日付:2018年5月 

  由緒のない演劇と、その稽古場

 

本番前の稽古 舞台上左から植吉、稲川実代子、菅間勇  

 

  村田与志行さんの文章への感想
 
 
 わたしと同世代(わたしは1950年生まれで、もうすぐ68歳)の人ならたぶん記憶している方がたくさんおられると思うけど、中学生か高校生の頃の学校の古文の時間に、
 
     少年老い易く学成り難し
     一寸の光陰軽んずべからず
     未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
     階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
 
 こんな漢詩を憶えていないだろうか。
 いまさらながらに昔の中国の詩人は誰にでも思い当たるふしがあるような意味深いすごいことをペロリというもんだなと思う。ところでこの詩句は、いままで昔の中国の詩人・中国南宋の思想家朱熹(しゅき)の作だと思われてきたが、近年は実は日本のお坊さんの詩句なんじゃないかという説が優勢になってきているらしい。
 「未覚池塘春草夢」という詩句がもの哀しくて、この詩句を50年近くも記憶している。
 詩句の解釈は、池塘は池の堤のことで、春草は若者を暗示し、春草の夢で若い頃の夢と希望に満ちた心持を指しているらしい。なぜもの哀しく映ったかというと、子供のころ、近所に荒川が流れているところに住んでいて、子供たちのいちばんの遊び場はなんといっても荒川の岸辺と土手で、土手は初夏の想い出が強く、土手でよく寝ころんでいた。岸辺近くの川面に緑色の水草がみのゆらゆら揺れている遅い春の夕方など、友だちが家へ帰ったあとひとりで川面をボーッとみていると、ただ川辺に打ち寄せる水草を見ているだけだったが、なぜかなんとなくもの哀しくなって、長い間川面を見続けていた。
 詩句の本当に意味するところなどわかりようもなかったが、詩句から与えられたイメージと、晩春の荒川の川面とが重なりあい、長い間心の奥深くでか細く呼吸していたのではないか。
 確か、20歳少し過ぎた頃だったと思うが、当時の鈴木忠志さんの早稲田小劇場の門を叩いて、末席を汚すこと許され以後5年弱のあいだ、鈴木忠志さんの薫陶を受けたが、その夢のような体験がわたしの生涯を決定づけたといってもよい。
 だが、あれから50年になろうというのに、わたしは、すぐれた舞台も、まとまった著作もみずからの手でつくりだしてはいない。ただ一人で岸辺に打ち寄せる水草を少年時代のように、ただ眺めていただけだったのではないか。
 
 
 昔話で申しわけないが、たぶん20年以上も前、劇団「転位・21」の山崎哲さんが時代の表舞台で元気に活躍されていた頃、山崎哲さんと故吉本隆明さんの対談があり、そのなかで吉本さんが山崎さんに芝居や芝居の稽古について質問していた。吉本さんは「演出家や俳優さんは、セリフや動きがはいったあと、稽古場でなにを稽古をするんですか?」、「セリフと動きが決まってしまえば、稽古をするが必要がないじゃないですか? なにを稽古するのか、教えて下さい」、そんな意味の質問をしていたことを憶えている。いまでもそのときの吉本さんの質問の意味がなんだったのか、いまでもどうしても頭から離れない。
 たぶん山崎さんは吉本さんのその質問に、誠実に応えたであろうが、やはりどうしても山崎さんの応えも思い出せない。
 吉本さんは山崎さんから、ほんとうはどのようなことを応えとして聞きだしたかったのだろうか。
 
 「稽古場は、いったいなにを稽古するところなのだろうか?」
 
 たぶんこんな幼い疑問というか愚問が、今回の「光合成クラブ・Ⅱ」や前回の「踊り子」の稽古中に、ぼくの心から離れることはなかった。というより、ここ30年、その疑問はわたしから離れたことはなかったが、近年、心のなかに未消化のまま沈んでいたそんな疑問が再度あたまをもたげたきたのだと思う。

 吉本さんが山崎さんに質問した事がらに似たような質問を、これももう40年も前の話になるが、大崎で劇場を構えていた頃の元気だった中村座の故金杉忠男さんに、
 「どうして台本のなかに登場する<書かれた人物>や舞台の俳優さんの<存在感>は、実際に生きて生活している俳優(呼吸する人間としての自然な存在感)よりどうして小さくみえてしまうのでしょうか?」。
 なぜかその当時、舞台の俳優さんが、小さく見えて仕方がなかった。そんな質問したことがある。唐突であまりに幼いこの質問に、金杉さんも可笑しそうにぼくの顔をみて「そうですね~」と、金杉さんを困らせてしまったことがある。でもオレは、いまでもこの自問の声に明快な応えをみいだしているわけではまったくない。
 まだある。金杉さんに、ひとつの役を、(A)さんと(B)さん、二人の俳優に演じてもらって、その両者の演技をわたし(たち)が見て評価するとき、仮に(A)さんは(B)さんの演技表現より面白かったし、優秀であると判断したとすれば、それは見るものの単なる主観的な一過的な判断に過ぎないものなのか、それとも演技表現を評価する普遍的・客観的な基準概念(未熟で、言葉ではまだいいあらせなかったが)が存在するのか。存在するとすれば、それはどのような言葉で言い表すことができる価値基準の概念なのか。たぶん演技表現の評価の方法やその考え方をじぶんでもいろいろ考えあぐねていたので、無遠慮に金杉さんにそんな質問をしてしまったのだ。そのときの金杉さんの表情を憶えていないが、あの金杉さんなら、きっと笑顔で「ぼくをそんなに困らすんじゃありません」といってのけたことだろう。

 だれもが、芝居とは、これこれこういうもんだ、演技とはこういうもんだ、という社会的な通俗性のイメージはだれでももっている。そして、それは相当程度深い認識や知恵の根拠に支えられている。わたしたちは、人を見ることにおいても、お芝居を見ることにおいても、玄人とも素人もないなにかをもっている。
 「稽古場は、いったいなにを稽古するところなのだろうか?」という問いについて、わたしは当時<推敲>というイメージ的な言葉でした応えることができなかった。
 
 喩は言語をつかっておこなう意識の探索であり、たまたま遠方にあるようにみえる言語が闇のなかからうかんできたり、たまたま近くにあるともおもわれた言語が遠方に訪問したりしながら、言語を意識からおしださせる根源である現実世界にたいして、人間の幻想が生きている仕方ともっともぴったりと適合したとき、探索は目的に当たり、喩として抽出される。
 
 詩の表現としての<暗喩>は、直接の意味として、作品の中心とはならないにもかかわらず、それなしには、本来的な意味の中心に、到達しない語法であるともいえる。
 
 前者は「言語にとって美とはなにか」、後者は「初期歌謡」のなかの吉本隆明さんの一文である。
 文中の<喩>とか<暗喩>という言葉を、詩固有の言葉としてではなく、
 
 
 感動詞のように意識の自己表出がそのまま、指示性として意識に反作用をおよぼし、文字に固定されたばあいだ対他的た関係をよびおこさたい言語を例にとるとする。たとえば感動詞<うわあ>を、<ウ><ワア>とわげて発音すると、何かを視たり、きいたりして感嘆している意味になるが、<ウワア>とひと息に発音すれぽ、うなり声や叫びごえをあらわすことになる。<ウ><ワア>と<ウワア>が、もしちがった意味をあらわすとすれぽ、ふたつの韻律のちがいにその理由をもとめなげればならない。すでに、韻律がふくんでいるこの指示性の根源を、指示表出以前の指示表出の本質とみたしてきた。これについて、へ-ゲルの『美学』(第一巻の中、竹内敏雄訳) には、つぎのようにかかれている。
 
 詩は韻文で書かれることを本質的要件とする。そうして韻文の様式はまさに韻律を有することを要件とし、この感覚的側面における区分が音や言葉に強調を加えるまってはじめて成立する。これによってかような材料は同時に感覚的領域から離脱したものとたる。韻文を聴くひとには、それが通常の意識において気ままに語られたものとは別種のものたのだといことがすぐにわかる。それに固有の効果は内容にあるのではなく、対象面にあるのではなくて、これにつげられた規定にあるのであり、この規定はこの内容にでははなくてもっぱら主観に帰属することを直接に明示している(赤字-吉本)。ここに存する統一性・均等性によってこそ、規則的な形式は自我性に諧和するひびきを発するのである。
 
 見事なのは、意味としての言語も、価値としての言語も、対他-対自的なものであるが、韻律としての言語が内容とも対象とも異なった「主観に帰属するもの」、いいかえれば意識それ自体に粘りついてはなれいもの、完全に対象的に固定化されないものとみている点である。これをへ-ゲルのように「強制を加える」ものとかんがえるかどうかはべつに論じなければならない。たとえぱ、日本語の韻文詩人である歌人に、七・五調、三十一文字は強制であるか、またはあらかじめ保証された形式の自由とかんがえるかたずねたぱあい、どちらの答えを得るかは、まったくわからない。散文家が制約とみるかもしれたい音数律が、歌人にはあらかじめ保証された無限の許可とみえることはありうる。
 日本語の韻律が音数律とたることについて言語学者は、充分た根拠をあたえているようにみえる。金田一春彦の『目本語』は、
 
 日本の詩歌の彩式で、七五調とか、五七調とか音数律が発達しているが、これも、拍がみな同じ長さで単純だからにちがいない。ただし、四や六がえらぽれず五とか七とか奇数が多くえらばれたのはたぜか。日本語の拍は、先にのべたように点のような存在なので二拍ずつがひとまとまりになる傾向があるからだろう。つまり二拍からなるものが長、一拍からなる。ものが短と意識され、そういう長と短との組合せで詩を作り出そうとするためであろう。いわゆる都々逸のリズムが、単たる三・四・四・三……でなくて一・二・二・二・二・二・一、……というふうに、一と二との組合せでできているのは、そのあらわれにちがいない。
時枝誠記の『国語学原論』 は、 若Lこのリズム形式を、等時的抽音形式と称するたらば、国語に於いて観取されるもの、そ して国語の音声的表現の源本的場面となるものは、L止しくこの等時的拍音形式のリズムである。 それは強弱型、高低型リズム形式に対立するものであって聴覚的には音色の変化に伴ふ知覚の -更新感により、生理的には調音の変化による運動感覚によつて、風帰が知覚される処のリズム 形式である。 るをえなかったものであるということができる。日本語の散文や自由詩は、いわ畦言語本質の表 現が、指示性の根源としての韻律と一言語の表出の特性として分離したものにほかたらたい。 たとえほ短歌のようた古典詩形がなにかを間いかえすとき、古典詩の一種だとか、五・七の音 数律をもとにした三十一文字の短詩形だとかいう答えは、はねかえってくるが、それが本質的に 問われ、本質的にこたえられたことは潅い。日本語において短歌は言語本質が指示性の根源であ る韻律と不可分のかたちで表出されたもの、したがって必然的に五・七め音数律とたった詩形の ひとつとしてかんがえられなげればならたい。 ここでまず、短歌的な表現をっかって韻律・撰択・転換・職をかんがえることにする。これは たんに例としてみるだげで、音数律をもったすべての詩型に共通した基盤から、短歌固有のあち われ方をあきらかにしたい。たとえば、近代定型詩や俳句にっいて考察しても、共通さと、それ 。ぞれの詩形に固有なもんだいがあらわれるはずである。 、到ず、短歌的な表現の原型をさだめてみる。tこでは自然物や事実を客観的た体でうたってい る形を原型にえらぶ。語り事の核が掃情とたり、やがて自然物のようた景物を触目のなかからえ らびとってうたう純粋叙景によって、短歌とLての表現を完成させていったという発生史的た理 由からも、またそのぽあいに短歌的な表出はいちばん特質をするどくあらわすという理由からも これを原型として大遇が朴ドじ  
 
 
戦後詩における修辞論
 みなさんは暗喩というものは流行歌の作詞などにはないとお思いでしょうが、たくさんあるのです。まず現代詩のほうで田村隆一の「細い線」という詩ですが、
 
   きみの盲目のイメジには
   この世は荒涼とした猟場であり
   きみはひとつの心をたえず追いつめる
   冬のハンターだ
 
 これはいい暗瞭です。ところでフォークの荒井由実の「あの日にかえりたい」にある暗喩で、
 
   暮れかかる都会の空を
   思い出はさすらって行くの
   光る風 草の波間を
   かけぬけるわた。しが見える
 
 このなかの「思い出はさすらって行くの」というところ、思い出はさすらうことはないのですが、「さすらって行く」は「思い出」の暗喩です。ここのところは上等の暗喩ではありません。しかし「光る風 草の波間」というのはすぐれた暗喩だと思います。荒井由美という人は自分で作詞作曲して歌っているのですが、こういう暗喩はフォークの世界では自然に使われているのです。この人なんか、もう少し本格的に言葉の勉強をすると現代詩のほうに入れますよ(笑)。
 
   わたしのなめらかな皮膚の下には
   はげしい感情の暴風雨があり 十月の
   淋しい海岸に打ちあげられる
   あたらしい屍体がある
 
 田村隆一の「十月の詩」ですが、これもいい暗喩です。
 
   君の肩越しに見知らぬ土地が見える
      (略)
   君の肩越しにつぎはぎの街が見える
 
 小椋佳の「君の肩越しに」。これもいい暗喩ですが、こっちは自分では暗喩のつもりではなくて、誰か、女の子の肩越しに見知らぬ上地が見えるということをほんとににいっているつもりなのかも知れない。けれどもこれが暗喩になっています。つまり、あるなにかを言おうとしているようにできあがっています。しかし作った本人はそうじゃなくて、実際、肩越しに街が見えたといってるつもりかもしれませんけど、読むほうには暗喩に思える。たとえば「つぎはぎの街」という言いかたはそれ自体が暗喩ですし、「君の肩越しにつぎはぎの街が見える」という言いかたをしますと、これはひとつの立派な思想ですよ。だれか一人の人、自分が関心を注いでいる人の肩越しにつぎはぎの街が見えるといったら、二人の関係、および二人の思想、環境、境遇といったものを全部象徴するに足る非常にいい暗喩だと思います。それでも現代詩にくらべるとやはり問題にならない。そのことはよくよく考えてみなければならないことです。歌謡曲やフォークにはメロディの助けというものがあります。また、その感性は多くの人の感性と同じものです。この多くの人と同じだというのは必ずしもいいという意味ではないんですよ。もっとよくならなければならないと思います。
 田村隆一の「なめらかな皮膚の下には/はげしい感情の暴風雨があり」というのも、ほんとういえばあまり上等じゃないんです。通俗的なところがある。こういう人はやろうと思えばできるんだけれど、やらないのはなぜかというとちぢこまっているからです。ちぢこまっな言葉の迷路のなかに自分自身が入っていっているからです。だから、たとえばフォークの歌詞をつくるなどということは通俗的だと思わざるをえないところに自分を追い込んでいるんです。それなら、この詩が高級かというと通俗的なんですね(笑)。だから言ってみれば現代詩もフォークもどっちこっちじゃないですか(笑)。つまり共通の問題があるんですよ。現代詩といわれているものは通俗化していくといいますか、大衆化していくといってもいいんですが、現代詩が大衆化していく要素とフォークなどの歌詞が向上していく要素とはいま共通に扱いうるところがあると思います。そのことが重要なことです。
 
 それは一つの時代、時代的な契機なんです。こういう時代はどういう時代かといいますと、つまり足が歩けないんです。暗喩でいいますと足は歩けないのに頭や感情はめちゃくちゃに歩きたいのです。めちゃくちゃなことをしてみたい。しかし現実は歩けないんですよ。そういう時代というのがとくにあるのです。転換期とかその前後とかいう時代には情況はしばしば同じようなパターンであるのです。大衆的な歌詞と現代詩といわれるものが同じようなところに入りこもうとしていることのなかには、それぞれの問題とともに同時に時代の課題というものがあるんです。そこから時代というものを見なければならない。時代を見るためにはどうすればいいか。それは現実を見ればいいんです。それに対して感応すれば時代というもの、つまり現代を見ることができます。
 もう一つ見る見方があります。それは言葉を見るんです。言葉というものを思想として見るということです。言葉自体が思想であるということです。その言葉によって時代を見ることができます。大衆的な歌詞と専門的な詩がおなじところに落ちこんでいるということは、それは暗喩でいえば足が動けないのに心は無限に動きたい。動かなければやりきれない。しかし動けない。そういう時代にしばしばこういう言葉の現象というのがおこるんです。つまり言葉に時代を見ることができる。言葉というのは思想なんで、そこから時代の問題を見られるといった時に、たとえはみなさんが,まかり間違ってフォークの作詞家になったり、現代詩人になったりしたときに、つまらないコンプレックスを持たなくて済むんですよ。持たなくて済むためにはどうしても言葉から同時代というものを受けとらなければいけません。現実のさまざまな働きから時代を体験することができます。しかし、それと同じように言葉で時代をあらわすこともできるし、時代に参加することもできるんです。ここにあげた詩がかりにだめであっても、それはどうしようもないんだよという不可避性というものがあるのです。詩人というものではどうしようもないことがあるということを受けとれば、だめであってもしようがないのですよ。現実の生々しい情況の問題なんです。
 
   杉や檜のうえに、わたしの心の
   ラジウムが、すこしずつ死と沈黙の
   つめたさを運んでゆく
 
   北村太郎の「庭」です。この人は技術的にはもっともすぐれた現代の詩人ですけれど、これはあまりいい暗喩ではない。
 
   淋しささえもおきざりにして
   愛がいつのまにか
   歩き始めました
 
 小椋佳の「シクラメンのかほり」ですが、これもいい暗喩ではないけれど、前のにくらべてそんなにけちをつけるものではありません。同じようなものです。いまいいました共通の問題をかかえているということです。
 
 
 
 
 
 
 
(村田与志行さんのBOTATANA-ERROR WEB 「2018 Ⅰ 菅間馬鈴薯堂の稽古 Ⅱ」より全文引用させていただきました)