい。
隊 長 (向き直り)取り引きしよう。
吉 田 「取り引き」?
隊 長 うしろに立っている五匹の猿を黙って渡してもらいたい。
乞食達 お姉さん!(合掌)
吉 田 その前に、
隊 長 『その前に』……? (笑い)『その前に』……? (大笑い)『その前に』……?
警備員 (大笑い)『その後で』? 『その途中』?
隊 長 (警備員をジロリと見る)目立たないところに立っていろ。
警備員 はい。
隊 長 (吉田をジイッと観察し)……四十三才。水瓶坐。血液型、O。六十五キロ。
警備員 (「クスッ」と笑う)
隊 長 (警備員を睨み)失礼。五十三、五キロ。百六十五センチ。結婚歴無し。……ヴァギナはしばらく使用されていない。
吉 田 夢よ。
警備員 (前へ出て来て、じぶんの腕をつねり)イタクナイ!
隊 長 すまない。これは(警備員のこと)、大道具と思ってくれ。
警備員 (再度、じぶんの腕をつねり)……ウデガ、イタイ! ……ココニ、イタイ!
□誰も笑わない。
警備員 (乞食達に)……笑え!
□乞食達、鼻で笑う。
警備員 鼻で笑ったなァ!
隊 長 鼻で笑われて、五年。もう、充分でしょう。
警備員 はい。
□この場を逃げようとする自殺男………、
隊 長 久し振りだな、ダッチンキン!
脱窒菌 お久し振り!
隊 長 新種のサイエンス・ホームレスだ。
脱窒菌 ダッチンキンです。よろしく。
隊 長 ヒラメの養殖に成功したといわなかったか?
乞食達 はい。
隊 長 だが、女房に逃げられたと?
乞食達 ええ。
隊 長 そして、会社をクビになり、
乞食達 はい。
隊 長 いま、とてもお金に困っていて、
警備員 「少しでいいから、あのォー、貸してくれませんか」?
脱窒菌 その前に、ハイ、隊長がお見えになって、ハイ……。(プッツンたちに)向こう三丁目から六丁目までを縄張りに、ハイ。今夜が御当地、初顔見せで、よろしく!
警備員 坐ってくれたまえ。
隊 長 別に、坐る必要はない。……インドへ行ったことがあるか?
乞食達 ……?
□警備員、隊長に椅子を用意する。
隊長、椅子に坐る。
警備員 インドのオールド・デリーのダウンタウンに「ナンガパルバッド」というテント張りのタンドール料理の店がある。「ナンガパルバッド」はタンドール料理の他に、もうひとつ有名な料理がある。それは、猿の脳味噌のカリーだ。
乞食達 (口に手を当てる)
隊 長 猿の脳味噌はほとんど火を通されないまま、カリーの中に白く浮かんでいる。カリーは、口と舌と喉を焦がしながら、しかも滑らかに内臓全体を熱くする。猿の白い脳は、舌の上でヒンヤリと冷たく感じる。ヌルヌルとしたかたまり、その表面の薄い被膜を歯で噛み破ると、
警備員 良質のオリーブオイルとコンデンスミルクを混ぜ合わせたような味が口の中に拡がり、カリーの刺激を一瞬にして消してしまう。
隊 長 消す、というよりゼリー状の膜を口の中につくり、味と香りをすべて封じ込めてしまうのだ。一瞬、贅沢な不快感に包まれる。やがてまた、スープを飲む。そして、その繰り返しだ。
脱窒菌 小便、したいんですが?
隊 長 そこでしろ。……不思議なことがひとつある。何だと思う?
乞食達 (首を振る)
隊 長 インドでは猿は殺さないのだ。インドでは、猿は牛同様、神仏の使いとしての位置を与えられているからだ。当然、猿の脳味噌のカリーに白く浮かんでいる脳は、猿のものではないことになる。
乞食達 (じぶんたちの頭を強く押さえる)
隊 長 ブリブリ!
乞食達 ……?
隊 長 ブリブリ!
警備員 ブリブリ!
隊 長 お前のことだ。
プッツン えッ?
隊 長 ブリブリじゃないのか?
プッツン プッツン。
隊 長 (笑い)そうか。プッツンか。すまん。では、プッツン。
プッツン はい。
隊 長 君に、質問をしたい。
プッツン 幼少期の家庭環境以外のことなら、何でも。
隊 長 そんなにつらい子供時代を過ごしたのか?
プッツン 子供時代は、いや。
隊 長 すまなかった。では、二×五は?
プッツン 二×五、十。
隊 長 では、二五×四、マイナス百十は?
プッツン 二五×四は百で、百から百十は、引けない。
隊 長 そうか。御苦労。……スリランカ。
乞食達 ……?
隊 長 スリランカ。
バリ島 バリ島、です。
隊 長 バリ島。すまなかった。(手まね)ケ・チャでもやるのか?
□警備員、ケ・チャをやる。
バリ島 いえ。
隊 長 何故、セイロンがスリランカと国名を変えたのか、知っているか?
バリ島 知りません。
警備員 知らない。知らないのか?
隊 長 (警備員へ)知っているのか?
警備員 知りません!
隊 長 バリ島。
バリ島 はい。
隊 長 東京都は千葉県、その他、どんな県と隣接している?
バリ島 千葉県、神奈川県、埼玉県、そして山梨県。
隊 長 ホウ。身近なことはつい忘れがちなのが人間だが立派だ。御苦労。……赤毛のアン!
乞食達 ……?
隊 長 赤毛のアン!
ミ ド リ ミドリ!
隊 長 誕生日が、四月二十九日か?
ミ ド リ 一月三日。
隊 長 一月三日? それで、めでたい顔してるのか? では、ミドリ。この日本列島で海を持っていない県が七ツある。
ミ ド リ 栃木、群馬、埼玉、長野、岐阜……、
隊 長 栃木、群馬、埼玉、長野、岐阜。パッパラ・パーだと思ったが、なかなかだ。あと、二つ。
脱窒菌 はい。(挙手)
隊 長 かまわぬ。
脱窒菌 あと、三つあります。
隊 長 三つ? 何処と何処と何処だ?
脱窒菌 山梨。
隊 長 あと二つ?
脱窒菌 滋賀。
隊 長 あと一つ?
脱窒菌 (微笑)
隊 長 早く言え!
脱窒菌 (微笑)奈良。
隊 長 奈良。ウーッ。奈良。奈良には、海は、無い。
□全員、拍手。
隊 長 クロワッサン!
警備員 (クロワッサンをひとつ、脱窒菌に与える)
隊 長 では、続けて訊く。オートバイの排気量の計算方式は?
脱窒菌 シリンダーの内径の2乗×ピストンの行程、ストローク×四分のπ、0・785。
隊 長 ホウ!
□全員、拍手。
脱窒菌 アラブ首長国連邦の「アブダビ」という都市の名前は、どういう意味か?
隊 長 俺に、質問か? (大笑い)俺に、質問か? 問題!
脱窒菌 アラブ首長国連邦の「アブダビ」という都市の名前は、どういう意味か?
隊 長 ヒント。
脱窒菌 1、ヒョウの子供。2、トカゲの尻尾。3、木登り蛇の舌。タン。4、カモシカの父。ファーザアー。
隊 長 1、ではなく。2、では、もちろんあるわけはない。3、と、いうと思ったろうが、4、カモシカの父、ファーザー!
脱窒菌 すっげえ、ずるい!
警備員 いいの。
隊 長 次。お米をタテに食べる奴。
マ コ (俺……?)
隊 長 お前だ。どうしたらそんな大きくなれるんだ?
マ コ (ヘラヘラしながら一回転)
隊 長 母の名は?
マ コ アジャ・コング。
隊 長 相手にしたくないタチの人間だな。……赤毛のアン!
ミ ド リ はい。(前へ出る)
隊 長 お前は、ものをしゃべるたんびに目をパチクリする奴だなァ!
ミ ド リ (下がる)
バリ島 はい。(下がる)
隊 長 水の分子式を述べよ。
マ コ H2Oです。
隊 長 水素分子は、酸素分子にいったい何度の角度で結び付いている?
マ コ (判からない)
□後ろへ下がる乞食達。
詰め寄る隊長。
吉 田 一〇四、五度。
隊 長 ホウ! では、一〇四、五度とは何と呼ばれているか?
吉 田 『生命の角度』と呼ばれている。DNAの螺旋、松かさの模様、カタツムリの殻、ヒナギクの花芯の配列など、すべての生命体の構造にまつわる共通の角度が、一〇四、五度です。
□全員、拍手。
隊 長 自然に拍手がわいたな。実にすばらしい! これで決まった。
□全員、訳が判らない。
隊 長 プッツン。
プッツン はい。
隊 長 おめでとう! いままでの質問で、君の脳が一番ヒダの少ないことが立証された。
警備員 カリーに浮かぶ白い脳はヒダが少ないほど美味しいといわれている。
プッツン 百+百は二百。千+千は二千。一万+一万、ごめんなさい。
マ コ 決まった。
隊 長 プッツン。君は、明後日の夕闇迫るインドの「ナンガパルバッド」へ無料で旅行することができる。
警備員 そこで君の脳はヒンヤリと冷やされ、テーブルの上におかれることになる。
隊 長 だが、君は死ぬわけではない。
プッツン えッ、死なないの!?
隊 長 むしろ、プッツン、君は永遠の生命を獲得することができるのだ。
警備員 喜ぶのはまだはやい。
隊 長 プッツン、君の大脳、及び小脳は傷一つなく綺麗に取り除かれるだろう。そして、脳味噌のない身体となった君は、ADHホルモンの投与を受けることになる。
警備員 ADHホルモンは、君の心臓を休むことなく永遠に動かし続ける。血液型は?
ミ ド リ RHマイナス反応。
警備員 ますますありがたい。
隊 長 脳のない身体となった君の肝臓は、じぶんの脳味噌が無くなったはことには気づかず、永遠に働き続ける。何故なら、気づく、脳がないからだ。そして喜劇的にも、君の肝臓は永遠にRHマイナスの血液を生産し続けることになる。
警備員 プッツン、君の手首にはクダが繋がれ、君は、生きた血液バンクとなれるのだ。
プッツン イヤダァーッ!(気絶)
□全員でプッツンを支える。
警備員 隊長! 時間です。森ビル三十五番から三十七番の警備が待っています!
隊 長 本日の教訓。人生にテーマなど求めてはいけない。それは堕落だ。以上。プッツン、旅立ちは、明日だ。首を洗って待っていろ!
警備員 隊長!
隊 長 ヨッシ! ……アデュ!
□警備員、隊長、舞台背後に去る。
全員、大きく溜め息。
(7) 飼育員登場
□男5が、静かに舞台へ現れる。
男 五 失礼します!
□全員、振り返り見て、……?
男 五 札幌から参りました。
マ コ もしかして!?
男 五 はい。自分は、札幌の丸山動物園の飼育課に勤務しております勝部良一です。はじめまして。
プッツン わざわざ札幌から来てくれたの!?
飼育員 この度は、いろいろお世話になります。
バリ島 ありがとう!
飼育員 手紙に同封されておりました航空券、使用させていただき、お言葉に甘えて東京まで出てまいりました。お礼をいわなければならないのは、自分の方です。ありがとうございました。
プッツン 坐ろう。
飼育員 その前に、自分は、北海道しか知らない田舎者で、だいぶ訛ます。それに、足が悪いので、見苦しい態度になるかと思いますが、勘弁して下さい。
プッツン そんなこと気にすることない。
飼育員 ありがとうございます。改めまして、勝部良一です。
□それぞれに名乗り合い、互いに目礼する。
プッツン (吉田に)俺たち全員の耳に聴こえはじめてきた不思議な「幻の家族」の正体を、
マ コ 今夜、あばくの。
プッツン 坐ろう。
マ コ (椅子を飼育員に貸す)どうぞ。
飼育員 ありがとうございます。……さっそく本題に入ります。自分は、北海道の大学の農獣医学部を卒業して、すぐ札幌の丸山動物園の飼育課に勤務いたしました。勤務して三年になります。自分は、象、及び犀、河馬、大型の哺乳動物の飼育を主に任されています。大型の哺乳動物といっても象はゾウ目、犀はウマ目サイ科、河馬はウシ目カバ科で、まったく性格が異なりますし、生活のスタイルも違います。でも、職員が少ないので、自分が係になっています。みなさんからお尋ねのあった事件が起こったのは、今年の二月、北海道でも珍しいといわれるほどの大雪の降った早朝、午前五時、犀の檻の中で起こりました。その事件の顛末は(手紙を出し)この手紙に書いてまいりました。自分はこれが(会話)、アレ(苦手)ですので。
プッツン お姉さん。(手紙を受け取り、吉田に渡す)
□乞食達、吉田の周囲に集まり、吉田の手紙の音読を聴き始める。
吉 田 その日、ぼくは宿直でした。最後の夜の定時の点検では異常はまったくなく、犀も象も河馬も気持よさそうにゴロンと横になって眠っていました。ぼくは、翌日の朝五時の点検までは仮眠することが許されていました。朝四時半に、時計のベルで目が覚めたぼくは、まずはじめに犀の点検に行きました。
プッツン その飼育宿舎というのは、大きいの?
飼育員 小学校の体育館ほどの大きさです。全体を、六つの個室に区切り、象や犀などを一頭づつ入れています。
吉 田 ぼくが飼育宿舎を出て、雪のなかを懐中電灯で足元を照らし歩きはじめて、フト視線をあげた時に、まずはじめの異変に気づきました。飼育宿舎に明りが点いていたのです。明りは昨夜、確かに消したはずなのです。夜、明りを点っぱなしにすると動物たちにストレスがたまるのです。ぼくは、どうしたのだろうと思って急いで玄関の前に立ちました。玄関は閉まっていたのですが、玄関の錠が下りていないのです。昨夜、ぼくは、錠を下ろし、指差確認をました。指差確認は、ぼくたち飼育員の第一に守らなければならない義務なのです。
飼育員 危険な動物を街中で飼っているわけですから。
吉 田 ぼくはとっさに誰かが錠を開けたのだと判断しました。飼育宿舎に侵入するためにです。
飼育員 こんなことははじめてのことです。
吉 田 ぼくはまず、再度玄関の錠を下ろし、総合司令室へ向かいました。このような時、ひとりの勝手な判断で飼育宿舎に入るのは危険だからです。上司の判断をあおごうと思ったのです。向井医師がおられました。向井医師に話したところ、向井医師はさっそく園長に電話をしました。園長の指示は、わたしがゆくから警察にはまだ連絡を取らぬようにということでした。園長は三十分ほどで駆けつけました。園長、向井医師、ぼくの三人は、犀たちのいる宿舎に向かったのです。
飼育員 まったくすごい雪の朝でした。
吉 田 ぼくたちは、まず雪の降り積もっている飼育宿舎の裏手に回り、裏手の扉の錠が下ろされていることを確認してから正面の玄関へ向かいました。ぼくは、錠を開け玄関の大扉を思い切って開けました。飼育宿舎の中はシーンとしていてまったく音はありません。次に、明りのスイッチを全開にしました。一瞬、フラッシュがたかれたような明るさで、あまりの明るさに驚いたのか、大型の哺乳動物たちがいっせいに立ち上がる気配を感じました。全身に鳥肌が立ちました。ぼくたちはうなずきあい、園長は象の檻へ、向井医師は河馬の檻へ、ぼくは犀の檻へ用心しながら進みました。犀の檻の扉の錠が掛かっていませんでした。ぼくは勇気をふるい起こして、犀の檻の扉を開け、中へ入りました。犀は起きあがっていて、何ごともなかったように雪の降る札幌の空を窓からジッと眺めていました。しかし、犀の角が真赤でした。そこに、三崎恵美子さんがおられたのです。
バリ島 犀の檻のなかに、女のひとが?
飼育員 はい。
プッツン その女のひとはすでに死んでいた?
飼育員 犀の角に刺されたと思われる胸部の傷からおびただしい出血があったのでしょう。すでに死んでいました。五時四十三分でした。
プッツン 警察は、何ていってんの?
飼育員 警察は三崎さんの死を自殺と断定しました。しかし、自分は、そう思いません。自殺ならもっと簡単な方法があるはずです。
バリ島 薬を飲むとか、身投げをするとか。
飼育員 何故、三崎さんは、犀の檻に忍び込むというような手の掛かることを敢えてしたのか。その謎を、警察の見解は何の説明もしていません。
プッツン 三崎恵美子さんという女性と、その身元は?
飼育員 自分は、この不思議な事件が頭から離れず、独自に調査しました。三崎恵美子さんは地元、北海道札幌生れで、二十七才。独身。これといった恋人もいませんし、生命に関わるような病気ももっていません。そして、遺書らしいものは見つかりませんでした。
マ コ 女性が、雪の降り積もる動物園の犀の檻のなかで? 雪の降り積もる? プッツン?
プッツン 何も聴えなかったんじゃないんだ。やっぱ雪の降り積もる音を聴いていたんだ、札幌の。
マ コ 雪のなかから三崎さんは俺たちに向かって何か話しかけようとしているんだ。
飼育員 自分は、この事件が、気に掛かって仕方がありませんでした。そこへ、札幌の丸山動物園周辺をネグラにしている山田と名乗るホームレスが、みまさまからの手紙を携えて現れたのです。その手紙の内容は、自分をびっくりさせるに十分なものでした。それで、こうして東京に出て来たのです。お願いです。この犀の檻の中で起こった謎を解いて下さい。
吉 田 どういうことなの?
マ コ 最近、あたしたちみんなの耳に妙な現象が起きているの。雪が空から降って来るような静かな音と大型の哺乳動物の鳴き声のようなものが、日に何度も聴こえてきては、すぐフゥッとたち消えてしまうの。
□乞食達、うなずく。
マ コ あたしたちの耳に聴こえてくる音は、果たして何なのか、あたしたに何を訴えたいのか、乞食の全国ネット・ワークを通して探ってみたの。
プッツン 全国乞食通信網。略して「お乞食ネット」。
バリ島 乞食には、あたしたちみたいに一箇所に定住する乞食と季節に応じて関越自動車道や東北自動車道を行ったり来たりして暮らしてる乞食、そのツー・タイプあるの。
マ コ 雪の音と大型の哺乳動物の鳴き声、その二つの音を手掛かりに全国のすべての動物園に「お乞食ネット」を通して手紙を出してみたの。
ミ ド リ 待つこと、六ヶ月。今夜、札幌からことの真相の手掛かりを持ったひとが尋ねてきてくれたわけ。お姉さんは、その謎解きの現場に居合わせてしまっているの。
プッツン 何故、三崎さんが死を覚悟して犀の檻へ入ったのか。
飼育員 はい!
プッツン (微笑)その応えを、今夜、三崎恵美子さんじしんに応えてもらおう。
吉 田 死んでしまったひとに応えてもらうなんて。
マ コ 名古屋。名古屋なら出来る。
脱窒菌 名古屋!
プッツン 名古屋は、俺たちのなかでいちばんの声を聴く名人。
(8) 降霊者登場
□ふらりと舞台奥から現れる名古屋さん。
名古屋 オスッ。
乞食達 名古屋!?
プッツン どしてた?
マ コ 捜しに行こうかと?
名古屋 誰を?
マ コ お前を。
名古屋 俺を? 何んで?
プッツン こちら、札幌の動物園の……、
飼育員 勝部です。(礼)
名古屋 悪いけど今夜は勘弁。今夜はダメ。お前らの魂胆、判ってる。
プッツン 魂胆?
名古屋 北海道出身の乞食に、俺の「上野発の夜行列車着いた時から」聴かせたいってか?
吉 田 ほんとうにこのひとが、名古屋さんというひと?
名古屋 青森で生まれても、「名古屋」というは、これいかに?
吉 田 東京で生まれても、「千葉」というがごとし。
プッツン そんな遊んでる時間ないの。
吉 田 すいません。
マ コ 名古屋君、石川さゆり以外にお願いしたいことがあるの?
名古屋 小林幸子?
バリ島 馬鹿。お前のこと、みんなして待ってたんだぞ。
吉 田 吉田美子といいます。
脱窒菌 ダッチンキンです。
名古屋 アレッ!?
脱窒菌 この前はどうも。
名古屋 この野郎、飲み逃げの常習犯!
脱窒菌 北海道の札幌で死んだ女のひとを呼び出してもらいたいんですって。
名古屋 死んだ女のひとを呼び出す。何を、来た、そうそう。……美人?
飼育員 えッ?
名古屋 美人じゃないんだ。
飼育員 ブスじゃないです。
名古屋 美人じゃないけど、ブスじゃない、程度ね。で、いくつ?
飼育員 二十七才。
名古屋 未婚?
飼育員 はい!
名古屋 スリー・サイズ?
プッツン 何、考えてんの、お前?
名古屋 集中に入ってんだから、もう。処女?
飼育員 だと。
プッツン そんなこと関係、
名古屋 あんの。
飼育員 どうでしょう?
名古屋 面白そう。
バリ島 よかったね。
飼育員 お願いできますか?
名古屋 成功率、まったくないよ。
全 員 えッ!?
名古屋 商売でやってきたわけじゃないだもの。道楽でやってきたんだもの。いやならいいよ。
飼育員 お願いします!
吉 田 あたし、何だか全然乞食だらけで判んないけど、あなたにかけてみます。
名古屋 名前?
飼育員 (紙に書いた名前を渡す)
□名古屋、「三崎恵美子」と面白そうに名前を読み上げ、集中に入る。
全員、名古屋の周囲に坐る。
名古屋 お布施!
全 員 ……?
名古屋 お布施!
全 員 お布施?
名古屋 お前ら、泥棒か? ひとに頼みごとをして、お布施。
全 員 すいません!
名古屋 お布施の金額如何によって、成功率が上下します。
□全員、お布施を出す。
マ コ おなじ乞食同志で金取りやがってねえ。……泥棒乞食!
名古屋 見えて参りました。
吉 田 早いのねえ?
名古屋 私語厳禁!
全 員 ハーッ!
名古屋 ハヨ、オリロ! ハヨ、オリロ! ……やったァ! 御降霊です!
全 員 ハーッ!
□テレビの「ツイン・ピークス」の音楽入る。
脱窒菌 「ダイアン。現在、午後、七時十五分。ここは、ツイン・ピークスだ。妙な胸騒ぎがしてならない。何か、とても恐ろしいことが起こりつつある前兆を身体が感じている」。
マ コ 「ハーイ。ローラ!」
バリ島 「ハーイ。ドナ!」
飼育員 何ですか、これは?
名古屋 無理だね。死んだひとを呼び出すなんて。
プッツン 無理かァ。
飼育員 そうですか。
(9) 最後の訪問者
ミ ド リ 「わたし、自殺するつもりで犀の檻の中へ入ったわけではないわ。ただ、檻の中の犀を解き放したい……、」
マ コ ミドリ!?
バリ島 ミドリちゃん!?
ミ ド リ 何?
プッツン お前、いま、何、いった?
ミ ド リ 何も。
プッツン 何もって、
マ コ 「犀を檻の中から解き放せたい」?
ミ ド リ 「わたし、生きてゆくことにどうしても自信が持てなかった。」
□効果音楽、中島みゆきの「サッポロSNOWY」が入る。
プッツン ミドリ!
名古屋 ウソォーッ!? 成功、しっちゃった、の、かな?
ミ ド リ 「生きてゆく上で必要なもの、それがなくては生きていても仕方のないもの。そんな大切なものを、わたし、何処かに落としてしまった。それ以来、わたしは、空っぽ。事実として空っぽ。」
プッツン ミドリ!?
ミ ド リ 何?
脱窒菌 「事実として空っぽ」?
ミ ド リ 「二十五を過ぎた頃から、味覚がなくなり、どんなものを食べても味を感じない。みんな焦げ過ぎた食パンでも食べているみたいにパサパサ。フルーツでさえ、コーン・フレークのようにガサガサ。やがて、ものの香りや匂いを少しずつ失いはじめた。バラの花や香りの強い香水でさえ、匂いを感じることができない。」
吉 田 「少しづつ、ゆっくり、わたしの世界は立体感と色彩感を失いはじめた。最後に、身体の痛みを感じなくなった。つねっても、たたいても、何の痛みも感じなくなった。」
プッツン お姉さん!
名古屋 私語厳禁ッ!
飼育員 何故、犀だったのですか?
吉 田 「そこは、アフリカ。果てしのない草原をクロサイの親子がゆっくりと歩いてゆく夢を見た。その夜以来、何度も何度もそのクロサイの親子がゆっくりと草原を歩いてゆく姿を夢見るようになった。ある朝、眼が覚めたら、わたしに、奇妙な考えがとり憑いていた。『犀を解き放す』。犀を解き放せば、味覚も臭覚も痛みも、戻って来るかもしれない。ウソでもいい、妄想でもいい、それは、わたしに残された最後の行動である気がした。そして、何日も、何日も丸山動物園に通い『犀を解き放す』日が訪れて来るのを待った。わたしは、わたしを取り戻したかった。」
飼育員 三崎さん?
吉 田 はい?
プッツン 取り戻せました、じぶんを?
吉 田 「はい。わたしは、わたしをやっと取り戻しました。」
プッツン それは、よかった。
吉 田 ……?
乞食達 (微笑)
吉 田 あなたたちは?
□効果音楽「眠りの精はお菓子のピエロ」入る。
飼育員、乞食達はじぶんの荷物を取り、吉田の前へ並ぶ。
乞食達、吉田に挨拶を交わし、舞台奥へ消える。
吉田、ひとりになる。
(10) エピローグ 屋 上
□朝を告げる小鳥たちのさえずり。
亭主が、舞台奥から出て来て、吉田のそばへ立つ。
吉田、亭主の気配に気づく。
吉 田 ユニコーンの夢を見た。
亭 主 ……
吉 田 泊まって良かった。
亭 主 ……
吉 田 帰ろう。
亭 主 ……
□二人、舞台奥へ去る。
効果音楽「眠りの精はお菓子のピエロ」入る。
舞台、ゆっくり暗くなる。
■終わり。94年8月20日脱稿