日付:2018年6月26日 

  芝居の台本の優しい書き方への ……(2)

 

西日暮里にあるスポーツ・ジムの壁を真下から撮った。親子三人はまだ頑張って壁をよじ登っている。  

 

     書くことは、一人ごとの世界
 
 
 まだ転形劇場の故太田省吾さんがお元気で活躍されている20年以上前の頃のことで、太田さんから急に「菅間君は、芝居の台本を書き出してもいいと決意するとき、それは、どういうイメージができたときなの?」という質問を受けたことがある。太田さんの質問の意図は、台本を書き始めるときに、舞台を現実・実証的に底辺で支える物象の初発のイメージについてのことで、台本の物語性のことではないと感じたので、次のように応えた。
 
 「音楽です。」
 「劇中で使用する音楽?」
 「はい。」
 「それは、その音楽を効果的に使用できる場面のイメージが描けたということ?」
 「いえ。ただこの音楽を今度の芝居で使用してみたいという単純で幼稚な思いです。音楽をどういう場面に使用するかは未決定でかまわないんですが、かけてみたいと感じられた音楽が2、3曲じぶんのなかで選曲されたとき、書き出してもいいという感じになります。」
 「菅間君に、台本を書くきっかけを与えるのは、音楽なの?」
 「はい。太田さんは?」
 「舞台装置、舞台美術の手触り、感触。それが実感的にイメージできたとき」
 
 確かに太田さんの舞台を見ると、初発の物象のイメージが彼にとって<舞台装置、舞台美術>のイメージがであることが理解できるように思う。「小町風伝」の能舞台、「千年の夏」が夏の砂浜。「水の駅」が水が少し漏れている水道という具合に、舞台装置との関わりがとても深い作品を作ってきた。
 わたしの場合、現在でも、台本を書きはじめるきっかけは少しも変わっていない。ただ少しだけ、以前より舞台装置をどするのかというイメージも自然に年齢とともに加わってきただけだ。
 
 わたしは、芝居を書く方法も、理念もなにももっていない。いつも素人の行き当たりばったりの姿勢で書いている。芝居を書いてきた長い時間も積み重なる体験としてまったく経験化できていない。所詮、行き当たりばったりで、、書く必要に迫られたときだけ、書くという姿勢に入って、書くことが終わると、すぐに書くことの座から逃げ出してしまうから、書くという行為の持続の意味がどうしても身に少しもつかないのだ。
 だが、こんなものが書けたらいいなというイメージは、時間とじぶんとを追いつめてゆくと、少し見えてくるときがある。それは夢のなかでみたようなイメージの風景だが、それを書ければ、書きたい、そう願っている。だからわたしの台本は、近代劇以前の、登場人物たちそれぞれのひとりごとの束を映す鏡であるような気がする。だからわたしは、描き手として<人称>という基本概念も欠落しているのではないか思われる。
 だが、最近、台本のテーマがハッキリしてきた。<徒労>及び<用途が無いこと>、そんな言葉の意味の周辺のことだ。
 
 
 
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          非芸術の論理           吉本隆明
 
(客)  モシモシ、ぼくは大学の建築科に在学しながら建築事務所で働いているものですが、いろいろわからないことがあるので、四五人でおうかがいしてお話をききたいのですが。
 
(主)  ぼくは建築のことなどぜんぜんわかりませんから、きても無駄ですよ。
 
(客)  建築のことについてききたいというわげではないのです。建築科に在学しながら建築事務所に勤めていてかんがえると、建築を専攻してゆくということに、いろいろな矛盾を感じてどう理解したらよいかわからなくなってくるのです。
 ぽくの郷里でそんなことがあったのですが、建築家が地方の自治体から依頼されて、公共建築を設計しつくりあげるとします。できあがった公共の建築は、その地域の住民に威圧力をあたえるものになってしまい、住民のほうでもその建物からうげる威圧感を地方自治体の政治的権威として感じてしまい、あるばあいには従属感に慣らされ、あるばあいには逆にわがことのように誇ったりするようになる、ということが建築にはあります。そうすると建築を専攻し、大学をでてから建築の仕事にたずさわることが、権力にカをあたえる仕事にすぎないとおもえて思い悩んでしまうわけです。そういうことについて意見をききたいのです。
 
(主)  (すこし苛立ちながらも、のってくる感じ)そんなことが悩みのたねなら、公共体の予算でやる公共建物の建築とか、建築会杜が企業として建てるピルの建築などやらないで、小住宅建築だけやったらいいじゃないですか。簡単なことだよ。
 
(客)  それはそうかも知れませんが、大多数の建築家は一流だと世間でいわれている著名な建築家もふくめて、みんなそういう大きな傾向のなかで仕事をしています。それをみていると批判を感じ、どうしたらそれとたたかってゆけるかを考えずにいられなくなります。
 
(主)  そんなことかんがえるのは余計なことだよ。
 大多数の建築家の傾向を統御しているのは建築家自身ではない。そのとぎどきの政治杜会的た支配体制そのものだよ。そういう建築家を少数派にしたり、叩きだしたりするという課題は、建築の問題でもたければ、建築家の間題でもなく、たいへん高度な政治的な問題ですよ。建築家になろうとするものがそんなことに苛立ったり、騒いだりするのは余計なことなんだ。貴方が建築を専攻し、これから将来建築をやってゆこうとおもい、なおかつそういう建築界の主流の傾向に従いたくないなら、じぶんの生活と実力の及ぶかぎりで、すぐれた小住宅建築の様式をじぶんでつくりだし、そういう小住宅を一戸ずつでも建ててゆくという方法をとるよりほかないでしょう。そういうことは、原理的にとっくに解かれている間題ですよ。
 
(客)  小住宅建築にしても資本家の建設企業としてやられているわけでしょう。おなじことではないでしょうか。
 
(主)  それはおなじことかもしれない。げれど、住宅建築は、もとをただせぽ、住宅難にあえいでいるひとたちが、零細な金を長年月かけて蓄積して、住んで生活するために必要な家をもとうとする動機にねざしています。
 建物自体の空問を、企業の対象にしようとか、公共体の機関につかおうという動機 とはまったくちがうものだ。そして住居を所有しようとして、高額を支払って、お粗末な家屋しか手に入れられないというのが大多数のひとたちの現状でしょう。
 
(客)  そんなことで、現在、建築家が一流になるほど、公共建物や巨大な企業ビルの建築にわれもわれもと殺到してゆくような傾向を黙視してよいのでしょうか。丹下健三や谷口吉郎やおなじ傾向の若い建築家たちと批判的にたたかわなくていいのでしょうか。
 
(主)  どうも貴方のいうのをきいていると、建築を専攻し、将来建築家としてやっていこうという貴方自身の意志とはかげはなれたところでものをいっているような気がする。だれだって丹下健三や谷口吉郎などの造りちらす醜悪なグロテスクな建築物に批判をもっているさ。ただ、しがねえ個々の建築家などをやっつけたってなんの解決にもならないとおもっているから黙っているだげさ。
 貴方のいだいている疑間は、羽仁五郎とかジャーナリズムや左翼文壇に巣くっている学生運動あがりとかにぶつけれぼ、好意的に迎えてくれる疑問じゃないのかな。そういう連中は、ぜんぶ理論的に駄目たんだ。
 貴方が建築物という建築物のガラス窓を破壊しようとかんがえたとする。そのためには、即物的に一枚一枚の窓ガラスを叩きわってゆくのが唯一の方法ですよ。げれど貴方が公共の建築物や大企業ビルの威圧力や物神性を叩ぎこわして、それに吸収されてゆく建築家たちのイメージを破壊しようとかんがえたとする。そのときには個々の建築物や建築家を破壊しても無効なんだ。唯一の方法は、ただひとつの政治的な上層観念を破壊する以外にないんだ。それは高度な政治的課題で、建築家の問題ではありませんよ。
 また、建築技術や建築美学の内部で丹下健三や谷口吉郎を破壊するためには、貴方が建築の技術、創造性、芸術性で、かれらをかげ値なしに抜き去る以外に方法はないのです。それは貴方に生涯の研鑽を強いるはずです。
 つまりぼくが貴方にいいたいのは、観念に属するものを破壊したいときには個々の観念にかかずらわずに、最上位の観念に打撃をあたえるのが唯一の方法であり、具体的な何かを破壌したいとぎには、即物的に個々に破壊するほかに全体にわたる方法はないということです。万博にたいして反万博をなどといっている連中にはそれがわかっていないんだ。しかしこういうことは、じっさいにやってみるまでもなく、すでに原理的にはっきりしていることなんですよ。
 ぼくはもう一度貴方にすすめますが、もしこれから生涯にわたって建築家としてやってゆくつもりがあり、しかも公共建築や大企業ビルの建設を商売として割りぎれずに疑問をもつのなら、じぶんの技術と経済力ででぎる範囲から出発することで結構だから、安上りで創造的でしかも生活に適した機能をもつ小住宅をじぶんの手で設計して、ひとつでもふたっでも造ってゆくようにしたらいいとおもいますよ。大衆はだれもそういう住宅がつくられることを望んでいるのです。丹下健三や谷口吉郎が設計した建築のくだらなさや、建築家としての卑しい態度を批判することなんか、第二義以下の問題で、貴方にとってほんとうはどうだっていいことです。
 貴方のいうように、貴方たおと話しあってもいいげれど、なんだか問題の出され方が場ちがいであるような気がします。もっとおたがいに問題を煮つめた頃合いをはかって会いましょう。
(「或る晩の電話による対話」)   
 或る晩、かかってぎた電話口にでて、これくらいの内容を話しあうのに小一時問かかった。この種の不意打ちの電話は、べつに珍らしいことではない。しかし間答のあいだに、わたしはだんだん苛立ち腹がたってぎた。もちろん電話の向う側にいる建築科の学生にたいしてではない。量産の新建材をつかっているため、入居した途端に、気管支が弱く、もともと過敏性の体質をもった家族が喘息に悩まされるハメになったような、ちゃちな住宅のために、膨大な(わたしにとって)借金を背負っているじぶんの姿が道化じみてみえてきたからだ。そして入居したとたんに、喘息様の発作や慢性気管支炎の症状を呈するようにたった入居者のことは、ほかにもいくつか直接に見聞して知っていた。まず、わたしの素人判断の経過を開陳してみる。なぜに家族の一人が喘息症状を呈するようにたったかについてである。
 はじめに、わたしは引越しによる環境の変化の影響をかんがえてみた。過去におおよそ一年半くらいに一回の割合で転居してきた体験があるが、この種の瑞息様の症状になったことは一度もなかった。それからかんがえても、環境の変化の影響はいくら誇大にみつもっても、ネグレジブル・ス モールであるとおもわれた。つぎに壁や押入れの不完全乾燥のためにおこる湿分過剰の影響を勘定にいれてみた。そこで乾燥を促進させるために、押入れにはスノコを敷くというようないくつかの対策を実行した。しかし、この影響もたとえあったとしてもネグレジブル・スモールであるとしかかんがえられなかった。対策を実行したあとでも家族の瑞息の発作はおこったからである。また、心因もかんがえてみたが、定期的た借金返済の圧迫感をのぞけぽ、それ以前とべつに変化はないとしかいえない。そこで最後に思いあたったことは、新建材の強化や、壁とはり板の塗装につかわれている人造高分子物質や溶剤が、暖房によって徐々に蒸発したり化学変化を起したり、また、身体に接触したりするからではなかろうかということであった。そして冬期に部屋を閉めきっているとぎ、廃ガスがのぽる二階にいると、調子がよくないということをふくめて、この最後の原因がもっともありうべきことにおもわれた。
 こういう住宅建築上の公害(?)について、住宅建築用塗料や接着剤の適性基準すら設定しえないで、国家や地方自治体の予算や、大企業の支出をかりて、自已満足としかいいようがない醜悪でグロテスクた建築を設計している建築家たちは批判さるべきではないのか。
 もちろん、わたしは建築家たちが国家や地方自治体や建設企業と結託していること自体を批判しようというのではない。住宅建築は人問がそこに生存するために、外界の変化と身心の変化の仕方との誤差を緩和するためのものであり、公共建築はごくふつうのひとびとに奉仕するために、奉仕する機関の成員が管理しているだげのものだということすら理解しようとしないため、奇妙な美学に凝っていることを批判すべきだといっているのだ。
 黒川紀章の『行動建築論』をみるとつぎのようなことがかいてある。

 休みの日だから、からだを休めてごろごろするとか、都心へ映画を見にいったり、公園で散歩するという消極的な過し方とは違った、もっと積極的なレクリエーショソの生活がはじまるだろう。そのころには、東京・名古屋問の高速道路をはじめ、全国の主要な道路も整備され、さらに、生産的、地域経済的な意味とはまた違ったレクリエーション道路網も完備するだろう。そうなると、レクリエーションの週ともなれぱ人々は本格的た自然を楽しむために、山に海にと出かけることになる。そして金持ち趣味のぜいたくな別荘という意味ではなく、第二の週、レクリエーションの週の生活のための第二の家(セカンド・ハウス)が出現する。
 国も当然、休養住宅融資制度をつくることにもなるだろうし、量産方式のプレハブ・レクリエーション・ハウスも市販されるだろう。レクリエーションともなれぱ一年ごとに、あるいは数年ごとに、山から海へと場所をかえたり、毎週自家用車でひっぱっていけるような軽量の組立て式のものとか、トレーラー・ハウスが便利になる。
 以前、スウェーデソで、自動車会杜が軽量コソバクトなトレーラー・ハウスを売り出していたのを見たが、わが国でも自動車会杜がこの分野に進出してくるだろう。セキスイハウスが試作した、プラスチック製のセキスイキャピンもレクリエシーヨン・ハウス向きのプレハブ住宅として注目されたが、いずれにしても動くものである以上、軽量さと精度が要求され、プラスチック、アルミニウム、薄鋼板といった軽い材料が使われることになるだろう。

 わたしは、「プラスチック、アルミニウム、薄鋼板といった軽い材料が使われることになるだろう。」というところにきて、ぞおっとした。ここではレクリエーシヨン・ハウスだからまだしも、こんな建材の家屋で、長年月のあいだ煮たきしたり暖房をとったり、寝起きしたりしたら、人問の 身体はいったいどうなるだろうか。居住者の健康をいったいたれが保証してくれることになるのだ。
 黒川紀章の『行動建築論』は、理論的な骨組みを、情報理論と行動主義からそっくり頂戴したきわもの的な意味しかもっていないが、こうもかっこいいことぼかりを楽天的にならべられると、さきの建築科の学生でなくても、ちよっと待ってくれといいたくもなろうというものだ。たぜならぼ、黒川紀章がこの著書で描いている十年後や半世紀後の構想は、ほんらいはもっとも絶望的な十年後や半世紀後の姿であるのに、<なにもかも便利で愉しくてよくなるぞ>というふやけた貌しかみつげることができないからだ。べつに建築家や政治家の御託宣をいただかなくても、技術の発達が自然にもってきてくれるものを、人問はことさら有難がって利用しなけれぱならないいわれはない。わたしは科学技術の発達の成果をだまって頂戴するときは、人問はいつも意志的に不愉快な貌をしているべきだとかんがえている。
 黒川紀章の描いている十年後の構想は、こう書きかえられるべきである。
 <わたしたわたしは、十年まえに、住宅難にあえいでいるひとびとが、個性的で創造的で機能的なひとつひとつの住宅に住んで、都市の裾野を果てしなく拡げている膨大な光景を構想していた。しかし、こと志と反して、国家や地方自治体や住宅会杜の企画した安上りで量産される新建材でつくった共同納骨堂のようなマンモス団地やマンシヨンや、墓標のような高層ビルの職場にひとびとを送りこむハメになってしまった。化学知識にとぼしい建築家と、もうかれば多少の人体に危険な建材でもかまわずにおしつげてしまう建材会杜とが合作して、居住者の大半を喘息もちや不安神経症にしてしまった。そこで居住者は、どうしても一定期間、のんびりと海や山の自然に触れて休息する必要がでてくる。こういうレクリエーシヨンは、本来の目的からして、歩いてゆくか、列車でゆくか、自動車でゆくか、セカソド.ハウスを曳きずってゆくかは、それぞれの家族または個人の恣意にゆ だねられるべぎであるのに、ここでも人間の全生活過程や欲求について無智な建築家と、もうかれぱ何にでも手をだす自動車会杜や合成化学会杜が介入して、警察の留置所送りの車のようたトレーラー.ハウスを月賦で曳きずって、海や山へゆくハメにひとびとをおとしいれてしまった。十年まえに描いたバラ色の未来はいまいずこだ!>。
 すでに、東京都内や近郊に、共同納骨堂のようなマンモス団地やマンションが建ち、構内にはあらゆる種類の商店が併設され、子供の遊び場まであり、城郭のように街並から隔離されているといった建築風景に出遭うことができる。それを設計したのは現代の建築家であり、それを造らせたの は国家や自治体や建設会杜である。
 ここでなにが不愉快に感じられるのだろうか?
 建築家が杜会的な評価をうければうけるほど、公共の建築物や大企業の建築物の設計と建設に手をだし、御用をつとめたがるようになるという傾向にたいしてだろうか? そうではない。そんなことがたいした問題にみえるのは、さきの建築科の学生や、万博にたいして反万博をなどといっている連中だげである。わたしたちは建築家を、とくに優れた人種のあつ、ありだなどと買いかぶって、特別あつかいする理由などもっていない。レオナルドやミケラソジェロの昔から、また奈良朝の仏師の昔から、建築家の依代(よりしろ)と方法はすこしもかわっていない。
 住宅難から直接の打撃をこうむっているひとびとが、個性的で創造的で機能的で安上りの住宅をもつというユートピアが実現するまえに、国家や、自治体や、建築企業によって、劃一的な共同納骨堂のような集団住宅が、はやい速度で都市を区劃してしまうことが不愉快なのだろうか?
 体験的にいえばたしかにこれは愉快ではない。また、こういう共同納骨堂に入居するにも、一定額以上の収入があることが前提条件だということも決して愉快ではない。しかし、エンゲルスがいうように、住宅難が資本制生産様式の派生的た問題であり、農村と都市との対立が消滅すれぼ消滅するものだし、資本制の消減以外に住宅難の本質的た消減はありえないとすれぼ、住宅建築についてのユートピアの敗北は先験的であるにすぎない。なにもそれだけとりだして不愉快がる必要はない。また、エンゲルスのいうように、現在のままでも住宅難が立ちどころに解決される方法はただひとつあり、それはありあまるほどの敷地に数人の家族しか住んでいないといった余白に、住宅難のひとびとを割りあてることだとすれぱ、これは高度の政治的課題に帰着するだけで、かくべつ住宅難だげをとりあげて不愉快がる必要もない。
 それならぱ、わたしたちは、あとにのこったなにが不愉快なのだろうか?
 建築たちの貌が、場所が、その眼のようた窓が不愉快なのだ。その納骨堂が、墓標が、留置所おくりのトレーラー・ハウスが不愉快なのだ。
 住宅難の間題は高度の政治的なそして杜会的な問題であり、そこには牧歌がはいりこむ余地はないといっていい。しかし住宅そのものの間題には牧歌の余地がのこされていないわけではない。たしかにエンゲルスがいうように、土地や家屋の所有から切り離されて、よぎなく都市の雑沓のなかにまぎれこみ、職場がかわるごとに借り部屋をかえてわたりあるくひとびとの存在は、政治的なまた杜会的な激動の荷い手をつくりだしたといえるかもしれない。しかし、かれらは失うべきなにものももたない以前に、感性的には郷土をはなれて都市にあつまってきたとき、すでにまっすぐに納骨堂にはいった感性の<死者>または<死者>の感性であった。しかし感性の<死者>または<死者>の感性も、また現実的には生きて生活しなげればならない。<住宅>自体の問題はエンゲルスのいうようなものではない。土地所有とも住宅難の問題ともちがった位相の問題である。<家族>の問題が、共同体の問題とも個人の間題ともちがった位相の問題としてありうるちょうどその度合いにおいて、<住宅>自体の問題はありうるのだ。それゆえ、住宅難にあえいでいるひとびとは、住宅間題の大勢を、国家や地方自治体や建築企業に制圧されながらも、零細な個別的な蓄積をたよりにして、個々に豆粒のような住宅を手に入れようとする試みによって、この大勢に抗うのである。もしも建築家が、創造的にこの大衆の抗いに加担するたらば、たとえわずかな絶望的た度合いであっても、この抗いは功を奏するというべきである。
 わたしの住んでいる近所には<江戸の裏店(うらだな)>の名残りをとどめているような露路がある。一間ほどの路幅をへだてて、両側に低い傾いた軒並がつづいている。現在、東京でみうけられるどんな格子戸よりも目のこまかい格子をもったガラス戸がはまっていて、その奥はすぐにせまい<上りかまち>である。そしてこの裏店の特徴は、玄関の格子戸の敷居が地面と同じ高さにあることである。そんな馬鹿なことはないといっても事実だから仕方がない。つまり文字通り<敷居が高くない>のである。
 この裏店の露路をとおりぬげるとき、いまもわたしは慰安を感ずる。住人たちは、玄関わきや窓のところに台をつくって、ミカン箱に土を入れただけの植木鉢をおき、都わすれ(朝鮮よめな)や、朝顔や、ベンペン草や、毒だみなどをおなじ鉢に雑多に植えこんでいる。季節がくると、その裏店のせまい露路や低い格子戸の家先を賑やかにする。
 なぜこの露路裏の住人は、ほんとうは手間がよくかかっている手作りの野原の草をあつめたような鉢をつくるのだろう? この世界が惨苦にみちているので、ほっと一息入れる時間をもちたいからだろうか? それとも子供のときはまだ残っていた〈江戸〉を、手作りの鉢のなかにだげ残したいからだろうか? それとも、この世界で丹精するに値いするのは、この野草を雑多に植えこんだ鉢植だげだとかんがえているからだろうか?
 わたしはこういう露路うらをとおりたがら陰惨な感じをうげたことがない。わたしには荷風のような反時代思想としての江戸趣味もなけれぼ、おぞましいまでの江戸文人的な家系意識もない。(もっとも家系もないのだが)。だがこういう店子たちに、モダンな共同納骨堂のようなマンモス団地やマンションを、無料提供するから移住しないかとすすめたとしても、この露路うらの店子たちが、とびついてゆくとはとうてい思えないのである。こんな裏店には、非衛生的な、非機能的淀、不健康なといったような、現代的な基準からは、あらゆる否定的なレッテルを貼ることができるだろうが、なにかわからぬ不轟なたたずまいが、ある。そしてこの不覇(フキ)なたたずまが、ある。そしてこの不覇なたたずまいこそが、現在の住宅難にあえぐひとびとが個別的にもしもちうるならば持つべき個々の住宅の様式であるとおもえる。
 荷風は『下谷叢話』のなかで、江戸末の詩人大沼枕山にふれてこうかいている。

 弘化二年の夏梁川星巌が江戸を去り、菊地五山、岡本花亭、宮沢雲山等寛政文化の諸老が相継いで淪謝(去世……世を去ること)するに及び、枕山はおのづから江戸詩壇の牛耳を執るに至つたのである。然し嘉永安政の世は文化文政の時の如く芸文に幸たる時代ではたかつた。枕山が時世に対 する感慨は「春懐」と題する長短七首の作に言はれてゐる。其の一に日く、「化政極盛ノ日。才俊各々声ヲ馳ス。果然文章ハ貴シ。奎光太ダ照明。上下財用ハ足ル。交際心ハ誠ヲ存ス。宇内円月ノ如シ。十分二善ク盈ヲ持ス。耳ハ只歌管ヲ聴キ、目二甲兵ヲ見ズ。余沢花木二及ビ、名墅春栄ヲ争フ、人非ニシテ城郭ハ是ナリ。我モ亦老丁令。」
 わたくしは枕山が尊皇攘夷の輿論日に日に熾ならんとするの時、徒に化政極盛の日を追慕して止まざる胸中を想像するにつけて、おのづから大正の今日、わたくしは時代思潮変遷の危機に際しながら、独旧事の文芸にのみ恋々としてゐる自家の傾向を顧みて、更に悵然たらざることを得ない。

 荷風は枕山のなかにじぶんを発見した。枕山が、かたくなにいわゆる<御一新>に背をむげたように、荷風はかたくなに大正末のヒューマニズムとマルクス主義の擡頭に背をむけた。しかしながら荷風はたんに江戸を回顧しただけでは不安であった。そこでじぶんの家系にたいする自負のようなものにすがろうとして、まんざら自家の系譜と関係がないわげではない大沼枕山をとらえたのである。荷風の家系意識が奇妙な熱気をもってくる分だげ、『下谷叢話』は卑しくされている。
 わたしはもともと、フィジカルな意味でもメタフィジカルな意味でも家系意識たどというものを好まない。文人気質などというものも好まない。そういう連中はおおく俗物的なにせ隠者である。
 わたしが<江戸>をみるのは裏店の<江戸>である。ごく常識的にかんがえて、江戸の裏店の素町人たちは、もし商家や細工屋に丁稚奉公にでかけ、十年の奉公と一年の礼奉公のはてに、のれんわけされるまでの忍従にたえなげれぼ、巷のあんちゃんになって、日々かつぎ商いやその他のその日ぐらしを業とするよりほかに道がなかった。また、家がはじめから一人欠けれぱその日の手内職にもさしつかえるといった窮迫状態にあれぼ、丁稚奉公も叶わなかった。そうだとすればかれらはふてくされて地廻りになるか、かつぎ商いや縁日の香具師になって生活をたてるより仕方がなかった。これらの住む裏店もまた、かれらのおそまつな納骨堂であったという理由で、現在のマンモス団地やマンションとすこしもかわらないといっていい。けれども江戸の裏店の住人には希望も絶望も陳腐であったとおもえる。しかし新建材や、新塗料や、新接着剤や、現代の建築家の新技術によってつくられた建売住宅や、マンモス団地や、マンションの住人は、ただ明るくほがらかに絶望しうるだげであるようにみえる。
 
( 吉本隆明著「情況」。昭和45年11月・河出書房新社刊 )   
(★注)大沼枕山(おおぬま ちんざん、文化15年3月19日(1818年4月24日) - 明治24年(1891年)10月1日)は江戸時代後期から明治前期の漢詩人。名は厚、字は子寿、通称は捨吉、号は水竹居、臺領、枕山。野にあって詩人として生き、最後まで髷姿を通した。墓は東京都台東区谷中の瑞輪寺にある。
☆永井荷風は縁者にあたる枕山を「下谷叢話」でその人となりを愛惜こめて伝えている。
 
 
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 この吉本隆明さんの文章も、北村太郎さんの文章のように、「建築」という言葉の代わりに「芝居」という言葉を挿入してみたら、電話口の(客)の言い分の一部は、わたしたちの市井の小劇団と「わが世の春」と痴呆のような明るさの芸能界(あるいは大劇団)という構図に置き換えることができる。
 わたしは、若い頃に読んだこの文章をすっかり忘れていて、(客)のようないらだちをいつも抱いていた。けれども馬齢を加え改めてこの文章を読んでみると、(主)の「どうも貴方のいうのをきいていると、建築(演劇)を専攻し、将来建築(演劇)家としてやっていこうという貴方自身の意志とはかけはなれたところでものをいっているような気がする」という言葉は、わたしに向けられた言葉のようで、やはり重い。
 
 
   この稿、継続中!