日付:2020年1月12日 

 「じぶんのことでせいいっぱい」について (2) ~

 

37回公演「じぶんのことでせいいっぱい」でDA PUMPの「U.S.A.」を踊る俳優たち (2) 

 

 
      2、いま、芝居を作るということ
 
 
 
   § 7  1リッターほどの薬缶の水がガスレンジで沸騰するくらいの沈黙が流れた
 
 
菅 間  その問題にお応えする前に、フォイルさん、演出家は稽古場でなにをするのが一番大切な仕事だとお思いになられますか?
 
FOYLE  ……はい? それをわたしに聴かれても。演技表現の上達とか、育成とかでしょうか、
 
菅 間  そんなことは演出家の仕事でも責任でもありませんよ。あなたは、あなたの部下になにを求めていますか?
 
FOYLE  ……それは刑事という職務上、悪いことをし法律を犯した犯人を捕まえるのが仕事ですからとても危険な仕事です、生命にかかわるような。なによりも捜査に及んで部下たちに大怪我をさせないようにすることです。
 
菅 間  ぼくもできる限りそうしてます。上達したいと考える俳優はじぶんで考えてじぶんの力とやり方で表現の上向を目指すでしょう。ぼくはこの歳ですからいろんな演出家の演出方法を見てきましたが、いまのぼくの演出の第一義は、稽古場の俳優さんが遊びやすい雰囲気と環境を醸成することだと考えています。それができれば演出家の仕事の五割を成し遂げたことになります。俳優が困って相談しにきたときにはどうしたらその俳優さんが楽しく<遊べる>かを一緒に考えることです。演出家の仕事はそれで六割です。もちろんそんな天上の花園のような稽古場を現実になかなか作れません。ポテト堂は十人に満たない集まりですからそんなことがちょっとだけ可能なのかしれません。
 ぼくたちはいまの社会から何をしてもいいし、何を作っても自由だし、悪いことでなけりゃぁどんなことをしったていいんだよ、そういわれて育ってきました。その代わり真っ暗闇の洞窟のなかを終点まで蝋燭一本で一人きりで歩き、芝居を作りなさいといわれてきたようなもんです。途中で行き倒れるかも知れませんが、これが与えられた自由です。決して嫌じゃないし、好んで洞窟へ飛び込みました。結果、稽古場での蝋燭の選び方は、俳優が十人いれば、
 
SAM  十通りの選び方が生まれる……、ね。
 
FOYLE  出て行きなさい……、
 
菅 間  演出の仕事の大切なことは、いま<遊べる>遊技を提供することと俳優さんの受け皿になることです。フォイルさんが部下に人たちの受け皿になっているように。もちろんやりたいことを自由にやっれしまう独りよがりの受け皿ですけど、
 今度のぼくの書いた芝居の台本の全部合わせてより、冒頭のぼくたちが完コピを目指したヒップ・ホップの場面が結果いちばん楽しい場面になっちゃいました。真底そう思っています。もしこういう言葉の方がフォイルさんがお好きならですが、
 
FOYLE  ……『台本の全部合わせてより』といういい方はちょっと……、「老婆」が「あたし、空を飛べるようになったの」といって「マチュピチュ」ですか、二人して天空へ舞い上がり下界を眺める場面、不思議な感じでとても印象深く見させていただきました。決して大振りのドラマにしてないのに、なにかとても深いドラマ性を感じました。いまのあなたの言葉の方があなたを強く感じられますし、わたしの心にストンと落ちてきたような気がします。でもあの乞食のダンスがね、そうですかねえ……、
 
 
   § 8  日本の現在の芝居は、どのような状態になっているんですか?
 
 
FOYLE  「釈迦に説法」みたいな余計なことをいいましてすいませんでした。ああ言いましたがわたしもどんな作業でも<仕込み>は必要なことだと実は考えています。仕事上の捜査の関係でクラシック・バレエのスタジオへ捜査に行ったことが何度かありますが、彼ら彼女たちは大変な<仕込み>作業、身体訓練ということなんでしょうけど、とても苦しい重労働をしているように感じました。
 ついでといっちゃぁなんなんですが、日本の芝居の現状はどうようになっているんですか。いま良い方向へ向かっているのでしょうか。ちょっとあなたの個人的なご意見をお聴きしたくなりました。
 
菅 間  ……日本の現在の芝居は滅茶苦茶になっています。でも芝居の現在の滅茶苦茶さ加減は、だいたい良い方向へ向かっているその途中であると思い、そう願うようにしています。
 なにもかもが無くなってしまったところから再出発をはじめています。ぼくは第二次世界大戦は経験していないのですが、戦争に敗北してすっかり焼け野原になってしまって、そこから日本人が頑張って立ち上がってきたみたいに。なにもかも無くなってしまったところから若い人たちはじぶんたちなりの芝居をいま立ちあげようとしている兆しと勢いの灯しびが見えます。明日になったらそんな灯しびは雲散霧消してしまうかもしれませんが。でもぼくは良い方向へ向かっていると考えたいのです。
 
FOYLE  もう少しお詳しく……、
 
菅 間  ……ぼくは演劇評論家ではありません。好きで芝居を作っている市井の一個人です。見識の狭い個人の大雑把な意見ということで聴いて下さい。
 日本には大きく分けて三つの演劇、芝居の流れがあります。日本の伝統文化としての『能・狂言、歌舞伎・お神楽等』です。日本の貴重な文化財としての芝居です。
 二つ目は『新劇』という名の近代演劇です。明治時代以降にロシア、ヨーロッパ、アメリカから入ってきた芝居を取り入た流れです。戦後のイデオロギー芝居といってもいいかもしれません。
 三つ目はその二つの流れからは無視されているといいますか、その流れから無関係な、いわば現在の『素人芝居』の流れです。実はもうひとつあるんです、数には入りませんが。ぼくみたいなアンダーグラウンド芝居(解体劇)の流れを汲む残党です。でもぼくらには新しい芝居の幕を開ける力はもう残っていません。先に挙げました三つの流れが相互に不干渉で、それぞれに違ったモチーフで単独に活動しているのが現在の日本の芝居の状態です。
 
FOYLE  『素人芝居』とは、あなたよりずっと若い世代の人たちの芝居のことですね。
 
菅 間  ぼくは『素人芝居』みたいな若い世代の芝居に力を感じますし、期待を寄せています。なぜなら『素人芝居』の基本的な出発点は、形式も様式もまったく何もないところから出発して、何をやっても構わないという自由がどれだけ深い不安をともなうものであるかを認識して彼らは芝居を作りはじめているからです。もちろん未だに彼らはじぶんたちの形態(観)、芝居の構造等も含めて作れていませんが。その方が当分はいいし、いまの時間の方が大切だと思っています。
 
FOYLE  彼らのいいところは、つまり……、
 
菅 間  はっきりしています。若い世代の芝居のいいところはなによりテーマ(主題)主義からまったく自由であること、またぼくなんかのように前世代からの影響をまったく受けていないこと。若い世代の芝居の類別の仕方は芝居のテーマ性等ではなく、芝居の修辞的な感性だったり言葉の選び方だったりしています。他にもあるんでしょうけど彼らもそこいた辺は詳しくは掘り下げていないでしょう。若い人たちは、ぼくらみたいに舞台の身体性とか声とかに関してはそれほど興味がないようにも受け取れます。まったく無いわけではないのでしょうが、でもそういう旧世代の芝居作りから彼らは明確に縁が切れています。
 
FOYLE  なるほど。菅間さん、ついでにもうひと言よろしいでしょうか?
 
 
   § 9  ぼくの言葉ではないのですが、話しておきたいことがあるんです
 
 
菅 間  いえ、ぼくの方も「ついでといっちゃぁなんなんです」けどなんですが、いまの若い世代、ぼくは年寄りですがぼくもそこへ誤魔化して入れてもらって、ぼくたちの考え方や行動の揺れ動きを決めている意識・無意識の貯水池の根拠のイメージについてのお話しです。これは現在の日本の一般大衆の社会的な中流意識の話としても聴いて下さい。故吉本隆明さんの対談の文章ですが、ぼくなんかがまったく話せないことを話してくれていますので、ぜひお伝えしておきたいのです。
 
FOYLE  諳んじておられるんですか……、
 
菅 間  思い出し思い出し喋ります。吉本隆明さんは『……環境の問題あるいは社会の問題で言いますと、戦争(太平洋戦争のこと)があって、うちが空襲を受けそうだから田舎へ疎開しようかとか、子供だけはどこそこに疎開させましょうかみたいなそんなことに父親、母親の年代が出あったことはなかったということ。少なくとも数十年の問なかった。そういう意味合いでいったら、大過のない、要するに平穏であったかどうかは別として戦争もなかったし何もなかった。父親、母親の年代が経済的にもそうであって、前章の話から言えば、つまり中流意識を実感としても持てるし実際上もそうだったという。ここから生まれた人はまず六割、今だったら七割八割だと思いますけど、つまりこの七割八割から生まれてきた子供というものをものすごくよく象徴している。』というところからはじまります。ぼくより少し下のいまの若い世代のひとたちの話ですね。
 吉本隆明氏の発言『……中流意識といったら、本当いえぱ、もうこれでいいんだ、これで何も不足はないんだよ、望みは何もないし、別に不足不自由もないんだよ、じたばたしない限りは何もないんだよということだと思うんですね。それが七割八割になったというのはちょっとおっかないことだと思うんです。おっかないことになってるんだけれど、現状なんだから……これちょっとおっかないぞとは思えるけれども、しかし、そう思わなげれば、おう、もう何もしなくてもいいんだよと。もうこれでいいんだよ、この世に何も望みもないし、世界はこれ以上どうなってくれなくてもいいんだよという人が、つまり日本杜会では七割八割になっているということは大変なことだと思うんですよね。大変な事態だと思うけれども、これをニヒリズムだと。これじゃおかしいじゃないかって思うことがもし自由だということならば……自由ってのは何なんだといったら、これじゃおかしいじゃないかってというふうに思うことだとしたらば、やっぱりこれはニヒリズムだと思いますね。で、このニヒリズムってのは、ものすごく奇妙なものだと思うんですよね。
 で、これじゃおかしいじゃないか、自由ってのはそうなんだというふうになってくるでしょう。そしたら、そこのところに対してさ、問題なのは、七割八割が、もう何もやることねえじゃねえかっていう、そういう社会になっちゃってるんだということがまだ分かんねえというか、まだそうじゃないと思ってる人がいるわけですよ。杜会党でも共産党でもそうじゃないと思ってるわけ。まだ自分らのやることあると思ってるわけ。少なくともあの人たちのイデオロギーの範囲内では、もうやることは何もないと思うほうが僕は正しいと思う。つまり七割八割の人の中流意識のほうが正しいということになっちゃう。
 つまり、中流意識が半ぼないしは半ぱ以上になっちゃっているやつが、半ば以上の人数だということは、もう何もやることないんで、これは文句は何もないよというのと同じじゃないですか』。
   ★出典:「解体される場所」吉本隆明×中上健次×三上治の対談集:集英社:1990年発行より。
 
FOYLE  「もう何もしなくてもいいんだよと。もうこれでいいんだよ、この世に何も望みもないし、世界はこれ以上どうなってくれなくてもいいんだよ」ですか。イギリスもそういう社会になりますかね?
 
菅 間  じぶんの言葉で喋れればいいんですが、力がないので引用させていただきました。なにをするにしても、この認識はとても大切なことだと思いましたから。
 
FOYLE  菅間さんにとって芝居とは何ですか、ひと言で、
 
菅 間  子供の頃の愉しかった<いたずら>の思い出です。芝居は愉しいいたずらです。
 
FOYLE  「愉しかった<いたずら>」が菅間さんの芝居の原点ですか。そうですか。じたばたしたいわけですね、菅間さんはまだ芝居で。これが最後の質問です。菅間さんとヒップ・ホップの出会いは?
 
 
   § 10  最後の質問とホラ
 
 
菅 間  学生時代の友人に、若い頃<暗黒舞踏>をやっていたひとがいて、その友人はいまヒップ・ホップ・ダンスを頑張って遊んでるんですけど、彼の家に遊びに行ったときに、ヒップ・ホップ・ダンスのビデオを何回か見せられて『 このダンス、どう思うか? なんか言ってみろ 』って言われました。その映像を見たときちょっとショックで、かなりの衝撃で、このダンスは芝居とまったく同じじゃないかと思いました。ダンサーさんたちは、なにも喋らないんですけど確実にダンスのなかで身体の動きや停止の意識、顔の表情、手の動き、身体のいろんな部位を総動員して、アッ、確実に無声のうちになにかを喋ってるって、言葉が見えた、そう思えたんです。芝居でいえば<凝縮>と<解体>の劇だと思いました。
 
SAM  その友人に見せてもらったのがDA PUMPの「U.S.A.」の映像だった?
 
菅 間  はじめに友人に勧められたのはフランスの「Les Twins」という、ヒップ・ホップ・ダンス界の新しいスタイルの確立者として世界的に知られている双子ダンス・ユニットで、それを見せてもらって面白かったので、今回出演してくれるの俳優さんたちに「これを見てくれ」って送ったんですけど、彼等からほとんど反応はなかったんです。
 で、俳優の稲川実代子なんかが言うには、「Les Twins」のダンスは芸術性と技術性が高過ぎるし、このダンスを完コピするのはあたしたちではほとんど不可能で、同じヒップ・ホップをやりたいのなら、去年流行したDA PUMPの「U.S.A.」のダンスの方が大衆性があって、踊る俳優も楽しいんじゃないかって言われて、ぼくはDA PUMPの「U.S.A.」なんてまったく知らなかったから、彼等のダンスを見直したら確かにダンスが砕けていてそこが面白くて、その旨を俳優さん全員に送ったら今度は彼等も賛成してきたんです。
 つまり、「Les Twins」のヒップ・ホップはとても真似られないけど、DA PUMPの「U.S.A.」なら完コピできなくとも、少なくとも踊っていても面白そうだし、ちょっとはマネられるかもしてない、そう錯覚させられちゃうところに大衆性(表現の浸透性)があると思うようになったわけです。
 DA PUMPのダンスって日本の<即席カップ麺>です。お湯入れたら三分で食べられるという。けれど即席カップ麺を開発するためには多くの時間と労力が必要だったでしょう。でも出来上がってみると、格段に自由度が広いし、深いというか、アッという間に世界に拡がって、
 
FOYLE  サム、菅間さんは、今夜は大変にお疲れだ。少し横になれるところをご用意しなさい。
 
SAM  「シーフードヌードル」、美味しい、
 
FOYLE  サム!
 
菅 間  フォイルさん、『死に損ないの骨無しイカが踊ってるよう』という言葉を撤回させて下さい。すいませんでした生意気なこと言って。クラシック・バレエについてなにも知識もないのに、
 
FOYLE  『乞食のダンス』という言葉を撤回させていただきます。
 
菅 間  ……『なぜ、人は踊るのか?』。これはヒップ・ホップをぼくに教えてくれた友人の言葉です。『踊っている人たちを見ていると、見ているぼくたちまで楽しい気持ちになれるのは、なぜか』。これはぼくの気持ちです
 
FOYLE  『なぜ、人は踊るのか?』。いいコピーですね。同感です。
 
菅 間  でもぼくにもなけなしのコピーが一つあるんです。無駄な努力と明るい空虚……、つまり『徒労』を引き受けることなしにはこの世界に差異線を引くことはできない。
 
FOYLE  「無駄な努力と明るい空虚、つまり『徒労』を引き受けることなしにはこの世界に差異線を引くことはできない」。完成するまで大変な時間と労力を必要とした<即席カップ麺>ですか。次回の取り調べが楽しみです。
 
SAM  こう見えて、あたし、子供の時クラシック・バレエやってたんです。ベットの用意ですよね。
 
菅 間  あの、フォイルさん、最後にホラを吹いてもかまいませんか?
 
FOYLE  いいですね、
 
菅 間  フォイルさんは、ぼくが初めて見せられたヒップ・ホップ・ダンスへの「じぶんの驚きにメスを入れていない」とおっしゃっていましたよね。フランスの「Les Twins」についていうと、アフリカのチンパンジィーの1、2歳の子供たちが、母親たちの視線の内で同い年くらいの仲間と一緒に跳んだり撥ねたり隠れんぼをしながら成長していく遊びの時間に見えたんです。そういう見方からするとヒップ・ホップって、母親がそばにいて見ていてくれているという視線が必須の条件なんですね。
 
FOYLE  お続け下さい。
 
菅 間  これも故吉本隆明さんが故柳田国男の『軒遊び』について話している言葉ですが、『親が子どもをかまう期間は、赤ん坊のときからはじまります。柳田国男流に言うと「軒遊び」です。それは、家で子どもを遊ばせておいて、親は縫い物をしたり、掃除したりしていればいい、という時期です。子どもに全くかまわなかったら、外に出ちゃって危なくてしょうがないからどこかで用心して子どもを見ているけれども子どもに夢中になってるわけでもない、そういう状態です。子どもが外で遊んでも大丈夫、というふうになりかけたときが、ちょうど小学校に上がる歳ですね』。
 ヒップ・ホップって吉本隆明さんのいう柳田国男の『軒遊び』の段階にあるんじゃないかって。
 で、ここからがぼくのホラがはじまるんです。ぼくたち日本を含めて西洋でも<遊び>みたいなものの起源を遡行する時間は『アジア的な段階』までです。ですが仮に<母親の視線>に置き換わるものを見つけることができれば「Les Twins」のヒップ・ホップはかなり無理をしていますがそれなりの自然体で『アフリカ的な段階』の時間まで遡行しちゃっているというか、それに足を架けはじめたんじゃないか、そう思えます。つまり人間性と動物性とが混融していて区別がつかない次元近くまで。そうはいえないけど動物性から人間性が生まれ落ちる瞬間というか。彼らのダンスを見たときの驚きの感情だけっでいいますとそうなります。彼らは舞台で楽しいオチャメをやっているんですが、でも妙に乾いてるんですよ、とてもダンスが。でも「母親」に代わる視線は首族の長じゃダメなんですよね……、
 
 
 
 ……気がつくとヘイスティングス警察署の留置場のベット上だった。
 ベットの上に起きあがった。
 挨拶しねえかい、黄色猿。土産(覚醒剤のことか?)、ちゃんと持ってきたんだろうな。野郎、折りたたんで殺しちまうぞ黄色猿!
 隣室の檻のゴリラが凄い形相でわたしを睨んでいた。ラグビー日本代表のリーチ・マイケルの双子の兄弟みたいにそっくりで、兄の方だろう。
 ま、いいか……、
 眠ろう……か、静かな夜もきっと来るだろう。降り止まない雨は無いというから、
 
 
 
   ★★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★★★
 
 
      ★ この稿、続く。       ★ aboutの頁へ戻る。
      ★ 参照文献=故吉本隆明氏の「解体論~マス・イメージ論」。
      ★ 参照文献=村上春樹氏の「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より。