2019年7月
じぶんのことでせいいっぱい・リポート
聞き手 「壊れている書き方」が、現在の台本作家のスタンダードだと?
菅 間 ぼくは、そんな感じで書き手と書かれた作品のイメージを抱いています。
ぼくは現場の職人だから、具体的にその日その日の積み重なりで自然に身に付いたじぶんなりの作業行程について大雑把ですが話したほうが手っ取り早いので、それを話してもいいですか?
ぼくは、大文字の社会的なテーマ性なんか一つも持っていません。けれどももう70才近いんだけど、芝居をつくりいた願望だけはまだあります。
では、どうやって書き出すのかっていえば、たとえば原稿用紙半枚ぐらいの場面(パーツ)やメモを一つひとつ書き出してみる。じぶんの日常生活のなかで感じたこと、次回の芝居で使用したい音楽、これは芝居にしたいなと思った小説や詩、こんな会話は現実の生活ではあり得ない、ウソだっと感じてしまっても見てみたい気持ちを抱く芝居の虚構性への嗜好、そんなもんをとにかく30~40枚書いてためてゆく。はじめは、それだけのことしかできないんです。そしてそれらのパーツやメモがじぶんのなかで熟成していくのをゆっくり待つしかないんです。つまり、才能もないクセにはじめからこういうものを書いてやろうみたいな感じで机に向かって失敗したことがたくさんありますから、いまはほとんどそういう書き方はしなくなりました。
そんな私的でローカルな話で、一般化しない話でも、いいですか?
聞き手 はい。「熟成」?
菅 間 じぶん以外の台本の書き手のことはわからないからハッキリいうことは避けなければならないけど、ぼくにはどうしても書かなければならないもの、書きたいものなんてなにひとつ持ってません。けれどもこの「書きたいものを持ってない」ということは、もしかしたら若い台本作家さんの多くも、そうなんじゃないかと思っています。そしてこのことは、大変に重要な現在の書き手の不安を煽る共通項だし、反転させれば村上春樹さん的にいえば一人ひとりが持っている「井戸」だとも思っています。
「壊れてしまった心」の修復の作業としてか、より自覚的に壊していく作業としてか、それぞの台本作家たちは不安のなかで、各々の選択がはじまっている、そう思います。
30~40枚たまったパーツやメモを、頭のなかで組み合わせていく。無理矢理にパーツたちやメモを関連付けたりしない。最初から辻褄を合わせない。テーマ性など求めたりはしない。そんなことを何度も繰り返していると、まだメチャメチャですけど、なんか薄ボンヤリしているけどパーツやメモが繋がったり離れたりして無定型なカタチみたいなものがあらわれてくる感触が出てくる。
そうすると、その無定型なものに、少しは明瞭なカタチや方向性を持たせたい感じが出てきますから、またパーツやメモの補完が必要になってくる。書く作業とは、喋ったように整然とはしていませんが、『継ぎ接ぎ』だらけの台本でいいとは思っていませんが、でもだいたいこんな感じで書いています。
聞き手 稽古場には完成原稿をもっていくわけではない?
菅 間 もちろん、できれば完成形をもっていきたいんですが、稽古は初期段階では、俳優を空高く飛ばすための、飛行場でいえば滑走路みたいなぐらいな原稿=メモだけです。で、稽古場では、そのメモの<公開性>や<ピント合わせ>みたいな具体的な問題を、俳優さんと稽古終了後の酒の席でワイワイガヤガヤと共に確認していくわけです。
聞き手 ワリと俳優さんたち相談して稽古場を進めていく?
菅 間 だと思います。
聞き手 たとえば、どんな?
菅 間 ぼくの書いていった台詞を、俳優の方から変更したいという申し込みは多々あります。こんなセリフは恥ずかしくて言いたくないという意見まで含めて。でも大きくセリフの意味内容や、人物形象や場面の雰囲気を大きく損なわなければ、ほとんど受け入れます。でもDA PUMPの「U.S.A.」のダンスの完コピをぜひやってみたいんだという作品の感性の根幹のかかわることは、ぼくも強調して発言し続けます。
聞き手 質問を変えます。では、そういう『継ぎ接ぎ』だらけの台本の書き方を現在まで持続してきて、その方法の最終形態といいますか、どいう芝居を実現できればよいと、考えていますか。それを訊かせていただきたいです? あるいは逆に、どうなってしまうとその台本の方法は壊れて無効になってしまうんですか、併せてそれも?
菅 間 そこがいちばん大事な問題なんです。考えてはいるんだけど、いまんところどうなったらベストだぜっていう芝居のイメージが無いんです、こういう芝居が作れればいいっていうイメージが。でも、反対のその方法の壊れ方、解体の仕方っていうのは、よくわかってる。人物や場面の関係が任意過ぎるものになって壊れていくんだろうなって思います。《任意の必然》(変な言葉だけど)が無くなってしまうこと。
聞き手 ダメです。ぜひ応えて下さい。たとえその菅間さんの方法は、ギリギリのどん詰まりの仕方のない選択であったにせよ、現在も持続的にその方法を採用している、当然その彼方に見えてくるものを心のなかで見ようとしていないわけないじゃないですか、一応台本書きなんだから。彼方に望んでいるビジョンを解答を拒否するのは、ポテトの芝居に期待を寄せて見に来てくれるお客さんを、裏切ることになりませんか。
--- 芝居に用途性、使用価値性はないと早々と宣言した作品たち ---
菅 間 初期老人の、黴がはえたような古臭い「夢」の話しかできませんが、それでもかまいませんか。「夢」だから当然実現しっこない話ですが……、
20才から現在(68才)のまでに芝居を見てきて印象深い作品を三つあげろといわれたら、
(1)鈴木忠志さんと早稲田小劇場の『劇的なるものをめぐって・Ⅱ(1970年)』、
(2)故金杉忠男さんと中村座の『竹取物語(1980年)』、
(3)故太田省吾さんと転形劇場の『水の駅(1981年)』です。
(1)~(3)は、これらは当時の時代状況が生んだ稀有作品で、現在再現してもあの当時のように衝撃的な感じをお客さんに与えないかも知れませんが、当時はこの三つの作品は実に見事の仕事だったと思います。三者まったく異なった芝居の位相、異なった方法の素晴らしい演出家と優れた力量のある俳優さんたちの共同仕事でした。でも現在からみて、最近はこららの三つ芝居に共通項があるんじゃないかと思うようになりました。
これら三つの芝居は、当時図式的に新劇(近代劇)対反新劇(反近代劇)というかたちでよく批評等に書かれていましたが、現在からみればということですが、<「演劇とはなにか」を当時鋭く問うている難しい芝居であるにも関わらず、優れたエンターティメント性を兼ね備えていた>作品で、それは芝居に用途性、使用価値性はないと早々と宣言した芝居なんじゃないかと考えています。ことに(1)と(2)は、台本の意味性を瞬間的に俳優の演技表現が超えてゆく、その演出力と演技表現は、見ていてハラハラしっぱなしで、素晴らしいものでした。黒澤明監督の『七人の侍』の「菊千代」役の三船敏郎みたいに。もともと黒澤監督は、ヒューマニズムの監督ですが、黒澤監督の映像って、彼が考えていることを彼じしんが壊して超えていってしまうという箇所が随所に出てきます。それが彼の映像の楽しいところなんです。そんな感じで(1)と(2)を見ていました。この二本は、再現の実現は到底不可能です。
やはり実現は不可能な作品なんですが、ぼくは故太田省吾さんと転形劇場の『水の駅(1981年)』の饒舌版というものをいつかつくってみたい、そう思ってます。喋りまくる『水の駅』です。
聞き手 喋りまくる『水の駅』なんて、ムリでしょう。だって、スタイルとしての沈黙とあのスロー・テンポとのかみ合わせ、その連結の妙が『水の駅』の不思議な力を醸しだしてるんだから、
菅 間 わかってます。でも、ムリだとわかっているから、どうしても考えてみたいんです。どうしたら実現可能になるのか、っていうことをね。
『水の駅』に、ぼくの趣味・嗜好をいえば不満がないわけじゃないんです。言葉(声)を殺すことが反面、太田さんは独自のスロー・テンポに更に磨きをかけていった、いかざるをえなかったと思います。なぜなら、スロー・テンポ、いわばあのリズムが科白の代用を果たしているのです。生命のリズムといってもいい。
ぼくは<声>が好きです。<声>は、顔と同じくらいその人間の情報をもっています。<声>を殺すことなく、無駄話の集積でもいい、リズムも現在の生活のリズムでOKというか、むしろそうしたい。そういうものが作れないかと思っています。
その準備は少しずつですがしてきています。これは、前回の公演の挨拶文の冒頭ですが、
『NHKの「ドキュメント 72」の構成をお借りし、定点カメラを西日暮里公園の小さな広場に据え、広場に集う人びとの言動を時間の推移のなかで描いたものです』
聞き手 今回の芝居の場面取りの大きな設定、つまり虚構の場所ですが、JR西日暮里駅の横の『西日暮里公園』と決めるのは、作業行程のなかの、どのような段階ですか? なぜ、『西日暮里公園』だったんですか?
菅 間 かなり早い段階で決めました。場所の設定は、室内か屋外の相違で、俳優の登場の仕方、話しの内容、衣装等々、様々に制約してきますから。場所の設定は、初期段階で行ういちばん大切な作業です。
実際の去年の夏、西日暮里公園で仕事の休憩中、タバコを吸って休んでると、女子高生たちが、一生懸命言葉を発する間も惜しむようにダンスの練習をしてるんです。また熱心にブランコでスカートを翻してどちらが高く上がれるかを競っている女子生徒さんたちがいたり、それを見て、今回の場所は、この公園の夜にしようと決めました。それに公園だから得たいの知れない人が自由に出入りしてますから、登場人物も出しやすいと思って、
聞き手 今回の場面設定も、喋りまくる『水の駅』へと繋がっていく作業の一環?
菅 間 そのつもりです。でも、今回は、ちょっとだけ違いました。
「書きたいこと」というより、試してみたいことが、書きはじめる前から三つほどありました。それを稽古場へ持ち込みました。場面の設定は、その試したいことを実現できるような場所に決定しました。
聞き手 「試してみたいこと」?
菅 間 たとえば、DA PUMPの「U.S.A.」のダンスの導入で、稽古場の雰囲気を変えたいとか。
聞き手 ああ、なるほど、
--- 追いつめられて硬くなっていく心 ---
菅 間 二つめは、前回の芝居「光合成クラブ・Ⅱ」のじぶんなりの反省から導いてきたことで、いままでサイド・ストリーというか、メイン・ストリーの補完的な役割、各場面の接着剤みたいな役割をを与えられていた「闇夜の提灯(1)~(3)」に、かなり物語性をもたせ、(1)~(3)を合わせて独立した一個の場面として書いてみたかったということ、前回話しました。
三つめは、これも「光合成クラブ・Ⅱ」の反省から出てきたんですが、これはタテヨコ企画の横田さんが三番目に提起してくれた問題とも交差します。(3)いつもの菅間の台本に較べて、直接的な言葉が多いと感じたが……、ということです。
『「光合成クラブ・Ⅱ」は、四人の女性の主人公たちのそれぞれ夢や現実を愉しい会話で描いたものでしたが、今回は、広場に集うさまざまな人びとの、一人ひとりのいわば<私語>の世界に近づきたいと思って芝居を書きました。
実は、前回の芝居には一つの不満がありました。主人公の彼女たちの四人(の共同性=小社会=言葉の水準)の会話では、どうしてもたどり着けない心の場所があり、それらの、他人に話すには憚られる個々の心の場所を探し、彼ら彼女らの一人ひとりの<私語>を描いてみたと思いました。
それで芝居になるのかと問われれば、わたしはそのような手作業が好きで、そういう芝居を作りたいと思い作りました、というほかないのです。ただ芝居には、芝居の見せ方の工夫・カタチを作り出すことが必要であり、その点についてはじぶんの力の未熟さを痛感しています。今後の課題とします』
菅 間 やはり公演当日にお客様にお配りした「ごあいさつ」文です。
上の文章でいう「<私語>に近づきたい」といった<私語>の場面を、今回は四つほど書きました。
(1) 一景 慎太と愛美のダンス(1)
(2) 四景 孝則と拓也のダンス
(3) 六景 高橋と美代のダンス
(4) 九景 たった一人の西日暮里駅襲撃
ここでなんとか書けたかなという場面は、(4)九景のたった一人の西日暮里駅襲撃のひとつだけだと思います。
聞き手 あとの場面は失敗したと? どういうわけで失敗と?
菅 間 たぶん、横田さんは、この(1)、(2)、(3)の場面を見て「いつもの菅間の台本に較べて、直接的な言葉が多い」と感じたんだと思います。
失敗の理由は二つあります。フィクションとしてのエピソードそのものの貧弱さと、文体の硬さだったと思います。
もともと「九景=たった一人の西日暮里駅襲撃」のエピソードも文体も貧しかったんですが、俳優の方からセリフが多過ぎるという意見もあってセリフを四分の一以下にしたり、また演じてくれた俳優さんの力量で、なんとか見ていただける感じにおさまりましたが、
聞き手 もう少し具体的に、
菅 間 「壊れてない」んです、作者が。<私語>の世界を作ろうという意気込みだけで書かれています。良く作ろう良く作ろうとして書かれている。お客さんにわかってもらえるように伝達しよう伝達しようと書かれているから、文体が説明的になり、速度も遅くなり、長文のセリフになる。俳優の生理なんててんで考慮されていない。これではまったくダメなんです。文体がまったくなっていない。
聞き手 でも、その場面を必要だと感じたし、書きたかったということですか?
菅 間 そう感じていたので、失敗を覚悟の上で書きました。
聞き手 その<必要性>とは、どんな種類のものなのですか?
菅 間 それがよくわからないんです。本音をいえば、言葉にならないんです、まだ。けれども、「光合成クラブ・Ⅱ」の書き方ではじき限界がくる。それは強く肌身に感じていた。ぼくのまったくの勘違い、錯誤かもしれないんですけど。
また台本の解説しながら語ってもいいでしょうか?
そんなものを、「四景=孝則と拓也のダンス」で二カ所ほど書いたんですが、その一つを……、
孝則 ……新三河島近くの六丁目の公園で、夜、タバコ吸ってたら、汚い自転車の前と後ろに、ビールの空き缶、山のように積んだ爺ィが来て、夜だし暗かったし、遠かったけど、アルミ缶の入った袋降ろし、なんかごちゃごちゃやってんだ。見てると、自転車の前籠から柴犬を取り出し、柴犬、そっと地べたへ降ろし、
拓也 アルミ缶盗み集めてる乞食爺ィ、犬、飼ってやがんの?
孝則 柴犬、うれしそうに散歩してんだ。けど、ようく見てみると、後ろの右足、無いんだ。
拓也 ……三本足?
孝則 後足一本無いから、飛び跳ねて歩くしかない。疲れるみたいなんだ。地べたに腹をくっつけて少し休憩し、またうれしそうに立ち上がって、歩く。爺ィ、ずっと犬のそばにいて、ドッグフードあげて、犬も人もその間、ひと言も声を発しない。
拓也 ……それ見て、ビックリしちゃった?
孝則 ……泣いちゃったんだ、その後……、
拓也 ?
孝則 爺ィ、自転車の後ろに着けていたポリバケツを持って、水道でポリバケツ、満タンにして、犬に水を飲ませて、
拓也 ……
孝則 残った水、公園の花壇へ、ザバーッて。十回以上、植込みに水あげて、花壇には、名前も知らない小さな花が、静かに咲いてて、
拓也 (唐突に)「オレにも、水あげ、手伝わせて下さい!」、言わなかっただろうな!
孝則 ……
拓也 なぜ、黙って、静かに、犬と爺ィ、見守ってあげなかったんだ! なんて言った?
孝則 ……「小父さん、アルミ缶、1キロ、いま、いくらぐらい」?
拓也 ……
孝則 (怒る)じゃどういう言葉で、声をかければいいんだ!
拓也 ……キンタマに染みる話だな。女なら、失禁もんだ。
菅 間 まったく描き切れてなくてダメ箇所なんですが、会話で最後のほうで「拓也」が「(唐突に)「オレにも、水あげ、手伝わせて下さい!」、言わなかっただろうな!」と怒ると、「孝則」は「小父さん、アルミ缶、1キロ、いま、いくらぐらい?」と応える。「拓也」は沈黙で対応する。すると「孝則」は怒りながら「じゃどういう言葉で、声をかければいいんだ!」いう。
ぼくじしんがこの箇所の解説を試みれば、登場人物の二人が「なにを喋っているのか」という問題も大きくありますが、それ以上に、二人はなぜこんなどうでもいいような問題を怒鳴りあうんだろうか、それは「なぜ」なんだろうというかという問題の方が、書き手には大きいし、たぶん観客の皆さんも同じで、「なにを喋っているのか」という問題より、二人はなぜ「そんなくだらないことを大声で、本気度たっぷりで」怒鳴りあっているのかという方が意味不明で不思議に感じられるのではないでしょうか。この点が、じぶんでもよくわからなかったところで、書きたかったところです。
聞き手 もう少し具体的に、
菅 間 なぜ怒鳴りあうように書いたのか。舞台上の二人の科白の「いかに」喋るのかを超えて、二人の怒鳴りあいに執拗にこだわったのは、舞台上の二人の登場人物の捻れ曲がったボロ切れのような、なけなしの生活上の美意識の共有を、この箇所で行いたいとぼくが考えたからだと思います。
『舞台上の二人の捻れ曲がったボロ切れのような、なけなしの生活上の美意識の共有』というと格好いいように聞こえるけど、ほんとうは台本書きのただのこだわりであり、偏った心であり、偏狭で偏屈な心に過ぎなかったのではないかと、いまは考えています。
そして、これらの直接的な言葉たちの羅列を見て、横田さんが「(3)いつもの菅間の台本に較べて、直接的な言葉が多いと感じたが……」、と感じたのだと思えます。その審判は正しいと思っています。
けれども、この未解決のまま問題が、今後のぼくには大きなな課題にとっていく気がします。
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