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◆菅間馬鈴薯堂通信 第四号

 

★vol.21「鯨屋の客」☆公演パンフレット

★発行日☆平成二十年三月五日

★発行☆菅間馬鈴薯堂

★事務所☆荒川区東尾久三の十一の十六

★カット☆悪 猫

★頒価☆五拾円

 

  劇評  「吉田鳥夫の夢」……無機王

 

若い演劇集団「無機王」の「吉田鳥夫の夢」という芝居をみた。
 この芝居は、舞台上の俳優さんたちの演技表現がちょっと貧しくみえたとしても、舞台作品として十分に<表現=作品>たりえていた。
 演劇は、エンターティメントもあれば、能狂言や歌舞伎もあり、新劇もあり、様々あるが、ジャンルの相違を超えて共通していえることは、いま生きてあることからやってくる人間の孤独や空虚について考え、深め、ほんとうのことをいおうとする姿勢をもった想像的な表現であり方法だ。
 「無機王」の「吉田鳥夫の夢」という芝居をみながら不思議な感じがしてならなかった。わたしにも、いまのわたしの力量ではとても創れないが、わたし以外のひとによってどこかで必ず創られているに違いないという舞台イメージがいくつかある。いまだみることはできないが、でもいつかきっとどこかでみることになるだろう、いや必ずみるに違いないと漠然と考えていた舞台イメージたちだ。わたしのそんな舞台イメージのひとつが、「無機王」によって見事に舞台で実現化されていて、懐かしいじぶんに「邂逅」した感じがして、狐につままれたようなとても不思議な体験だった。もちろん、この邂逅の仕掛け人は「現在」ということになる。
 「吉田鳥夫の夢」は、<ひきこもり>についての芝居で、ストリー展開もそれなりに工夫されていたが、たぶんそんなストーリー展開の奇抜さによる構成的な優性に、「無機王」の作者や演出や俳優さんたちは重きをおいていないようにみえた。芝居のエンターテイメント化には、あまり興味を示していなかった。それは、作品の全体感からすぐにわかった。
 かれらは、この作品は、<ひきこもり>についてじぶんたちの日々抱いている感想や感受性についてを素朴に舞台化しただけのものです、そういいたげであった。<ひきこもり>は、社会的な観点からみたとき、ひとから疎まれたり劣性あつかいされている。けれども個体の成長史からみる限り、<ひきこもり>は一過的な繭状態みたいなもので、個体の成長過程のなかでは不可欠なものであり、内在的な時間の厚い堆積を費やしてしかじぶんだけの価値の発見とその増殖を育むことができない時期があり、<ひきこもり>とはそういう個体の成長史の必須な過程に対応している時間なんです、そうみなしてもよいのではないですか。そんな感じのことを、少々照れながらだったがかれらは舞台の沈黙のうちに匂わせていた。もちろんかれらは、そんな発言を台詞として一行も舞台では発していない。
 もしそうだとすれば、その認識は、すぐれて現実的であり、ラジカルであり、芝居の構造たりうる認識である。
 だが残念なことにといおうか、惜しいことにといおうか、かれらはかれらじしんのその見事な認識を徹底させ、芝居の構造へまで引っ張っていくことをしなかったし、できなかった。そこには、かれらに在り、ぼくたちにもある、現在の世界の超えがたい壁が存在したからだ。もちろん違ったふうにいうこともできる。「無機王」の芝居は、ぼくたちの現在の力量では容易に越えることのできない世界の壁の所在を明らかに照らし出したいまどきちょっとたいした芝居なのだ、と。
 舞台は、<ひきこもり>というよりすでに心の病いの領域まで入ってしまっている主人公の自己内の会話、じぶんとじぶんの心のなかに棲んでいるもうひとりのじぶんが舞台へ登場して、声音として会話をすることが作品の要(仮構力)の魅力となっている。
 村上春樹の「海辺のカフカ」は、主人公の十五才の「ぼく」が、「ぼく」の心のなかに棲んでいる「カラス」と沈黙のうちに会話するが、この「吉田鳥夫の夢」では「ぼく」を演じる俳優(西山)さん、「ぼく」の心のなかに棲んでいる「カラス=タモツ」を演じる俳優(金森)さん、その二人の俳優さんを同時に舞台へ登場させ、「ぼく」の自己内の会話をその俳優さんふたりが有声で行う試みをしていた。「吉田鳥夫の夢」は、無機王版の「海辺のカフカ」なのかもしれないと思った。
 「吉田鳥夫の夢」では、主人公の「ぼく=鳥夫(西山)」には「カラス=タモツ(金森)」は相互にみえるのだが、他の登場人物たちには「タモツ」はみえないように設定されていて、「鳥夫」と「タモツ」との会話は、他の登場人物たちにとっては「鳥夫」のひとりごとと認知されている。
 ここでの演出の仕事の力業は、その会話の俳優の表情(雰囲気ややりとり)からいかに演技的なウソ臭さを、演じるものと見るものとの間で起こる「お芝居だからウソはあたりまえよネ」という弛緩した馴れ合いをどうクリアーしていくかという課題に尽きるように思われた。じぶんともうひとりのじぶんが舞台に立ち、会話する、それだけですでに充分過ぎる演劇的なウソ(仮構)だからだ。「無機王」の主宰で作・演出の渡辺純一郎は、できうる限り舞台でウソにウソを重ねないように注意しながら綿密に芝居を創っていた。
 いつかどこかできっとみるに違いないと思っていた芝居のひとつとは、舞台で「ひとりごと」の世界をどうしたら創りあげることができるかというイメージだ。それは「ひとり芝居」と呼ばれている芝居とは違う。「ひとり芝居」の世界は、「ひとりごと」のエンターテイメント化を志向している芝居で、無機王の芝居はほんとの<ひとりごと>の世界へ可能な限り近づこうとしている芝居であった。その差異は決定的だ。
 未視と既視のはざまへ落ちていくような芝居であった。

・06/03-2003 

 

  劇評  「冬物語」……椎名町オフィス

 

椎名町オフィスの「冬物語」は、きわめて素朴な芝居で「旅日記芝居」とでもいいたくなるような芝居で、主宰である古屋治男(のたぶん作・演出だと思う)の「インド滞在記」に多少のフィクションを取りまぜて芝居っぽくおもしろおかしく台本に書いて遊んでみたらこんな風になってしまいましたという芝居だった。
 少し粗っぽくこの芝居の質感の特徴をいってみる。昔の現代詩の世界で流行った言葉を借りれば<極私的演劇>とでも形容したくなるような芝居で、台本と演技のスタンスの取り方が特異で、<じぶん>の身長の高さと生活圏の枠を越えてなにも書かない、なにも演じさせない、旅行記につきまとう叙情性とか文化圏の相違から生じる自他国への文化批判などもまったくいらない、かえって余分なものだ。どこかのCMじゃないけれど、じぶんの私的な「インド滞在記」から「なにも足さない、なにも引かない」という芝居を考えてみたら、こんな芝居になりましたというものであった。
 芝居のストリーも簡潔で、インドのある田舎街の小さな安宿に日本人の観光客の男(西尾)が訪れる。男は、既にその安宿に何ヶ月も滞在しているという妙な日本人男性二人と出会う。先住の二人の男たちのひとり若い方は大学生(西條)らしいが、もうひとりの年長の男は観光客というよりはむしろ国際浪人(?)といった方がいいような男で、目的もなくただブラブラと世界中を歩き回っていてもう長いこと日本には帰っていない(帰りたくない)らしいくらいなことしか舞台では説明がなく、正体は不明のままである。先住のその男たちは、やはり日本からインド旅行にきている女子大生(本間)と三人して妙な活動をしている。それは、インド人に日本のカレーライスを食べてもらおうというボランテイア活動(?)らしい。いつしか男(西尾)も、その珍妙な活動に興味をもち三人の仲間入りをして、カレーライスの無料食事券などの作成作業みたいなことを手伝いはじめる。この芝居の面白さはここまでで結末はお決まりで、ある朝、男が目覚めてみると国際浪人風の男の姿がない。男(西尾)は、じぶんの身の回りの物を確認するが案の定旅行カバンやカメラとかの貴重品がどこにもみあたらない。国際浪人風の男は、実は詐欺師(?)だったことが判明し、芝居は終わる。
 この芝居の面白さ、優れているところはふたつある。
 ひとつは、インド人に日本のカレーライスを食べてもらおうという珍妙でヘンテコリンな発想を中心にした会話とその進行(実におもしろかった)。もうひとつは、実際にインドへ行ったものでなくてはわからないインドの地方都市の安宿の雰囲気(妙な蚊帳がベットの上から吊されてたり、変なインドの蚊取り線香が焚かれたり、インド茶がいれられたり等々)とその安宿で会話されるインドの特有の風土模様の見聞録だ。台本レベルでも演出レベルでも、このふたつの話題をケレン味も嫌味もなく(大きくもなく小さくもなく)自然に観客がみられるように実に巧み描いていて、それらに観客として触れることで、あたかも実際の古屋の「インド旅行記」をじかに読まされているというより、みているような錯覚に陥る。ああ、これは、やっぱり古屋治男の<私的日記芝居>とでも名付けるしかないと思える芝居だった。
 もちろん、そういったいい方は形容矛盾で、芝居では、<私的日記芝居>などというものは成り立たないからだ。
 「日記」を「台本」に変換する過程で、対象の演劇的構成(繰り出し)化は必然だからだ。まず日記の「語りの文章=地の文章」は、そのままでは舞台に持ち込めない。「語りの文章=地の文章」の固有性は、舞台美術や照明の質感、登場人物(俳優)たちの台詞や行動の感覚的な質感に転化(繰り出)されて表現化される。「語り手」と「私」とが微妙に混融している<日記>の固有の文体も、台本の作成過程では、こうした劇的な繰り出しの構成化の課程を経ることになる。またこの過程で作者は、すべて登場人物たちをn個の人格として等価に扱うことを強いられるから、作者はじぶんの表出の位置を一次元高次な位置に置かざるをえない。登場人物たち全体を見渡せるいわば<俯瞰の位置>みたいなところへだ。作者のこの表出の位置の転位は決定的なものだ。

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にもかかわらず、強く印象に残っているのは、「冬物語」は極私的な日記芝居としか形容のしがたいものであった。たぶんそれが「冬物語」の謎であり、その謎こそが「冬物語」を現在という時空に浮遊させている作者あるいは演出の優れた力量と感受性なのだ。
 この「冬物語」の芝居作りの核心は、独自の会話体(台本の文体)作りと声の出し方の微妙な匙加減の問題であったと思われる。
 古い話で恐縮なのだが、昔、東映の時代劇の大スター故片岡千恵蔵さんが斜陽な映画界からテレビ界へ転出したとき、なかなかテレビというメディアに馴れきれず大変に苦労したらしく、長い時間をかけてようやくテレビ的な演技に開眼し、映画とテレビとの演技の相違はなんですかと聞かれたとき「いやネ、結局テレビってさ、時代劇特有の七五調とか我慢の呼吸とか、溜めとかなんてまったくいらないのネ。むしろ余計なのね。普段しゃべってる声で普通にしゃべればいいということがわかったのヨ」と語ったというが、片岡千恵蔵さんのこの言葉は、じぶんの演技を「普段着」のところまで拡張しえたことを語っている。そしてここには語られていないが、片岡千恵蔵さんがじぶんの演技を拡張できたなと思ったとき、たぶん片岡千恵蔵さんの表現意識の内面で、日常会話のもつ高度な省略技法と生活のなかでの声の出し方の微妙さへの覚醒があったにちがいない。
 ぼくたちは、日常的な演技ぐらい簡単なものはないと考えるかもしれないが、実は逆で、日常的な会話(声やそれにともなう行為)はきわめて高度な表現方法の上に築かれている。たとえば会話の省略技法だ。ぼくたちは日常会話のなかで、表現対象や対象との関係や対象に対する目的語さえも省略し、簡単な動詞や代名詞だけで用を済ませたりしている。それでも意志は互いになんとか疎通してしまう。声の質感もそうで、声の質感の微妙な匙加減ひとつで喜怒哀楽を表現したりもしている。さまざまな省略技法を意識・無意識に挿入(駆使)しているからこそわたしたちの日常会話はなんとかスムーズに進行できている。
 「冬物語」の稽古場の課題の核心は、台本の主題をどう扱うかといったどうでもいいようなことはハッキリと捨て、台本の文体の問題、俳優の演技をどの方向へ拡張したら演技(演劇)の領土を拡大し深めることができるかという問題に焦点をあて、日常会話のもつ高度な表現方法(省略技法)を果敢に取り入れる方向へ舵を取りにいったことではないのだろうか。
 舞台にも、やはり映画のように舞台独自の演技と声の技術の古い既存性がある。椎名町オフィスは、そんな舞台独自の既存の演技とその声を独力で解体し、片岡千恵蔵さんのいう「普段しゃべってる声で普通にしゃべればいい」ことを獲得(拡張)したとき、日常会話がもつ高度な省略技法に彼らもまた覚醒していったのではないだろうか。椎名町オフィスが試行した解体と獲得の劇は、口でいうことは易しいが実現(方法化)することが大変困難なものであったろうと想像がつく。たぶんぼくの狭い知見では、この課題をみごとに通過しているのは平田オリザさんと青年団くらいなもので、椎名町オフィスもまた「現在」の公的な課題のスタートラインへ知らず知らず突入してしまった。
 「冬物語」を極私的な日記芝居としか形容のしがたいものに仕上げていたのは、たぶんそうした舞台の演技技術の既存性の解体と日常会話への覚醒であったに違いない。じぶんの身長を超えた視線で台詞を書かない。それが、かれらの今回の隠されたモチーフだったのではないだろうか。
 今後、彼らはどこへいこうとしているのか。それを問うことは<現在の壁>とはなにかを問うことと重なり合うはずだ。

写真:椎名町オフィスの主宰・古屋治男氏 ・12/01-1997 

 

  劇評  「ガム兄さん」……龍昇企画

 

ああ、これはいまではもう珍しい部類にはいったアングラ、いやクラック(Crack)芝居がやられている。この「ガム兄さん」の作者は、たぶんぼくと同年代だ。作者の名前はハッキリと憶えいる。いまから十数年前より現代詩の最前線で活躍しはじめた女流詩人の平田俊子さん、演出は福井泰司さん。
 ちゃんとみていたつもりなんだけれどぼくにはこの芝居の物語もその顛末もほとんどわからなかった。でもこの芝居は実におもしろかった。筋書きがわかっているわずかな範囲で、というかほとんどぼくの勝手な思い込みでこの「ガム兄さん」の物語を思い出してみる……、
 失踪したじぶんの女房の行方を探っている中年男(米田)が、失業中の義理の兄(失踪したじぶんの女房の実兄=龍昇)のところへ足繁く通ってくる。訪問の目的は、どうやら義理の兄は失踪した中年男の女房からいまだに仕送り(?)を受けているらしく、その手蔓から女房の行方を捜し出そうと考えているらしい。
 だが、そうした事実の探索線上に起こる様々なあれこれにこの芝居は重点が置かれて書かれているかというと、どうもそうは書かれていないような気がする。このふたり、とんでもなく仲がいい。中年男(米田)はじぶんの女房の失踪にかこつけて、兄(龍)はじぶんの職探しを理由に、夜毎ふたりで会い無駄話ばかりして楽しそうに時をやり過ごしている。なんだかよくわからないのだが、このふたりのあまりに楽しそうな無駄話と仲の良さが、この芝居を独自な雰囲気に仕立て上げているのは確かだ。女房の探索のことなどどこかに置き忘れてもかまわないと思えるくらいの比重でふたりの楽しい会話があり、巧みに演出されている。

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この芝居の不可解で不可思議な面白さは、あるいは作者として、演出として観客に体験してもらいたいと願っている世界はといいかえてもいいが、それは、この作品の主人公の中年のふたりの男たち(人生の折り返し地点で迷子になってしまった中年男たち)の内面に存在する空虚の露出の仕方とその空虚との奇妙な遊び方(させ方)の方にあると思えた。
 今夜もその中年男は義理の兄のところへ遊びにきて楽しそうに無駄話をしている。そこへ、ふらりとガム売り(黒木。チューインガムを売りにくるのだが、そんな職業あるはずないじゃんか)がガムを売りにくる。このガム売りの登場が、きわめてアングラチックで面白い。そのガム売りは、この世にありそうもない味(これももう忘れてしまったが、たとえば焼き秋刀魚の味がするガムとかハムのサンドイッチの味とか、カッパエビセンの味がするガムだ)のガムをふたりに売り込む。兄は、義弟の制止にもかかわらず、ガムを買い、味見をする。どうやらそのガムは、ガム売りのいう通りの味がするらしい。兄は、そのガム売りがというよりガムが非常に気に入り、ますますいろいろなガムを買い、嬉しそうに味見する。ガムのかたまりが、口のなかでゆで卵ぐらいの大きさになってしまっているのにガムを噛んで「うまいうまい」と嬉しがっている。やがて芝居は、ここから終盤にむかっていく。けれどこの芝居は、観客としてのぼくたちが、終盤の意味をとらえそこねてもいい気がする。
 作者の平田さんは怒るかもしれないが、この芝居は終盤にそれほどの意味はないといっていい。なぜなら、終盤に意味を屹立させたいのなら、前半のふたりの男の楽しそうな芝居のどこかに意味へ向かう不均衡な伏線を張るはずで、そんな伏線があれば、必ずふたりの楽しそうな会話はその箇所で渋滞や無意味な緊張を起こすはずだ。けれども、ふたりの会話に渋滞らしきものは微塵もなかった。
 この芝居は、ふたりの中年男たちの奇妙なほどの仲の良さと100%フィクションの存在としてのガム売りの舞台上での存在の仕方、両方に多少のウソ臭さや不自然さがあったとしても、生活感に裏打ちされた豊かな面白さとして演技が実現できていれば、さらに口のなかでゆで卵ぐらいの大きさになってしまっているガムのかたまりを嬉しそうに噛んでいる兄の光景を楽しく「バカだなァ」と思える親近感をともなう表現として演出できていたとすれば、すでに作品「ガム兄さん」は、貴重で奇異な感受性を舞台で十分に達成していて、それがこの芝居の現在に対するたぐいまれな「意味」であり「価値」である。
 たぶんこの不可思議な芝居の本質的な感受性は、幼年期の幼児たちのママゴト遊びなのだ。そして、この芝居の意味は「現在」という「空虚」に、「怠惰」あるいは「懶惰」という姿勢で対峙しようと試みていることだと思う。
 失職という憂き目あった男の空虚感、女房に逃げられた男の惨めさと空虚感。そうではない。そんなことを作者や演出がいおうとしているのではない。この台本作家は、失職という憂き目あった男や女房に逃げられた男の惨めさや空虚感といったものを取り上げるアクチュアルな社会派作家ではありえない。職を失ったから「彼」は空虚になったのではない。女房に逃げられたから「彼」は空虚なのでもない。「彼」やぼくたちがもともともっている生への空虚、それぞれの内面のなかで水面下に沈んでいた生きることへの空虚感が失職や女房に逃げられた事件で露出してきた。失職や女房の失踪は、それぞれの内面に沈殿していた空虚を露出する引き金にすぎない。ここが、この台本の優れたところであり、ぼくたちを惹きつけるなにかであり、「現在」をなんとなく狙い撃ちしている姿勢の予感を感じるなにかなのだ。
 男たちは、「空虚」という大海原のなかで、「懶惰」という動力を使った小舟に乗っていて、どこかの岸辺にたどり着こうとしている。岸辺は、どこにあるのか誰にもかわからない。北か、南か、東か、西か、まったくわからない。けれども、たどり着こうとしている。ここでいま大切なことは、その岸辺の位置を安易に特定し、方向舵をその方位に確定することではない。とにかくどこかへ辿り着こうと試みる、それがいま大切なことなのだ。無駄な努力でもだ。平田俊子さんと演出の福井泰司さんは、そういっているように思えた。
 平田さんは優れた現代詩人であることは知っていたが、ぼくたちの「生活」のなかから「懶惰」ということの意味・無意味を素手で取り出すことのできるたぐいまれな台本作家であることを、この「ガム兄さん」でぼくは知らされた。
 ぼくには、この「ガム兄さん」という奇妙な芝居が、そう見えました。
 あなたには、どう見えましたか?

写真:龍昇企画の主宰・龍昇氏 ・7/31-8/3-1997 

 

 

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