====================================================================== 菅間馬鈴薯堂通信 第三号 ======================================================================   ●vol.20「Coin Laundry」☆公演パンフレット   ●発行日☆平成十九年十月二十日   ●発行者☆菅間馬鈴薯堂   ●頒価五拾円   ●カット☆悪猫 ================================================= も……う……い……ち……ど……や…… り……な……お……そ……う……か……な…… =================================================  任意なふたつの問いを用意してみた。  @どういう芝居をやりたいのか?  Aなぜ芝居をやるのか?  青臭くてずいぶんと気恥ずかしい問いだが、@のどういう芝居をやりたいの かという問い、これは、どんな小説が好きなのか、どういう映画が好きなのか という趣味や嗜好を含めて、じぶんならこういう小説を書きたいとか、こうい う映画を作りたいという淡い願望のようなつもりで設定してみた。Aのなぜ芝 居をやるのかという問いの方は、芝居に甘美な自己慰安を感じるという意識か ら、社会的な疎外感の打ち消し、自己救済装置という意識を含めた世界で設定 してみた。  じぶんの体験から照らしていえば、じぶんたちの手で芝居をつくりはじめて からここ一、二年ほど前までの五、六年間、@のどういう芝居をやりたいのか という問いが圧倒的な勢いでじぶんたちの内面をしめていたように思う。もち ろんAがまったくなかったわけではない。Aは、たえず@をみつめていて、い わば@の問いの背後を構成していたように思う。だが、ここ一、二年、@の問 いとAの問いのバランスがじぶんのなかで微妙にくずれてきている。@とAと が逆転して、Aが@を圧倒してきたというのではない。@とAとが等価になっ てきたのだ。@とAとが相互補完的な関係、というか役割を演じはじめてきた、 そんな感じなのだ。@の展開のためには、是非ともAという内側の関門をくぐ らなければならないし、AがAを展開するためには、@という外側の世界に出 かけて行かなければならない。もちろん、こういう表現に対する意識の変化は、 ひとまず自然過程とみなすことができるだろう。だが、なぜ@の優性が退き、 @とAとが相互補完的になってしまったか。その変化にも必ず自然的(現実的) な意識の誘引があるはずである。  Bいい芝居っていったいなんだ?  このBの問いと対面し、この問いを切実に感じはじめたとき、@の優性はく ずれていった。だが、このBの問いの内在化は、@とAのバランスの変化だけ ではなく、たとえば次のような問いをも個々の内面に喚起するように思われる。  C人間にとって表現ってなんだ?  D「現在」ってなんだ?  気恥ずかしい問いだ。だが、できればここで、BCDの問いの自己体験の具 体性を述べ、「現在」の演劇表現が当面している課題に少しでも近づけたらと思 う。  ●いい芝居っていったいなんだ?  BCDの問いは、重層される性質をもっている。Bの問いは、CDの現実的 な、あるいは理念的な体験によって生起したものともいえるし、Cの問いは、 BやDに照射されているともいえる。Dの問いも同じである。あえてBの問い の発生の根拠をたずねれば、実感のレベルでも理念的な意味でも<アングラ>小 劇場の解体現象を目の当たりにしてきたというところに求められる。これが、 いちばん大きな、そしてわかりやすい目印と思える。  世代の体験としていえば、じぶんたち(ぼくは現在三十五才)の演劇表現は、 <アングラ>小劇場と呼称される芝居とともにあった。「新劇」の体験などなく、 芝居といえば、<アングラ>小劇場だけであった。いわば、じぶんたちにとって 芝居を作るとは、<アングラ>小劇場の演劇表現のあり方を模範とし、彼らの実 定の水準に追いつき、追い越すことが、芝居を作るということのすべての意味 であった。  ところが、いつの頃からかそういう思い込みに陰りがでてきた。じぶんたち のつくる芝居を含めて<アングラ>小劇場の芝居を、なにか遠くを見るような目 つきでしか見られなくなっているじぶんたちに気がつきはじめたからだ。<ア ングラ>芝居に虚偽の意識を感じるとか、疑念を抱きはじめたとか、そんな大 袈裟なことではなく、もう少し下層の情動の、なんとなく空々しい、風通しが 悪くなったなあ、窮屈だなあとか、そんな実感だった。だが次第に「これでは ダメだ」と思うようになった。<アングラ>の表現方法、あり方では、もうどこ にも行きつけない、そう認識するにいたった。  このような急変の認織は、すぐさまじぶんたちの芝居に反作用を及ぼす。「 それでは早急にじぶんたちの演劇表現の方法や思想の陣営をたて直して……」。 十年近くも首までどっぶりつかっていた舞台表現の方法やあり方である。そん なに簡単に舞台衣装を脱ぎ捨てるように陣営を立て直せるものではない。ただ 混乱が訪れ、芝居とはなにか、まったくわからなくなってしまった。  @とAのバランスが崩れたのはこの時期であり、同時に自然発生的にBの問 い、「いい芝居っていったいなんだ」がせりあがってきたのだ。  演劇の最大の課題のひとつは、現に生きて生活しているひとりの人間の全存 在に、まわり道しながらも接近し拮抗することだ。ひとつの表現方法はもちろ ん個体の表出によるものなのだが、その半分は、その個体が生きて生活してい る社会的な現実が負っている。ひとつの表現方法は、その時代の全現実に対す る個体の超出(幻想)の可能態ということだ。ある時代、ある社会の転移は必然 的に個体の幻想の転移を促す。ひとつの表現方法は次の時代の表現方法の相対 的土壌となって、使命をまっとうする。「これではダメだ」と、なぜ感じたのか。  <アングラ>小劇場の表現思想の現実(世界)把握と、推移流動しつつある生の 現実とのあいだに大きなズレが生じてしまっている。いかに舞台が高度に様式 化されて美しい舞台装束を着こもうが、そこに現に生きているひとりの人間の 生の呼吸(ほんとうの声)を舞台から感受できなくなってしまった。  <アングラ>小劇場の表現の思想とはいったいどのような表現思想であったの か。手に余る問題だが、これは避けて通れないじぶんたちの宿題である。  少し前、早稲田小劇場(現SCOT)の白石加代子さんを例に出して、「ああ これはじぶんにはできない」そういう印象を観客に与えるような芝居や演技を 表現の理念として無意織に目指していた、と実感のレベルで<アングラ>小劇場 の表現のあり方について語ったことがある。<アングラ>の時代は「個体神話」の 時代であった。「個体神話」の時代とは、個体の幻想の可能性の時代ということ ではない。逆説的にきこえようが、個体の幻想の不可能性の時代ということだ。 日本の社会構成総体の規制力の再構成とその強度を生活のなかで感受した個体 の、それへの反発(疎外の打ち消し)としての「個体神語」の時代である。時期的 にいえば、六十年代後半から七十年代前半の五、六年、これが<アングラ>小劇 場の隆盛期であった。「舞台は、戯曲を解説する場所ではない」。粗末だが、こ れがじぶんたちの体験的な<アングラ>小劇場の表現思想の骨格であった。当然、 古典的な劇の時間・空間性は解体された。近代の劇から現代の劇への架橋の役 目を果たした<アングラ>劇思想は、後代にどのような痕跡を残したのか。  ひとつには、日本近代劇史上はじめて、言語としての劇と演じられる劇との 分離に覚醒したことだ。これまでの近代劇思想は、言語としての劇と演じられ る劇とを一元的な、地続きのものとみなしてきた。そこでの俳優の演技表現の 処遇は、戯曲の内容を観客に伝える伝達師であった。そうでない場合も、つま り演技表現の問題がとりあげられ要請される場合にしろ、戯曲の語り手(解説 者)としての機能の先験性は損われることはなかった。  ふたつめは(ひとつめの結果だが)、演技表現の内在的な問題で、演じるべき 対象(登場人物)を対象的に自己意識から分離し、自己の表出意識に強い自覚を 明確に与えたことだ。観客は、俳優の演技表現から二重の意昧をうけとること になる。対象(登場人物)の表現と、同時に対象(登場人物)に対する俳優の独自 の把握の仕方の表現、二重の表現をである。  演劇批評は、この時期をもって主題主義(印象批評)ではなく、「作品」として の舞台総体から想像<創造>主体の表出意識を抽出し、内在批評へと踏みだす契 機を把かみうるはずだった。だが世の劇評家は、この契機を逸した。このふた つが<アングラ>小劇場の仕事の骨格であり、またこのふたつだけが後代の表現 思想への相対的土壌(痕跡)となりうるものであった。  <アングラ>小劇場が解体の兆しをみせはじめたのは、八十年以前の七十七、 八年の頃であった。一般的にいえば、<アングラ>的主張のひとつである「辺境」 「僻地」「閉所」というイメージの社会的な価値が、社会構造とその構成の拡大と 完備、個々の大衆の現実意識の上向、その両面から相対化され無効化されはじ めた時期に相当している。<アングラ>小劇場のイメージ産出の表出意識(位置) が、社会構造そのものにのみこまれてしまったのだ。  想像主体(作者、演出、俳優)の現実意識が、社会(世界)を把握(接触)できな いでいるとき、あらたな血路をみいだすか、世界との接触を自らたち切るのか。  ●人間にとって表現ってなんだ?  ●現在ってなんだ?  最近、人間と表現との関係についてあらためて考えさせられた一冊の本を読 んだ。芹沢俊介の「イエスの方舟論」である。いまのじぶんたちが人間と表現と の関係について思い煩っているときだけに印象深く読めたのかもしれない。「 イエスの方舟論」はその名のとおり記憶にまだ新しい「イエスの方舟事件」につ いての本格的な論考ある。    若い女性たちの作成した物語は、家族における対幻想の崩壊の深層とし   ての異人性を触発され、性の漂流にさまよいでることによって、それまで   の親子関係の近親相姦的な結びつきを切り捨てた。それは娘という自分の   死であった。この死の状態を新しい生の誕生へと促してくれたのがイエス   の方舟であったというものである。    「ここで、喪失した対幻想を代位しているのが千石イエスであり、イエ   スの方舟であることは確実であろう。若い女性たちのなすべきことはひと   つしかない。イエスの方舟に理想の対幻想をみることを断念することであ   る。対幻想の不可能性こそをみつめるべきなのである。そのとき「神を中   心とした親子関係」という新しい関係の地平が開示されてくるだろう。(中   略)千石イエスとイエスの方舟とはなにかの答えはもはや提出されている。   対幻想の不可能性の時代のメタファーであるということ、ここに、イェス   の方舟が人びとの心に神話的物語を強烈に喚起させたことの根源を認める   ことができる。       (芹沢俊介著「イエスの方舟論・構造論」)  偶然、「青い鳥」の木野花さんとお酒を飲む機会にめぐまれた。木野さんは、 「あたしたちにとっての芝居って、じぶんたちの<生>のリハビリテーションな んです」、そう語ってくれた。優秀な疎外論だなと思った。前述の箇所を読ん だとき、木野さんの発言を思い出した。この著作を、ただ「イエスの方舟事件」 と特定せず、現代の<地上論>として読んだらどうであろうか。現代人の生のモ チーフの喪失とその表現論、そう読んでもいいのではないか。この本の背後を 構成しているのは「人間は、なぜ<表現>を必要とするのか」という思想である、 そうかんがえてもいいのではないか。  千石イエスを中心に若い娘たちは、自己の生のモチーフの喪失と再生の物語 を聖書に求め、語り合い、抱き合い、分かち合っている。この語り合い、分か ち合っている若い娘たちの後姿に、人間にとって表現とはなにか、その初源の 姿がみえてくる。「表現行為」とは、なにも詩を書き、小説を書き、芝居や映画 をつくることだけに冠せられた名称ではない。イエスの方舟に集まった若い娘 たちと千石イエスとに生の<切実さ>と<痛ましさ>を感じるとすれば、それはじ ぶんの生の<切実さ>と<痛ましさ>とを感得しているということだ。日々の生活 のなかで、自己の生の<切実さ>と<痛ましさ>とが他者のそれと分かち合われる、 その関係と場、そこに表現行為の初源が浮かびあがってくる。  木野さんが「青い鳥」の芝居を「生のリハビリテーション」と語り、イエスの方 舟に集う若い娘たちが分かち合いの共同生活を現に営んでいる。これらは、表 現行為の最下層に流れる意識の河がなんであるかを、「現在」に向けて啓示して いる。そしてこの河は、人間が、精神としての人間としてこの世界に対峙する 限り、枯れることのない生命の河でもある。  Cの問い「人間にとって表現ってなんだ」は、Aの問い「なぜ芝居をやるのか ?」と通底し、Bの問い「いい芝居っていったいなんだ」は、@の問い「どういう 芝居をやりたいのか」を照射する。そして@・Cは合流し、Dの問い「現在って なんだ?」に向かって流れはじめる。    社会的な共同利害とまったくつながっていない共同幻想はかんがえられ   るものだろうか?    共同幻想の<彼岸>にまたひとつの共同幻想を思い描くことができるだろ   うか? こう問うことは、自己幻想や対幻想のなかに<侵入>してくる共同   幻想はどういう構造かと問うことと同義である。(略)いうまでもなく共同   幻想の<彼岸>に想定される共同幻想は、たとえひとびとがそういう呼びか   たを好まなくても<他界>の問題である。<死>が人間にとって心的に<作為>   された幻想であり、心的に<体験>された幻想ではないということだけであ   る。そしてこのばあい<作為>の構造と水準は、共同幻想そのものの内部に   あるとかんがえられる。(略)    わたしたちは人間の<死>とはなにかを心的に規定してみせることができ   る。人間の自己幻想、または対幻想が極限のかたちで共同幻想に<侵蝕>さ   れた状態を<死>と呼ぶというふうに。<死>の様式が文化空間のひとつの様   式となってあらわれるのはそのためである。                   (吉本隆明著「共同幻想論・他界論」)  「現在」をかんがえるひとつの方途は、現在の心的な<死>の構造と水準をとき あかすことだ。  以前、人間はじぶんの足でどれくらいの速度で走れるのか、という文章を書 いたことがある。東京オリンピックの時に、活躍したアメリカのヘイズ選手の 例をひいて、人間は、秒速零メートル(動かずに静止している状態)から、秒速 ほぼ十メートル(百メートルを十秒で走る)までのあいだでじぶんの身体を動か すことができるというものだ。人間のじしんの身体が世界を移動させうる能力 は秒速十メートルが今のところ限界ということになる。これを<直接的身体表 出の世界>と呼んでみた。人間の身体じしんではないが、人間がつくり出した 世界移動装置、そのひとつをジェット機に求めると、マッハ1とか2とかいう から、秒速三百メートルから六百メートル。人間が乗ることはできないが、も うひとつの例を世界同時生中継をみせてくれるテレビの電波に求めた。これを <非直接的身体表出の世界>と呼んでみた。「まず即座にかんがえられることは、 「科学の進歩はだれにも押しとどめることができない」、その言葉どおりだとす れば、非直接的身体表出の究極の世界、あるいはその無意識のモチーフはあら ゆる<差異>の消去、個体の、時間の、空間の、そして世界の差異という<差異> の消去だ。つまり<死>だ」、と。 もちろん「速度」という概念は、そのままで は共同の表象となりえない。「速度」という概念が共同の表象へ転換されるため には、人間の心的な<作為>をへて神話化されてゆく過程が必要である。「速度」 が、人間にとって負担(便利)の意識として意識化され生活へ浸透しゆく、その 度合に応じて、<速度>という概念は共同性の表象としての性格を獲得してゆく。  だがここで、課題にしたいのは、ますます光速に近づいてゆく非直接的身体 表出の世界を希望として語るのか、悲劇として認知するのかということではな い。そういう意昧でなら、その世界は、希望も悲劇も倫理も現在のところ受け つけない世界だからだ。そうではなく、演劇が、人間というイメージを組み立 て直そうとするとき、現在なにが不可避な課題のひとつなのか、ということだ。 直接的身体表出の世界、非直接的身体表出の世界、そのどちらか一方に重心を おいて人間というイメージを再編成することは、もはや無効なのだ。その両者 が不可視に遭遇する帯域をみつけだすこと。覚醒を強いられている。 初出<雑誌「転形1号」1986年頃?> ========================================= たくわんレシピ =========================================  干し大根6本の全部の重さを基準に、   @糠(ぬか)……20%   A塩……6%   B砂糖……5%   C乾燥させた柿の皮・唐辛子・昆布等……適当  〇九年十一月十六日、沢庵漬けをするために駅前の赤札堂で一本77円の青 首大根を六本買う。沢庵用の細長い大根は売ってはいるが、高価だしなかなか 手に入らない。千葉の百姓の友だち(右の沢庵レシピも教えていただいた)が青 首でも十分に食べられると教えてくれて、実際に青首大根で漬けてみたら美味 しかったので、今年も青首大根で沢庵を漬けことにする。約二週間、陽の当た るベランダで干す(…今年の晩秋は暖かい日と雨が多いのでちょっと心配です)。 十日間くらい干すとかなりしんなりしてくる。しんなりした大根をクネクネ丸 めたり擂り粉木棒や空片チョップで軽く叩きイジめ、内部の水分分布をなんと なく一定にする。また二三日干す。やがて干し大根が力を入れずともフニャと 自然に丸くしんなりする。これで漬けられる状態。糠、塩等を右の配分で、百 円ショップで買ったバケツに漬ける。バケツにビニール袋を幾重にも敷き、糠 と大根を交互に置き、まんべんなく糠で大根を包み込むようにする。ビニール 袋の口を締め、百姓からもらった重い石をバケツに乗せ、終わり。待つこと約 四週間、正月には美味しい沢庵が食べらる。実際に二年続けて右の要領で沢庵 を漬けてみたが、ぼくはとても美味しかった。妻は美味しくないといいました。 でも、ぼくは美味しかったから、今年も青首大根で沢庵を漬けます。正月明け に二回目を漬け、春まで食べます。  中学校の時、給食はなく昼食は弁当だった。冬場は白いご飯の上にたいてい 沢庵と鰹節、梅干しをのせ、じぶんで弁当を作った。昼食時に弁当の蓋を開け るととんでもなく臭い匂いが周囲に漂い、少し恥ずかしかったけど大好きだっ たので沢庵は毎日入れて弁当を作った。懐かしく美味しい思い出です。沢庵フ ェチの方は右のレシピでどうぞお試しあれ。  次回は、手前味噌(米麹+麦麹)の作り方を書きます。   11/20-2009