日付:2019年8月 

 「じぶんのことでせいいっぱい」について (3) ~

 

37回公演「じぶんのことでせいいっぱい」のラストのシーンでDA PUMPの「U.S.A.」を踊る俳優たち (3) 

 

 
 第二次世界大戦中のイングランドの南部の海沿いの町ヘイスティングスの警察署の留置場で朝を迎えた。左の手の甲をしばらく見詰めてみたが、まだなんとか生きているみたいだ。
 朝は小さな波の音と名前も知らない小鳥の啼き声で眼が冷めた。まだ6時前だろう。
 8時近くなって、サムがあらわれ、トーストとバターとミルク、塩とゆで卵の朝食持ってきくれた。
 
運転手サム 戦時下ですから、こんなものしか用意できないの。ごめんなさい。
 
菅 間  とんでもない、ありがとうございます。ゆで卵? 豪華だなあ、
 
運転手サム ふふ、配給券があったので、買ってきました。
 
菅 間  それは、申し訳ないです。ありがとうございます。
 
運転手サム 食べて下さいね。ここで食べますか、それとも取調室へ持って行きましょうか?
 
菅 間  もしよろしかったら、ここで。卵、ありがとうございます。美味しくいただきます。
 
運転手サム はい。じゃ、30分したらお声をかけにきます。……あのさ、どんな悪いことをやっちゃったの? フォイル警視正から、とっても逃げられるもんじゃないよ。正直に白状しちゃわないと。罪も軽くるなるし。あたしも手伝うし、
 
  ……小鳥が啼いた。
 
菅 間  あ、この鳥、なんていう名ですか?
 
運転手サム ああ、シジュウカラかな? や、コマドリかな? この辺りにはよくいるし。あたし、鳥の名はよく知らないの。ごめんなさい。
 
菅 間  もし日本へ帰ることができたら、この鳥の名前、調べたいと思います。
 
 
 ……わたしは取調室のイスにに坐った。
 ……前に坐っているのはミルナー巡査部長、彼の横に坐っているのはそばかすのサムさんだ。
 
ミルナー巡査部長 昨夜は、よい睡眠がとれましたか?
 
菅 間  もちろんです。明け方横でザトウクジラがジャンプしたようでしたが、ぐっすり眠りました。
 
ミルナー巡査部長 それは良かった。早速ですが、これはあなたの書いた挨拶文の続きですね?
 
 
 「光合成クラブ・Ⅱ」は、四人の女性の主人公たちの夢や現実を愉しい会話で描いたものでしたが、今回は、広場に集うさまざまな人びとの、一人ひとりのいわば<私語>の世界に近づきたいと思って芝居を書きました。
 実は、前回の芝居には一つの不満がありました。主人公の彼女たちの四人(小集団=小社会=言葉の水準)の会話では、どうしてもたどり着けない心の場所があり、それらの、他人に話すには憚られる個々の心の場所を探し、彼ら彼女らの一人ひとりの<私語>に近づきたいと思いました。
 それで芝居になるのかと問われれば、わたしはそのような手作業が好きで、そういう芝居を作りたいと思い作りました、というほかないのです。ただ芝居には、芝居の見せ方の工夫・カタチを作り出すことが必要であり、その点についてはじぶんの力の未熟さを痛感しています。今後の課題とします。
 
 
 この文章は、昨日菅間さんが話してくださった『ぼくのような台本作家や劇の小集団さんたちは、いましばらくは「チマチマとした、だれにも判ってもらえないようなナイナーな作品」を個別的に作り続けるしかない状況といえます』という言葉へじかに接続するのものですか?
 
菅 間  そうです。やはり公演当日にお客様にお配りした「ごあいさつ」文で、昨日の話へじかに接続します。
 「<私語>に近づきたい」といった<私語>の場面を、今回は四つほど書きました。
  (1) 一景 慎太と愛美のダンス(1)
  (2) 四景 孝則と拓也のダンス
  (3) 六景 高橋と美代のダンス
  (4) 九景 たった一人の西日暮里駅襲撃
 ここでなんとか書けたかなという場面は、昨日お話ししましたように(4)「九景」の「たった一人の西日暮里駅襲撃」の一つだけです。あとは失敗しました。
 
ミルナー巡査部長 あとの場面は失敗したと? どういうわけで失敗と?
 
菅 間  たぶん、横田さんは、この(1)、(2)、(3)の場面を見て三番目の質問「いつもの菅間の台本に較べて、直接的な言葉が多い」と感じて、その印象を述べて下さったんだと思います。
 失敗の理由は二つあります。エピソードそのものの貧弱さと、文体の硬さ(話し言葉になっていない、硬い書き言葉)だと思います。
 
ミルナー巡査部長 もう少し具体的に、
 
菅 間  要するに「壊れてない」んですね、場面も作者も。書き手が<私語>の世界を作ろう、作ろうという意気込みだけで書かれています。良く作ろう良く作ろう、お客さんにわかってもらえるように伝達しよう伝達しようという目的で書かれているから、文体が説明的になり、速度も遅くなり、長文のセリフになる。舞台で呼吸しなければならない俳優のことなんかてんで考慮されていない。これではまったくダメなんです。文体がまったくなっていないんです。
 
ミルナー巡査部長 でも、その場面を必要だと感じたし、書きたかったということですよね?
 
菅 間  そう感じていたので、失敗を覚悟の上で書きました。
 
ミルナー巡査部長 その<必要性>とは、どんな種類のものなのですか?
 
菅 間  また台本の解説をしながら語ってもいいですか?
 「四景・孝則と拓也のダンス」に二カ所ほど書いたんですが、その一つを……、
 
 
  孝則  ……新三河島近くの六丁目の公園で、夜、タバコ吸ってたら、汚い自転車の前と後ろに、ビールの空き缶、山のように積んだ爺ィが来て、夜だし暗かったし、遠かったけど、アルミ缶の入った袋降ろし、なんかごちゃごちゃやってんだ。見てると、自転車の前籠から柴犬を取り出し、柴犬、そっと地べたへ降ろし、
  拓也  アルミ缶盗み集めてる乞食爺ィ、犬、飼ってやがんの?
  孝則  柴犬、うれしそうに散歩してんだ。けど、ようく見てみると、後ろの右足、無いんだ。
  拓也  ……三本足?
  孝則  後足一本無いから、飛び跳ねて歩くしかない。疲れるみたいなんだ。地べたに腹をくっつけて少し休憩し、またうれしそうに立ち上がって、歩く。爺ィ、ずっと犬のそばにいて、ドッグフードあげて、犬も人もその間、ひと言も声を発しない。
  拓也  ……それ見て、ビックリしちゃった?
  孝則  ……泣いちゃったんだ、その後……、
  拓也  ?
  孝則  爺ィ、自転車の後ろに着けていたポリバケツを持って、水道でポリバケツ、満タンにして、犬に水を飲ませて、
拓也  ……
  孝則  残った水、公園の花壇へ、ザバーッて。十回以上、植込みに水あげて、花壇には、名前も知らない小さな花が、静かに咲いてて、
  拓也  (唐突に)「オレにも、水あげ、手伝わせて下さい!」、言わなかっただろうな!
  孝則  ……
  拓也  なぜ、黙って、静かに、犬と爺ィ、見守ってあげなかったんだ! なんて言った?
  孝則  ……「小父さん、アルミ缶、1キロ、いま、いくらぐらい」?
  拓也  ……
  孝則  (怒る)じゃどういう言葉で、声をかければいいんだ!
  拓也  ……キンタマに染みる話だな。女なら、失禁もんだ。
 
 
菅 間  まったく描き切れてなくてダメな箇所なんですが、会話で最後の方で「拓也」が(唐突に)「オレにも、水あげ、手伝わせて下さい!」、言わなかっただろうな!」と怒ると、「孝則」は「小父さん、アルミ缶、1キロ、いま、いくらぐらい?」と応える。「拓也」は沈黙で対応する。すると「孝則」は「じゃどういう言葉で、声をかければいいんだ!」と怒鳴り返す。
 この箇所の登場人物の二人は「なにを喋っているのか」という問題も大きくありますが、それ以上に、二人はなぜこんなどうでもいいような問題を怒鳴りあっているんだろう、それは「なぜ」なんだろうというかという問題の方が、書き手には大きいし、たぶん観客の皆さんも同じで、「なにを喋っているのか」という問題より、くだらない問題で怒鳴りあっている二人に当惑するんじゃないでしょうか。この点が、じぶんでもよくわからなかったところですが、しかしそう書きたかったところなんです。
 
ミルナー巡査部長 なにを書きたかったんですか、もう少し説明を、
 
菅 間  登場人物二人の科白の怒鳴りあいに執拗にこだわったのは、「彼ら」じしんの捻れ曲がったボロ切れのような生活上の美意識の共鳴を、この箇所で描きたかったのかもしれません。
 
ミルナー巡査部長 それは、いわば「孝則」と「拓也」の二人の「負け犬の遠吠え」と解釈してもよろしいんでしょか?
 
菅 間  その言葉ピタリですね。とても判り易い言葉です。「舞台上の二人じしんの捻れ曲がったボロ切れのような生活上の美意識の共鳴」というと格好いいように聞こえるけど、ほんとうは無方法の台本書きのただのこだわりであり、偏狭な心に過ぎなかったのではないかと、いまは考えています。
 そして、これらの直接的な言葉たちの羅列を見て、横田さんが「いつもの菅間の台本に較べて、直接的な言葉が多いと感じたが……」、と感じたのだと思えます。その感想は正鵠を射ています。
 しかし、台本上はまったくダメな場面になってしまいましたが、このこだわりが今回ぼくの書きたかった<私語>の世界への、今後の入り口になっていくとも思っています。
 
ミルナー巡査部長 「負け犬の遠吠え」をぜひ書きたかった、その理由は?
 
菅 間  芝居は面白ければそれでいいのかという不安をだれでも抱えて、芝居を作っているというのが現在の芝居屋の実情だと思うんです。良心的な作り手であればあるほど「なにかが欠けている」という不安を抱えて作っているんじゃないでしょうか。そして不安は大きいと思います。それはお前だけの個人的な感慨だよといわれれば、そうですね、と応え引っ込むしかありませんが。
 「負け犬の遠吠え」(=<私語>)が、ぼくのなかでもっと深く相対化され虚構化され、見るもの演じるもの両方の間に<笑い>というか<おかしみ>や<哀しみ>や<でも、それ判る>という感性がともなわないとダメなんですね。でないと、笑われる方も笑う方も同時に生きられない。それが現在普通に生活している人びとの<現在>の生活感性だなんだと思います。ぼくの失敗は、<現在>の生活感性を捕まえ損ねたところです。俳優さんはとても頑張ってくれました。
 それと、実はぼくはあなたの言う「負け犬の遠吠え」が、ぼくたちの人生のなかでほんの一瞬であるにせよ「真実の場面」となりうる可能性がきっとどこかにあるんじゃないかと思っています。だからそれを探そうと考えいます。でも、やっぱり最後は文体(=フット・ワーク)の問題となって必ずあらわれてくるんだよなと今回は痛感しました。同時にタテヨコの横田さん慧眼に驚いています。
 未解決のままのこの問題が、次回の大きなとっかかりとなっていく気がします。自然消滅するにせよ、深化するにせよ。
 
ミルナー巡査部長 あの、「芝居は面白ければそれでいいのかという不安をだれでも抱えて、芝居を作っている」っていう言葉をもう少しわかり易くく説明してもらえないでしょうか?
 
菅 間  作者によって、作り(操り)出された登場人物たちの本音は、作者という範囲、物語という範囲から、いつでも逃亡したいと願ってるんです。脱走したがってるんです。
 
運転手サム 「逃亡」? なに、それ? あたし、ぜんぜん判んない。だって登場人物たちは台本書きさんが生み出したんでしょ。だから存在する。台本書きから逃げたいって、それ、どういうことです?
 
ミルナー巡査部長 サム、
 
運転手サム だって判んないじゃありませんか、菅間さんの言ってることが。判るんですか、ミルナーさんは? あたし、ぜんぜん判んない。
 
ミルナー巡査部長 最後まで、菅間さんの話を聴きなさい。それとも洗車の仕事をするか。
 
菅 間  ぜんぜん違う喩えになっちゃうんですけど、サムさんにもご両親はいますよね?
 
運転手サム いますよ。いなけりゃ、生まれてないじゃないですか。
 
菅 間  思春期にご両親に反抗心をもったことは無いですか? 「こんな家、家出してやる」とか?
 
運転手サム あたしの家族・親類、ほとんどは宗教者ですから。思春期はイヤでイヤで仕方がなかったですよ。堅苦しくて。
 
菅 間  ミルナーさんは?
 
ミルナー巡査部長 わたしも、思春期には人並みに親の反抗しましたね。
 
菅 間  ぼくもです。ところでミルナーさん、今回の芝居のどんな場面が印象に残っていますか、ぜひ、お聞きしたいです。サムさんにも。
 
ミルナー巡査部長 DA PUMPの「U.S.A.」のダンス・シーンと、
 
運転手サム 全身銀色の衣装を着ていた銀色男のシーン! あれ、おかしかったです。
 
ミルナー巡査部長 あの場面も意味不明で面白かったです。チンプンカンプンだったですけど。俳優さんも奇妙きてれつで、全身銀色の衣装で、
 
運転手サム それと、思春期の話とどんな関係があるんですか?
 
菅 間  実はなんにも関係ないですが、ほんの少しだけ関係があります。
 今回の舞台で、銀色の彼の姿を見ていたら、彼の役名は「S信用金庫の男」という名の人物なんですが、いままでにない奇妙な感想を抱いたんです。「S信用金庫の男」は、ぼくの物語から逃走したがっているように見えたんです。ぼくの物語の囲いは窮屈で仕方がないから、その外側の世界へ行きたがっているように見えたんです。
 「S信用金庫の男」はぼくの想像の産物には違いないんだけど、「S信用金庫の男」は書き手から与えられた人格を超えて、彼じしん独立した人格をもっているんじゃないかって思うようになったんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは、次回は「じぶんのことでせいいっぱい・Ⅱ」ということですか? それと、じぶんが書いた作品には「なにかが欠けている」と感じるのは、はじめのあなたの「壊れた心」と深い関係があるのですか?
菅 間  現在では次回のことなんまったく考えられませんし、公演が打てるどうかも不明です。
 ぼくのようにパッチ・ワークの継ぎ接ぎから書きはじめても、オーソドキシーというか、本格的に台本を書かれている書き手さんでも、「なにかが欠けている」という不安をだれでも抱えて芝居を作っていると思いますよ。その「なにか」を探し続けているじゃないでしょうか、書き手はそれぞれの仕方で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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      ★ この稿、続く。 (執筆中!)       ★ aboutの頁へ戻る。
      ★ 参照文献=故吉本隆明氏対談「しゃべりの言葉、話し言葉、ふたつを超える」 
      ★ 参照文献=故吉本隆明氏著「中野重治」