日付:2022年3月14日 

  詩人・谷川俊太郎さんの声にふれる   (1)

 

 

 

◎ 岩崎書店刊・詩:谷川俊太郎さん。絵:合田里美さん     

 
 
     ぼく  
 
     ぼくはしんだ
 
     じぶんでしんだ
     ひとりでしんだ
 
     こわくなかった
     いたくなかった
 
     あおぞらきれいだった
     ともだちすきだった
 
     でもしんだ
     ぼくはしんだ
 
     おにぎりおいしかった
     むぎちゃつめたかった
 
     でもしんだ
     ぼくはしんだ
 
     うちゅうはおおきすぎる
     じかんはおわらない
 
     なにもわからず
     ぼくはしんだ
 
     ぼくはしんだ
     じぶんでしんだ
       (谷川俊太郎「ぼく」2020年1月6版)
 
 
 
谷川俊太郎さんの声にふれる
 
 
 いやぁ、もちろん書けるかなぁとね、じぶんにね。
 だけどねテキストだけは、でも書かなくてはいけないわけでしょ。
 だけど子供の知識というのがコンセプトとして出てきたときに、じぶんがどう受け取るかっていうことがやっぱり時間がかかりましたよね、うむ。
 だから、たとえばじぶんの子供が自死した親なんかはほんとうにじぶんが救いようのない気持ちになるんだろうけれども、絵本とかね文学作品なんかは、そういうひとに対してなんかのちょっとした救いになる可能性を秘めているということがあるっていうふうにずっと思ってるから、もしかしたら役に立つという気持ちが少しはありました。
 
 
 あの、だいたい特にテーマがテーマだから、言葉、つまりテキストも無口でありたいし、絵も無口な絵のほうがいいと思っていたんですよね。そういうのに合田さんがなんかいい線いってたみたいな、そういうふうにとらえましたね。
 
 
★谷川俊太郎さんのリクエストを合田さんが書き留めたメモ。
 
 
   ○ 世界の美しさ、残酷さを描く。
   ○ すごく明るい絵本ににしたい。
 
 
 だって暗い本にするんだったらいくらだって暗くできるようなテーマじゃないですか、それで読者が喜ぶかしらって思いますよね。やっぱりなんか読者に対してすごく、まあ暗い深い現実に対抗できるような気持ちになってもらわないと絵本出す意味はないだろうって思ってたから。
 
 
 でもぼくは基本的に自殺には理由が無い、無いっていうとちょっと大袈裟なんだけども、人間が社会生活を送っている上でね、生活難とか病気とか親しいものの死とかいろいろあって、それが理由だっていうふうにいわれますよね。もっと深い理由があるんじゃないかって気がするんですよね。
 だからそこんとこを書きたかったというのがありますね。
 判ってもらはないようにする、というと変な話なんだけどね、じぶんが書いたものをだいたい判って欲しいわけだけど、この場合はつまり判らないということがテーマだって思いましたからね、うん。
 
 
 宇宙は真空で恐ろしい不安なところだって、ぼくなんか若い頃思ってましたけどね、いまは宇宙はほんとうは未知のエネルギーに満ちあふれている、宇宙はじぶんたちの母なんだという思いになってますから。それはだからもちろん死後の世界なんかにも通じるですよね。
 
 
 まず基本的な自然宇宙内の孤独、つまり宇宙ももともと自然なんだから、庭先の木々とかそういうものだけじゃなくてね、そういう自然界のなかでのでの生命としての孤独と、生まれ落ちて、小学校、だんだん大人になって社会になかでいろんな人間関係があって孤独になるのとはぜんぜん違う孤独だって思うんです。
 
 だからぼくはつまり「二十億年の孤独」を書いた頃から十八、九でさあ、だからぜんぜん人間社会と関係をもってなかったわけですよね。だけどそれがだんだん友だちができて、恋愛して結婚して子供が生まれた。だんだん人間社会に生きるようになったわけでしょ。だけどそのいちばんはじめに人間社会とぜんぜん関係がなくて「二十億年の孤独」なんて言葉がでてきたときのじぶんの心理(&真理?)といえばいいのか、あり方というか、そういうものはずっとあり続けてるって思うんですよね。だからそういうものは十何才のときに感じたものは九十才になっても消えないんだなって思いますよね。
 
 
 「彼」が(スノードームを)胸に抱いているの場面なんか、ぼくの好きな場面なんです。なんかあの絵だけで「彼」が感じていることが判るような感じがになってて、ちょっとぼくはいいな。
 
 ぼくのイメージがどんどん変わっていったんですよね。はじめなんか普通のスノードームでよかったような気がするの。これはふと、なんかシンボル的な意味がもてそうだ。増えていったってことでだんだん注文が、ということなんじゃないかな。
 
 
 それはスノードームの限界に気づいたんじゃないかな。それはできるだけ無口な絵本にしたいというのと同じ心ですよね。なんかそんな風に出しちゃうと、それがテーマみたいにみえちゃうと違うんじゃないかと。
 
 だから「ぼく」がスノードームを毎日抱いて寝ているとかね、毎日机の上に置いているとかね、そういうことになると全然絵本そのものの意味が変わってきちゃうんですよね。だから足りないものとしてスノードームがあるというほうが、出てきたときにけっこうインパクトが強いんじゃないかなって。「ぼく」という少年が現実に普通に暮らしているというところをベースにしてないと彼の孤独というものは伝わらないだろうと思ったんですよね。
 
 
 「生きたい」ということと「死にたい」ということは別々のことではないし、反対でもないと思ってるんですよね。「自殺」ということは「本当に生きたい」ということの連続というのかな、なんかじぶんは死んでもじぶんは生きるんだみたいなことがさ、どっかに隠れていると思うのね。死んでなにもかも忘れてしまうんじゃなくて一緒にどこかへ行ったこと時の思い出とか、そういうものは持ってて欲しいという気持ちはあったと思うの「ぼく」にね。
 
 
 谷川俊太郎さんからのメール
 
 『合田さん、ちょっとドキドキしてしまいました。絵の美しさの力はすごいですね。言葉はどこまで行っても抽象ですが、絵は生きる人間の細部で全体のもつ具体に迫れるんですね。絵本としての出来上がりが楽しみです』
 
 
 だから、じぶん一人で解決がつかないようなことだから、合田さんが居ることで互いになんか、なっていうのかな、じぶんの考えていることを交換しあって、ひとつの言語になって、ひとつの絵になるみたいな、そういうコラボレーション、キャッチボールしながらコラボレーションするっていう、わりとダイナミックな進行の仕方がすごく良かったとぼくは思ってますからね。
 
 
 ーーー 読者に対するメッセージは?
 
 
 いっさいないですね。一般的な読者というふうなものに対して、なんか言うことはできないと思ってるわけ。だからもし、いまなんか死にたいと思ってるひとが眼の前にいて、なんかこっちに話しかけてきたらなんか言うことがあると思うけど。
 
 なんか一人ひとりぜんぜん違う境遇で、人間関係をもっている子供たちに一般的なメッセージっていうのは、なんか言えないと思いますね。
 
 なんか、いまは意味偏重の世の中なんですよ。
 だれでもなんにでもみんな意味を見つけたがるわけね。意味を探したがるわけ。
  意味よりも大事なものは、なにかが存在するするってことなんですよ。なにかがあるかっていうことね。存在ってことを言葉を介さいないで感じるとるということが、すごく大事だと思ってるのね。なかなかそういう機会はないんですけどけど。  生きるってことは、そういう意味でなんか意味を回避するっていうのかな、意味づけないでじっと見詰めるとか、じっと我慢することがあるんだけど、みんなけっこうそういうことはしなくなってるんですよね。意味を見つけたら満足しちゃうみたいなね。そうでないものを作りたいと思ってますけど。
 
 
TV映像から書き写しました。句読点:菅間。
 
        
 
谷川俊太郎さん(たにかわしゅんたろう)
31年東京生まれ。52年に詩集「二十億光年の孤独」を発表。その後話題となる詩集を多数刊行し、翻訳や作詞も手がけてきた。
※2022年2月12日。NHK・Eテレによる放送。
 
 
        
 
 
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