日付:2020年10月1日 

  文化庁の「文化芸術活動の継続支援事業」の申請書を提出しました。

 

西日暮里の諏方様の境内で咲いている曼珠沙華。  

 

 【 1 】
 
 
 9月26日(土)、文化庁の「文化芸術活動の継続支援事業」の「団体の部」へ、菅間馬鈴薯堂として支援の申請書を提出しました。
 
 
 【事業計画書】
 
 1、事業目的
 
 来年夏の公演活動の開催に向け、ICT技術の習得、更なる舞台表現技術の向上を目指し、馬鈴薯堂は、馬鈴薯堂の公演に毎回のように参加してくださる俳優・スタッフ一同と共に「コロナ禍のなかの稽古・公演スタイルの模索と創出」、「新型コロナ感染拡大防止対策」への理解を深めるための研修会(自主稽古)を継続的に開催することにしました。研修会への傍聴は、研修会場の定員を超えない限り受け容れます。
 
 2、具体的な活動内容(開催時期、場所、参加者、内容等)
 
★開催日時  研修会全4回  毎回19時~21時(2時間)。
 1回目10月13日、2回目10月16日、3回目10月20日、4回目10月23日。
★開催場所 上野ストアハウス・スタジオ(1回目)、荒川区諏訪台ひろば館(2~4回目)。
★研修会参加者 総計(12人) 馬鈴薯堂構成員(3人) + 外部参加者(9人)
 ※オンライン参加可。
★研修会準備会議を馬鈴薯堂事務所で2回行います。 10月1日・10月3日。6人
 構成員:馬鈴薯堂参加者3人+外部参加者3人×2回。
 
 3、事業実施のスケジュール
 
★研修会 1回目
 (1)劇場経営者としてのコロナ対策の現状の講演:上野ストアハウス経営者・木村真悟氏。
 (2)荒川区保健所からのコロナ感染拡大防止対策についての資料調査、発表。
 (3)質疑応答。
★研修会 2回目
 (1)照明家としてのコロナ対策の現状の講演:吉嗣敬介氏
 (龍前正夫舞台照明研究所・リモート映像)。
 (2)現場における緊急対応作業の実習方法の模擬的な研修。
 (3)質疑応答。
★研修会 3回目
 (1)菅間勇(馬鈴薯堂):コロナ禍のなかの稽古・公演スタイルの模索。
 (2)質疑応答。
★研修会 4回目
 (1)菅間勇(馬鈴薯堂):「近現代詩」と新作台本の稽古
 (2)質疑応答。
 (3)それぞれの自由な発言の時間:
 「わたしたちは、どのような思いでコロナの季節を過ごしてきたのか。」
 
 4、期待できる効果
 
 「コロナの感染拡大」と「緊急事態宣言」は、思いもよらぬ問題をわたしたちへ投げかけてきました。わたしたちは、【三密】を避けるように指示され、人と人との繋がりを希薄化していくような生活を余儀なくされたのです。この間、わたしたち親・兄弟、親しい友人たちとも逢わず苦しい思いをしました。でも、コロナ禍のなかでわたしたちが一人ひとりになり、ひとりで考える時間が増大したこともまた確かなことです。
 コロナ禍の時代に生きるわたしたちが沈黙のうちに心のなかで呪文のように呟いてきた言葉たちが、いつの日か稽古場の中へ持ち込まれ新たな表現の方法を編み出し魅力的な舞台表現をとなって表れ、閉塞した現在の舞台表現の実相を打破していく途が作り出されてゆくでしょう。
 わたしたちの研修会(稽古)は、その扉を開ける契機の僅かな一つになってくれるであろうことを願って、わたしたちは研修会を開催いたします。
 
 
 
 【 2 】 『申請書』について
 
 
 上の文章を読んでいただければすぐにわかるように提出した申請書は、
 
 (1)普通の一般生活者として、コロナ禍のなかで「緊急事態宣言」等の「コロナ感染拡大防止策」をどのように受け容れ、その期間を過ごしてきたのか。
 
 (2)任意の一つの演劇(職能)集団として、現在のコロナ禍のなかで導き出そうとしている稽古や公演の新しいシステムの試行と模索のイメージの果てに、ほんとうに新しい芝居のシステムを作り出すことができるのだろうか。
 
 申請書は、上の二本立ての主旨で研修会を行いたいと書かれ提出されています。
 けれどもわたしは、申請書に提出直後、果たしてそんなことが一、二ヶ月にも充たない時間のなかで、少なくとも自分自身を納得させる言葉でコロナ禍のなかで生まれてきた様々な不安や混乱のイメージの本質に迫り、新しい芝居の作りの総合的なシステムを作り出すことができるのだろうか、という不安感が襲ってきました。その不安感をできる限り率直に述べることを研修会のはじまりの言葉にしたいと思います。
 
 (1)の問題ですが、わたし自身は、政府の『新型コロナウイルス感染症対策分科会長』の尾身茂さんや他の様々な感染症の専門家のお医者さんたちのTVでの発言、『できるだけ【三密】を回避し、人と合うのを八割ほど避けて下さい』、『マスク、うがい、手洗いを実行して下さい』という感染拡大防止の啓蒙策を黙々と受け容れ、そのように生活をしてきました。一般大衆の誰もがするようなことをわたしもしてきただけです。それ以上のことはほとんど考えることはできませんでした。
 
 (2)の問題ですが、任意の一つの小集団が抱えている個別的なローカルな問題から入ることしかわたしにはできませんから、その任意の小さな場所へ訪れてきた「コロナ禍」の問題がどのような具体的なかたちであらわれてきたかを述べてみます。
 
 これは、稽古場に訪れてきたコロナ禍が、わたしたちが長い時間を費やして作ってきた稽古や公演のスタイル(方法)を無効化する動きとしてあらわれてきました。
 結論を先に言ってしまえば、わたしは、馬鈴薯堂の稽古場で【ソーシャル・ディタンス】を採り入れた稽古の情景を何度も繰り返し想像してみたのですが、馬鈴薯堂ではそういった現在のコロナ禍の下での様々な制約をそのまま採り入れた稽古方法では芝居はできあがらないだろうという思っています。
 なぜなら馬鈴薯堂は、もともと芝居の稽古やその方法とは、【不要不急】のもので、好んで【三密】を採り入れる特異な考え方をもっている職能集団だからです。
 そんなことをやっているからコロナの感染を生んでしまう怖れがあるんだと言われても、芝居の稽古にとって【不要不急】と【三密】は必要不可欠で芝居作りには手放すことはできないじぶん自身と対話をする大切な時間であると馬鈴薯堂は考えている集団です。
 では、馬鈴薯堂はどういう新しい稽古スタイルを創るのかという問題ですが、まったくその解答をもっていないのが、正直なところです。
 <生産性の向上>が叫ばれる現在の社会状況のなかで、【不要不急】と【三密】とを中心に据えて稽古をすることは、稽古の非効率性や<生産性が著しく低い>ことを積極的に受け容れようとしている行為です。政府や医療関係者の方々のとなえるコロナ感染拡大防止のガイドラインを越境してしまう行為に他なりません。
 
 もちろんわたしたちは、舞台表現に対するこうしたわたし(たち)の稽古の考え方は世代を超えた普遍性をもっているものだとはまったく考えていません。わたしは自分たちのそういう考え方をいまさら捨てることは不可能に近いと思っているだけです。
 若い演劇者さんたちは、わたし(たち)が拘泥しているような稽古方法に無関心でも、とても良質な演劇作品を次々に生み出しています。若い演劇者さんたちは、時代や風俗の要請を果敢に採り入れながら、彼らじしんの固有で、効率性豊かな稽古の方法をこれからもたくさん編み出していくことでしょう。わたしも若い世代にそれを望んでいます。
 
 現在のコロナ禍のなかで、若い演劇者さんたちが、新しい稽古方法や芝居の作り方の試みに果敢に挑戦していくことを、わたしには力強いことだし、やってみる価値のあることだとも思っています。大画面のリモート映像を舞台にあげ、大画面と生な俳優とがリアリティある会話したりする芝居とか、無観客芝居も多く作られるでしょう。他にもたくさんのアイディアで芝居を創りだしていってくれるような気もします。わたしはそういう若い人たちの模索や挑戦の試みの邪魔にならないようにしていたいだけです。わたしは、若い人たちの模索や挑戦に諸手を挙げて賛成し、ぜひ見てみたいと思っています。どういったらよいのかわからないのですが、若い人たちのコロナ禍のなかでの試みは、今後の芝居のあり方に大きな分岐点を運んでくるのか、それとも全面的な敗北になってしまうのかまったく未知ですが、いずれにせよ若い人たちはなにか大切なものを把んで還ってくることでしょう。わたしは、若い人たちの冒険的な試みをぜひ見てみたいと思っています。
 
 わたしのできることは、稽古場で俳優さんに実際に立ってもらって俳優さんたちの肉声を聴き、顔や身体の表情を見させてもらって、俳優さんにいろいろやっていただいて、そこからでなければいまのところ台本書きとしても演出としても、なにも見えてこない、機能しないというのが本音です。そこからでしか、わたしの芝居ははじまりません。けれども、わたし(たち)の作る芝居でも、内心、時代にひっかき傷をつけてみたいという願望を捨て去ってはいません。
 芝居に関してはわたしはもう年老い、現在の社会の動きに追いついて行けないのですが、わたしのような稽古方法の継続の上でも、なにかしら新しい稽古のあり方を考え出せたとしたら(たぶん、新しい劇構造を作り出せば)、もしかしたらほんの僅かですが芝居を新しい場所へ持って行けるかもしれない。それは、現在までじぶんのしてきた仕事の帳尻合わせをするのではなく、蟻の歩幅ほどの前進ですが、まだ展開の余地が残されているのではないかと淡い夢を抱いています。わたしたちは芝居を作る理由や言葉をなに一つ持っていませんが、もっていないからこそ芝居を作りたい意思や理由や言葉たちが稽古場に湧いて出てくるのだと思っています。
 
 わたしのようなただの普通の生活者と、一人の職業人としての芝居屋は心のなかではコロナ感染拡大の防止策については協調し同伴しているようでいて、最後には離反劇を起こしてしまう気がします。
 それが「申請書」の提出後に少しずつ解ってきたことです。まるで弥次郎兵衛みたにいま心は揺れ動いています。これが、研修会のわたしなりの第一歩の書き出しです。
 
 
 最後にほんの少しですが、あるローカルな高齢者の芝居屋の芝居を作りのきっかけのイメージようなもを遊びで述べてみます。
 ある日、NHKの連続小説「エール」をボーッと見ていたら『イヨマンテの夜(作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而)』という曲が流れてきました。わたしはすぐにこの曲を次回の芝居に採り入れたいと思いました。アジアの東の端にある島国日本には、こんな声を持っていた人々が住んでいたんだと思ったからです。<内蔵から発信されてくる声>だと思えたのです。高齢であるわたしの芝居は<声>、<身体>の問題へ退化をはじめているのかもしれませんが、どうしてもこの『イヨマンテの夜』を、現在のわたしたちが稽古場でどう料理できるのか、ぜひ模索してみたいのです。その声を復活させたいんじゃないんです、復活なんて不可能だし、その<声>の出し方を遊びたいんです。これがわたしの芝居へ向かうきっかけの初発のイメージのひとつです。
 
 今回の研修会は、むしろ結果としてコロナ禍のなかでの、わたしたちの社会と芝居に対する心の揺れ動きの記録の表現として存在するかもしれません。研修会としてそれが表現できれば、それでよいといまは考えています。
 
 
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     ★ 上野ストアハウスの劇場主の木村真悟さんに講演をお願いしました。 
 
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