日付:2020年12月7日 

  わたしたちは、どのような思いでコロナの季節を過ごしてきたのか

 

晩夏の谷中霊園で日本の植物学の父といわれている牧野富太郎(まきのとみたろう)の墓を見つけた。  

 

 
 【 1 】
 
 
 なぜか植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう《1862年5月22日(文久2年4月24日)~1957年(昭和32年)1月18日。日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。》)氏という名前は憶えていて、七、八年前そのお名前「牧野富太郎」をそのままお借りして植物学者兼素人探偵という役で馬鈴薯堂の芝居に登場してもらったことがある。
 JR日暮里駅から谷中方面への西口を出て、高台の谷中霊園の入り口の階段を上がり、石畳の道を歩くと、五重塔跡へと続く真っ直ぐな桜並木の広い路へと出る。歩きはじめるとすぐに路の右側に「牧野富太郎の墓所の入り口」と書かれた道案内の石碑が建っている。二度ほど道案内の示す通りの小径を進み、牧野さんのお墓はどこにあるのだろうかと沢山のお墓に書かれた名前を読みながら探し歩いたがとうとう見つからなかった。九月の下旬になり、仕事が休みの日に自転車で日暮里まで駈け、案内の通りやはり同じ墓所の石畳の小径を右往左往して歩き回っていたらようやく牧野富太郎さんのお墓を発見し、カメラに収めた。
 牧野富太郎さんは市井にあって植物学を自力で学び、様々な困難を経て日本の植物学の父と呼ばれるようになった人だ。わたしも人並みに植物を眺めるのは好きだが、花や木の名前をほとんど知らない。桜や梅の木、松、杉、桐の木の区別はつくし、白樺もわかる。花の名前も花が咲いてくれさえすれば百合、水仙、向日葵、タンポポとその名を言い当てることはできるが、植物について呆れるほどなにも知っていない。知らなくとも生活の上であまり困ったことも起こらなかったから、高齢になるまで知らないままで過ごしてきてしまった。せっかく荒川下流の土盛の土手近くの雑多な下町で育ったのだから、野に咲く花の名前を子供時代によく教わり憶えていたらもう少し老齢の時間を豊かに過ごせたのではないかと思っている。
 コロナ禍の真っ只中でなにを悠長な散歩をして遊んでいるのかと「自粛警察」とやらに糾弾されそうだが、これがコロナ禍の現下で、閉塞しがちになってゆくじぶんを開放し、心に涼しい風を目一杯吹き込む遊びの一つだ。そう思いながら自転車を飛ばした。
 
 牧野富太郎さんのお墓を探したのは、【植物学】と同じように膨大な識知を内在している叡智の世界はこの世にたくさん存在している。無知なわたしのまったく知らない領域の一つに【医学・医療】、【物理学】、【地学】等様々な膨大に蓄積された叡智の世界がある。
 それら未知の領域を前にしてただ呆然とするばかりだが、現下の「新型コロナウィルス」問題の下に、現在を生きざるをえない一人の一般大衆(素町人)としての感想を述べることを許してもらいたい。
 
 わたしはこの(2020年)12月で70歳となる。仕事は、西日暮里の駅前で違法駐輪自転車に、この歩道は違法駐輪地区で『ここに駐輪し続けていると自転車は撤去されちゃいますよ』というラベルを違法自転車に貼って歩く仕事だ。高齢者の仕事として荒川区シルバー人材センターから斡旋してもらって約3年間ほど続けている。ラベルを貼って歩く場所はJR西日暮里駅周辺の1キロ四方の大小の歩道だ。
 コロナによる感染拡大を防止(接触感染・飛沫感染)するためにマスク着用で3時間ほど混雑した街中を歩き回る。今年の夏の酷暑のなかではマスク着用は相当にきつかった。わたしは少し肺が悪いのでマスク着用による呼吸はとても苦しく、見かねた同僚がシルバーセンターに問い合わせて、センターの方から西日暮里駅前やメインの通りではマスクを着用し、路地裏など混雑していないところではマスクを外してよいという指示をもらってくれたので、少し助かった。
 
 政府のコメントや医学の専門家さんたちの述べるコメント、TVのニュースの解説で毎日のように提供される【不要不急】の外出を控え【三密(密閉・密集・密接)】を避ける、【Stay home】を可能な限り聞き分けのよい子供のようにわたしも実践してきた。外出時にはマスクをつけ、帰宅をしたら消毒剤で手洗い、うがいをしている。
 こうした【コロナの感染拡大防止対策】は、わたしのような素人の感想ではコロナを根絶する識知も技術もいまのところ現在の医療科学では皆無といってよい状態で、目下研究中にあり、国民一人ひとりがじぶんでコロナ感染を防ぎ、じぶんの生命はじぶんで守って下さい、その水準のものだと思う。それでも飛沫感染を防ぐことができるのならと、予防医学をありがたく採り入れ生活している。
 
 【三密】を避けること、【Stay home】、マスク、手洗い、うがいの実践を勧める政府や医学者たちのコメントと、これを聴いて実行しているわたしたちも、現在執りうる対策でこれ以上に考えられ感染防止対策はなく、しかもこれから先は未知の世界で、いつまでコロナ感染が続くのかよく解っていないことを心の隅で察知しているから、コメントする側もそれを聴く側もやるせない寒い思いをしながら喋ったり聴いたりしているという状態だ。
 
 なにも解らない素人が言いたいのは、こういうことだ。
 コロナ以前は、西日暮里の呑み屋街の人気のラーメン店には12~13人ほどの客が店前に列を作り、小さな呑み屋さんは夜になるとどこでもほぼ満員の状態であった。それが突如として閑古鳥が群れをなして鳴いている街へ変貌してしまった。
 「緊急事態宣言」が解除になり、8月になり9月にもなると金・土曜日には客足も復活してきて、でも最盛期の30%~40%ぐらいの賑わいだ。それでも若い世代も壮年も高齢者も、顔を赤らめ楽しそうにお酒を呑みながら談笑している。仕事のきつさをお互いに言い合ってみたり、会社や上司の悪口を言い合ったり「だからうちの会社は伸びないんだ」、若い恋人同士の束の間の逢瀬であったり、話すべきことが無くとも親しい人と一緒にいることが楽しい……、こうした貧しくも楽しいいつか見たことのある光景をわたしは懐かしい気持ちで眺めながら歩いた。そしてわたしたち(高齢のラベル貼りの従事者)は、呑み屋さんやラーメン屋さんの前に彼らが停めた違法駐輪車にラベルをいつの頃からか貼らなくなってしまった。束の間の巷の小さな愉しみの邪魔はしたくない。冷蔵庫の隅に仕舞い込まれ忘れられた小さなジャム瓶に無理矢理に頭から押し込められて蓋をされ身動きができない生活から、ほんの僅かな開放を遂げるために密かに(にしてはけっこう騒いでいるが)呑み屋さんへ舞い戻ってきたのだ。わたし(たち)にできることは、こんなことだ。
 
 もしわたしたちの生活に<コロナ禍>によって【新しい生活スタイル】というものを創出しなければならないとしたら、遠隔地にいる人びとのICT技術による会議システムや在宅勤務のシステムの技術は今後めざましい勢いで加速し発達するに違いないだろう。災害時においても、無医村の現場においても、それらの技術(高度な解像度4K・8Kの普及)は革新的な役割を今後担ってゆくことになるだろう。
 同時に、江戸期以来面々と持続され受け継がれてきた親密さをもった一般庶民の楽しい遊びと無駄話ができる自由を許容する<対面の場=座=盛り場>の光景が街中で再創出されることをわたしは深く望む。
 芝居も呑み屋さんも、実は同じだ。見手(呑み屋のお客さん)と演じ手(調理場で働く人)との共同で楽しい<対面の場=座>を作っていることには変わりはない。こうした場所は、文明の迷路が必然的に生み出した文明そのものを映し出す鏡だ。
 政府の囲い込み(外出の自粛)政策によって、新型コロナウィルスの爆発的な蔓延は防げたのかもしれない、それは解る。けれどもわたし(たち)の本音をいえば、外へ出て一瞬でもやはり自由な空気を吸ってみたいと思っている。その自由さを求める一般大衆の楽しく自由に歩きたいと願うモチーフも、いずれの日にか包括されなければならない今後の最大の社会的な課題の一つであると思う。
 
 わたしたち一般庶民が、じぶんのいまの生活水準は中流であると考え、現在のじぶんたちの生活水準を保ちながら消費を毎月5%~10%前後を意識的に削減して半年ほど暮らしたとすれば、どんな政党の内閣でもすぐに倒れてしまうだろう。現在の政府の様々な消費刺戟対策の背後にはこうした認識が隠されている。わたしたち一般大衆はそのことにただ触れないだけだ。
 「新型コロナウィルの蔓延」は、良い悪いは別にして現在の超消費社会の実相を見事に炙り出してしまった。
 
 
 
 【 2 】
 
 
 
 もうひとつ、いま問題になっている<コロナ鬱>の問題にも少し触れてみたい。これは次回作のわたしの芝居メモとしてだ。
 厚労省は一万人規模のアンケート調査を8月に実行するといっていたが、そのアンケートの結果はまだ未発表で、ネット上には公開されていない。いろいろ探しているうちにコロナ禍のなかで『精神保健センターに寄せられた主な相談(厚労省の管轄)』のコーナーというのを見つけたので、それをまず参照させてもらう。
 
 
左寄せの画像  ここでも素人の感想を述べてみたい。
 もし、わたしたちが、この<声たち>を「コロナ禍」という前提なしに読んだとする。するとどういう言葉に変わってゆくだろうか。
 少なくともわたしには『精神保健センターに寄せられた主な相談』は、<コロナ鬱>特有の相談とは言えないと思う。
 この<声たち>は、コロナ以前の、現在のどこに頭がありどこに尻尾があるのかわからない錯綜し味気ない社会に我慢を重ねて生きている一般大衆の抱く切実な潜在的な本音の声、<生き辛い>という声であると考えた方が妥当だと思える。
 コロナ感染の拡大とそれにともなう対策、【緊急事態宣言】、【Stay home】を契機にして(いわば時代劇でいえば、蟄居・閉門のような軟禁状態にされている時間が長く継続し)、潜在的な一般大衆の<本音の鬱>の声が一気に顕在化した、そう解釈したい気がする。
 コロナ以前に潜在化している<声たち>と、コロナ以後に爆発的に増殖した不安感が混融され、漠然とした恐怖感へと変貌を遂げてゆく。この変貌は、わたしたち人間のもつ弱さのたどる必然的な経路だ。
 
 
 上と同じような混融されごたまぜの言葉になってしまうことを怖れず、わたしのような高齢者の夫婦二人きりの生活へ忍び込んできた<コロナの影>について感傷的なたわごとを思いついた順にランダムにいい放って憂さを晴らしてみたい。
 
仕事のない日は、積極的にやることを探そうとするのだが見つからない。眠くなってくるから昼寝をしてしまう。こんなに寝ている日々は、きっと乳幼児期と部活で疲れた中学生の頃以来ではないかと思えるほど、寝てばっかりいる。楽しい趣味や集中すべき目的、運動とか、日々のそういう小さな方向性さえ把めれば、そんなに寝ていないで済むのかもしれないが、とにかくよく眠った。
二時間も昼寝をしてしまうと、当然夜は眠れなくなる。早く寝なければと(思う必要はないのに)思うから、夜の酒量が増える。もしくは睡眠薬を多用してしまう。
日々、無口になっていく。友人との連絡も、友人に語りかける積極的な言葉が持てなくて、遠慮がちになり、友との距離が疎遠になってゆく。
日々、お腹の調子は悪くなり、便秘と下痢の繰り返しになる。おならが大変によく出る。
TVも静かなNHKの自然番組、懐かしい昔の映画のDVDを見るようになった。
もの忘れが激しくなっていくように思う。簡単な漢字が書けない。
自分にも他者にも、少し怒りっぽくなっている。これじゃダメだ。
とにかく物事に対しての受容、了解の速度が限りなく減衰しているように思う。
甘い食べものが好きになった。よく食べる。空っぽの空をよく見上げる。
JRを使用して遠出をしたのは、3月~9月にかけて一回きりだ。仕事でどうしても遠方に行かねばならなかった。よちよち歩きの赤ちゃんか小学校へ上がる前の児童のように、移動による空間領域が極端に縮小している。
歯医者さんに怒られるから、毎夜歯は磨くが、朝、今日は他人と会わないと思える日は顔を洗わなくなった。たぶん奥方もそうだろう。
妻と話をすると「あなたの言ってること(短絡が激しいから)の意味がよく解らない」と怒られる。急に漱石が火鉢の上に乗っていた十銭銅貨を見て、いきなり目の前で遊んでいた娘を思いきりぶん殴った逸話を想い出した。
夕食を作ること、食べることが面倒臭いときは、近くのコンビニのお握りや菓子パンを買って食べている。
 
 
 奥方の様子も、わたしと少しも変わらない。
 
外出をしなくなって、一日、家で働いている。
毎日の食事、洗濯、掃除が苦痛になって、食事なんてもう作りたくないといいはじめた。
昼食、夕食を作る時間を限りなく短くしている。ご飯のおかずは近所の総菜屋さんでよく買うようになった。
奥方は、普通の声(独り言にしては大きい声)で、独り言や歌をよく歌うようになった。奥方は地の声が大きいから、傍にいる身としてはちょっとかなわない。
心に黴が生えてきた、と言う。
彼女も、日々、お腹の調子は悪くなり、便秘と下痢の繰り返しになる。おならが大変によく出る。そのおならは管楽器の出す音色に似ていて、かなり長いおならだといっている。わたしも、そうだ。
彼女の漬けるぬか漬けはとても美味しい。彼女は、いろいろ言いながら料理を作ってくれるが、ぬか漬けの味を落とさないのは、たぶん彼女流の自己治癒なのだろう。
3月~9月の間に、二人で外食したのは近所の日本そば屋へ一回いったきりだ。
彼女は、生活上為すべきことだけ考え、あとはなんにも考えないようにしている、考えても無駄だからと話している。
 
 つまり、【緊急事態宣言】、【Stay home】、【三密】を避けろという言葉の前で、高齢者夫婦に限らず、だれでもコロナ禍のなかで心的に閉塞していき、元気だった顔も萎縮してゆく。でも、これらの心的な閉塞の問題を前に、一般大衆が頑張って堪えているのはなぜか? 堪えきることができないのはなぜか? 誰か応えて欲しい。
 
女性の自殺者の数が急速に増えている。
緊急事態宣言でいちばん早くわたしの身の回りに起こった社会現象は、いわゆる比較的社会的弱者といわれている人びとの仕事が泡みたいに消失してゆく動きだった。
 
 わたしたちは、いまこんな世の中に生きている。それでも人々はじぶんなりの愉しみを見つけようと前を見ようとしている。
 
 
 【 3 】
 
 司会:河内拓也
 
 参加者それぞれが「コロナ禍のなか、どのように過ごしてきたのか」、自由な発言の時間を作りました。
 
 
 
  ★★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★ ☆ ★★★★★★★★★
 
 
     ★ 「声」を出すとこからはじめてみませんか
 
     ★ 故吉本隆明氏の『ひきこもれ』を再読しました
 
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